第三十五話
※
同時刻。
ゴルミーズ宮の宴会場ではメイドたちが走り回っている。
なぜか全員が革製のマスクで鼻から下を覆っており、いつもは飾られている花などは取り払われている。
炊事場からは大皿に盛られた料理が次々と運ばれているが、飾り切りされた野菜の盛り合わせであるとか、グリルした羊肉を塩と胡椒だけで食べる料理とか、簡素なものが多い。
豆の加工品とひき肉の合わせもの。芋のスープに入った冷製パスタ。白身魚の蒸し物をヨーグルトに漬けた料理などなど。
どうやら、なるべく匂いが少ないものが用意されているようだ。
それは本日の主役の邪魔になるまいとする配慮であったが、当の主役はそのような気遣いなどどこ吹く風。
下賤のものの浅知恵など余計なことと言わんばかりに、油紙で密閉された壺で眠りについていた。
※
「これは問題として成立してないぞ」
腕を組み、顎をそらしつつコゥナが言う。
「何とでも言える。『私の体を斬って死なせろ』でもいいし、『あいつを斬って死体にしろ』でもいい。妖精から攻撃されていたんだろ?」
「……うーん、でも人間が妖精を傷つけるのは不可能ですよ。まして高位の七彩謡精を死なせるなんて無茶です」
それに、と疑問顔になるのはズシオウ。
「『斬って死なせろ』って何かおかしくないですか? 『斬れ』ば結果的に死んじゃうでしょうし、意味が重なってるような」
「そうなんだ、気になってるのはそこだ」
ユーヤは口の端を難しげに曲げる。
「『斬る』と『死』は別のことを象徴してるのか、あるいは動作が二つある気がする。それにあの時、最初は『この鎖は決して斬れない。だから体を斬ってくれ』と比較的、具体的なイメージが来たのに、妖精が現れて以降はこの断片的な思念になった」
「うーむ、煙幕信号のようだな。森の民だと紫と黒の煙を上げると『死んだ』という意味になる。多くの場合は同行している仲間が死んだという意味だ。部族によって違うがな」
「そう、それに近いと思う」
部族によって違う、という部分に同意を示す。
あの竜の端的な思念は、一種の暗号だったのではないか。
「あの竜は、このメッセージの意味を妖精に知られたくなかった、そんな風に思える」
そこで、ユーヤはふと周囲の気配を探る。
朝の図書館は黎明の日が差し込み、強い陰影が生まれている。光を生み出す妖精の姿は見えない。
もっとも世界のどこでも呼び出せる妖精に対して、人間がどこまで秘密を守れるかという疑問はあるが。
「だとしても問題として不完全なことは変わらんぞ。一つに絞るなど不可能だろ」
「……クイズは、本来は一つの問いに一つの答え、というものじゃないんだ」
「うん?」
「問題の完全性すら求められない。なぜなら問いかけと答えというのはコミュニケーションだからだ。何度も質問して答えを絞り込んでもいいし、不正解だとしてもコミュニケーションは続いていく。問題が不完全だとしても、何を言おうとしたのか考えることには意味があるんだ、必ず」
「その通りだな」
声がして、ユーヤたち三人が振り向く。
樫の木のような褐色の肌と、光を強くはじく白いスーツ。そして金の装飾で飾られた優男。アテムがいた。
「セレノウのユーヤ。今日も考え事か、お前らしいな」
「アテム……ごめん、呼ばれてたのに。ちょっと夢中になっちゃって」
「構わぬ。いまバフムスを味わうための宴席の準備をしている。もう少しかかりそうだと伝えに来たのだ」
アテムはユーヤたちの方へと近づき、テーブルのカードに視線を落とす。
「……余は、お前が天才だと思っていた」
「え?」
「複雑なことを一瞬で理解し、どんな難問にもたちどころに答えを出せる男だとな。天才とはそういう人間だと思っていた」
「僕はそんなんじゃ……」
「そうだ。お前は経験は豊富だが、人間の枠を超えた天才ではなかった。思えば藍映精の記録体の読み解き、飛行船追い抜きクイズとゲスト当てクイズをとっさに提案したこと。あれは瞬間的なひらめきかと思ったが、違うのだな」
「……」
「お前は常に考えていた。あらゆる可能性について一つ一つ考えて準備していたのだ。それこそこの国に来る時分から、昼も夜も休むことなく、だ。だから咄嗟に動くことができた。お前の非凡な部分とはそこなのだな。考え続ける力、というものか」
「そ、そうかな……」
ユーヤは気まずそうに身を縮める。そのように持ち上げられるのは気恥ずかしいし、わざわざ否定するのも何か違うように思えて反応に困るところだ。
「余にはそれが足りなかったな……」
「……」
「ユーヤさん」
「え、ああ、何かな」
と、ズシオウが発言して、ユーヤは少し縋るような眼でそちらを見る。あまり褒められ慣れていないのだろうか、とコゥナは思った。
「問題に不備があるというなら、こういうのはどうでしょう」
見ればズシオウは、メモ用紙に、「体」「斬る」「死」と書いている。同じ言葉が2枚ずつ並ぶ形となった。
「合言葉は3つじゃなくて、4つ以上あった、と考えるんです」
「……つまり?」
「どれかの言葉が一つ多いんです。『体体斬る死』とか、『体斬る斬る死』とか……」
「コゥナ様も考えてみたぞ。各国語だ。死ぬはフォゾス語だとノテ、古セレノウ語だとエイルケルテ……」
「ふむ、余もゆうべ少し考えたが、竜は火を吹こうとしていたな。あれは何かしらのジェスチャーでは……」
そのまましばらく話し合う。
くったくなく額を寄せ合い、解けない問題について検討する。ユーヤとしては昔を思い出すような。切実な問題に取り組みながらも、どこか気が休まるようなクイズの時間。
だが数分後、ユーヤがさっと顔色を変える。
「ズシオウ、そういう竜の伝説があるのか?」
「はい、ありますよ。竜は荒れ狂う川の神格化と言われますが、川は砂鉄や砂金が取れたり、海を肥やす大事な恵みでもあります。それを表現した話と言われてます」
「僕の世界にもある……ではこれは」
そこで数秒の沈黙を挟み、ふいに明るい声を出す。
「よし、このぐらいにしよう」
「え?」
問い返すのは場の全員。
「とりあえずの意見交換はできた。あとは各自で検討でいいだろう。何か思いついたら教えてくれ」
「うむ、そうだな。バフムスの準備もできた頃だろう。何しろ極上の品だからな、城内も浮き足立っている」
「アテム王、バフムスは所詮パンだろ。コゥナ様はもう少しこれの検討がしたいぞ」
アテム王はやや大げさに肩をすくめる。
「コゥナ姫、気持ちは分かるが予断はよくない。結論など出さない方がよいのだ」
「うーん、それはそうだが……」
「それよりバフムスだ。「熟す村」と呼ばれるミオードのバフムスだぞ。一級品となれば一抱えで500万ディスケット。いや値段では語れぬ価値がある。香辛料や茶葉が歴史を動かすなどという話もあるが、これはそれにも並ぶ……」
アテムはそれが実に大きなイベントのように語っているが、ユーヤとしては正直、忘れかけていた話だった。興味を持続させる意味をこめて尋ねる。
「今さらだけどバフムスって何なの? 食材? それとも料理?」
「食材だな。主な産地はミオード。岩山をくり抜いて作られた鉱山の街だが、その街ではパンにある種のキノコが寄生することがある」
「はあ」
「やがてキノコはパン全体に行き渡るが、この菌は人工的に株を移すことができない。しかもどこかの家でバフムスが生まれると、その半径50ミーキでは新たに生まれないことが分かっている」
「へえ……空間に菌糸が充満して、他の菌が近くのパンにつかないように抗生物質を付着させるとかそんな理屈なのかな……」
「理屈はまったく分かっていないが、ともかくミオード全体でも天然物は年に10個というところだ。バフムスが発生するとその家は子宝に恵まれ、豊かになるという縁起物なのだ。しかも高額で売れるからな」
「アテム王よ、バフムスは輸出品もあるはずだぞ。コゥナ様の父上もたまに取り寄せていた。年に10個ということはあるまい」
「輸出品は人工バフムスだな。パン粉を食用の糊で固めたブロックにバフムスの欠片を埋め込み、高温高湿の発酵室で熟成させる。やがて菌が回ってバフムスに近いものになる。これは1代限りで、ここからさらに2代目のバフムスは作れないが、人工ならば数を数百個に増やせるのだ」
「へえ……シイタケの人工栽培みたいだね……」
聞けば聞くほど、興味はあるが味はそこまで期待できないというのが率直なところであった。ユーヤという人間性のためか顔には出さない。
牡蠣に似たビジューシもそうだし、恐ろしく固いガルトゥーツもそうだが、シュネスではとにかく風変わりなもの、珍しい性質を持つものが贅沢品と扱われるのだろうか。
それとも自分の知的好奇心を満たそうとしてくれてるのか、ならばもてなしを喜ぶべきなのは当然と思える。
バフムスもキワモノというか、珍味のたぐいだろうか。松茸のように高貴な香りが楽しめるかも知れない。なるべく驚いてあげようと内心、身構えておく。
アテムはまだ語っていた。
「バフムスはミオードの街を離れるとなぜか劣化してしまう。極上の状態を保てるのは30時間。そしてミオードにて民家の片隅で発酵を続け、人工バフムスにも使われなかった純粋なる天然物! それが真に極上なバフムスなのだ!」
「うん、もちろん、期待してるよ、うん」
そろそろリアクションの弾が尽きそうだった。
「ええい! パンは聞くのではなく食べるものだ! コゥナ様は先に行くぞ!」
「あ、コゥナさん待ってください。私も」
そして若く快活な二人が去って。
残された二人の間に、奇妙な沈黙が降りる。
ユーヤとアテムはどちらが先に歩き出すかと牽制し合うような気配のあと、慎重に視線を交わす。
先に切り出したのはユーヤである。
「……アテム、君も気づいたか」
「推測は成り立つ。おそらくお前と同じ考えだろう。だがシュネスの王として、軽々には言えぬ」
アテムは思い出す。ことの始まりとなった人物。その人物と自分との長い因縁のことを。
「カイネルだ。我が父がなぜ妖精王に強く傾倒したのか。古き信仰を掘り起こすと何が起こると思ったのか。そこに事態のヒントがあるはずだ」
「そうだね……」
アテムは陽光の登る方を見つつ、眩しさに眼を細めて語る。
「思えば……確かにカイネルは余を説得しようとしていた。しかし余は、あまりに急な心変わりに激昂し、言い分をほとんど解せぬままに物別れとなってしまった。今にして思えば悔恨の極みだ」
「カイネル先王が正しいとも限らない。君の判断も妥当だった」
「その言葉を救いとして受け止めよう。ともかく余はもう一度、父と話をせねばならぬ。そして確信が持てたとき、それをお前に伝えよう」
「分かった。この大陸に何が起こっているのか、過去に何が起きたのか……」
「うむ、必ずそなたに伝える。今は国と国ではなく、余とそなたの友誼の誓いとして胸に留めておいてくれ」
「わかった……待ってるよ」
そしてユーヤは、手の中に残ったカードを見る。
手で覆われる一瞬。見えたカードの並びは『体斬る斬る死』
それは言葉を補われ、次のような文章が走り書きされていた。
『わたしの体を斬り、やつを斬り死せ』
(人間では妖精を傷つけられない)
(だが、神の力なら)
(神が人間に、妖精を殺す力を与えられるとしたなら)
それは、ユーヤの生まれた国に伝わる話。
竜の尾から出てきた剣のみが、その竜を殺すことができたという話。
神殺しの武器。
それは川の流れが砂鉄をもたらすこと。すなわち製鉄の由来を語っているとも言われるが――。
(あの時。竜は牙の隙間から炎を漏らしていた)
(あの口の中には何があったのか)
(……すべては、想像上のことか)
自らを強く律するように、連想をそこで止める。
天も地にも、妖精の気配が満ちるこのディンダミア妖精世界で。
その想像自体が、途轍もない危険をはらむような。そんな予感が……。
※更新予定
次がおそらく最後の更新になります。一話になるか二話に分けるかは不明ですが、二話の場合は同時更新したいと思います
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。次の更新まで今しばらくお待ち下さい。




