13品目・急な病と、困った時の常備薬(置き薬と正露丸)
翌朝。
出発前に身支度を整えていると、馬車の中が妙に騒がしかった。
「あのなぁ……だから、やめておけと俺たちは話していたじゃないか」
「それを、大丈夫だの一点張りで無理して食べるから、そんなことになるんだぞ」
「わ、分かっているって……ウオップ……」
「駄目だ……また漏れそうだぁ……」
一人の商人が大慌てで休息場の外、草原へと走っていく。
そしてもう一人は大きな桶を抱えて、その中に向かって嘔吐しているじゃないか。
「はぁ。この調子だと、馬車の出発にも影響が出ますなぁ……どうしたものか」
昨日雑炊を食べていた商人が、腕を組んで困った顔。
他の同乗者たちもみな、一様に不安そうな顔になっている。
「ひょっとして、食あたりでも起こしたのか?」
「そうでしょうねぇ……だから昨日は、あれほど注意したのに……このままですと、隊商の出発に間に合わなくなってしまいます」
「それって、どうなるんだ?」
ちょっと気になったので尋ねてみると。
どうやら俺たちの乗っている馬車も隊商交易馬車便の一つであるため、定時には走り出さないとまずいらしい。
それで旅の最中に病人やけが人が出た場合は、あらかじめ積んである魔法薬を買い取って、それを飲んでもらうか、もしくは途中下車するかの選択肢を与えられるらしい。
そして腹を下している商人たちは、魔法薬を買うだけの銀貨は持ち合わせていないらしく、このままだとここに置き去りになるようで。
「成程ねぇ……マリアン、君の魔法で腹下しを治せるか?」
「さすがに無理ですよ、私は黒魔術の専門でして、神聖魔法は使えませんよ……」
「私は無理だから、聞かない方がいいよ」
「まあ、そうだろうなぁ……しかし、どうしたものか」
そう考えていると、隊商交易馬車便の責任者らしい人が大きなカバンを手にやって来る。
「病人が出たと聞いたが。病気を癒す魔法薬は、ひと瓶5000メレルだが、どうする?」
「5000メレルってことは……ああ、それなりに高いなぁ」
1メレルが10円ぐらいだったな。
10メレル銀貨が100円玉ってところなのは分かっているので、魔法薬一本が5万円ってところか。
いい値段するなぁ。
「ちょっと待ってください。まだ出発には時間がありますし、それまでは様子を見たいのですが」
「それは構いませんよ。では、早く治ることをお祈りしています。商人にとっての5000メレルはひと財産ですからね。では」
丁寧に頭を下げて、責任者の人が離れていく。
うん、これが業突く張りの金に汚い奴だったらどうしたものかと考えていたが、そういうことはないらしい。
「でも……あの様子だと多分、出発までには治りそうもないと思うが」
「私もそう思います。せめて、治癒の丸薬程度でもあれば、多少は腹痛や吐き気が収まるとは思いますけれど」
このあたりは、冒険者としての知識なのだろう。
しかし、薬が高くて手が出ないからとはいえ、置いてけぼりというのも。
「……ん? ちょっと待てよ?」
そういえば、店には各種薬品も常備してあったよな。
ほら、毎月定期的にやってくる置き薬のメーカー。
何かあった時の為にうちにも常備してあったのを、すっかり忘れていたわ。
「さて……と、これか?」
――シュルッ
厨房倉庫から『置き薬のケース』を取り出し、そこから腹痛に効く薬を探してみるが。やはり、こういう時に便利なのは、これだよなぁ。
「ふう。やっばり正露丸は入っていたか。しかし、これがこっちの世界の腹痛にも効くのかぁ?」
ちょっと心配なので、ステータス画面を開いて詳細説明で確認してみるが。
『ピッ……正露丸。下痢、腹痛、頭痛、歯痛をはじめ、様々な主症状に効果を発揮する。異世界産のものは、さらに薬効効果が増大している』
「……んんん、まあ、これでいいか」
そもそも、置き薬には正露丸は入っていなかったんだよ、追加で購入して入れてあったのを、すっかり忘れていたわ。外傷については消毒薬と絆創膏しかないが、軽い病気程度ならこの置き薬に入っているものでどうにかなりそうだな。
「んんん? ユウヤ、その瓶はなにかな?」
「これは、まあ、俺の国で出回っていた丸薬だな。これを飲んでもらい、症状が治まらなかったら諦めるという事で」
そうシャットに説明すると、マリアンがいそいそ近寄って来て、俺に耳打ちしてくる。
「ユウヤ店長、それって越境庵の備品ですか?」
「そういうことだ。トンデモないチート効果があると思うが、出所については内緒だからな」
「畏まりました……と、ちょうど戻ってきたところですよ」
マリアンが視線を送った先では、疲弊しまくって馬車の横にへたり込んでいる商人たちの姿があった。だから、俺は薬の瓶とスポーツドリンクの入った紙コップを手に、二人の近くへと歩み寄り。
「これは俺の故郷の丸薬でね、腹痛に効果があるんだが。この水で飲んでみて、これでダメだったら覚悟を決めた方がいい」
「はぁ……ワランハ諸島王国の丸薬ですか。助かります」
「こんな貴重な薬を分けて貰えるなんて……ありがとうございます」
「お礼はいい、とりあえず飲んでくれ」
瓶のふたを開けて正露丸を6粒取り出すと、それをスポーツドリンクと一緒に3粒ずつ手渡す。
「まあ、その匂いにウッとする人も多いだろうが、良薬口に苦しといってね、騙されたと思って飲んでくれ」
「分かりました……」
そう言いつつも、お互いに顔を見合わせてから、覚悟を決めたらしく一気に正露丸とスポーツドリンクを喉に流し込んだ。
すると。
――フワン
二人の身体が一瞬だけ輝いたと思うと、みるみるうちに顔色が良くなっていく。
衰弱してげっそりとしていた顔も艶を取り戻し、目にも力が宿り始めた。
「こ、これは一体!!」
「先ほどまでの腹痛がすっかりなくなりましたよ、それどころか体が軽いです、力がみなぎってきましたよ!! この薬はどこで手に入るのですか、入手方法は?」
「ああ、それについては秘密でね。悪いが教えることも、売ることもできないんだ。ということで」
残った正露丸の瓶をアイテム鞄経由で厨房倉庫に戻しておく。
ひょっとして、この置き薬も月に一度、補充して貰えるのかもな。
「さて、それじゃあ俺は馬車に戻るので……あとは任せるわ」
残った商人たちにそう告げてから、俺はシャットたちに声をかけて馬車に戻ろうとしたのだが。
「く、臭いっ!! ユウヤの手からとんでもない臭いにおいがするにゃぁ!!」
「そうか? ってああ、正露丸の匂いか」
「ユウヤ店長、獣人族には、その匂いはきつすぎますよ。手を洗ってきた方がいいと思いますわ」
「そうか、それはすまなかったな……しかし、正露丸の匂いって、なかなか取れないんだよなぁ」
その予想通り、手を洗って匂いは消したと思ったんだけれど、まだ少ししみついているらしくシャットは俺から離れた場所に座ることにしたらしい。
暫くして出発時間となり、隊商交易馬車便の責任者が様子を見に来たんだけれど。
先程とは打って変わって元気になった商人を見てほっとしたらしく、定時には馬車は走り始めることとなった。
いつもお読み頂き、ありがとうございます。
・この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
・誤字脱字は都度修正しますので。 その他気になった部分も逐次直していきますが、ストーリー自体は変わりませんので。
注)正露丸については諸般の事情により登録商標は失効されています。そのため現在は【普通名称化認定】が行われているため、一般名称として使用されています。




