第九話
「引き継ぐ……」
ズシオウの言葉は館の中に反響して、周囲の人間は顔を見合わせる。
は、と、ツチガマが肺の空気をすべて吐き出すような嘆息をする。
「国主様よ、おんしゃあ侍ではなかろうよ、雷問ができるのは侍だけよ」
(そうらしいな)
先ほど、ズシオウと交わした会話を思い出す。
※
「ズシオウ、このままでは事態がカイネル先王の思うままに進んでしまう。何とか話を振り出しに戻したい」
「振り出しに……ですか?」
「話をクイズでの勝負に持ち込もう。なるべくなら後日の勝負としたい。時間を稼ぐ必要がある」
「時間を……」
――アッバーザ遺跡を埋め戻せ
そのような声が響き、ユーヤが後方をちらと見る。
「なるほど、それがカイネル先王の狙いか。アテムは責任感の強い人物だから、要求を呑んでしまう可能性がある。自分の判断でヤオガミの鏡を渡せない、と」
「どうしたらいいのでしょう?」
「ベニクギとの決着が付くまで待てと言ってもいいが、この場にいないベニクギを交渉材料にするのは少し弱い。それよりは君が勝負を引き継ぐと言うんだ」
「私が……、し、しかし雷問は侍だけの勝負なのです。私では引き継げません」
「大丈夫、なんとかフォローするから、ただ堂々と挑んでくれ。ツチガマの眼を正面から見続けて、けして気圧されずに」
そして異世界のクイズ王は、ズシオウの頭をぽんと叩き、立ち上がって声を張る。
――カイネル先王、それはよくない
※
そして場の焦点はズシオウへと戻る。
(……ユーヤさん)
心臓が早鐘を打っている。
自分よりは頭二つほど高い異形の剣士、それが己を見下ろしている。仮面の奥の眼は瞳孔が開いて見える。小鳥ならば心臓が止まりそうなほどの威圧、あるいは殺気のようなもの。
「ロニと国主は対等の関係なんだろう?」
その気配を受け流し、ユーヤがやや脱力した構えで発言する。
「ならばロニの戦いは雇用主の戦いでもある。ズシオウには勝負を引き継ぐ資格がある」
「必要なかろうよ。ベニクギはシュネスハプトに戻れば回復するじゃろう。改めて勝負したらいい話じゃろう」
「妖精の治療がどういうものか知っているのか。傷を治す代わりに、その傷が本来生み出すはずだった「痛み」をすべて与えるものだ。常人なら発狂しかねない。ベニクギがそれで回復したとしても、すぐに戦えるとは限らない」
「……ち、相違ないがのお、ロニともあろうものが、痛みごとき……」
「雷問など必要ない!」
カイネルが、建物の隙間に無理矢理体をねじこむように発言。
「すでにヤオガミの鏡は手にした。交渉はこれで十分だ。お前の仕事は終わっている」
「……まあ、そうじゃのお」
ツチガマはやや納得したような気配を見せる。明らかに勝負の熱が引き始めていた。
(……? なぜだ。なぜ引く。ベニクギと雌雄を決したいんじゃないのか)
そして思考の輪を広げる。このツチガマという人物が何を求めているのか、その価値観は何に立脚するのか。
「君は改めて勝負したらいいと言うが」
思考を表には出さず、腕を広げて語る。
「君の仕事が終わりなら、もうベニクギが勝負を受ける理由もなくなる」
「ふん、なに、また巡り会うこともあるじゃろうよ」
(……ベニクギへの執着ではない?)
(いや、それはありえない、彼女がベニクギとの勝負を望んでいたのは間違いない)
(つまり……相手がベニクギでなくてはいけない理由があった……)
(個人的な恨みや、因縁ではなく、ベニクギという人間が必要……)
「ズシオウが相手にとって不足と言うなら間違いだ。ヤオガミの国主代理というのは伊達ではない。まさにクイズの天才。僕の見立てでは、ベニクギすら超える才能の持ち主」
「え……」
声を出しかけるズシオウの履物を、ユーヤの革靴が小突いて沈黙させる。
「……ほお」
ツチガマがどすん、と膝を床に打ち付ける勢いで落とす。膝立ちの姿勢からズシオウの仮面を覗き込む。
「そうは見えんがのお」
(この方向か)
「ならば証明する機会を貰おう。公の場にてズシオウの力を示せば文句はないはず」
「どうすると言うのかのお」
「それは、そうだな……」
「アルバギーズ・ショーで優勝します!」
「!」
コゥナもアテムも、ユーヤもごく一瞬、眼を瞠る。
「他の番組では客観性に欠けます! このランズワンはカイネル先王の支配下にあるのでしょう? ここで撮影されるアルバギーズ・ショーならば力を示せるはずです! 王の威光をかさに着た勝負ではないと!」
「はっ!」
嗤う。
とても人間のやる笑いとは思えぬほど背を反り返らせて、ツチガマの異様な笑いが響く。
「ひ、ひ、ええじゃろお、国主さまの腕のほどを見定めようかのお」
「ツチガマ! 何を勝手な!」
カイネルがそう叫ぶが、ツチガマがわずかに視線を送ると押し黙る。顎を巨人の手が押さえつけるかのように。
「待て!」
コウナが立ち上がって言う。
「コゥナ様も参加する! アルバギーズ・ショーは12歳以下は二人一組で出るはずだ! コゥナ様とズシオウが二人で出るぞ!」
「おんしゃあ、フォゾスの狩人か」
「そうだ! ランジンバフの森を統べし、フォゾスの大族長トゥグートが一子、コゥナ・ユペルガルである! 妖精の鏡に関わることとなれば見過ごせん! コゥナ様も力を貸そう!」
「ひ、ひ、ええじゃろお。なかなか面白いものが見れそうじゃのお」
そしてのっそりと立ち上がり、近くにいたメイドから何かを引ったくる。
それはラジオのようだった。携帯電話のようにラジオを顔の側面に押し当て、そのままロビーを出て行ってしまう。
「あとの話は任せるわいのお。楽しみにしてる番組があってのお、聞き逃せんのよ」
(……コゥナを受け入れた?)
(なぜだ? 大した問題ではないと考えたのか? それとも、コゥナにも何か期待することでもあるのか……?)
ユーヤの思考など無視して、場が勢いを増しつつある。やや興奮気味にコゥナが声を張る。
「そこのメイド! 次のアルバギーズ・ショーの収録はいつだ!」
「は、はい、確か……三日後の午前から」
ズシオウが拳をぎゅっと握る。
「わかりました。ではその時までヤオガミの鏡は預けておきます。ゆめゆめ紛失することなどなきよう」
「……ぐ」
カイネルは、もはや覆せぬ場の流れの中にあって、歯噛みしつつも矜持を見せる。
「……そ、そなたたちが番組の途中で敗退したり、ツチガマとの勝負で負ければ要求は呑んでもらう。アッバーザ遺跡の完全なる破棄。そして、我々に対する一切の追及の放棄だ」
「いいだろう」
アテムが答える。
「こちらが勝てば鏡は返してもらう。そしておとなしく縛につくのだ。シュネスの先の王であり、我が父といえども、もはや許しがたい」
「……ぐ、あ、アテムよ。なぜそこまで自信がある。どのような無謀な賭けか、分かっているのか……」
ユーヤの見るところでは、カイネル王も彼なりに計算している。
その表情から読めるのは、正体不明の不安だ。
おそらくアルバギーズ・ショーで優勝し、ツチガマに勝つというのは、非現実的なほどのハードルであるのは間違いない。
だが、不安なのだろう。
そんな藁にすがるような可能性に、なぜこの王たちは乗ろうとしているのだ、と。
あるいはここで猶予を与えれば、何もかもひっくり返して勝負を反故にした可能性もある。そのぐらいには老練であり、王としての判断力がある。本来は賭けに乗ってくるような人物ではないのだ。
そういう相手への対応は心得ている。
「では三日後だ」
カイネルが動くより先に、話を終わらせることだ。
「三日後、またこの町で再開しよう」
※
「ようやく分かったぞ」
帰りの飛行船の中で、組んだ足をふらふらと揺らしながらコゥナが言う。
「ユーヤよ、お前はゴルミーズ王宮でズシオウと再会したとき、動揺していたな。あれはここまでの可能性に気付いていたのだな」
「何もかも読めた訳じゃない。ただ、パルパシアの鏡は狙われていた。あのクイズ大会のおり、ハイアードの手に渡っていなかった鏡はセレノウ、パルパシア、ヤオガミのものだけだ。だから、ヤオガミのものも狙われるとは思っていた。そういう計画が、このシュネスで動き出している可能性があると」
「あの王子め、妖精の世界に去ってからも面倒をかけるやつだ」
飛行船の速度はかなり落ちている。
妖精の力で重量を軽くしていると聞いたが、緊急着陸のダメージもそれなりにあったようだ。高度も地上すれすれまで落としている。
ランズワンに先着していた騎士たちは解放されたが、ほぼ全員が負傷していた。陸路で帰れない者は客室に詰め込んである。貨客部分は来た時よりもずっと重くなっているが、それでも飛ばせるのはさすがは妖精の力と言うべきか。
王たちは展望デッキの片隅、衝立で仕切られた狭いスペースに押し込まれていた。
ぼき、とか、ばき、という音がする。
「ぐあっ!?」
「はい大丈夫ですよ。もう元の位置に戻しました。氷嚢を当てといてくださいね」
衝立で区切った向こうには傷病者が多くいて、メイドたちが手当てに当たっていた。
主な怪我は骨折である。峰打ちで骨を叩き折られたものらしい。上級メイドというのは骨接ぎの心得もあるらしく、ときどき兵士の悲痛な声と、それを叱咤するメイドたちの声がする。
ズシオウはユーヤの隣に座っていた。そわそわと落ち着かなげな様子であるが、それは不安が半分、興奮が半分という印象だった。全身が火照って熱を放散している。
その眼がふとユーヤを見上げる。
「ユーヤさん、すいません。つい熱くなってしまって……」
「いや、あれでいい」
ズシオウの不安がる眼を見返し、ユーヤは安心させるように言う。
「少なくとも時間は稼げた。あそこでアテムが折れて、要求を呑んでしまうことだけは防げたんだ。時間があればいくらでも手の打ちようはある」
「そうだな」
アテムが言葉を継ぐ。
「冷静になってみれば別にこちらが折れる必要などない。何なら今からでも10万の兵を用意し、ランズワンを攻め落としてもよいのだ」
「……できればそれは最後の手段にしたい。ヤオガミの鏡は向こうの手にある。周囲が砂漠のランズワンではいくらでも逃げようはある。それに、追い詰めすぎれば鏡を使われる可能性もある。天変地異が起きるおそれもあるんだ」
「む、確かに……」
ユーヤ自身、力づくで解決する可能性を捨てている訳ではないし、あくまで決定権がアテムにあることも自覚している。
だがやはり、戦争という事態だけは避けたかった。
「少数精鋭でランズワンを見張ったり、潜入させておくのはいいと思う。アテムにはそちらを任せたい」
「そうだな。シュネスにも一騎当千の強者はいる、他の都市からも人材を集めよう」
小規模な戦闘が起きる可能性はあるが、そのぐらいが妥協点かと感じる。アテムに何もさせないというのは現実的ではないだろう。
「あれで、よかったのでしょうか」
ズシオウの体を包む衣は新しくなっている、眼にも鮮やかな白の衣はその人物の純粋さを。空気を含んで膨らむさまは大いなる成長を予感させていた。
まだ不安の色が抜けきってはいない。ベニクギを案ずる気持ちも相まって、その幼い体に名状しがたい感情が渦巻いていると思えた。
「私……勇み足をしてしまったのでしょうか。ユーヤさんの作戦があったはずなのに……」
「いや、あれでいいんだ」
ユーヤが間を置かずに答える。
「君があの場で判断して、勝負に打って出たことを尊重したい。僕の作戦なんかどうでもいいんだ。この世界の命運を決めるのは、元々の住人である君たちであるべきだ」
「ユーヤさん、アルバギーズ・ショーで勝たねばなりません。ご助力を願えますか」
「……ああ、助けるよ、勝たせてみせる」
「だが、セレノウのユーヤよ」
アテムはまだ半信半疑という雰囲気だった。頭ではハイアードでの危機を救った人物だと理解しているが、アテムが持つ王としての側面、有り体に言うなら庶民の中に特別な人間がいることを信じない王の傲慢さ、それを舌の奥に秘めたまま言う。
「アルバギーズ・ショーは純粋なクイズではない。ゲーム性の強い番組だ。つまり運の要素がかなり強い……本当に勝てるのか」
「……」
――クイズ王に、偶然はないよ
――私たちは番組に潜り、番組と溶け合って
――偶然すらも、制御する
「勝たせるよ」
自分はまた、世界の一部を壊そうとしている、そのように感じる。
かつて己のいた世界を壊したように、守ると言いながら壊すのか。世界を、人を、クイズの理をも壊すのか。
だが、止められない。
それが己の役割なのだと知っているから。生まれ持った宿命のようでもあり、世界から押し付けられた汚れ仕事のようでもある。そんな生き方を続けてきたから。
「必ず勝たせる。それが僕の役割だから」
だからせめて、丁寧に壊そう。
塵ひとつ残さず、すべてを土と灰で覆いつくそう。
いつか、そこから新たな世界が芽吹くことを信じて――。
「そのために喚ばれた」