44品目・危なく陞爵、晩餐会は罠がいっぱい(居酒屋のスープカレー)
「そうですわね……私は決めましたわ!!」
隠れ居酒屋・越境庵の客席で。
食後のワインを堪能していた第一王女アイラ殿下が、突然立ち上がってこっちを見ている。
ちなみにだが、アイリッシュ殿下はラムネを飲んだあとで、中に入っているビー玉をどうやって取り出すのか悪戦苦闘中。
「あの、アイラ殿下。何をお決めになったのですか?」
心配そうに問いかけているアードベッグ辺境伯だけど、俺はどうにも嫌な予感がしてきたんだが。
ほら、こっちを見て孔雀羽根の扇子をバサッと振って、斜に構えてこっちを見ているじゃないか。
「ユウヤ店長、貴方に第一王女アイラ専属の料理人になることを許します」
「ああ、謹んでお断りしますので」
「……え?」
ほらな。
そんな予感がしたんだよなぁ。
という事で、こっちとしてもそろそろ片づけを始めたいのでマリアンとシャットを手招きする。
「お盆を持っていって、空いている食器をここまで運んできてくれるか?」
「わかったにゃ!!」
「はい、お任せください」
いそいそとお盆を持っていき、殿下たちの前に置かれている空いた食器を下げる二人。
ちなみにだが、アイラ殿下は俺の方を見て呆然としているし、アイリッシュ殿下もラムネ瓶をテーブルに戻してアイラの方をじっと見ている。
「はぁ。お姉さま、先日もアードベッグ辺境伯が仰っていたではないですか。こちらの……ええっと、越境庵と申しましたよね? その主であるユウヤ・ウドウさんは権力や地位・名誉にはとことん興味が無いって」
「え……でも、第一王女付き料理人ですわよ?」
「おそらくですが、宮廷料理人としての地位でも、総料理長の地位でも、断られるに決まっています」
「そんな人が存在するのですか?」
ああ、アイリッシュ殿下の方が、まだ世間を知っているというか。
アイラ殿下の方は、自分の言葉には誰も逆らうものはないっていう感じなのかなぁ。自信満々というか、なんというか。
「先程もご説明しましたけれど、私は旅の料理人でして。どこかの貴族様に仕えるとか、宮廷料理人になるという気持ちは持ち合わせていません。御覧の通り、その気になればどこででも居酒屋を開くことが出来ますのでね。まあ、街中で堂々と開くと、それはそれで色々と面倒なことになりますので……」
淡々と説明すると、アイリッシュ殿下は店内をぐるっと見渡して。
「ユウヤ店長は、ひょっとして流れ人なのですか?」
何処をどう見ても、こっちの世界の酒場っていう雰囲気はないからなぁ。
料理にしても食材にしても、その味付けだって一般的ではないどころか、あり得ないものまで使っているのだから。
「まあ、ここだけの話にしておいてくださいな」
これで納得したのか、アイリッシュ殿下はウンウンと頷いて椅子に座りなおした。そしてラムネの瓶を手に取ると一言。
「この瓶は、貰っていって構いませんか?」
「構いませんよ。なんでしたら、中身の入ったものをお持ち帰りしますか?」
「ううん。それは必要ないです。この瓶の中の真球の珠が欲しいのです。それとですが、たまにこのように私達の為にお店を開いてくれませんか……ねぇ、お姉さま」
「ん……んんん、そ、そうね。では、私の専属になることは諦めますわ。その代わり、二つだけお願いがありますのよ」
「お願い……って、まあ、俺に出来ることで、無理強いされることでなければ」
この条件なら、俺が嫌がるようなことは強要してくることはないだろう。
「一つ目は……たまにで構いませんので、今日のように楽しい食事会を開いていただけますか? 正直申し上げますと、初めて食べるような不思議な料理もあれば、宮廷料理人が作るようなオーソドックスなものもありましたわ。でも、それらの味付けや盛り付け、しっかりと食材の味を残しつつ、さらに膨らみを持たせて昇華させる技術は、この国でも五指に入るといっても過言ではありません」
――ブァサッ
羽根扇子を広げて扇いでいるアイラ殿下。
ああ、それは言い過ぎじゃないですかねぇと思うが。
5指に入るとまで言われると、正直言って嬉しいねぇ。
「そして二つ目。私のお父様、すなわちマクシミリアン・ミラ・ウィシュケ陛下の誕生祭で、料理を一品、作って頂きたいのですわ!! 陛下は大層甘いものがお好きですので……そうですわねぇ。デザートを作っていただけますか?」
「陛下の誕生祭……ってことは、この国の国王陛下の誕生日パーティーか何かでですか?」
う~む。
作ること自体はやぶさかではないが。
収穫祭が終わるころには、雪が降ってくるという話だからなぁ。
南下して王都に向かい、そこで誕生祭に参加して……っていうところか。
いや、ちょっと待てよ、そもそも誕生祭っていつなんだ?
「アイラ殿下。ちなみにですが、マクシミリアン陛下の誕生祭はいつなのですか?」
――バッ!
あ~、また羽根扇子を広げて口元を隠して斜に構えているよ。
どれだけ、そのポーズが好きなんだろうねぇ。
それにさっきから、孔雀の羽根が数本抜けて床に落ちているんだけれど。
「収穫祭の一か月前ですわ!!」
「あ~、それって来年っていうことですか?」
「ええ。できるかしら?」
そりゃまた、随分先の……ってちょっと待て、この世界の来年の収穫祭の前ってことは……地球時間で2年近く先ってことかよ。
そりゃまた、先っていう話どころじゃないぞ。
まだこの国にいるのかっていうのも怪しくないか?
「そうですねぇ。その季節になって、まだこの国にいるようでしたらお引き受けしましょう。ただ、一か所に何年もいる気はありませんので、それでよろしければということで」
「よろしい。では、その時がきたらよろしくお願いしますわ。ちなみにですが、明日はどのような料理を食べさせてくれるのでしょうか?」
「露店の事ですか?」
そう尋ね返すと、アイラ殿下はニイッと笑って。
「明日の、越境庵の晩餐ですわ」
「あ、明日は開ける予定はないの……んんん?」
まったく。
連日なんて開ける訳にはいかないんだが、アイラ殿下とアイリッシュ殿下の背後で、アードベッグ辺境伯が泣きそうな顔で両手を合わせている。
なにか口をパクパクしているようだが?
そう思ったら、マリアンが厨房に顔を出して、説明してくれた。
「アードベック辺境伯曰く、フローラさんはここでの晩餐を楽しみにしているそうです。でも、今日は王女殿下がいらっしゃったので無理だと断ったそうで……」
「それと、フローラ様とアイリッシュ殿下は仲良しだにゃ、きっと後で、今日の晩餐でこんなものを食べたとか言われて、フローラ様が黙っている筈がないにゃ」
「はぁ……そういうことか……」
ま、ここは引き受けておくことにするか。
「仕方がありませんね……では、明日だけですよ、ここを開けるのだって、仕込みとかで露店にも影響が出るのですからね」
「その分の謝礼は支払いますわ。そうですわね、爵位? それとも荘園?」
「お姉さま、それは駄目。ちゃんとお金を払うの」
「あらそう?」
おいおい。
なんで居酒屋を一晩貸し切っただけで、爵位を寄越そうとするんだよ。
あぶねぇなぁ、まったく。
という事で、このあとはちょっとだけ雑談を交えたのち、無事に王女殿下たちの晩餐会は終了。
ちなみにアイリッシュ殿下の頼みもあり、店の外で警備を行っている四人の騎士たちも、おにぎりと簡単なおかずを作って差し入れすることになったのは、言うまでもない。
まったく、疲れたよ。
〇 〇 〇 〇 〇
――2日後
アイラ殿下たちの二日連続の晩餐会も無事に終了。
ちなみにシャットの話していた通り、あの翌日にはフローラさんはアイリッシュ殿下から色々と美味しそうな話を聞かされ、アードベック辺境伯に八つ当たりしていたらしく。
二日目の夜はアードベック辺境伯一家、アイラ殿下、アイリッシュ殿下とその護衛たち4名、そしてうちのお嬢さんたちも交えての晩餐会となったことだけは付け加えておく。
「ということで、ようやく平常運転だな。今日は……と」
日替わりメニューも一旦リセット。
王女様たちの晩餐会の仕込みが忙しかったので、サーカスに納品していた料理についてはこっちにお任せして貰うことにした。
まあ、残り10日間ということで、全てお任せしますと言われたから。
こっちとしても、色々と気が楽になったんだよなぁ。
「それじゃあ、始めますかねぇ」
昨日から仕込んであった自家製叉焼。
今回はこれは使わずに、もう一つのスープストックを使用する。
よく洗った鶏ガラ、砕いた牛骨と玉ねぎ、にんじんを鍋に入れてコトコトと煮込んでいく。
130リットル入る寸胴が半分ぐらいになるまで煮詰めたら、一度スープを濾して野菜や牛コツ、鳥ガラを取り除く。
これをゆっくりと冷ましたのち、晒しで作った袋の中に『頭とはらわたを取り除いた煮干し』と『鰹の中厚削り節』を入れて、そのまま冷蔵庫へ。
鰹節と煮干しを入れてからは、火にかけない、後は静かに出汁が染み出るのを待つ。
ちなみにこの時のカツオと煮干しの分量は秘密。
出来上がった鳥と牛コツスープの濃度と味によって、色々と調節しなくてはならない。
「というのを昨日から仕込んでおいたので。ここから晒し袋を取り除いて……」
具材は骨付き鶏肉、ニンジン、ジャガイモ、茄子、レンコン。
骨付き鶏肉は一度、切れ目を入れてからオーブンで焼いておく。
人参、じゃが芋はよく洗ってから水洗いし、大きめの乱切りにしたのち、昨晩から仕込んでおいたスープで煮込む。
茄子は縦4つに割ってから、末広に包丁目を入れてから、さっと油通し。
レンコンも厚さ5ミリほどの輪切りにして素揚げ。
「うん、いい感じに仕上がりそうだ」
コトコトクツクツ、強火ではなく中弱火でスープを温めて人参とジャガイモに火を通す。
そして竹串を刺してスッと通るようになったら、北海道のソウルフードメーカー謹製、業務用スープカレーの素と、横浜市民ご用達のカレーフレークをスープの中に投入。
ゆっくりと混ぜてから味を調える。
「ルーカレーと違って、少しシャバシャバしているぐらいがいいんだけれどねぇ」
うちのスープカレーは、仕上げに少しだけ普通のカレールーを加えているため、ほんの少しだけ粘りっけがある。
スープカレーなら粘りはいらないっていう人もいるが、俺はこのぐらいが好きだ。
仕上げはクミンシードとイタリアンハーブミックスを加えてスパイシーさを調整して出来上がり。
バットにしっかりと焼いた鶏モモ、揚げたレンコンと茄子を一人前ずつ並べておく。
そして忘れちゃいけない炊き立てご飯。
「……なんだろう、ちょっとやり過ぎた感が満載なんだが……まあ、何人かで取りに来てもらえばいいか。サーカスだから人は多いだろうからなぁ」
今回はスープの関係で小さめの寸胴三つ分しか作れなかったのでそのうちの二つはサーカス団に、残りの一つは賄い飯だな。
「まあ、これで一応完成だけれど……」
なんだろうなぁ。
今日の露店のあと、賄い飯を食べているところに王女殿下も乱入してきそうだよなぁ。
まあ、そんなことはないと信じようか。
………
……
…
「……ということで、こっちの容器にはご飯のみ、こっちに寸胴の中に入っているスープカレーと、こっちのバットに入っている具を盛り付けてください。食べるときはですね、ご飯をスプーンですくってから、このスープカレーに浸して食べて……聞いてます?」
いつものように露店を開いていると、サーカスの団長と団員達が食事を取りに来てくれたので、今日は盛り付けから一つ一つ説明を行っている。
これがカレーライスとかなら、今更説明はいらないんだけれど、スープカレーは別。北海道民のソウルフード……とまでは言い切らないが、食べ方が独特的なので実際に作って見て説明をしている真っ最中だが。
「ああ、聞いているとも、しかし、これは随分と食欲をそそるねぇ」
「まあ、香辛料もふんだんに使っていますからね」
「ああ、いつもありがとうね……でも、あと少しでこれが食べられなくなるっていうのは、寂しいねぇ」
「そういっていただけると嬉しいですね。まあ、俺はあちこちの街にいっては露店を開いていますので、またどこかで会ったら作って差し上げますよ」
まあ、まだ10日近くは収穫祭が続くんだけれどねぇ。
そして俺の背後で、涎を垂らしそうになっているお嬢さんたち。
「ゆ、ユウヤァ、ちょっとだけ食べさせてほしいにゃ」
「わ、私もです」
「はいはい、ちょっと待ってろ、少な目で作ってやるから、それを食べたら露店を開けるからな」
まったく。
相変わらずなお嬢さんたちだことで。
カレーの魔力には抗えないってか。




