117品目・遠き都にかへらばや。(刺身の盛り合わせ、貝のばらし方について)
――ジュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ
奥の炭焼き場から、肉汁が焼け付く音がする。
白煙が昇り肉に絡みつき、そして消えていく。
時折聞こえてくる醤油タレの焼き付く音と焦げた香りが、カウンターを越えて店内にも少しだけ広がり各テーブルで楽しく食事をしている神々の鼻腔を優しく擽っている。
「2番、6番の焼き鳥盛り合わせが上がったぞ。ホッケの開きとツボ鯛の一夜干しはあと5分、先に野菜串が仕上がるのでそう伝えてくれ」
「か、かしこまったにゃ」
「ははは、兄貴の所の従業員さんか。なんか昔、実家で飼っていた猫みたいだな。まあ、そういう事なのでよろしく」
「はいにゃ」
耕平が盛り付けた焼き鳥を、シャットが神様の元に運んでいく。
そしてゆっくりと焼き鳥を摘まみつつ酒を飲もうとしていた神だが、横に座っていた別の神に焼き鳥を奪われ憤慨していた。
「さて。こっちは刺身の盛り合わせが4台か」
まずはサーモンで花をあしらうか。
薄く削ぎ切りしたサーモンの端を真魚箸で摘まみ、くるっと軽く振って丸める。
これが花の中心になる、あとはこれに巻き付けるようにサーモンを丁寧に巻いていく。
一枚を巻きつけたら、今度は場所を変えて巻く。
それを数回繰り返すと、きれいな花の形に仕上がる。
それを8つ作って、木製の作り板に並べておく。
この作り板は、こういった宴会で刺身盛りを出すとき、先に切りつけた刺身を並べて置いておくもの。
これ自体が盛り合わせの皿としても使えるのだが、今日はとある事情で船盛りの用意をしているのでね。
「あとは、特に飾切りをする必要はないか。ま、いつも通りで」
ホタテ貝は殻から外して流水で洗い、薄く削ぎ切りにして綺麗に洗った貝殻に盛り付け、作り板へ。
貝殻には大根の妻とトサカノリ、オゴノリを乗せて大葉を敷き、そこに削ぎ切りしたホタテを並べる。
ホタテの紐はボウルに入れてさっと塩を振り、こすり合わせるように混ぜていると黒い部分が取れて真っ白になる。
これを塩一つまみを入れた熱湯にさっと、本当に一瞬だけ潜らせたのち氷を張った冷水に入れて身を引き締める。あ、引き締まったらすぐに取り出すこと、折角の紐が水っぽくなってしまうのでね。
この日も一寸程に切って貝殻に乗せておけばいい。
ツブ貝も殻から取り出し、尻尾の肝を切り落としておく。
ここが美味いという人もいるが、流石に生では出せないのであとで生姜と醤油出汁でさっと煮付ける事にするか。
ちなみにだが、大きめのツブ貝の実の中には『アブラ』という黄色い固まりがあるんだが。
これは食べられないので外すこと。
ぶっちゃけると、これを食べ過ぎると吐き気やめまいを引き起こしたり、最悪は眠気や腹を下す事があるからな。
取り出したツブ貝は両手に大量の塩を取って、そこで揉み洗いしてぬめりを取っておく。
この時、黒い部分も外れるがそれは気にしない。
残っていても大したことではないので、気にする事はない。
「しっかし、ずいぶんと鮮魚店も気合を入れてくれたものだな。こんなにでかいのは久しぶりなんだが」
ツブ貝も削ぎ切りしたのち、妻と大葉を入れた貝殻の中に盛り付ける。
北寄貝も貝から身を取り出したのち、貝柱と紐を取り除いた足(身)の部分を二つに開いて内臓部分を取り出し、熱湯にさっとくぐらせておく。
本当にさっとだけ、箸でつまんで一瞬潜らせるだけでいい。
こうすることで身の先っぽが明るい赤紫色に染まって見栄えがいい。
ただし、刺身なので本当にさっとだけ、大切なことなので二度言わせて貰う。
北寄貝の貝柱はそのまま、ヒモについている黒い汚れは指でこそげ落ちるので綺麗に取り除いて、さっと熱湯へ。
もしもぬめりが残っているのなら、さっと塩を振って揉み洗いすればいい。
そして縦にやや細めに切りつけた北寄の刺身と貝柱、ヒモを大根の妻と大葉をあしらった貝殻に並べておけばいい。
マグロや鰤といった厚みのある魚の刺身は平造りで、ヒラメやサメガレイといった平ものは薄造りで。
そして切り終えた刺身のは大根の妻やあしらいで飾った船に順次盛り付けていく。
船先と船尾には綺麗に下処理をした生山葵と鮫皮おろしも添えておく。
そして最後に、チップ(ヒメマス)のルイベとイカゴロの沖漬け巻きを切りつけて盛り込み完成だ。
「マリアン、刺身の舩盛りが出来たので持って行ってくれ。あと一台は急ぎ仕上げるので」
「かしこまりましたわ」
「ふぅん……死んでも腕は鈍っていないって感じか。いや、生前よりも腕が上がっていないか? この切れ目の光り具合、シャレになっていないな」
「生前って……ああ、ま、そんな所だ。俺は何処まで行っても、料理人だからな」
「調理師ではなく、料理人……だったな。まあ、腕が鈍っていなくて安心したわ」
辛口を叩いてから、耕平が焼き場へと戻っていく。
まったく、相変わらず口やかましいったらありゃしない。
「さて、次は……」
小さめの船を用意して、そこに刺身の船盛りを作るだけだが。
こっちは鯛を多めにして盛り付ける、つまり小上がりの恵比須様用だな。
本当なら七福神にちなんだ料理も用意したかったのだが、突然の来店なのでそこまで手が回っていない。
「シャット、これを小上がりの恵比須様に持って行ってくれるか」
「了解だにゃ、恵比須様、お刺身の盛り合わせだにゃあ」
『ほっほっほっ。嬉しいねぇ、ラッキーエビスはあるかね?』
「ユウヤァ、ラッキーエビスはあるかにゃ?」
「ちょいと待ってろ」
まだ確認していないので、なんとも言い難い……と思ったら、今日の配達で届いたエビスプレミアムブラックに一本、普通のエビスビールに一本、しっかりとラッキーエビスが混ざっていた。
「ナイスだ。シャット、こいつを二本、グラスと栓抜きを付けて持って行ってくれ。ちょうど冷やしてあったわ」
「うにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、夢にまで見たラッキーエビスだにゃ」
『ほっほっほっ。空き瓶はお嬢ちゃんたちに差し上げるので、安心しなさい』
「神球、ありがとうだにゃ」
なんだろ、この漫才みたいなやりとりは。
そしてホールの神様たち、恵比須様のラッキーエビスを見て、自分たちも何か加護をとか言わんでください。それでなくても色々と頂いているのですから。
「兄貴、こいつの味見を頼む」
「こいつ……ああ、そういう事か」
耕平が用意していたのは、鳥のすき焼きの地。
奥の調理台で注文に入っていた鳥すき焼きを盛り付けてから、すき焼きの地を作っていたのか。
それを受け取って味を確認する。
「耕平……割合はどんなかんじだ?」
「酒と醤油、砂糖が1:1:0.1、あとは煮きりで調節したんだが」
「酒と醤油が1:1、砂糖は季節と天気によって調節、煮切りは最後に調節するだけだ。砂糖は割合で入れるな。今日の客は味にはうるさいが、楽しく食べたい方達ばかりだ……か。まあ、合格だな」
「まあ合格か。兄貴、これのレシピはどこに残してあるんだ?」
「俺の包丁ケースにメモは入っているが。後はそうだな。俺の部屋の本棚があるだろう? そこにファイルしてあるはずだからもう一度探してみればいい。無かったら、近くの机の引き出しか、その奥に落ち込んでいるかもな」
「……わかった」
確か、その辺りに残してあった筈だが。
そう説明すると、耕平は頷いて調理台へと戻っていく。
ま、合格とは言ったが及第点っていうところだ。
あとはレシピを確認してみろ、煮切りに使っている砂糖と味醂の種類が違うのは、その時になって知ればいい。
「山本さん、マリアンさん、鳥のすき焼きが出来るので用意をお願いします」
「畏まりました、マリアンさん、卵の用意をお願いしてもいいかしら?」
「はいっ!!」
山本ちゃんの指示を聞いて、マリアンが準備を始める。
そして卵の入っている冷蔵庫から卵を取り出して持っていく。
「卵、これでいいのですか?」
「そうそう、すき焼きの卵はSサイズ。よく学んでいるわね」
「はい、私はこの越境庵の従業員ですから」
「越境庵……っていうのね。なんか、不思議な名前ね。札幌にある店の○×△◆っていう名前じゃないのね」
「そうですね。ここが、今のユウヤ店長の店ですから」
「そっか……天国の居酒屋かぁ」
そんな話をしつつ、急いですき焼きの準備を終えると、二人で鍋を運んでいく。
シャットは空いた食器の片付けと、食洗器にそれらをセットしてまたホールへと戻っていく。
ま、この人数なら何とかなるっていう事か。
まだまだ、越境庵は隠れ居酒屋のままで十分だな。
………
……
…
「……本日は、ありがとうございます。これで火神アーラックの最後の晩餐が終わりました。後は明日の裁判を持って処罰が決定します」
「という事で、美味い料理を作ってくれたユウヤ・ウドウとその弟、そして店員たちに礼をしなくてはならない。我ら神々は供物ではない接待に対しては、しっかりと礼をしなくてはならない。何が望みか申してみるがよい」
法と秩序の女神クライヌリッシュと冥王リヴザルトがそう告げたので。
ここは最初の話通り、運命の女神であるヘーゼル・ウッド様にお任せしますか。
「私の望みは、ヘーゼル・ウッド様がご存じです」
「そうか。では後ほど、彼女に聞くことにしよう。諸君はなにか望みはないのか?」
「ん~、あたしは、家族が元気でいる事が望みだにゃ」
「いいでしょう。ではシャットの望みは、月の女神カタルーニャが約束します」
「私は……故郷が戦乱に巻き込まれないようにして欲しいのです」
「はーーーっはっはっはっ。では、マリアンの望みは、英雄神のジ・プラチナムが約束する。一度だけ、君の故郷が戦乱に巻き込まれた場合、我がその戦を平定する事を約束する」
おいおい。
俺の願いだけじゃなく、みんなの願いも叶えてくれるのか。
神様も、随分と太っ腹だな。
「神様、私は、ユウヤ店長と話がしたいのです。色々とお世話になったのに、最後は別れの挨拶も出来ませんでしたから……」
「俺もだ。幽霊でも構わない、本物の兄貴に会って話をしたい」
「……では、あの時計が0時を指すまでは、二人はこの世界でユウヤ店長と話をするがよい。そのあとは元の世界へと戻す。冥王リヴザルトが二人の願いを叶えよう。ヘーゼル・ウッド、それで構わないな?
「そうですわね。では、そのように」
「それでは、そろそろ時間だ。ユウヤ・ウドウよ、また会おう」
冥王リヴザルトが宣言をすると、神様は一人、また一人と姿を消していく。
そして神々が店を出終わると、厨房にいる耕平とホールの山本さんの表情が引き攣っている。
「え……あ、あの……これって、夢じゃないのですか?」
「まさかとは思うが……本物の兄貴なのか?」
ま、そういう反応だよなぁ。
だから、俺もバンダナを取り外してレジ横に放り投げると、頭をボリボリと掻きながら。
「そういう事だ。俺はあの事故で死んで、この世界に流れてきた。地球では死んでいるが、この世界ではしっかりと生きて、普通に店を開いている……ま、理解出来るかどうかは」
そう告げた時点で、それ以上は言葉を紡ぐのを辞めた。
耕平が下を向いて、咽び泣いている。
ホールでは山本さんが崩れそうになったらしく、マリアンに抱えられて泣いている。
さて。
0時まではそんなに時間がない。
まずは簡単な説明をして、そしてユウヤの酒場でも見せてやるか。
ここでいくら話しても、二人には夢としての記憶しか残らないのだろうからな。
いつもお読み頂き、ありがとうございます。
・この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
・誤字脱字は都度修正しますので。 その他気になった部分も逐次直していきますが、ストーリー自体は変わりませんので。




