27.懐かしさに解けていく
懐かしい景色を記憶と合わせながら、大きな林檎の木に目を細めた。あれは幼い頃、まだ領地を離れる前ね。あの木に咲いた白い花が欲しくて、お父様に強請ったわ。抱き上げてもらい、必死に手を伸ばして花を掴んだの。
子どもだったから強く握り締めてしまい、開いた手のひらで潰れていた。半泣きになった私へ、お父様が摘んだ花を差し出してくれて……。その木は今も葉を茂らせている。私には長い年月も、大地や木々にとっては然程ではないのだわ。
落ち着いた気持ちで窓の外を眺めた。膝の上の頭は少し重くて、でもその重さが嬉しい。お父様の髪を撫でると乱れてしまうから、そっと手を乗せていた。目を閉じたお父様の横顔に刻まれた皺を見つけ、一緒に居られなかった時間を思う。
もうすぐ屋敷が見えるわ。暗くなりそうな気持ちを切り替え、顔を上げた。馬車が屋敷に向かっているから、時折見えるだけ。見覚えのある屋敷は、何も変わっていないように見えた。ここを出たあの日と同じ景色……いえ、季節が違うのに。
不思議と重なって見えた。記憶に残る屋敷の暗赤の屋根、白い壁を伝う緑の蔦。窓枠も屋根と同じ色を使い、黒く塗った木材が壁を斜めに横切る。この独特な色合いは、代々直しながら引き継いだ色だった。
昇り切った日差しが注ぐ屋敷は、化粧直しを終えたのか。とても鮮やかに映った。
「懐かしいわ」
「昨年、色を直した。一番綺麗な色を見せてやれたな。これからは褪せていく色も、また塗り直す時も、この屋敷で過ごして欲しい」
命令されたら頷くけれど、お父様は願うような柔らかい言葉を選んだ。その気遣いが嬉しい。私に選ばせてくれるのね?
「ぜひ、そうさせてください」
「本当か!? 嫁に行かず、残って……」
「がっつくな、リベルト! 屋敷に着くからもう起きろ」
窓から舌打ちしそうな顔で叱る伯父様は、大きな黒馬に乗っていた。愛馬で戦場も共に駆けた戦友だと聞いたことがあります。普通の馬より一回り大きいのに、目は優しそう。
「……兄上、ひどい」
ぼそぼそと口の中で文句を言うのに、聞こえない音量なのはまた叱られるから? 兄に叱られる弟の図が微笑ましくて、ふふっと笑いが漏れた。そっと手で口元を隠す。
「ルーナまで笑うのかい? いいよ、でもティナには黙ってておくれ」
拗ねた口調でお父様が頼んできた。ここは頷くのが正しいけれど、わざと首を傾げてみる。
「頼むよ、ルーナ」
お願いと両手を合わせる父の仕草に、堪えきれず笑った。久しぶりに声を出してしまい、我慢しようとしてまた吹き出す。
「わかりました、わ。ふふっ、お母様には、内緒です」
「……約束だぞ」
お父様ったら、本当に子どもみたい。弟のダヴィードもこんな感じかしら。わくわくしてきて、窓に身を寄せた。乗り出すのは危険だけど、頭だけなら平気よね。髪が乱れても、もう家に帰るだけだもの。
見えた屋敷に目を輝かせる。門は開かれ、その内側に多くの出迎えが見えた。鮮やかな青のドレスはお母様?
「ルーナ、落ちてしまうよ」
お父様に諭されて、馬車の座席に座り直す。風に乱れた髪を、お父様が直してくださいました。あら、お父様もはねてますわ。お返しに髪を指先で摘んで直し、顔を見合わせて微笑み合いました。




