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第六話



思い出は水没した遺跡のようだった。

それはけだるさの水にしずみ、風化して形を失いながらも、物悲しさだけをとどめ続ける。


男は疲れていた。

常に寝不足ぎみなのは生来のことだ。中間テスト明けだというのに解放感は少なく、今日録画するべきテレビのこと、明日返却すべき本のこと、そんなもので思考が埋まっている。


「七沼くん、いたいた」


多くの人間が、氷神川ひみがわ水守みもりについて抱く印象は「元気のいい子」だろう。

七沼より二度ほど体温が高そうな血色のいい手、それを振りつつ教室に入ってくる。七沼は魂を現世に呼び戻し、焦点の合ってなかった眼をこする。


「七沼くん、部活のアレ、できた?」


テスト明けの今日は部活動再開の日でもある。待ちきれずに七沼の教室まで来たわけだ。


「いちおう……」


取り出す。それはサンダルほどのサイズであり、赤いボタン、そして赤の回転灯がついた機械だ。


「いいね、できてるできてる。これでなにくち?」

「四口……親機は八口まで対応できるけど、子機のほうがうまく作動しないのが多くて」

「あー、四口かあ、じゃあ今日の部会はまたアレかなあ」


学生のクイズ研究会にとって、まずもってハードルとなるのが早押し機の調達である。専用のものは通販で買えるが高価であり、しかも製品ごとに一長一短があって、これを買えば万全というものがない。

いわく、音量が調節できない。

二番手、三番手に押した人を表示する機能がない。

お手つき一回休みの場合、ボタンを無効にしておけない。

非常に高価である……等々。


自作はそれなりにハードルが高く、七沼が作ったものも全ての要求を満たしているとは言えない。改良はこれからの課題である。


そして部活の会合では、部員たちが一つの機械に集まっている。


「科学では浸透圧を表し/数学」

「π!」

「正解」


それは翼を広げた鳥のような、日本で最も有名なクイズ番組の名を冠する玩具である。

安価であり、精度も十分、何よりあの番組の効果音で遊べるとあって部員にも人気があった。ボタンの強度に不安があるので、やや慎重に押さねばならないが。


「では、中国の麻雀牌は日本の/もの」

「ゲタ牌!」

「はい正解」


部員は十数人いるはずだが、集まりはいつも半分ほど。クイズ研は拘束がゆるい部であり、進学校であるこの高校においては腰掛け程度の部員も多かった。


正解を重ねるのは氷神川。答えから次の問題に発展していく回答連想クイズだが、もはや独壇場の感がある。


「では、寿司屋/で」


ぴんぽん。


「3!」

「正解。お見事。寿司屋で使われる隠語で、下駄といえば数字の何を指す言葉、3が答えだね」

「先輩めっちゃくちゃ早い……」

「いや早すぎますよ、勘押しですか?」

「勘じゃないよ。これは回答連想クイズでしょ。前の答えが「π」から連想した出題で、答えが「ゲタ牌」なんだから、次の連想ワードは下駄でしょ。下駄の問題なんて限られてるんだから、寿司屋とか妙な言葉が来たら押すべきなんだよ」


早押しにおいて、問題文と答えを思い浮かべてから押すのでは遅い。

やや珍しい単語がいくつか出た時点で、自分ならばおそらく出題の全容が分かる、というポイントで押す。それがクイズ戦士の呼吸であろうか。


「氷神川さんはちょっと強すぎるな。一旦抜けてもらって、残りは一年生だけでやろう」

「う、調子に乗りすぎた、もっと答えたかったのになあ」


氷神川は申し訳なさそうな顔になり、他の部員たちは他愛もなく笑う。

七沼の用意してきた問題が尽きれば後輩の作ってきた問題を読み、終わった後は問題の一つ一つについて検討を行う。

その後は市販のクイズ本から出題したり、制限を設けたしりとりなども行う。いつも通りのクイズ研の活動である。


帰る頃には日が落ちかけていた。じわりと暑さの迫る季節。同じ駅に向かう七沼と氷神川は連れ立って歩く。


「七沼くん、例のやつのダビングそろそろ終わるよ」

「ああ、そうなの? けっこうな量があるとか」

「大阪のクイズサークルから回してもらったのと、埼玉のクイズ研のやつでしょ、120分テープでしめて46本。もー大変だったんだから」


氷神川は大きな身振りとともに語る。世の中に自分の苦労と、成し遂げたことの大きさを知らしめるかのように。

七色に揺らめく感情、めくるめく日々の輝き、それが無限の形となって目の前に現れる。万華鏡のように定まりなく、終わりなく変化し続ける少女性というもの。


「僕も見たい。というかダビングさせて」

「いいよ、というか部で上映会やろうよ、一緒に見よう」

「じゃあ、明日にでもビデオデッキの貸し出し申請出すよ」

「あ、そうそう、昨日のテレビ見た? 間違い探しのあの問題……」


軽やかな足取り、跳ねる胸元のリボン、白線を踏みしめるローファー、小説がいくつも入ってる通学カバン、どこからかの塩素の臭い、楽しげな彼女の言葉、夕映えに染まる制服の白さ、はにかむような笑顔、たなびいて町を覆う梵鐘の音。


「氷神川さん、本当にクイズ好きなんだね」


それは七沼の内側から溢れだしたような言葉。風景に感動するように、映画に涙するように、肉体の反応のような言葉だった。


「うん、本当に大好き。クイズの勉強も好きだし、番組の研究も好きだし、勝負事も好きなの」


クイズ王。


その言葉が脳裏にひらめく。視界の果てにある宵の明星の輝きのように。


「勉強すればするほど強くなれる。研究すればするほど早く押せる。作問も楽しいし、作問の意図を読むのも楽しい。勝とうと努力するのってなんて楽しいんだろうって思う」

「氷神川さんはすごいよ。僕よりずっと研究してるし、ただ努力してるってだけじゃなくて、クイズの技術的要素というか、努力する・・・・べきこと・・・・を見つけられるのがすごい」

「そうだよ、だって、ほら」


ざざ、と。

記憶にノイズが走るような感覚。


思い出の中でそれ・・に触れるとき、心がささくれ立つ。血管が脈動する。磁石に触れたビデオテープのように、不安を伴う記憶の乱れ。


その場面は現実なのか夢だったのか、記憶の中で曖昧なものになっている。


あの一瞬。

彼女がひどく悲しそうで、うつろで、もろく壊れそうなものに見えたのは何故だったのか。


「私には」


そしてなぜ、そんな言葉が。



「私には、クイズしかないから」



――なぜ・・


「そんなことないよ」

「うん、ごめんね。ちょっと愚痴っちゃった。中間あんまりできなかったからなあ。次がんばらないとだよ」


――なぜ・・そんなことを・・・・・・言うんだ・・・・


――君は・・誰よりも・・・・魅力的なのに・・・・・・











風鳴りの音が響く。


装甲飛行船「太陽鳥ラーレー」の展望デッキにて、ユーヤたちは機上の人となっていた。


デッキの一画、ソファが四角に組まれた空間にて王たちが集まっている。


丸一日と経たずに再び乗り込んだ船だが、衛兵の数が増えていると感じる。

肩当てが大きな軽鎧から膨れ上がった腕を覗かせ、大ぶりな槍を突き立てて構える男たち。立ち姿に緊張の色が見える。


「方向が安定しない気がするぞ。さっきは南西に向かっていたのに、今は南南東だ」


発言するのはコゥナである。自分の弓と矢筒を脇に立て掛けている。


「ランズワンに直接行ける風の道はない。いくつかの風の道を経由するが、基本的には風を探しながら飛ぶ」


褐色に焼けた王子は足を組み、展望デッキの下方を意識して言う。


「馬の方が早いが、砂漠を馬で走るのは訓練がいるからな。シュネスハプトから200人の先遣隊を向かわせているから、そちらが先に着いて鎮圧しているだろう。ランズワンにも少数だが駐留部隊がいるしな」


シュネスにおける軍人は治安維持や警察機構も担当しているらしい。ランズワンの人口は約3万人、駐留部隊は30人ほどだそうだ。ユーヤの知る知識では、人口千人あたりの警察官の数は世界のどこでも2人から5人の範囲に収まると聞いているので、少し少ない気はする。

コゥナも少し気を張っているのか、念を押すように発言する。


「カイネル先王も傭兵とか協力者とかいるだろう。あるいはランズワンがすでに制圧されていて大部隊がいる可能性もあるぞ」

「駐留部隊に鳩を出したが、その返答もすでに受け取っている。町に不穏な気配などはないらしい。もっとも町が占領されているなら鳩も信用はできぬが、外部に漏れずにそこまでやれるかどうか」


シュネスはまだ部族間の紛争が続く国だと聞いている。なればこそ兵たちは実戦経験もあり、他の国の兵よりは精悍な顔立ちをしているように思える。

アテム王の指揮も迅速にして慎重、十分すぎる兵力を投入している。


だが。


「妖精はどうなんだ」


ユーヤが口を開き、場の緊張度を高めるような声を出す。


「岩の巨人を操る妖精や、エメラルドを巨大化させて建物を砕くような妖精を見たことがある。何か特殊な妖精を駆使される恐れはあるんじゃないか」

「妖精は武器として扱うのは難しい」


アテムが、その検討も済んでいるという素振りを見せる。


「兵器として使えるのは限られた状況だけであり、兵は対策も学んでいる。確かに土霊精アスガリアの巨人は脅威だが、訓練された兵たちなら対応は可能だ。それに……」


背後を見る。その人物は緋袴を揺らして辞儀をし、同席していたズシオウがどんと胸を叩いて見せた。


「そうです! ベニクギは土霊精アスガリアの巨人を斬ったこともあります。もし対処不能な事態になったら、ぜひ我々にも協力させてください」


緋色の傭兵、ベニクギ。

群狼国ヤオガミにて、最強と同義である「ロニ」の称号を持つという。その涼しげな佇まいには、見るものに安堵を与えるような落ち着きがある。

彼女を語るとき、ズシオウの顔には全幅の信頼だけがある。木彫りの面からのぞく瞳はきらきらと羨望に輝いている。


「……そうだな、戦力にはまったく不安はない、それは間違いないはず……」


だが、不安が拭えない。

あまりにも己の心配性が過ぎるのか、異国の地にて気弱になっているのか、そのようにすら思う。


アテムが、そばにやってきた侍従の一人から報告を受ける。


「うむ、そうか」


そして白の革靴を鳴らし、全員に向き直る。


「間もなくランズワン上空に差し掛かる。我々は上空を旋回して派遣した部隊からの信号を受け取る。カイネルの捕縛を確認してから降りる」


少しずつ、眼の端に映る地平線が上がってきている。飛行船が高度を落としているのか。


「ユーヤさん、見てください、ランズワンの町ですよ」


それは蜃気楼のように、砂漠に唐突に表れる町だった。

広大な円形の範囲が、何かの国旗のように複数の色に分けられている。ある場所ではさびれた田舎町、ある場所では赤く塗られた瓦屋根の街、ある場所では童話に出てくるような白亜の王宮もある。それぞれの場所は土が引かれていたり、石畳だったりで色が違って見えるのか。


「あれがランズワンのオープンセットだね」

「はい、あっちのが古代の王朝風、あっちの朱塗りの街並みはラウ=カンのオープンセットですよ。ラウ=カンの映画の半分はここで撮影されてます」


規模の割に高い建物が少ない。撮影の時に映りこまないようにだろう。町の中央には石造りのシュネス風の建物が並んでいるが、あれが映画会社の事務所などだろうか。


飛行船はゆっくりと旋回する。どうも人工の動力に切り替わった気配がある。妖精の力での航行もできると言っていたが、それだろうか。


少し遠くには巨大な建造物もある。黄金色の石で組まれた獣の像、神殿、あるいは跳び箱の一段目のような形の構造物。


「あそこに大きなものもあるけど」

「シュネスの古代遺跡を模したセットですよ。あれの前で銀写精シルベジアで写真を撮るのが流行りなんです」


やはり高さはないが、そのぶん水平方向に大きな作りになっている。見下ろす範囲に人影はないが、観光地として人気が出るのもうなずける眺めだ。


「……?」


違和感が。


ユーヤは後方に向かい、後部側の窓に寄る。

ラウ=カン風のオープンセットだという。古代中国風のような、しかし細部ではどこか異なっている眺めがあった。

やはり人は見えない。


「……おかしいぞ。先遣隊がいるんじゃないのか。それに、街に人が見えない」

「こちらでも確認している」


アテムが展望デッキを大股で歩き回っており、部下らしき人々が双眼鏡を下方に向けている。めまぐるしく動かしているところを見ると、やはり人っ子ひとり見つかっていないのだろう。


「この太陽鳥ラーレーが見えていないはずはない。なぜ誰もいない。余の兵たちだけならともかく、町の住人まで」

「アテム、今すぐここから離脱したほうがいい」

「うむ、そうだな、一旦離れて……」


視界の端に、光が。

コゥナがするどく振り向く。その驚異的な視力が影をとらえる。


「アテム! 灰気精アッシズメテオだ! 大きめのものが19、いや20体いるぞ!」

機関主任ガル・ヴィンザーブに伝達!」


アテムが声を張り、兵士の一人が伝声管らしきものに飛びつく。ズシオウが妖精の飛んで行った先を見ようとする。


「アテムさん、妖精は進行方向に向けて右側に飛びました、逃げるなら左に」

「違う! 浮遊体細室エブネセントを12個切り離せ! 緊急着陸!」


そして円筒型の飛行船を、小爆発の連鎖が突っ走る。

爆薬によってはじき出されるのは、一つ一つが家一軒ほどもあるユニット型の浮遊構造体。

急激に浮力を失い降下を、あるいは落下を始める飛行船。


そしてランズワンの町に。


嵐が。



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