119品目・行方不明の柳葉包丁、見た事のない柳葉包丁(ペッパーライス)
朝。
どうやら俺は、カウンターで飲んでいる内に寝てしまったらしい。誰かが毛布を掛けてくれたようだ、それに目の前に置いてあった写真立ても伏せられている。
こりゃあ、マリアンかシャットが掛けてくれたんだろうなぁと思ったが。
「どうやら、違うみたいだなぁ。ま、ありがとうございます」
パンパン、と両手を叩いてお礼を告げる。
毛布を掛けてくれたのは二人でない誰か、ということは理解できた。それに気のせいかもしれないが、僅かに毛布から香りがする。
久しぶりに嗅いだような気がする、石鹸のいい香り。
俺は体を洗う際にはボディソープしか使っていないのでね。
手洗い用の石鹸じゃない、懐かしい香りだ。
「さて、とっとと片付けて仕込みを始めるとしますかねぇ」
一杯ひっかける前に注文しておいた物は全て届いている。
これで今日の昼の仕込みを始めるとしますか。
まずは、ドネルケバブの肉を漬けこむ作業から。
これについてはいつもの手順で行うので割愛。
そしてここからが本番。
「まずは、牛肉の薄切りの処理から始めるか」
牛もも肉の薄切りを適当な大きさにきり、大きめのボウルに入れておく。
ここにオリーブオイルとにんにくのみじん切り、塩コショウ、コンソメを少々加えてよく揉みこみ、味がしみ込むまで暫く放置。
次に、大きめのフライパンに油を敷いて、ご飯をパラパラになるように炒める。
この時、スイートコーンとマッシュルームを加えるのも忘れない。
味付けはまだ、この次の手順で行うので、今はこのまま。
パラパラに炒め終わったら、保温ジャーに入れて時間停止処理。
これを何度も繰り返し、大体保温ジャー三つ分のプレーン炒飯を用意する。
「さてと。そろそろ二人とも戻ってきそうだから、まずはテストで」
中ぐらいのフライパンに油を敷き、漬け込んでおいた牛肉をさっと炒める。
そこに先程のプレーン炒飯を加えた後、特製タレを掛けて一気に煽る。
このタレの材料はおろしニンニク、おろししょうが、一味唐辛子、黒胡椒、酒、味醂、醤油、レモンの絞り汁、僅かの煮切りといった感じで。
比率は秘伝なので勘弁を。
代用品として、市販の焼肉のタレでも構わないが、その場合は甘口系ではないもので。
このタレを少しフライパンに入れて、強火で一気に炒めて完成。仕上げは盛り付けてから、粗挽き黒胡椒をパパッと掛ければ出来上がりだな。
「うにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、すっごいスパイシーな香りだにゃ」
「あ、只今戻りました。ちょうどシャットと店の前で一緒になったのですよ」
「そりゃあいいタイミングだな。では、今日の昼のメニューだ。ペッパーライスといって、薄切りの牛肉とご飯を炒めた、ちょっとスパイシーなご飯だ」
まず一人分を盛り付けてカウンターに出す。
続いて二人分、いや四人分を大きなフライパンで一気に仕上げて、そこから二人分を盛り付けて。
「ほらよ、これがペッパーライスだ。本当なら、こういう入れ物で出すんだけれどな」
大きめのスキレットを見せてやると、二人とも驚いた顔になっている。
まあ、それについては今度、夜にでも作ってやると言ったら嬉しそうな顔をしているなぁ。
「それでは、いただきますにゃ」
「はい、いただきます」
「いただきます」
手を合わせて食前の挨拶。
そして一口目を口の中に運んでみると、やはりオリジナルのように目の前で自分で作ったものと比べると、あのジュウジュウという肉とご飯が焼き付く音と香りがないのは寂しい。
が、隣で楽しそうに食べている二人を見ていると、昼のメニューとしてはこれでいいかって考えてしまうねぇ。
作り立てを容器に入れて持って帰る、そういう流れなら、これでいいか。
「お代わり貰っていいかにゃ☆」
「わ、私も少しだけ……いえ、一杯欲しいですわ」
「ははは、ここに作ってある分は食べていいからな。それが終わったら、開店準備を頼む」
「「かしこまり!!」」
――シャキーン
いや、かしこまりの挨拶はいいとして。
なんでそのガッツポーズは。
ああ、これはあれか、山本ちゃんの癖だったやつか。
しっかりといらん所まで受け継いでいるのは、おじさんはどうかと思うぞ。
「ま、よろしく頼む」
という事で、こっちの片づけをとっとと終わらせて、ユウヤの酒場での準備をしますかねぇ。
〇 〇 〇 〇 〇
――ユウヤの酒場
今日の担当は、俺がペッパーライスでシャットはいつも通りドネルケバブ。
マリアンがハヤシライスを担当。会計だが、何故か暇そうなアベルとミーシャが早めにやって来たので、二人を臨時で雇う事にしたんだが。
「んんん? ちょっと待てよ」
「ユウヤ、なにかあったにゃ?」
「ああ、あったというか、無くなったというか……」
ユウヤの酒場の調理台、その傍らに置いてある木造りの包丁置き。
そこにあったはずの柳葉包丁がなくなっている。
いや、正確に言うと、俺の普段使いの柳葉包丁はあるのだが、グレンガイルさんが打ってくれた特製柳葉包丁が見当たらない。
あれは芯鉄にミスリルを、皮鉄にはアダマンタイトを使ったというグレンさんの渾身の一振り。
それが見当たらなくて、俺のが残っているっていうことは。
「あ~、そうか、やっちまったか」
「んんん、なにかやったのかにゃ?」
「昨晩、最後に耕平へ渡した柳葉包丁があっただろ、俺が普段使っている奴を渡そうと思ったんだが。間違って、グレンガイルさんの奴を渡してしまったようでな……いや、ま、それは仕方がないので、グレンガイルさんに頭を下げて、また一本打ってもらうか」
「まあ、事情を説明すれば分かってくれると思いますよ。でも、耕平店長は大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫、というと?」
そう問いかけてから、マリアンが説明してくれたんだが。
あの特製柳葉包丁は、グレンガイルさんの鍛冶場にある『竜骨の砥石』でなくては研ぐことが出来なくてね。俺もその竜骨の砥石は一本購入し持っているんだが、普通の砥石で研ごうとすると、とんでもないことになるらしい。
「……まあ、なんとかなるだろう、きっと」
「なんともならないと思うにゃ」
「正直言うと……そうなんだよなぁ。ま、あとは耕平に任せるさ」
さて、ぼちぼち営業時間だな。
看板を付け替えて、仕事を開始しますか。
〇 〇 〇 〇 〇
――札幌市・有働耕平宅
「ウウンンンン……」
朝、まるでうなされるかのように耕平は目を覚ました。
昨日の夢は、随分と懐かしい思いがした。
というのも、よく知っている店の厨房で天手古舞になって困り果てている兄・優也の姿が見られたから。
その店には見知らぬ女性と頭から猫耳を生やした獣人?のような女性が走り回っていて、お客さんに出す飲み物もうまく回っていないように感じた。
そして事務所に立っていた耕平は、同じように横にいたホールチーフの山本さんと一緒に、一時的にだが店を手伝うことにした。
そしてどうにか仕事を切り盛りした後で、優也が山本さんと耕平に話を始めた。
それは、自分は死んだ後、異世界にやって来たという事。
そこであちこちの街を旅しつつ露店で料理を提供し、王都ではこの店まで構えているという事。
今日は神様相手の宴会だったらしく、そのお礼として耕平と山本さんの二人は、日付が変わるまで優也と話をする時間が与えられたという。
「……変な夢だな……」
そう呟きつつ、耕平は目を覚ます。
昨晩の夢はあまりにもリアルすぎる。
まだ、炭の香りが髪にしみついているような、そんな錯覚さえ覚えてしまうほど。
「ま、夢の中では、あれは現実だっていう話をしていたが……そんな筈はないよなぁ」
そう呟きつつ立ち上がると、近くのテーブルの上にサラシにまかれている一振りの包丁があるのに気が付いた。
「いやいや、そんなバカなことって……」
そう思いつつ、サラシを研いで鞘から柳葉包丁を取り出す。
気のせいか、刃の表面が薄っすらと青く輝いているようにも感じる。
「夢じゃない……ってか? いや、それでも、そんなバカな事ってないよな……」
そう自分に言い聞かせつつ、身支度を整えて店へ向かう。
朝食は店で適当に食べるので、柳葉包丁をケースに納めてまずは仕事へ。
そして一通りの仕込みを行った後、いつものように昼営業をするのだが。
――スッ
「……なんだこれは?」
物は試しと、受け取った柳葉包丁を洗ってから、刺身を切っつけ始めたのだが。
音もなく、そして手応えさえ感じさせずにスッスッと、刺身が切り分けられていく。
それどころか、少しでも余計な力が入ると、まな板まで切断してしまう。
最初の一切り目でまな板を貫通してしまったので、注意深く刺身を切り分ける。
それはいつもよりも意識を集中し、手元がぶれないように。
「……兄貴は、こんな包丁で刺身を切っていたのかよ……化け物か?」
と悪態をつきつつも、どうにか昼の営業は完了。
せっかく受け取った柳葉包丁、切れ味はこのままの状態を維持したいと思い、耕平は軽くだけ仕上げ砥石を掛けたのだが。
――シュルルルルッ
仕上げ砥石が、まるでカンナを掛けたかのように薄く削れていく。
それこそ鰹箱を使って本枯節を掻いたように。
砥石が綺麗に、一枚の布のようにスーッと削れていったのに、耕平は目を丸くして硬直してしまう。
「……はぁ? ち、ちよっと待ってくれ、この柳葉包丁は、どうやって手入れをしたらいいんだ? そもそも、これって柳葉包丁なのか?」
そう疑ってしまうのも無理はないが。
形状といい刃文といい、どう見ても普通の柳葉包丁である。
だが、シャレにならない切れ味に、耕平は寒気さえ覚えてしまう。
「……よし、これはここ一番で使うことにする。一旦休憩してから、また仕込みを始めるとするか」
自分にそう言い聞かせつつ、やや現実逃避しながら耕平は休憩に入る。
そして夕方、夜の営業のために出勤した山本さんから、『昨晩ですが、優也店長の夢を見まして……あの、夢の中でシャットちゃんから貰った首飾りが枕元にあったのですけれど、私の話している意味って解りますか?』と告げられて、耕平は思わず苦笑してしまった。
「山本さん、どうやら昨晩の出来事は本当に起こったらしい。ということで、この話は二人だけの秘密にしておいてくれ。他に説明するとその、色々とややこしい事になりそうだ」
と前置きをした後、優也から譲り受けた柳葉包丁の事を山本さんにも説明する。
そして彼女も昨晩の事が現実だったと理解しているので、そっと胸の中に留めておくことにしたらしい。
なお、数日後。
優也の部屋の中で発見されたレシピだが、あまりにも優也の文字が汚く独特過ぎで一部解読不能であったという。
その事を神棚に愚痴ったものの、それがユウヤに届くかどうかは神様次第という事で。
いつもお読み頂き、ありがとうございます。
・この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
・誤字脱字は都度修正しますので。 その他気になった部分も逐次直していきますが、ストーリー自体は変わりませんので。




