表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/40

第八話



「なんだあの構えは……まるでトカゲではないか」


コゥナは困惑の顔である。おそらくほとんどの人間はそうであろう。

アテムが問いかける。


「ズシオウどの、彼女は何者だ、あんな妙な構えで戦えるのか」

「わ……分からないんです」


ズシオウも戸惑いに翻弄されている。


「ただ、聞いたことはあります。かつて大将軍クマザネの御前ごぜんにて、ロニの称号をかけて争った二人の話を。それがベニクギとツチガマなんです」

「ロニの候補だった……だと。だが、あの構えは……」

「……僕の世界にも、地功拳とか地趟ちしょう拳とか言って、地面に転がりながら戦う武術はあった」


己の記憶に呼び掛けるかのように、ユーヤが口を開く。


「だが、それは相手の意表をついたり、油断を誘うための技だったはず。まして刀を持って転がるなんて……」


その、銀の背鰭が。

周囲で打ち上がる水柱。瞬時に最大の速度を得た刀が半円を描く。ベニクギが後方に飛ぶ。


蛙が躍りかかる。

そう錯覚するような一瞬。ツチガマが這ったまま跳躍してベニクギの側面に、そして全身を回転させての伸び上がるような逆袈裟。

すんででかわすベニクギの背後に泥が打ち上がり、気配が背後に回ったことを察してベニクギの刀が舞う。光が弾けて数合を打ち合う。


圓相えんそうの型! 流燕若螺りゅうえんじゃくら!」


神速の薙ぎ払い。一瞬、雨景色すらも上下に分かたれる。

ツチガマの足が溶けて体が沈む。足を前後に開いたのだと理解した直後に腰薙ぎの軌道で刀が飛ぶ。ぎいん、と打ち合わされると同時に上半身が真後ろに反り返り、倒れたと思った瞬間には顔を狙う角度で蹴りが突き出される。


「ぐっ……!」


蹴り足が耳をかすめる。ベニクギは瞬時に刀を引き上げて地を狙う突き。柳の葉のようにツチガマの体が刀を避け、直後に刀の側面を狙う蹴りが。

反応して刀をそらさんとするベニクギの顔面が弾ける。土中からすくいとった水を高速で放ったのだ。一秒の間に数手を繰り出す高速の攻防。

水風船が弾けるように飛沫が散り、一瞬視界を失うベニクギの首に、前からの刀が。


赤が回転する。後方に倒れこみながら、強靭な下半身を使っての宙返り。跳ね上がる刀が緑の影を突き抜ける。煙のように逃げるツチガマの、逃げる先めがけて踏み込む。


疾相しっそうの型! 雷影らいえい黄獣おうじゅう!」

「――豸舌ちぜつ


落雷のような打ち下ろし。矢を放つような突きの交錯。


そして。


「手ごたえ、あり……」


ずるりと、軟体生物のように後方に動くツチガマの。

その刀に、赤い雫が。


血の華が。

ベニクギの胸から、左の二の腕から鮮血が散る。それは豪雨に流され、足元に広がる。


「ベニクギ!」


叫ぶのはズシオウ。だが驚愕は場の全員であろうか。

今の攻防でいつ斬ったのか、互いに何合打ち交わしたのか、誰の眼にも見えなかった。速いというだけでなく、あまりにも変則的な動きのために。


「……肘か」


コゥナが奥歯を噛みつつ言う。


「肘……?」

「あの女、動く瞬間に肘で地面を打ち付けている。それで反動をつけて跳んでいるのだ。それだけではない。膝を、肩を、あらゆる場所を支点に動いている。信じられぬ体術だ」


あの動きに技術的な理屈があるとして、コゥナの見立てはごくごく一部に過ぎないだろう。

だが、あれが武として成立していることは分かった。あまりにも異端であり、かつ脅威を秘めた武であると。


「……烈相れっそうの型、銀雨ぎんう蝉林そうりん


ベニクギは歯を食い縛り、意思の力があるかのように出血が止まる。

緋色の残像が速度を増す。高速で四方へ飛び、それを追うように濃緑色の異形も動く。そして鋼が打ち合わされる。

ユーヤは、その動きを追えぬながらも思考する。


(……確かに、道理かもしれない。接地箇所を増やすことでグリップを高め、機動性を生めるのかも)


(だが、あの異端の動き、あの域に至るまでに、どれほどの……)


雨の薄膜の向こうで、銀のがかき鳴らされる。ツバメの旋回するようなベニクギの刀と、蛇が鎌首を繰り出すようなツチガマの刀。


「――遅い!」


一秒に数回の閃光。


そして、一瞬だけ網膜に映る光景。


長太刀の先端が、ベニクギの腹を。


「が……!」


そして、全身から。

無数の刀で同時に斬られたかのような。

破裂するような血しぶきが。


「ベニクギ!!」


瞬間、とっさにズシオウを押さえる。背後にいたメイドたちもそうした。幼い体とは思えない力。泣き叫ぶ声が雨の町に拡散していく。

次に叫ぶのはカイネルだった。


「ツチガマ! 殺してはいないだろうな! 殺せば交渉どころではないぞ!」

「ひ、ひ、わかっておるわいのお」


がし、と倒れ伏したベニクギを踏みつける。鮮血が緋色の裳裾と溶け合っている。


「ベニクギよ、のうベニクギよう、刀ではわしの勝ちじゃのう。さあ白の妖精を使つこうて立てえよ。まだ雷問の勝負が残っておろうがよう」


ツチガマは下卑た笑みを浮かべている。口の端から喜悦を垂れ流し、恍惚の極みの声で言う。


「のうそこの国主さま。はよう妖精を出してやらにゃあ血を流しすぎておっぬぞ。白夜びゃくやの花を出さねばなあ」


ズシオウを見る。その小さな体は軒先から歩み出ており、雨に打たれて震えていた。

それは涙を隠すためでもあったのか、国主代理たる矜持を精一杯に示し、唇を嚙み締めて毅然と立っている。


「……ありません」

「ああ……?」

「ごく最近、事情があって使ってしまったのです。ベニクギは白夜の花を持っていません」


ツチガマのつけた面、その眼の部分が白く見える。面の奥で目を見開いたのだと分かった。


「使ったと……。侍を連れてきておるかのお」

「国屋敷の者たちはシュネスハプトにおります。白夜の花を得るには、戻らなければ……」

「ち」


舌打ちの音。ツチガマはのっそりと振り返る。大量の水気を含んだ裳裾が水袋のように垂れ下がっている。

彼女は何かしらの疲労のためか、それとも戦いの熱に浮かされているのか、よろめくように歩いてカイネル先王の方へ。


「カイネルよ、手当してやれ、死なすわけにはいかんのじゃろお」

「……勝手な言い草だな」


カイネルが腕を掲げれば、数人の男たちが周囲から出てくる。

そして雨は次第に弱まり、上空の雲は湯に溶けるようにその姿を失いつつあった。


「このような場所では話もできぬ。こちらへ来られよ」





案内されたのはランズワンの中央に近く。二階建てのそれなりに大きな邸宅である。


本来はホテルとして使われているらしく、正面玄関の奥にはカウンターがある。

控えているのは軽鎧を着た男たち。アテムの連れていた衛兵たちと似た姿だが、黒い布で口元を覆っている。


ベニクギは担架に乗せられて奥の部屋へと運ばれた。ズシオウが後をついていこうとしたが、男たちに制止される。


「服の替えを用意しよう」

「要らぬ」


アテムはきっぱりとそう言い、ズシオウとコゥナも何かへの抵抗を示すように、背中を合わせて立ち尽くす。

カイネルは厚手のコートを部下に預け、襞襟ひだえりのついたシャツに黒の上着という貴族風の衣装となる。


「アテムよ、我が息子ながら事あるごとに意見が分かれていたが、その強情さは誰に似たものか」

「ふざけたことを、こちらは死人が出てもおかしくなかった。今もベニクギどのが深手を負わされて……」


ずちゃっ。


そんな音が響き、ユーヤがそちらを見れば、ロビーの片隅でツチガマが裳裾をすべて地面に落とすところだった。

その姿。背丈は高く手足が長い。肌は驚くほど白く、肩から腰までは見事な女性らしさがある。全身に古傷が残っているが、あれは彼女の鍛錬の歴史か、それとも戦闘の記憶だろうか。

そして胸のさらしと下帯もするすると床に落とし、身に付けてるものとなれば鷲鼻の面だけになる。


「ツチガマ!」

「は、おなごの肌ぐらいで動じることもなかろうよ。契約以外のことで指図されるいわれもないのお」


敵方のメイドたちが、やや慌てた様子でタオルと替えの裳裾を持ってくる。ツチガマは乱暴にひったくって体を拭く。


コゥナに袖を引かれた。


「ユーヤよ、見すぎではないのか。そんな場合ではなかろう」

「え、ああ、ごめん……」


「アテムよ、できればお前とはじっくり話し合いたいのだがな」

「ふざけたことを言うな、と告げたはず」


アテムは濡れた髪をかき上げ、挑発的な眼で言う。


「こんなことで我々を人質にでも取ったつもりか。太陽鳥ラーレーが戻らねば数えきれぬ程の兵が押し寄せるぞ。そこの女が規格外の実力者だとしても、このランズワンにどれほどの兵力がいようとも、最後に砂に伏すのはお前だ」

「人質? そんなつもりはない。そもそも、私はバッハパテラの氏族を割るつもりなどないのだ」


そこで、衛兵がズシオウたちに集まる。

丸太のような腕を持つ屈強の男たちが、ズシオウとコゥナの細腕をとらえている。

まずコゥナの弓と矢が奪われた。


「……」


ズシオウは何も言わず、ただ烈火のような怒りを眼に込める。

その袖が大きくまくり上げられ、二の腕にあった九角形の飾りがもぎとられるまで、ずっと睨み付けていた。


「ふむ……聞いていた通りだな。やはりヤオガミにも存在したのか」


カイネルは部下からそれを受け取り、しげしげと眺める。他の鏡よりはだいぶ小さく、手の平に収まるほどの大きさだが、その複雑玄妙な輝き、溶けた真珠を器に満たしたような神秘的な輝きは、確かにこの世のものではない。


銀散花ぎんちりはな釉紋袖飾つむぎもんそでかざり


そう呼ばれている、ヤオガミに伝わる妖精の鏡ティターニアガーフである。


アテムが苦々しげに言う。


「そんなものを手に入れてどうする。ヤオガミの鏡は効果が伝わっておらぬはず。まさか使う気なのか」

「そうではない。なあアテム、私はお前の玉座を脅かすつもりはない。楽隠居の身を返上してまで、この国を再び治めようとは思っておらぬのだ。この痩せ衰えた老人には、余生でかなえたい願いなどさほど多くない。あと一つで良いのだよ。お前があと一つだけ願いを聞いてくれるなら、この鏡も返そうではないか。そう、この鏡こそ人質なのだよ」

「願い、だと……」


「ズシオウ、ちょっと聞いてくれ」


ユーヤがそっとそちらに歩み寄り、頭を撫でるしぐさをしながら顔を寄せる。


そしてカイネル先王は、鏡を顔の高さに掲げて言う。


「アッバーザ遺跡を埋め戻せ」

「……!!」

「あの遺跡は今の世界にそぐわぬ。古き神、泥濘竜アバザの名をのこす街など不要なのだ。この世界は妖精王グラニムにより万全に支配されておる。泥に這う竜など忘れたままのほうがよいのだよ」

「馬鹿な……! あの遺跡がどれほど貴重なものか分かっているのか。研究対象としてだけではない。観光資源としても……」

「そもそも観光などくだらぬ。シュネスに外国人が押し寄せてそれでどうなった。いくつかの町では治安が悪化し、いくつかの氏族に武器や妖精を呼ぶ媒体を買い付けるルートを与えてしまった。国が乱れる元になっている」

「その物言いはあまりに極端すぎる! 外国への門が開かれたことで、金山の奪い合いをやめ、観光で生きていく道を見つけた氏族も……」


「カイネル先王、それはよくない」


ピアノの鍵盤を平手で打つように、強調の極みの声で発言するのはユーヤ。髪を無理に後ろに撫でつけて、できる限りではあるが背を伸ばして堂々とした構えを見せる。


「……何がよくない、と言われるのかな? 客人よ」

「本来の計画を外れるのは良くない、ということだ」

「……」


白髪の老人は顎を引き、ユーヤを警戒するような構えを見せる。ユーヤにとっては実に分かりやすい反応。深い動揺と、動揺を見せまいとする構えだ。


「あなたに与えられた計画は鏡を奪うことだけ。本来はヤオガミの鏡を奪い、それをある人物に届ければ、引き換えにシュネスの鏡を返却するという約束だったはず」


本物が戻ってくればの話だが、という一言は口中だけにとどめる。


「鏡を奪って優位に立ったからと言って、計画にない望みなど叶うわけがない。今はシュネスの鏡は国内にある。当初の目的は満たされているはずだ。それで満足するべきだ」

「……そなたは何者か?」

「セレノウのユーヤ」


カイネル先王の眼が強い警戒の色を見せるが、表面上は平静を装って言う。


「セレノウに何の関わりがある。余計な口出しは無用に願おう」

「妖精の王は争いを嫌う」


ぐ、と、喉にものが詰まるような気配。


「死人を出さないことにこだわっていたのは察している。あなたは結局のところ、僕たちに力づくのことができない。かといってアテムを幽閉したり、拷問にかけて意思を曲げさせる猶予もない」

「……いよいよとなれば手段など選ばぬ」

「だから妖精はクイズを与えた」


ユーヤは慎重に場の気配を見ている。誰か一人が逆上すれば壊れてしまう、危うい交渉。特にこちらに背を向けているツチガマ、あれをどう動かす・・・かが打開のカギだと感じる。


「クイズで決めればいい。そちらのツチガマと、こちらのベニクギ、双方の決着はまだついていないはず。剣の勝負と知の勝負、ヤオガミ風に言うなら雷問での勝負が残っているのだろう?」

「ベニクギはいつ戦える。はよう死合いたいものじゃのお」


裳裾を替えたツチガマが、大股で割って入ってくる。その動きにカイネルは眉をしかめる。


「いいえ!」


そして鷲鼻の面の前に立つのは、同じく面で顔を隠した人物。

ズシオウが、場の全員に言い渡すように声を張る。


「私が! あなたとの勝負を引き継ぎます!」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ