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第七話


落下の速度は記憶にあるエレベーターの倍ほど。

激しい雨音が鳴る。先触れの水滴もなく、一瞬で窓の外が豪雨に変わったのだ。そして強風が飛行船を打つ瞬間、激しい衝撃があってユーヤが体幹をくずす。


「ぐっ!」

「ユーヤさま、失礼いたします」


背中から数本の腕が回されて体を支える。メイドたちが周囲に集まっていた。

リトフェットが取り出した羽ぼうきでユーヤをはたく。そしてアテムの声。


「本船は墜落した。非常出口の解放を許可する」


ばん、と開け放たれるのは展望デッキの一画。鉄枠に囲われた扉が開かれる。


風が入ってきて渦を巻く。外はまさに滝のような豪雨だった。広い道に落ちたようだが、建物の輪郭しか分からない。


「さすがは船長。建物にぶつけぬように降りたか」


ユーヤは視界を巡らせる。飛行船の前後が虫かごのようなフレームだけの状態になっている。想像だが、あの部分にあった浮力体を放り出すことで一気に下降したようだ。よく見れば装甲板とおぼしき銀色の板も散乱している。


「……アテム、飛行船はもう使えないのか?」

「前後の浮力体を破棄したからな。だが飛ぶことは不可能ではない。重量を軽くする妖精というのがいて、それを呼ぶ用意はある。それを使えば低空をゆっくり飛ぶことはできる」

「ああ……翅嶽黒精ネグナティアとかいう」

「だが風も強い。今は飛べぬ」

「それよりもだ」


コゥナが、散らばった矢を拾い集めながら尋ねる。


「なぜ人がいないのだ?」

「……撮影予告、かも知れぬ」

「撮影?」


アテムは色々な可能性を検討しつつ、ゆっくり語る。


「大規模な撮影があるときや、空撮を行うとき、町の人間に屋内から出ないように指示を出せる。観光客も指定の場所へと誘導を受け、待機する義務がある」

「なんだと、では、町の人間は撮影中だと思っているのか?」

「そうだ。だがそれは20日以上前にシュネスハプトに申請を出さねばならぬし、余の裁可も必要なのだ。そんな話は聞いておらぬ」

「……ランズワンがすでに乗っ取られている」


ユーヤの呟きを、全員がじっと噛み締める。


「駐留部隊も倒されているか、抱き込まれている……」

「あり得ぬ。ランズワンは映画産業しかない。他から補給がなければ生きていけぬ町だぞ。占領したところで兵糧攻めにされるだけだ」

「……」


占領の意義はさておき、今の状態をどう解釈するべきか。


思えばあの藍映精インディジニアのメッセージ、あれから潜伏先を割り出せたのは偶然だろうか。それとも仕組まれていたことなのか。


「ともかくここでじっとしてる訳にもいかぬ。カイネルを探すべきだろう」


だがユーヤに思考する時間は与えられなかった。アテムが衛兵たちに指示を出す。


「五人ほど余と来い。残りはこの場で船員たちを守っていろ」


そして緋色の傭兵を見る。豪雨の気配の中で、その赤がより一層鮮やかに見える。


「ベニクギ、余と来ていただきたい。そなたの実力は知っている。百人の兵と行動するより安全だ」

「アテム陛下、私の主君はあくまでズシオウ様。今はここを離れられぬでござる」

「いえベニクギ、行ってください。私もついていきます」


ズシオウが小さく伸びをしながら言う。


「こちらは罠にかかった状態です。ここでじっとしてるのは危険です。動くべきです」

「ズシオウ様、しかし外は土が泥になってござる。その長裾では走れませぬ」

「う、それは……」

「私が背負ってさしあげますよ」


す、と前に出てくるのはリトフェット。背後でユーヤの指示があったらしい。曇天だというのに眼鏡が綺麗に光った。


「セレノウのメイドさん。すいません、お願いできますか」

「もちろんコゥナ様も行くぞ」

「コゥナ姫、そなたの弓も頼りにしているぞ」


場の決定権はアテムにあり、彼は迅速に物事を判断できる人物だった。


ユーヤは何かを言いかけたが、黙ってついていく。

ややうつむき、ずっと何かを考えながら。





空は雲が覆っているが、かなり遠方には日の光を感じる。はっきりと見えたわけではないが直感として分かる。このランズワンが円形の雲に覆われているのだ。


「すごい雨だな……これも妖精の力か」

「コゥナ様も見たが、大きめの灰気精アッシズメテオが20体いた。かなり大粒のアクアマリンが必要なやつだ。おそらく、総額で1億ディスケット以上だ」


体が飛ばされるほどの風ではないが、雨は本当に最悪の激しさである。

雨具の用意は傘しかなく、まさか傘をさして行軍するわけにもいかない。全員で濡れ鼠になりながら走る。

しかし気温は異常に高く、低体温症の心配はなさそうだった。この雨が低気圧ではなく、妖精の降らせた雨だからだろうか。なまぬるい気配に包まれて進む。


「この雨はむしろ好都合でござる」


ベニクギが言う。彼女は皆と同じ速度で走っているが、不思議と足元に水しぶきが上がらない。


「おそらく飛行船を落として包囲するつもりだったのでござろう。だが先に動いてしまえばこちらを見つけられぬ。敵兵を各個撃破するのも容易いこと」

「……本当にそうか?」


ユーヤの言葉が、豪雨の中で銀色の光のように届く。


「……? どういう意味でござろうか」

「カイネル先王は失敗などしていない。今起きていることの全てが、予定通りじゃないのか」

「……それは、拙者がここにいることも、でござるか?」


雨は容赦なく頭を打つ。後方に撫でつけていたユーヤの髪がほぐれ、ざんばらの髪が流れている。前髪が顔にかかり、その奥でユーヤの眼は怪しく光る。


「……僕が警戒しているのは、このランズワンにどんな罠があるかじゃない」

「?」

「この計画を誰が立てたか・・・・・・、だ。この世界でもっとも警戒すべき人物、あの王子の計画ではないのか、それだけが問題だ」


それは、おぞましくも美しき記憶。


ハイアードの第一王子。

かつて、ハイアードキールにおいて妖精の鏡ティターニアガーフをすべて集めようとしていた人物。あらゆる権謀術数を操り、クイズにおいても無敵であった人物。妖精の世界に去ってもなお、その名がはっきりと呼ばれないほどの恐怖を世界に残した人物――。


「僕はパルパシアで王子の計画に触れた。あの王子はパルパシア王家に連なる人物を操り、鏡を奪うための計画を立てていたんだ」

「待たれよ。ユーヤどの。それには矛盾がござる」


拳法で言う内功というものか、鍛えられた腹筋から放たれるベニクギの声は、雨の中でも芯を通して響く。ユーヤとはまた違う、真紅の華のような存在感に彩られた声。


「お忘れか、シュネスの鏡はハイアードに奪われていたのでござる」

「その通りだ」


後方からアテムも同意する。ユーヤはすでに息が切れ始めているが、アテムは走りながらも声がよれない。


「今のランズワンが占領されてたとして、その準備は一か月かそこらでは不可能だ。鏡が国内にない時期に立てられた計画とは思えん」

「……あのメッセージの中で、カイネル先王は王威の器物というだけで、鏡と明言はしなかった。呼び寄せる理由など何でもよかったのかもしれない。テロをほのめかし、自分を囮としてアテムを呼び寄せるのが目的だった。もっと言うなら」


背後に意識を向け、最後尾でメイドの背にしがみついている人物を見る。


「本来の目的は、ヤオガミの鏡なのかも。それは常に、ズシオウが身に付けている」

「……! まさか」


ズシオウも、他の者たちも絶句する。


「ユーヤどの! それはありえぬ! シュネスに外遊するという予定は国家機密でござった。このランズワンに同行したことも必然とまでは言えぬ。そもそも、ヤオガミの鏡は存在すら知られていなかったはず」

「思い出してくれ、ベニクギ、他のみんなも」


ユーヤは、それに言及することを恐れるかのように声を潜め、しかし空間に刻み付けるように明確な発音で言う。


「あの王子の力は、人間を超えていた」

「……」

「彼はまさに知の怪物。諜報活動も万全だった。ヤオガミの国主代理がどこに動くか、鏡がどこにあるかも把握していて不思議はない。計画だって一つとは限らない。あの王子は人の運命すら操る。どんな選択をしても、偶然が介入しても、鏡が必ずこのランズワンにやってくるように計画を……」


「ですが! ユーヤさん!」


ズシオウが叫ぶように言う。


「鏡は守られています! ベニクギが守っている、それは世界で一番安全ということです!」

「違う」


ユーヤはあえて、斬って捨てるように言う。


「その前提は危険だ。逆に考えるべきだ。相手はベニクギにすら対抗する手段を持っている、と。それはとてつもない大部隊か、何らかの脅迫手段か、あるいは」

「……まさか」


ベニクギが、そこで初めて立ち止まる。

滝のような雨を顔に伝わらせ、その眼が恐れとも緊張ともつかない震動を繰り返す。ユーヤはその眼の奥に語りかける。


「ロニは、最強の称号を持つ者は、他にはいないのか」

「……おらぬ」


ベニクギは断定するかのように、辞書にそう刻み込むように言う。


「確かにロニを自称する傭兵はいるでござる。しかし、本当の意味でのロニなど、他にいるはずが・・・・・ござらぬ。ロニとは単に順位付けで上というだけではない。余人をもって換えがたき卓抜の極みでなければならぬ。国主とすら対等である剣士の称号。それは一つの時代に、一人だけ……」



「――隠息おんそく如蚕じょさん、その息づかいはかいこのごとく」



「!」


抜刀している。

ベニクギの構える刀。それをいつ抜いたのか、その場の誰にも見えないほど速い。



「――空刀くうとう誅敵ちゅうてき、刀は空、在りとても無し、無しとても在り、討ち果たす意思こそが刀たるべし……」



その人物は雨の奥にいる。


だが、その異様なシルエット。

女物の濃い緑の裳裾を着て、膝立ちになっているように見える。泥となった砂地の上を膝で這い、肩の下までの黒髪から大粒の水滴を流している。


顔には面。

木彫りの面だがズシオウのそれより陰影が濃く彫られ、鼻のあたりが大きく鷲鼻の形に飛び出している。顔の下半分は空いているが、そこに張り付いた笑みをなんと形容するべきか。

耳まで裂けてるかと思わせるような三日月型の笑み、だがそこに覗く歯列が満身の力で噛み締められている。クルミを潰すような異様な音は歯がきしんでいるのか。

喜と鬼、興と狂、真逆の感情が無理矢理に融合しているような――。


「ツチガマ……!」


ベニクギの眼は驚愕に見開かれている。恐れと畏れ、その感情の奔流を受け止めかねるような顔。

だがそれは数秒のこと。強固な意思で、動揺を体の奥に閉じ込める。泥に変わっている地面で踏み位置を探し、刀を握る。


「ユーヤどの、皆をそちらの家の軒先へ、コゥナどのの弓を含めて、絶対に手を出さぬよう」

「……ベニクギ、あれは誰なんだ。女性のようだが」

「早く」


余裕がないことは肩越しにも伝わった。ふと背後を見ればズシオウの眼も震えている。

ユーヤは手で全員に指示して軒先へ避難させる。雨はまったく弱まる気配を見せない。


喉に砂をまぶしたような、ざらついた声が響く。


「久しいのう、ベニクギ、4年ぶりか」

「貴様、なぜ生きている」


ひ、という笛を吹くような音が聞こえる。

濃緑色の裳裾、ツチガマが笑ったのだと理解するのに数秒を要した。


「ひ、ひ、冥土の鬼を根こそぎ斬ってきたのよ。死んだら見てくるがええ、血の川が百ひろもの深さになっておるからなあ」


上顎に張り付くような、ねばっこい発音。


「貴様、カイネル先王に仕えて、ロニでも気取る気か。それとも金で雇われたか」

「気取っておるのはどっちじゃろうのお」


ひ、とまた高周波に近い音で笑う。生きるものを威嚇するような鋭い音。面の奥にある眼はほとんど見えない。

ずり、と膝で這い寄る。激しい雨の中にあって、その姿は本当に蝦蟇ガマにも見える。


「……先遣隊が200人、来ていたはずだ、殺したのか」

「安心せえ、カイネル殿がそれを望まんかった。同じバッハパテラの氏族じゃからのお。峰打ちにしておいたが、まあ、骨を折られるぐらい覚悟せなならんのお」


ユーヤはわずかに戦慄する。今の口ぶりでは、まるで全員を一人で倒したように聞こえる。訓練された200人からの騎馬部隊を。


「アテムよ」


雨の奥。灰色にけぶる向こうから声が響く。老人が無理をして胴間声を放っている印象だ。


「その声は、カイネル……」

「鏡を渡せ。その女は貴様の兵よりも、そこのヤオガミ人よりも強い。力づくは望むまい」

「鏡はここにはない……渡すつもりもない」

「そうか」


あっさりと答える。瞬間、肩をすかされるような感覚があって。


「では、そこのヤオガミの国主代理が持つ鏡をもらおう」

「……馬鹿な! なぜヤオガミの鏡など求める! それがお前にとってどんな意味を持つ!」

「語る気はない。渡さねばツチガマに自由を与える。その女はまさに荒ぶる神のごとしだ。何をするか分からんぞ」

「ひ、ひ」


ユーヤはツチガマに観察の眼を向けていたが、面をつけていることや、不気味な話し方の前に、なぜ膝立ちなのかが分からなかった。まさか、脚が悪いのだろうか。


「ひ、カイネルよ、はよう斬らせえ。わしの水咒茅みずちがいよいよもっておっ立ちそうじゃ」


じゃら、と砂利を踏むような音を立てて刀が抜かれる。その鞘は長い裾に隠れていたのか見えなかった。


(長い……!)


それは恐ろしく長い。ユーヤの知識では一般的な刀の刀身は70センチほど。佐々木小次郎の「物干し竿」が三尺(90センチ弱)と聞いている。

あの水咒茅みずちとかいう刀は130センチはある。柄の部分も含めれば人間の背丈ほどもあるのだ。


「……拙者を斬れると思っているのか」

「ひ、ひ」


雨の奥から人影が近づいてくる。雨天用のフード付きのコートを着た人物。カイネル先王だろうか。

そのままにらみ合いになるかと思われた一瞬。


銀が弧月を描く。

背中から大上段に降り下ろされた長太刀が空間を薙ぎ、身を引くベニクギの鼻をかすめる。刀は地面すれすれで止まってトンボの旋回のように刃を返す。ツチガマが倒れ込むように動き、斜め上への突き、火花を上げてベニクギの刀と触れ合う。


「ひ、ひ、ええはがねじゃのう。「琉瑠るる景時かげとき」じゃなあ。名のある刀は削り火も美しいのう」

「待てツチガマ! まだこちらの話が済んでおらぬ!」


そしてフードを下ろす。シュネスハプトで見た映像、それと同じ顔の白髪の老人。ツチガマはそちらに一瞥いちべつもくれずに言う。


「ひ、ひ、こらえかねるのう。もう無理じゃなあ」


(何だ……あの構えは)


ユーヤのすべては観察から始まる。

その人物の顔つき、服装、話し方や色々なことを見て、持てる知識と照合していく。


だが、その剣技だけは彼の理解を超えている。


降り続く豪雨の中で、泥になった地面の上で。


ツチガマは泥に這い、背鰭せびれのように長太刀を背中に構えていた。


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