第2話 準備
そもそもアマーリアの輿入れが難しいと判断されたのは、マルフィレアでは一般的で、かつ儀式でも頻繁に用いられる食物のいくつかが、彼女には毒になることが判明したためだった。
最初はのどの違和感だったらしい。
パーティーでアマーリアの様子に気づいたマルフィレア王室の関係者から、「一度検査を」と言われ、この国にはいない専門家たちを送ってくれるという申し出もあったそうなのだ。
はじめは大袈裟なと笑っていたものの、専門家が到着する直前、突然アマーリアが倒れた。
作法の練習のため、儀式や祭事で実際に使われるペシュカという果物を口にした直後の事だった。それまでも一口二口は食べたことがあったのだ。まさかこれが原因だとは誰も思わず、まさか毒かと騒然とした。
呼吸困難で苦しむアマーリアは、ちょうど到着したばかりの専門家たちによって命を救われた。
「毒が入っていたのですか? 一緒に食べた私たちはなんともないのですよ」
一緒に練習をしていたのはチェーリアだ。
それぞれ任意で一切れずつ選んだため、狙われたとしたら自分かもしれない。
アマーリアは自分のせいで死にかけたのかもしれない。
そう思うと目の前がゆっくりと闇に覆われていく。
「いいえ。王女殿下、しっかりなさってください。大丈夫、毒ではありません。普通の、いえ、かなり高品質の果物であることに間違いありません。――ただ多数の人には問題ないものでも、誰かにとっては毒になるものがあるのです。アマーリア王女殿下にとっては、ペシュカが毒のようなものだったのです」
検査の結果、ほかにもマルフィレアでは一般的な食べ物が、アマーリアには毒になる可能性が高いことが判明した。以前はさほど影響のなかったものも、盃に入れた酒があふれるように、許容量を超えてしまったのだそうだ。
「輿入れしてしまったら、お姉様の命が危ない」
苦しむ姉を目の前で見てしまったチェーリアのショックは大きかった。一番自分で役に立つことは何かを真剣に考えた。ためらったのはほんの一瞬だ。
「この婚姻は、竜の血をひく王女なら誰でもいいのですよね。ならば私がアマーリアお姉様の代わりに嫁ぎます」
王族には竜の血という、特別な「気」が流れているという。
チェーリアはもともと姉の補助員として、一緒について行く予定だったのだ。姉の助けとなるため、彼女よりも先に言葉も覚えた。
セドリック皇太子はアマーリアの三歳年上の二十四歳だ。
この結婚は不可避だが、他の姉はすでに既婚者だし、妹たちはまだ幼い。年齢的にも十八歳のチェーリアが一番適任であることは間違いなかったのだ。
花嫁の変更は、事情を鑑みたこともあってか、意外にもすんなり認められた。
急なことでチェーリアの肖像画を用意する暇もなかったが、アマーリアの妹だということで問題なしだと思われたのだろう。
(アマーリアお姉様と離れることになるなんて、考えたこともなかったけど……。というかよく考えたら、あちらとしてはお姉様みたいな女性が来ると思っているんじゃない?)
「ねえジータ、どう思う?」
「まず間違いなく、アマーリア様のような可憐な姫君が来ると思われているでしょうね」
「あぁ……、うん。そうよね。…………ここは気づかなかったふりをしましょうか」
「…………それがよろしいかと」
何かを言いかけたジータは、主の意をくんだように同意した。
◆
結婚式などはすべて予定通り進められることになった。
ただし、衣装室のお針子たちだけは戦場のようなありさまだった。
アマーリアの花嫁衣装は完成間近だったが、それをチェーリアに流用するのは無理だ。しかも普段簡素で庶民寄りの服を好んで着ているチェーリアに、王女らしい服はほとんどない。
ワードローブをチェックした衣装係の悲鳴は、城下町中に響いたとのうわさだ。
「んまぁ、んまぁ、んんんっまぁぁぁ! なんということでしょう! 姫様、これだけではありませんわよね? ほかにも衣装室がございますわよね?」
ないわけないでしょうと言わんばかりの衣装係に、チェーリアはきょとんと首を傾げた。さらりとこぼれた前髪に、メイドたちの小さい悲鳴が上がる。
「ないわよ? 似合わないものや着ないものをを持っていても仕方がないでしょう? お姉様のおさがりは着ることができないのだし」
「で、ですが」
「いっそお兄様みたいな騎士服を仕立てたほうが喜ばれるかしら?」
チェーリアの発言に多くのメイドが期待に目を輝かせ、侍女のジータがやれやれと首を振った。
「チェーリア様。それも趣向としては面白いかと存じますが、今は花嫁としての自覚を持たれたほうがよろしいですわ」
「でも一瞬、デザイナーの目は輝いたわよ?」
衣装係の後ろでスケッチをしているデザイナーをチェーリアがしめすと、彼女は
「お任せください、チェーリア様。その凛々しさを存分に引き立たせて見せますわ」
と胸を張り、半泣きの衣装係に叱られた。
今回の式では、両国それぞれの花嫁衣装をまとうことになっている。
マルフィレアの花嫁衣装などは渡航してから仕立てる約束になっているものの、さすがに今までの普段着ではチェーリアをそのまま輿入れさせるわけにはいかないらしい。
ということで、デザイナーが急いでチェーリア用の花嫁衣裳などをデザインし、お針子たちがひたすら縫う。仮縫いの場には何度も通ったものの、ドレスを楽しむ余裕などないまま、気づけば船の上という感じだった。
あまりにもあっという間で、しんみりした気分など味わう暇もなかったくらいだ。
◆
船の中であらためて「お姫様」に仕立て上げられたチェーリアは、部屋の壁についている姿見の前でしみじみと、職人たちや自分の侍女の腕にうなった。
「ジータ、すごいわ。これならすっごく遠目になら、私も王女らしく見えるんじゃないかしら」
かなり遠方から薄目で見てみれば、姉たちに似てなくもない――気がする。
「チェーリア様は生まれたときから王女様でしたけどね」
幼馴染でもある侍女は、二人きりの時には特に遠慮がない。
わざと鏡越しに冷たい視線を送って来るジータだが、チェーリアの新しいドレスや、一部編み込んだりコテで丁寧に巻いて女性らしく仕上げた髪型、それから昼用とはいえ、思う存分に腕を振るった主の化粧をした顔を見て、満足げに小さく頷いていた。
「やっぱり空色のドレスはお似合いですよ。目の色によく映えます」
「わたくしは濃い色のドレスのほうがいいんだけど」
(少しは小さく見えそうな気がするし)
「アマーリア様が悲しまれますよ」
「それを言われると弱いわね」
今日のために着るドレスを選んだのはアマーリアだ。
見たことがないような真剣な顔で、自分の代わりに嫁ぐ妹の門出の準備をした。
『チェーリアの目の色は、晴れた日の海の色だから』
そう言ってアマーリアが選んだのがこのドレスなのだ。明るい色と華やかなデザインに一瞬たじろいだチェーリアに、アマーリアはなぜか涙目でこんこんと説教するようにチェーリアの魅力を並びたてた。
『チェーリアの髪の色は、夕日に照らされた収穫期の麦のように美しい色だわ。背が高いから、絶対何を着ても似合うと思うのよ。お願い、これを機に女性らしい服も楽しんで? 胴回りは私と同じくらいなのに胸も腰も大きくてまろやかで、私は綺麗だと思うのよ。それにそれに』
『あの、お姉様。褒めてくださるのは嬉しいのですが、美人の要素とは真逆じゃないですか』
この国での美人と言えば艶やかな夜色の髪に、深い色合いの美しい目であることはもちろん、小柄で華奢なことが条件なのは常識だ。チェーリアには何一つ備わっていないものばかり。
すべてを兼ね備えた姉に真逆のことで褒められても、チェーリアの胸は切なくなるだけだった。
『でも私は本当に、チェーリアは綺麗だと思うの。きっとその魅力を一番わかっていないのはあなた自身よ。時代や流行なんて関係ないわ。無理やり特製の下着でつぶすのはもうやめて? 体を壊してしまうわ』
悲しそうな姉の顔を見たくて、チェーリアは全くそうは思わないものの、
『そうですわね。気を付けます』
と微笑んだ。自分のことを一番よく知っているのは自分自身だ。でもそれを言ったら姉が悲しむ。
姉妹のような容姿だったらと思わなかったわけではない。なぜ自分だけがと思わなかったと言えばウソになる。でも、どんなに望んだところで手に入らないのは分かっている。だから考えない。一緒にいる相手に不快な思いをさせなければそれで充分。
それでも窮屈な下着だけは改善するよう侍女やデザイナーからも説得され、渋々それだけは受け入れることにした。事実、身体がずいぶん楽になったので、受け入れられない諸々の気持ち以上に感謝はしている。
とはいえ、今日に限っては民衆を驚かせない(失望させない)ためにも、チェーリアが着く日は内緒にされているはず。だから、港で気楽な格好をしていても問題はない気がするのだ。
「どうせセドリック殿下と会うのはお城についてからでしょう? いっそ男装とかしちゃいましょうか。王城についてからちゃんと着替えれば……。うっ、ごめん。睨まないで。ちゃんと巨大な猫をかぶるってば」
きっと夫になる方と会うのは、今日と結婚式の二回だけだろう。多少の誤差があってもそう多くはないはず。
だからその間は姉たちのようにしとやかに振舞うべく、巨大な猫をかぶるつもりでいたのだが――――意外なことに、港にセドリックがいた。