108品目・第三城塞の流行り病と、特効薬(マグロの握りずしと、中華がゆ)
シャットの知人の体調が回復したという事で、栄養を付けるためにマリアンに『鍋焼きうどん』の作り方を教えてやった。
ついでに材料を取り寄せておいたので、朝一番でそれを持たせてマリアンには出張料理人を任せる事にした。
もっとも、基本的な下拵えは全て終わらせてあるし、秘伝のうどんつゆも持たせてあるので余程の事がない限りは間違いはないだろう。
幸いなことに今日は冥神日で店も休み。
シャットも朝から家族と一緒に出掛けるらしく、俺は特にやる事が無いのでのんびりと越境庵で包丁でも研いでいる事にした。
――シュッシュッシュッ
手に馴染んでいる包丁もかなり刃の部分が目減りしていて、そろそろ買い足す必要があるかもしれないと。とはいえ、手に馴染む包丁というのはそうそう手に入りづらく、いつもなら狸小路にある宮分刃物店にいって、直接確認させてもらうのだけれど。
「やっばり、型録で包丁を買うというのは難しいかもなぁ」
研ぎ終えた包丁を磨き、水気を取って包丁ケースに収め棚にしまっておく。
ついでに型録で包丁を調べてみるが、やはり使い慣れたタイプと似たものはあるが、それが手に馴染むかどうかは難しい所だ。
「そういえば、グレンさんが打ってくれた柳葉があったな……あれを下ろしますか」
丁寧に鞘に収められている、アダマンタイト製の柳葉包丁。
そいつを鞘から取り出し、物の試しに刺身を引いてみる。
簡単に調べるのなら、マグロの冊どりをしてから、普通に切りつけてみればいい。
――スッ
すると、手応えも無く綺麗にマグロの冊取りが出来たのには驚いた。
「へぇ、角が全てピンと立っているじゃないか。それに、これは大したものだ……」
ゆっくりと冊取りしたマグロを平造りにしていく。
スッ、スッと綺麗に包丁が引けるのも凄いが、何よりもその切断面の綺麗さには驚くしかない。
マグロ切断面が綺麗に光っている、店内の光を反射して、淡く光っているように感じる。
これは普通の包丁でも判るのだが、切れ味の良い包丁で刺身を切りつけた時は、こんな感じに輝いて見える。
「いくらいいマグロだからといっても、ここまではいかないよなぁ。かといって俺の腕だけじゃない、むしろ包丁に助けて貰ったっていう感じだな……これは、使いこなすには難しい所だ」
逆に、腕が鳴る。
グレンさんが俺の為に用意してくれた包丁だ、これを使いこなさなくてはならないだろう。
「明日からは、こいつもレギュラーで使うことにするか。さて、折角切ったのだから、こいつで軽く昼食でも取るとしますかねぇ」
炊き立てのご飯を鮨桶に入れて、さっと合わせておいたすし酢を振って団扇であおぎつつ軽く混ぜ合わせていく。
次に、山葵を小皿に取り、手酢の準備。
手酢については、水に少々の酢を垂らす程度でいい、ちょっとだけ手に付けてシャリが手につかなくする為だからな。
ちなみに寿司職人が握る時にシャリが手に付かないのは、掌の温度管理がしっかりしているから。
まあ、掌の温度が暖かすぎるとシャリの粘度が上がるので、それを抑える為にも手酢を付けるというのもあるらしいが……これだけは聞いた話なので、何とも言えん。
「という事で、後は簡単……と言う程では無いが」
軽くシャリを取り、ちゃっちゃと手の中で俵型に軽く握る。
ここに山葵をちょいと付けてから、切ったマグロを乗せて軽く抑える。
寿司ネタを乗せてからはぎゅっぎゅと握らない、軽く押さえて形を整える感じで、せいぜい3手程度握っておしまい。
これについても小手返し、本手返し、縦返しと色々な方法があるらしい。
俺が学んだのは小手返しと本手返し、それも3手返しというのを親方に学んだ。
うちの兄さん(兄弟子)の中には、鮨屋で20年近く修行した人もいるので、鮨についてはそれなりに叩き込まれたものだ。
こっちの世界でも握ったことがあるが、あの時は急ぎ仕事で満足な出来ではなかったからなぁ。
「……これでよし。それじゃあ、のんびりといただきますかねぇ」
休みなので、ちょいと酒でも飲みつつ。
そう思って冷蔵庫からとっておきの純米大吟醸を引っ張り出してくる。
こいつは『花薫光』といって、郷乃誉という酒造の酒だ。
こいつを初めて飲んだ時は、日本酒という概念が根底からひっくり返された気分だったよ。
それからは、こいつは俺のとっておきの酒として、こっそりと呑んでいる。
そもそも値段が高いので、がばがばと呑めるものじゃないからなぁ。
――シュンッ
そしてカウンターでチビチビと酒を呑みつつ鮨を楽しんでいると、マリアンが越境庵に転移して来た。
無事に鍋焼きうどんを作って来たにしては、随分と顔色がよろしくない。
何かあったのか?
「ユ、ユウヤ店長……流行り病です、第三城塞に流行り病が蔓延しつつあるそうです!!」
「なんだって? それはどういうことなんだ?」
とりあえず水を汲んでマリアンに手渡す。
それをグイッと一気に飲み干すと、ようやくマリアンも落ち着きを取り戻したらしく、椅子に座って話を始めた。
「私の知り合いのところで、鍋焼きうどんを作った後なのですが。彼女の近所の人達にも、同じような症状の人が大勢いるそうなので、急ぎ近くにある聖光教会に赴いて、司祭様に詳しい話を伺おうとしたのです。ところが、聖光教会にも大勢の病人が運ばれていまして……たまたま通りかかった司祭の方に話を伺いますと、ここ数日で流行り病が蔓延し始めたとか」
「そいつは、どんな症状なんだ?」
「脱水症状と、高熱、咳が激しくなり呼吸が苦しくなって……倦怠感と体のあちこちが痛んで来るそうで……放置しておくと死者も出るかもという事で、司祭さまを始めとした癒しの奇跡か使える方が治療に専念していまして」
そいつはまた、難儀だな。
しかし、そんな症状の流行り病か……んんん?
ちょいと久しぶりに、『詳細説明画面』を開いて、今のマリアンの説明について確認してみる。
『ピッ……南方大陸固有の流行り病、ウイルス性感冒、インフルエンザに似ている風土病。北方大陸では見かけられないため、南方の船員等が持ち込む場合がある。神の加護を持つ者には発病しない』
「ああ、そういうことか……と、ちょっと待てよ、神の加護があるものは発病しないらしいが」
「えええ、どうしてユウヤ店長が、そんな事を知っているのですか?」
「まあ、流れ人の能力の一つだと思ってくれ……しかし、そうなるとマリアンも気を付けないとならんな。今は、そういった症状は出ていないのか?」
「はい、私は特に大丈夫ですけれど……」
ふぅむ。
神の加護を持つものの近くにいると発症しないとか感染しないとか?
「神の加護があればうつらないのか……ちょっと待て、神の加護か?」
それってつまり、俺の持つ力も神の加護を受けている。
当然、越境庵で仕入れた料理にも神の加護はある筈だよな。
そう思って、急ぎ厨房に戻り食材や作り置きした料理を確認してみると。
『ピッ……越境庵の料理、神の加護を持つ食材を、神の加護を持つユウヤが料理したもの。先ほどの質問と連動しますが、越境庵の料理には、流行り病に対する耐性を付ける効果がある。また、越境庵にて保管されている薬関係もまた、流行り病に対して効果を持つ』
「そういうことか……ちょっと待っててくれ」
大急ぎで事務室に戻り、そこから『置き薬』の入っている箱を引っ張り出してくる。
そして一つ一つを詳細説明で確認したが、どうやら風邪薬に関するものは今回の流行り病に対しての特効薬的効果を持つらしい。
残念なことに、二週間前に補充したばかりなので、次の追加補充は二週間後。
今は、この手元にある分でどうにかする必要があるということだ。
「マリアン、こいつは今の流行り病の特効薬になる。また、うちの料理を食べているだけで、流行り病に対する耐性が身に着くらしい」
「なんですって、そんな凄いことが……あ、それってユウヤ店長が神の加護を得ているからでしょうか? そして店長の作る料理は、聖職者たちが使う癒しの効果に近いものを持つという事ですか」
「残念だが、治すことが出来るのは、この置き薬のみだ。うちの料理を食べていれば、ある程度の流行り病に対する耐性が身に付く程度らしい」
「それでも凄い事ですわ……とはいえ、そんなことを大々的に触れ回るなんて出来ませんし……」
そう。
そんなことをしたら、また大きな騒動に巻き込まれるに決まっている。
だからと言って、特効薬が手元にあり耐性もつけることが出来るのに、それを黙っているというのも俺自身が納得できない。
「……そうか。マリアン、お前さんはうちの料理を食べているし、従業員だから耐性が身に付いている。だから、マリアンが特効薬を持って、重篤な患者を癒して来てくれるか?」
「え、ええ、それは構いませんけれど、ユウヤ店長はどうするのですか?」
「俺は、店で飯を作る。食べやすくて栄養があるものを大量に。それを振る舞って、一人でも多くの人に耐性を身に付けて貰えばいい」
久しぶりの炊き出しだ。
そうと決まったら、急いで動かないとならないな。
「わかりましたわ。では、私は急ぎ教会にいって、状況を再度確認してきますわ。そして重篤な方に薬を届けてきます」
「よろしく頼む。事は一刻を争うからな」
流行り病を押さえる為には、一人でも多く耐性を身に付けてもらわないとならない。
という事で、少量でも栄養があり、食べやすく体にいいものを作る。
「という事は、中華粥だな……久しぶりだが材料はある、大丈夫だ」
それじゃあ、急ぎ仕込みを始めることにしようか。
出かけているシャット達も気になる所だが、初日にうちで飯を食べているから多分大丈夫だろう。




