第3話 出会い
彼に気づいたのは、下船のためにかけられた橋を渡ろうとしたときだ。
ふと足を止めたチェーリアに、今回侍従としてついてきてくれた乳兄弟ヴィートが怪訝そうな顔をした。
「ひめ……チェーリア様、どうかしましたか?」
子供のころからの癖で姫さんと呼びかけたヴィートに手を預けたまま、チェーリアは視線だけで港を示す。
「ねえ、ヴィート。あそこにいらっしゃるのって、セドリック皇太子殿下じゃない?」
少し癖のある黒髪を一つに束ねたセドリックは、遠目にも肖像画で見たそのままなので驚いた。
主と同じことを考えたのだろう。
ヴィートがさりげなくそちらを見て小さく「ふーん」と言って、少しだけ面白くなさそうに目をすがめる。
「ああ。迎えにしては服装が簡素ですが、どうやら間違いないですね。へえ、てっきり美化されてるものだと思ってましたが」
「もう、ヴィートったら。ジータも笑いをこらえて。他の人に聞かれたら大変よ」
「一応褒めてるつもりですが?」
「それでも」
異国でさっそく不敬罪にでも問われたら一大事ではないか。
ヴィートはジータ同様家族同然の存在だ。絶対に守らなければならない。
チェーリアは澄ました笑顔を作りながらも、ヴィートをたしなめてから少し後ろに下がらせる。セドリックがこちらに向かってくるのが見えたからだ。
彼が迎えに来てくれたのなら、形だけとはいえヴィートに手を引かれるのはおかしなことになる。
予想外の出来事にチェーリアの手が冷たくなり、少しでも小さく見せようと無意識にひざや背を曲げてしまうが、ジータに短く
「姫様、しゃきっと」
と注意され、背筋を伸ばして胸を張った。
(そうね、ごまかしたところで仕方がないわよね)
軽快に橋を渡ってきたセドリックは、チェーリアを見て驚いたように目を丸くするという、ごくごく普通の反応をした。
(うんうん。慣れた反応でむしろホッとするわぁ)
なんとなく安堵したチェーリアだったが、その直後予想外のことが起きた。セドリックが、まるですごい宝物を見つけたかのように表情を輝かせたのだ。
(わたくし、何か珍しいものでも身に着けてたかしら?)
自分を見てそんな顔をする人は初めてで、チェーリアは戸惑いに内心首を傾げたが、表向きは微笑みを浮かべたままセドリックを出迎えた。
マルフィレア語で簡単な自己紹介とあいさつの後、彼に手を取られ港に降りる。
船から港へとかけられた簡易橋には、最後に少し大きめの段差があった。小さな子供には少し恐怖を感じる程度の高さで、大人の女性でも降りるのをためらう段差だが、チェーリアにとっては大したことがない。
(ぴょんと飛び降りでもいいものかしら? でも、お姉様たちならしないわよね。これはどうするべきなの?)
こんな時の振る舞いが分からずためらってる間に先に降りたセドリックが、「失礼」と一声かけてチェーリアの腰に手をまわした。
「ふぇ?」
何が起こったのかわからないまま、ふわりと抱き上げられ、くるっと反転するようにして優しく降ろされる。
(え? なに? 何が起こったの?)
こんなのまるで、普通の小さな女の子になったみたいではないか。
状況に思考が追い付かず目を白黒させたチェーリアはつい、
「殿下は力が強いのですね」
などと呟いてしまい、ハッと口を押える。彼を馬鹿にする気は毛頭ないし、声にする気もなかったのだが、しっかり聞こえたらしい本人に噴き出されてしまった。
(き、気まずい)
とはいうものの、軽やかな笑い声は本当に楽しそうで気持ちよく、彼の人柄を表しているように思えた。
改めて見てみれば、セドリックは視線の高さがチェーリアとほぼ同じくらいだ。
いや。今日は厚底のしゃれた靴を履いてきたことを考えると、ほんの少しだけ彼のほうが高いか。それでいて全体的にがっちりしているのにバランスがいいためか、実際よりも大きく見える。
アマーリアへ贈られてきた肖像画よりも生き生きとして、想像していたよりも魅力的な男性だというのが第一印象だった。
(なんだかさすがだわ)
うまく言葉にできないが、大勢の妻を持つ男というのはこんな感じなのだろうかと不思議な感じがする。
チェーリアでさえ可憐な乙女のように扱ってくれるのなら、すべての妻を平等に扱ってくれる人なのかもしれない。
(後宮では将来、この方の寵愛を得るためにどろどろのドラマが繰り広げられるのかしら?)
他人事のようにそんなことを考えているチェーリアに、笑いをおさめたセドリックが新緑のような緑色の目をきらめかせ、チェーリアに甘やかな視線を向けた。
(えっ、なに?)
目をぱちくりとさせるチェーリアの前で、その口から流暢なクリエラ語が出てきたのでさらに驚いた。いや、独り言が通じた時点で気づくべきだったのだろう。
「ではあらためて。ようこそマルフィレアへ、花嫁殿」
(花嫁!)
なぜかその言葉に、チェーリアの心臓が一度大きく胸を打った。
たしかに花嫁になるために来たので間違いではない。なのに改めてその現実を認識したような、それでいて初めての言葉を知ったような不思議な感覚に胸が痛んだ。
他の誰に言われても何ともなかった、ただの単語。
それを彼が口にしただけなのに、わざわざクリエラの言葉で話しかけてくれた気遣いに胸の奥が温かく、同時に切なくなる。
(ああ。この方は、アマーリアお姉様が来ることを心待ちにされてたんだわ)
チェーリアは一瞬だけまつげを震わせ、無意識にこわばっていた肩の力を抜いた。
政略結婚であっても、彼なら姉を大事にしてくれただろう。チェーリアの顔に、ほとんど似ていない姉の面影を見つけたかのような表情をするほどに。
アマーリアだって平気な顔をしていたけれど、きっとこの顔を見たら同じことを感じたに違いない。
あんなことさえなければ、二人は幸せな夫婦になっただろう――。それを現実として突き付けられた気がした。
(せめて必要以上に不快な思いをさせないよう、気を引き締めなければ)
呼吸が止まりそうなほど痛む胸の奥で、何かがコトリと落ちたような錯覚に内心首を傾げつつも、チェーリアは細心の注意をもって女性らしく淑やかに一礼した。
礼儀作法は姉たちと一緒に習ったのだ。見た目の女らしさや可憐さでは劣っても、美しい礼にはちょっぴり自信があった。
「お会いできて大変うれしく存じます。セドリック様」
(可憐な姉の代わりが私でごめんなさい)
――それが二人の初めての出会いだった。




