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番外編 胡蝶の館と忘れじの匠 2





「ご……御料馬車……のこと、聞きたい?」


それは黒いリボンのメイド。驚くほど髪が長く、しっとりと濡れるような黒髪が豊かに背中に広がり、顔にもかなり垂れ下がってなかなかにホラーな雰囲気になっている。リボンは背中からでも誰か分かるようにとの配慮であり、必ずしも髪をまとめるためには使わない。


彼女の名はラクアニト。一般メイドたちの髪を結い上げつつ、ドレーシャの方を向いて話している。


「し……知らない……」

「ラっちゃんってこのハイアード大使館のメイドでしょ、何か知らない?」

「特に……何も」


そのぎょろぎょろと動く大きな眼はドレーシャの方を向いているが、指先ではメイドの髪の毛を十指全てでとらえ、複雑な編み込みを施している。リリアン編みのような速さで三つ編みが編まれ、さらに頭頂部に網目模様の編み込みを作る。


彼女の専門は毛髪。カットはもちろん、染色やパーマもこなすプロである。

ちなみにパーマの起源は古代シュネスと言われている。枝に髪を巻き、泥を塗って巻毛を作ったとか。


「うわすごい細かい編み。それ新作?」

「うふ、ふ……セレノウで発表されたばかり……。一見、何もしてなく見えるの……がポイント……」


ある程度の髪を取っておき、編み込みの後にそれを垂らす。編まれた部分がストレートの髪に隠れてしまうが、わずかにその奥に、螺旋を描く細かい三つ編みが見え隠れする。


「見えないところのオシャレってやつだね! カッコいい!」

「うふ……ふ、手をかけた、髪は……自信に、繋がる……」


編まれていたメイドは二つの手鏡で後頭部を見て、その技の細かさに感動していた。


「ありがとうございます! 最高です!」

「ふふ、ふ……じゃ、2万ディスケット……」

「お金とるんだ……めっちゃ高い……」


ドレーシャはやや半眼になるが、編まれたメイドは嬉々として払っているので、特に何も言わない。


「うーん、でもここの勤務のラっちゃんが知らないって……」

「我々と馬方は接点がありませんからね。ラクアニトは男の髪は見ませんし」

「お、男のことなら、あの子……」


と、ラクアニトはぴんと指を立て。


そしてその場の全員に、同じ顔が思い浮かぶ。





「あらあ、存じませんわよお」


舌の上で飴でも転がすような、上ずった声で言うのは真紅のリボン。

暴力的なまでにせり出した胸と、タイツがはち切れそうな脚部。全体が曲線のみで構成された体つきが妖艶な気配を放つ。名をモンティーナと言う。


ここは男の使用人のための寝室。彼女の前には半裸の男性が寝そべり、その背中には無数のハリが突き立っている。

頑健な体つきで、庭師のようだが、その口は猿ぐつわで塞がれ、全身を細かく痙攣させながら、顎の下の枕にだらだらとよだれを流している。


「モンちゃん、男の人にマッサージとかしてるでしょ? 御者さんから聞いたこととかない?」

「あらあ、マッサージだけではありませんわあ、もっとい・ろ・い・ろなこともしますわよお」


と、モンティーナは甘ったるい声でささやき、背骨の上に突き立ったハリを指ではじく。


「うぶひい!!」


と、豚の鳴くような声がして、施術されていた男の足指が放射状に開いた。


「これ何してるの?」

「うふふ、ラウ=カンの針術しんじゅつですわあ。血行改善、英気回復、全身のコリがほぐれますのよお」


ぴん、ぴん、とあちこちの針を指先ではじくと、男の口から形容しがたい声がほとばしる。ドレーシャがそっと横顔を覗き込むが、満面の笑顔でだくだくと涙を流すという奇妙なことになっていた。


上級メイドのモンティーナ。専門は整体、骨接ぎ、ピアッシングなど人体に関わることである。

彼女はラクアニトと違って金銭は取らず、すべて奉仕だとして使用人たちに施術を行っている。


なぜか一度それを受けた男は、彼女から逃げ回るようになるらしいが。


「もちろん私も知らないよお」


きゅっ、きゅと天井を磨きつつ、答えるのはピンクリボンのメイド。頭頂部に団子をふたつつくり、その根本をリボンで縛っている。モンティーナに比べると本当に子供のような容姿であり、顔立ちもあどけなさが残る。


だが奇妙なことには彼女は椅子の背もたれに手をついて逆立ちになり、足先をまっすぐ上に伸ばして天井に雑巾を当てていた。

そのままがたがたと椅子を揺らしつつ、移動まで行っている。


リトフェットが見上げつつ言う。


「マニーファ、それでちゃんと磨けているのですか?」

「大丈夫だよお。力加減も丁度いいよお」


スカートは思い切り垂れ下がっているが、さすがに下は毛糸のパンツを履いていた。

マニーファの専門は清掃であり、邸内はもちろん調度品や美術品の手入れも担当している。マニーファとモンティーナは姉妹だというが、リトフェットがこの二人を見ていると、どこかメイドという範疇からはみ出している気がしてならない。


「馬車の手入れについてはどうです? 馬方から相談を受けたりしませんでしたか?」


ドレーシャが問うと、マニーファは逆立ちのままで首をかしげる。


「うーん。馬車は磨いたことなかったけどお、そういえば」

「そういえば?」

「あのねえ、御者さんとお話したときにねえ、こう言ってたの。「セレノウの職人技には驚かされるばかりです。この大使館にも驚くべき技が眠っています」って」

「驚くべき、技……」


それは、あの御料馬車のことだろうか。


モンティーナが豊かな胸を揺らす。


「セレノウの殿方は秘密主義なのですわあ。職人技には一子相伝のものも多いですし、技を見せびらかさない、自慢しない。それでいて、誰もがあっと驚く工夫を秘めている……そういう国なのですわあ」


と、庭師のわき腹を撫でさすりつつ言う。


「うふふ、この肉の付き方などがそうですわあ。毎日誠実に仕事に打ち込んでる殿方の肉。こういうお肉を骨抜きにする瞬間がたまりませんわあ」


その固そうな筋肉の隙間に、指先が第二関節まで埋まる。

そしてごりごりと、砂肝を噛むような音が。


「あらあら、うふふ、かちこちになってますわあ」

「ほ、ほどほどにね……」


モンティーナの施術だけは受けないようにしよう。そう心に決めた二人であった。





「馬車の出し方なんて知らないのでぇす」


セレノウ大使館には小規模ながら書庫があり、学術書や歴史書以外にも一般文芸なども収蔵している。


床に布を広げて大量の新聞を積み上げ、何やら作業しているのは紫リボンのメイド。半月型の眼をじとっと向ける。

名はマロル。文書作成や蔵書の管理が専門である。


彼女は新聞にナイフを当て、記事をさくさく切り抜いて行く。


「面白そうだね! 新聞記事のスクラップ?」

「なのでぇす。大使館は外国からクイズ専門紙も取り寄せてるからめっちゃ面倒なのでぇす」


奥の方では薄紫色のリボンをつけたメイドがおり、本を抱えて走り回っている。彼女はカヌディ、情報収集が専門である。


「馬車庫についての記録は無いのですか?」


リトフェットが二人に呼びかける。二人は仕事の手は止めぬままに首をかしげる。


「ぞ、存じません」

「そんな記録は無いのでぇす」


ドレーシャはもう少し食い下がる。


「大使館の建築図面とか、そんなの無いの?」

「セレノウの職人は図面を公開しないのでぇす。施主にも秘密で意匠デザインを盛ったりするし、屋根裏にこっそり彫刻彫ったりとかしやがるのでぇす」

「馬車の取り扱いについての文書とか!」

「御料馬車のは無いのでぇす。あれの設計となると職人の秘密というやつで、国家権力でも聞き出せないのでぇす」


ふむ、とリトフェットも腕を組んで唸る。


「営繕……設備担当の子に聞いてみましょうか。緑リボンのモリスと、黄色リボンのベイリコという者がいたはず……」

「その二人は今年からの招集だよ。知らないだろうなあ」


ドレーシャもさすがに悩ましい顔になる。


「ば、馬車庫でしたら、記録がございます」


カヌディが言い、メイド長と副長がはっと視線を向ける。


「あるの!?」

「い、いえ、図面などではなく、侍従長様の日誌があるのです」


どさどさ、と机に積み上げられるのは黒いノートである。表紙は革張りであり、同じく革紐で縛られている。かなり年季の入ったものだ。


「歴代の侍従長様の日誌でございます。今ざっと探しましたが、馬車庫の建造は40年前、統一歴90年ごろです。それまでの馬車庫が老朽化してきたので、新たに馬車庫を作ったとか」

「うわあ、字がびっしりだよ!」


恐ろしいほど細かい字で几帳面に書き込まれている。今の侍従長も折り目正しい人物だが、セレノウの気風と言うべきか。


「カヌディ、これがどうしたでぇす?」

「こちらのノートの……ここです。御料馬車の建造が終わり職人が引き上げていったという記述。これが統一歴98年です」

「え」


と眼を丸くするのはドレーシャ。


「8年もかかってるの!?」

「そ、そうです。御料馬車も古くなってたために死蔵され、そのまま使われなくなったようですね。馬方の仕事は侍従長様でも不可侵のため……。ぐ、具体的にどんな工事で時間がかかっていたのか分かりません。馬方は知っていると思いますが、必要もなくそれを口外することは稀なはずです。セレノウの人はそうなのです」

「それってまさか!」


と、急に眼をきらきら輝かせて、勢い込むドレーシャ。


「あの馬車に何か秘密があるんだね!? サイズを小さくできるとか!!」

「具体的にどんな仕掛けなんです?」


リトフェットは半信半疑という顔をする。


「えーっと、変形するとか……」

「繊細な彫刻があるだけで普通の馬車でしたよ。むしろ頑健な構造ですし、木組みががっちりと噛み合ってて解体もできません。車輪なら外せるでしょうが、横幅は変わりませんよ」

「指でつつくと縮むとか……」

「乗れないですよね……」


リトフェットはぽん、と日誌に裏拳を置く。


「これは単に、修繕のための職人が8年後に再来した、という意味でしょうね」

「ううん、そうなのかな……」


何らかの仕掛けによって、あの馬車を外に出せる。

それはありそうだが、そもそも何故そんな仕掛けをしたのか。


(8年もかけて……?)


どれほど大掛かりな仕掛けでもそれは時間のかけ過ぎである。大体、一流の職人がそれほど手をかけた仕掛けなら、この大使館の名物になっていてもおかしくない。


(でも、職人さんがまったく関係ない、それも無いような気がする……)


それは、セレノウだから。


頑固で意固地な職人たちの国。


美しい景色と魔法のような手技の国。


秘密めいていて、時に意思の疎通がうまく行かない国。


それが胡蝶の国。


ドレーシャたちの故郷なのだから――。



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