51品目・公国の外交使節団と、魚料理について(フイッシュ&チップスとアジサンドの仕込み)
交易都市キャンベルで小さな店を始めて、一週間が経過した。
ちなみに営業時間は昼から三時まで、そして夜については十七時から二十時ぐらいまで。
昼間の営業については問題がない、朝一で仕込んだものを提供するだけだからな。
だが、夜についてはあまり遅くまで開けても客は来ない。
それは、この世界の夜のせい。
そもそも、この世界には街灯というものが存在せず、夕方6つの鐘が鳴るころには人々は家路を急ぐ。そして日が落ちると、途端に町の中は暗くなってしまう。
窓の隙間から零れるランタンや魔法の明かりが夜道を照らす程度、それ以外は酒場などがランタンや魔法の灯で店内や入り口外を照らしているぐらいで、大半の人々は夜に出かけることはない。
漫画や小説のように、夜遅くまで町の中が明るく照らされているということはないらしい。
せいぜいが月夜の光程度で、夜空を見上げると星空がとても綺麗に見える。
そんなところだから、うちとしても夜遅くまで店を開けている理由が無い。
もっとも、うちの正面には酒場があり、冒険者たちが魔法の明かりをともしているものだから、そこそこ客は入っている。
ゆえに、フラッとうちに流れてくる客もたまには存在する。
グレンガイルやアンドリューのように。
「ふぅむ。これは魚を干して焼いたものか。それを毟って、この黄色い奇妙なものに付けて食べる……と」
「ええ、魚は氷下魚っていいます。添えてある黄色いものはマヨネーズ、上にかかっている赤いものは一味唐辛子です。ちなみにそいつに合うのはウイスキーやアブサンじゃなく、燗酒なんですけれどね」
「では、その燗酒とやらを頂こうか」
カウンターの一角を陣取っているグレンガイルさんが、仕事帰りにふらっと顔を出している。
ちなみにジャッキーさんの件については、工房の弟子さんが手紙を預かっていたらしいのだが、その上に発注書を次々と置いてしまったために埋もれてしまったそうだ。
本来なら発注書に書かれている武具を作っていけばわかるのだが、その日からグレンガイルさんが鍛冶作業を辞めてしまったので発注書が毎日のように溜まってしまい、発見できなくなったらしい。
「あいよ。少々お待ちください」
――シュッ
厨房倉庫から純米酒を引っ張り出し、それを酒燗器に入れて炭火の横に積んである灰の中に埋めていく。
ちょうど炭火の熱でいい感じに燗を付けられるのだが、置きすぎると沸騰してしまい飲めたものじゃない。このあたりは長年の経験でどうにかっていうところだ。
まさか、越境庵から電源を引っ張って電気式酒燗器を使うわけにはいかないのでね。
「それじゃあ、私たちはそろそろ帰りますね」
「今日もごちそうさまだったにゃ!! また明日くるにゃ」
「おう、よろしく頼むわ」
マリアンとシャットもちょうど賄い飯を食べ終わったので、今日はもう帰るらしい。
宿屋の場所が、この店のほぼ裏側なので迷うことはないとか。
それでも夜道は危険なので、マリアンが魔法の灯りをともして道を照らしていくらしい。
夜に出歩く場合は、そういった『灯り持ち』の仕事を請け負っている魔法使いもいるらしく、そこそこには稼げているそうで。
――コンコン
ふと、店の扉をノックする音が聞こえる。
「どうぞ、開いていますよ!!」
「む、そうか、失礼する……」
そう告げながら店に入って来たのは、60歳前後の背の高い男性。
身なりがしっかりしている感じなので、恐らくは貴族だろう。
「こんな夜分に申し訳ない。ここの店主に頼みがあって来たのだが」
「はぁ、できるかどうかはわかりませんけれど、話ぐらいは聞きますよ」
そう告げると、男性はグレンガイルさんの二つ隣の席に座った。
「明日、料理を作ってほしい。それも、新鮮な魚料理をだ。できるか?」
「魚ですか。まあ、仕入れが間に合えば行けるとは思いますけれど。その新鮮な魚料理とは、どのようなものですか? 煮物、焼き物、揚げ物など、いろいろと作ることが出来ますけれど」
「そうだな。ハリバードの料理がいい。相手はシュッド・ウェスト公国の外交使節だ、あの塩臭い連中の鼻を明かせるようなものを作ってくれればいい、できるか?」
ハリバードって、どんな魚なんだろうか。
それに隣国の外交使節? なにやら、ものすごく面倒くさいことに巻き込まれたような感じなんだが。
「すいませんが、そのハリバードっていう魚を扱ったことがありませんが、そいつはどんな魚なんですかい?」
「ああ、わが国にはほとんど流通がないからな。海の底に住んでいる平べったい魚だ。普段は海底の砂の中に身を隠しているとかで、釣りたてのものは臭みもなく身がしっかりとしていて食べ応えのある魚らしいが。物量の関係上、キャンベルにはハリバードの干したものしか届かない」
「そんな状況で、新鮮な魚って言われても困るんですが……そもそも、どうしてうちにそんな話を持ち掛けてきたんですかい?」
問題はそこ。
うちで魚を取り扱っているなんて、知っているのは本当に極僅か。
それもウーガ・トダールで鮨を作った程度だ。
「同じような相談を、あちこちの店でも話してきただけだ。だが、何処も新鮮な魚なんて扱っていない。川魚や湖で獲れるものならば、多少は手に入れることができるが。ハリバードは海に棲む魚なので、どうしても干しものになってしまう」
「はぁ。それはまた、随分と難儀ですねぇ……」
「ああ、流石にこの時期は、フレティア山脈を通る街道にも雪が積もってしまうからな。どうだ? どうにかできそうか?」
そういわれても。
ハリバードっていうのは恐らく、カレイや鮃のようなものだろうという予測はできる。
それなら仕入れることはできると思うが、新鮮なと言われても……ああ、この街に持ってくるまでに鮮度が下がってしまうっていう事か。
そりゃあ臭みも出るだろうけれど、そういうのは俺の持っている空間収納のようなもので運んでこれないのか?
「可能かどうかといわれると、多分大丈夫だとは思いますが。そもそも、そういう鮮度のいい魚を運んでくる方法ってないのですか?」
「アイテム鞄を所持している商人なら、時間の経過を遅らせることはできるだろうが。それでもここに到着するまでは時間がかかりすぎる」
「グレンさん、そういうものなのですか?」
アイテム鞄の時間経過とか、俺はいまいち詳しくはない。
厨房倉庫のように時間経過を停止させることができないのだろうか。
「まあ、普通に出回っている魔導具のアイテム鞄なら、中に収めてあるものの時間をある程度は緩和できる。だが、完全に止めることなどできるはずもない。そもそもラフロイグ卿、この店に来たのは偶然ではあるまい?」
毟った氷下魚でマヨネーズを掬い、口の中に放り込んでいるグレンガイルさん。
さすがにその量はつけ過ぎだとは思うのだが。
それよりも、この人の名前がラフロイグ卿ということは、ここの領主っていうことかよ。
「んん、誰かと思ったら、グレンガイルか。まあ、ここに来た理由は、冒険者組合と商業組合で噂を聞いてきたからだ。流石に昼間は執務が忙しくて身動きが取れなかったものでな。北方から旅して来た異国の料理人っていう話じゃないか。それならどうにかできるのではと思っただけだ」
「まあ、そんなところじゃろう。ユウヤ店主、このラフロイグは顔面こそ傷だらけで迫力があり子供が泣くレベルじゃが、根は悪人ではない。という事で、話だけは聞いてみてくれんか? ラフロイグ卿も、何か誤魔化しているようじゃが、ここの店主は事情を話せば、ある程度は汲み取ってくれる……と思うぞ」
「まあ、もう少し詳しい事情を説明して頂ければ」
「う、うむ……それでは」
ということで、何が起こったのか説明して貰った。
事の始まりは、このキャンベルに定期的に訪れる外交使節との交渉が難航したことから始まっているらしい。
シュッド・ウェスト公国とこのキャンベルとの間で取り交わされている通称条約の一つに、『魚介類についての輸出量』というものがあって。
今年になって、公国が一方的に輸出量を減らすという申し出があったらしい。
しかも、量を減らすだけでなく値段も釣り上げて来たらしく、王国ではこの取り決めを円満に解決するために隣接している領地の責任者、つまりラフロイグ伯爵に白羽の矢が立てられたらしい。
公国側の使節曰く、この国だけでなく他国との取引量についても改めて見直している最中であること、今年は不漁であったために輸出量を減らすしかないという事情があるらしい。
それでも向こうの言い分を受け入れることができないため、ラフロイグ伯爵は使節団の責任者にこう話してしまったらしい。
『貴国の料理人でも知らない、新鮮な魚の食べ方を知っている。それを教える代わりに、もう少し輸出量を都合して欲しい』
と。
そして責任者としても、海と隣接していないこの山岳国家で、新鮮な魚の食べ方など知るはずがないとラフロイグ伯爵の話を受け入れてしまったとか。
それで、ラフロイグ伯爵としては新しい魚の食べ方を知っている料理人を探していたらしい。
自宅で雇っている料理人にも色々と作らせたらしいが、どの食べ方も公国の使節団は満足できなかったとか。
「はぁ……相変わらずの短絡思考じゃな。それで最後の望みという事で、此処にやって来たのか」
「う、うむ。実はそういう経緯でな。どうだ、なんとかできそうか?」
「いやぁ……さすがに厳しいでしょう。そもそも、俺は隣国の魚の食べ方を知りませんからね。いざ俺が作ってみたとして、すでに存在する料理だったら終わりじゃないですか?」
「そ、それは……そうだな」
とはいえ。
ここまで事情を聴いてしまって、できませんさようならっていうのもなぁ。
「はぁ。では、ダメ元でよろしければお手伝いします。ただ、提供する場所はここにしてください。流石に他所の厨房や場所を借りて作るというのは勘弁願いたいので」
「ああ、それでも構わない、よろしく頼む」
「それと、提供した料理がすでに存在していたとしても、それはそれで諦めてください」
「わかった……では、明日の夕方6つの鐘でよいか?」
「ええ」
まあ、こういう時には自分が出来ることをやってた見ればいいか。
さて、色々と忙しくなりそうだ。
〇 〇 〇 〇 〇
――翌日・朝
今日の夜には、公国の使節団責任者が店を訪れる。
という事で、まずは仕込みから始めるとするか。
「ハリバードは大鮃で代用するとして。いい感じの大きさのが入ったので、これを洗って捌いてから……」
五枚下ろしにした大鮃、これを使う。
といっても、作るメニューは『フイッシュ&チップス』。
公国ではどうか分からないが、この国では揚げ物の文化はあるものの、まだまだ高価で庶民にはなかなか出回ることが無いらしい。
それに油の質もそれほどよくはないらしいので、ここは居酒屋らしく『ビールに合う』メニューに仕上げるか。
「まずは、タルタルソースだな」
そもそも、衣をつけて揚げるだけなので手間はかからない。
ということで、横に添えるタルタルソースを作る。
材料はピクルス、ケッパー、タマネギ、パセリ。
できるだけ本場に近づけるため、ゆで卵は入れない。
まずはピクルス、ケッパー、タマネギを刻んでボウルに入れる。
ここにマヨネーズと黒コショウ、パセコン(パセリのみじん切り)も加えて混ぜるだけ。
コツとしては、とにかく細かく刻むのではなく粗みじん切りにしたものも混ぜる事。
滑らかな味わいが好きな人はとにかく細かく、逆に具のように食べたい人は荒めに。
「まあ、こんな感じだろう」
うちは固めに仕上げるので、出来上がったものは急いで冷蔵庫に入れて冷やしておく。
ちなみにだが、今日は昼のメニューでもタルタルソースを使うので、多めに仕込んでおいた。
昼に提供するものは『アジサンド』。
小さめの鯵を大量に仕入れ、一つ一つ丁寧にさばいていく。
背開きで下ろし、腹骨と背骨、中骨を丁寧に取り除いて、さっとひと塩振って、斜めにした盆ザルに並べておく。
少し置いてからさっと水洗いし、バットに並べておく。
あとは食パンを厚さ15ミリに切っておき、これはバットにいれて時間停止。
「さて、それじゃあ揚げるとしますかねぇ」
まずはアジサンドの具材であるアジフライを揚げる。
といっても、練りやに下処理をしたアジを潜らせ、パン粉を付けて揚げるだけ。
――ジュゥゥゥゥゥゥゥゥ
アジフライの揚がる、いい音が聞こえてくる。
そして次々と揚げ台に並べて油をきると、これも纏めて時間停止。
残りは刻みレタスを用意するだけ。
「ふう。残りの夜の仕込みは、店が終わってからでも間に合うか」
ということで、後片付けをしてから一休み。
あと1時間ぐらいでシャットとマリアンも来るだろうから、あとは来てからだな。
まあ、店を開く前に試食してもらうだけだがね。
確か、アジサンドは食べさせたことはなかったよなぁ。




