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第三十三話





それは果たして構えなのか。

技術の大系と言えるのか、鍛錬の末に至る形であると信じられるのか。


ツチガマは、四肢を放射状に伸ばして大地に這うかに見える。しかしその腹部と石畳の間に隙間がある。足先はたがねのように石に食い込み、刀のつかで地を叩く一瞬。


その姿が消える。全身を投擲するような跳躍。


ベニクギの間合いに入る刹那、ぎん、と周囲の石材が砕かれてばら撒かれる。あるいは斜めの切断面からずり落ちてくる。


「ぐ……」


ベニクギは跳躍してかわす。大きく跳んで人の背丈ほどの石、おそらくはこの空間の天井から崩落した石材に、足を。


凶杌キョウゴツ!」


体重がかかる瞬間に土色の影。長物がしなる。

それは刀の峰を使った殴打。周囲の柱が、石板が砕かれる。


受けんとするベニクギの刀が斜めに力を受け流す。腕に電流のような痺れ。


「こ……この力、信じられぬ。脚のすじを断たれているはず……」

「足で踏み込んで腕で振る、誰がそう決めた。そんな常理はわしに関係ないのお!」


打ち合う。連想するのは腕が六本ある蛇。ありえない低さの体勢から、想像を超える角度で打ち込まれる刀。

ツチガマの肩が、腿まわりが奇妙な変形を見せている。あらゆる肉が盛り上がって新たな関節となり、腱になるような動き。内臓や皮膚すら動員するような怪力。


「あれがロニを争った動きか……!」


アテムの眼には半分も追えない。それでも人間業を超えているのは明白。


「あれだけの腕を持ちながら、なぜ日影の道を……」

「……あれだけの腕だから、かもしれない」


ユーヤが呟く。二人はすでに馬を降りており、アテムは金の指輪をはめた手で手綱を押さえている。


「あの腕ゆえに無頼になった……ということか」

「……優れた力を持っているのに、どうしても社会と相容れない人々、というのがいるんだ。その人しか使えない技術、方法論、あるいは特別な五感ゆえに孤独になる。一人きりで生きるならともかく、力を認めてほしいと願ったなら、きっと茨の道だろう。その人の力が、他を圧倒していればいるほどに」

「うむ……今なら少しは理解できる。己の力が称賛されるべきものか、それとも醜く卑怯な力かの狭間で懊悩おうのうする、ということだな。いつぞやの挑発、お前はそこを突いた、というわけか……」

「でもきっと、そういう人たちにも、いつか……」


たつ、と。


金の腕輪に水滴が落ちる。

アテムが上を見上げれば、いつの間にか天井の崩落部分から差し込む光が消えている。空はくろぐろとした曇天になっているのだ。


「雨だと……? 気付かなかったな。この水庭ルウィナ跡の暗がりに眼が慣れるのと、空に雲がかかるのとが釣り合っていたか……」

「アテム、何か変だ」


ユーヤが周囲を見ながら言う。


そこで気付く。背後から騎士たちが来ていない。彼らは馬術によって段差を下れなかったが、徒歩だとしてもとっくに降りてきているはずだ。


「なんだ、何が起きている……?」


ぱしゃ、と足に水が当たる。

いつの間にか足元が水浸しになっている。土の溜まっていた地面は泥に近くなる。


気づけば天井の欠けた部分からは雨だれが落ち、壁からも雨が伝ってきている。


だが体育館ほどもある階段井戸、水庭ルウィナが水浸しになるほどの水量には遠い。


「何が……」


ぎいん、と打ち合う音は続いている。

すでに地面は沼のごとく。ベニクギが足首まで埋まっているのに対し、ツチガマは動きに鋭さを増している。水を含んで重くなっているはずの裳裾で魚が跳ねるように動く。ツチガマの肉はどのような鍛え方をしているのか。


首を狙う長刃。すんでのところで刀で防ぐ。


(ツチガマ)


思うのはその名。

一見すれば激しく動くツチガマの方が有利にも見えただろう。


だがもし、その場の二人に匹敵するほどの剣の達人がいたなら。

動きが鋭くなっているのは、むしろベニクギだと見たかも知れぬ。


地面から跳ね上がる連撃を刀で弾く。受けた瞬間に次の防御の準備ができている。踏み足の変化は小さく、刀の移動距離は短く、受けるのではなく押さえるように。


(拙者は、お前が怪物だと思っていた。人の理解の外側にいると)


(だが今なら分かる。お前もやはり人間。私が、ヤオガミの皆が、人間とはこういうものだと枠を決めていただけのこと)


(お前の剣はまさに神業だ。お前だけが歩み、お前だけが行き着いた剣の高み)


(お前が異形の怪物なら、怪物と人は地続きなのだ)


ベニクギは己が静止しているように思えた。

刀のほうが己を避けるような感覚。それは先読みなのか、無意識の反射なのか。


竜人りゅうじん合気あいき、人は竜なり、竜は人なり、気息きそくをもって相通ず」


言葉の霊が、剣先に宿る感覚。


誰も見たことのない、新しい型の姿が――。


天羅てんら一剣いっけん、天地にあまねくすべて、やがて剣に通じるべし……」


ツチガマが廻り、最大の力と速度を込めた一撃が。


麁噛あらがみの大蛇おろち!!」


一閃。


「天相の型! 哭竜こくりゅう剣尽けんじん!」


ツチガマは見た。


その速度を、無限に枝分かれするような太刀筋を。


それは鋼の刀を紙のように切り裂き、あらゆる角度からの刀が己を突き抜け、そして。風が通り抜けるように音もなく――。


きん、と。


納刀と残心。その前にて濃緑の裳裾は。

世にも稀なる剣客は、糸が切れたようにくず折れた。


そしてベニクギはユーヤたちを見て、ゆっくりと手を振る。


「ベニクギ……」


ユーヤが駆け出し、アテムも馬を引いて後を追う。馬の歩みで泥が白スーツに跳ねかかるが、気にしている場合ではない。


ベニクギは懐中から縄を出し、ツチガマを後ろ手に縛り上げたところだった。


「斬った、のか……?」

「剣気を当てただけでござる。斬られたという感覚が、人間の意識を飛ばすのでござる」


確かに、脚の傷の他には出血も見えない。その全身は言うまでもなくずぶ濡れで、ぽたぼたと大粒の水滴が落ちる。


「う……」


そして目を覚ます。

アテムは数歩、身を引いたが、ユーヤはベニクギが動じる様子がないのを見て、その場を動かない。


鷲鼻の面がずるりと落ち、やや眼の大きな女性の顔が現れた。

アテムは少し驚く。あまりにも平凡というべきか。毒気のない少女のような顔だったからだ。ゴルミーズ宮のメイドだと言われても信じそうなほどである。

そして若い。20にも届いていないように見える。


ツチガマは濡れた頭を振り、背中で腕を取っているベニクギを見やると。肺から大きく息を吐く。


「……負けたか」

「紙一重でござった」


は、と息を吐き出すように笑う。


「ここに至っては逃げも隠れもせん。さあシュネスの王子よ、わしをどうなとすればええ。あるいはヤオガミに引き渡すか。雲霞の如き侍たちに罵倒され、世界一の怪物として死ねるなら、それもまた痛快というものよのお」

「ツチガマ」


そう呼びかけるのはセレノウのユーヤ。


タキシード姿の男に、いま気づいたかのようにツチガマが動きを止める。


「あん……?」

「どうか自暴自棄にならないでくれ。君の力を認める人はたくさんいる。過ぎたことはどうしようもないけれど、沙汰に対して誠実に向き合えば、未来が開ける可能性もあるはずだ」

「無理じゃのお。わしは勝利し続けてこそ立っていられる。剣にて倒れ、雷問にても敗れれば、残るのは醜いだけの怪物よ、だから」

「美醜とは」


言葉を遮る。そのユーヤの声には悲痛な、懸命な響きがある。


「美醜とは、表裏一体、あるいは同じもの・・・・だとは思わないか」


ツチガマが、わずかに眼を開く。


「内臓はグロテスクだ。だがそれは生命というシステムを司る機能美でもある。力任せに生きることは醜い、しかし獣のような野生美でもある。それを肯定する人も、否定する人もいる。それこそが健全な世界の姿だ。誰しもが認める絶世の美女なんて不自然だ。人は皆、己の精一杯の、ありのままの姿で生きて、そしてそのあり方を認めてくれる人、美しいと感じてくれる人に出会うために生きているんだ。美醜とは、人と人との出会いなんだ」


アテムが瞠目して異世界人を見る。彼が泣いているのではないかと錯覚したのだ。

涙は流れていない。だが誰かに泣きながら取りすがるような。

何かを強く懇願するような、失った何かを取り戻さんとするような心の底からの響きがある。それが、眼の前の無頼の剣士すらも揺らがせる。


「お、おんしゃあは、何を……」

「自分が何者なのか、出会いがそれを教えてくれる。だから出会いは尊く、大切にするべきなんだ。そうは思わないか、ツチガマ」

「ツチガマ、拙者からも願いたい」


背後からの声、ツチガマははっと背後を向く。


「拙者はお主の強さを認める。その力を手に入れるための長い修練も察するでござる。世界がお主を否定しても、拙者だけはそなたの美しさを知っている。だからどうか、怪物としてではなく、一人の剣士として沙汰を受けるでござる。一人の人間として、皆に向き合うのでござる」

「…………」


長い沈黙。


天井からの水音だけが響く。

果たして外は雨なのか。気にするものはいなかったけれど、その雨音の中に声なき声が、ツチガマが言わんとする言葉が隠れていて、無頼の剣士はそれをさまよう視線で探すかに思えた。


「……湿っぽいのお」


やがて、ふうと腹の底から息を吐き、ゆっくりと言う。


「ベニクギ、わしはまた、ロニを目指せると思うか」

「必ず」


ふ、とツチガマは鼻先で笑ってみせる。


「仕方ない……もう少し生き足掻いてみようかのお。じゃがまずはアテムどの、そなたの判断を……」


その時。


ふいに気配が生まれる。


剣士二人の反応は速い。ツチガマはさっと屈んで身構え、ベニクギは刀を抜く。


それはこの広大な水庭ルウィナに満ちる寒気。冷たい泥を塗られるような。背中に短刀を当てられるような。


「あれは……!」


それは、空間を満たす赤い影。


その指一つは神殿の柱のごとく。


全身は泥を浴びて汚れ、その奥に鉄のように輝く鱗。


牙は巨象をも引き裂くようで、長大な首は泥に這い、その巨大な翼で天を翔けんとする。赤い竜。


泥濘竜アルバ……!」


アテムがわななく。確かに、それはあの装甲飛行船の床にあったレリーフ。泥に埋まる竜。


いつの間にか足首まで漬かっている。それは雨水というよりは泥だった。降り注ぐ水の量では説明しきれぬ水かさ。


「まさか……実在していたでござるか? そんなことが……」

泥濘竜アルバじゃと……!? あんなものおとぎ話じゃろう。ヤオガミのドロミズチと同じで、雨季に泥を運んでくる、氾濫した川の具現化……」


それはユーヤの知識にもある。よく氾濫を起こす川は怪物や神にたとえられ、その怒りを鎮めようとする祈りが神格を与えるという。


「様子が変だ」


ユーヤが指摘する。彼とても竜を眼の前にして動揺の無いはずがない。強固な意志で抑え込んではいるが、その膝はわずかに震えている。


よく見れば、竜に巻き付く黒い影がある。

それは鎖だ。一つ一つの輪は人間がくぐれそうなほどの特大の鎖。両の翼に絡みつき、尾と言わず腕と言わず巻き付いて、さらに首に巻き付いてその長い顎までを封じている。


「なぜ縛られているでござる……?」

「……こういう、神様じゃないのか? 僕の世界でも、プロメテウスという神様は鎖で縛られた姿で描かれることがあるけど……」

「いやセレノウのユーヤよ、そんなはずはない。シュネスの伝承にもそんな話は……」


がしゃり、と鎖が動く。

竜が口を開こうとしている。だが鎖が邪魔をして、ほとんど開きはしない。



――――



「呼びかけている……?」


声ではない。感覚だけが頭の中に送り込まれる。



――――



それは全員に送られているようだったが、かなり複雑なイメージである。一つの単語だけで大きな意味を表現するような感覚。ユーヤ以外は混乱の方が強い。


「何でござるか……? このイメージ、何を言おうとして……」

「この鎖はけして斬れない、だから私を斬ってくれ、と言ってないか?」

「! そ、それだ!」


アテムが同意する。

ではこの竜は、ベニクギに斬られようとして姿を見せたのか。

ユーヤが問いかける。


「……あなたは、斬られることで脱出する隙間を作りたいのか?」


複雑なイメージが返る。今度はあまりに複雑すぎてユーヤにも言語化ができない。死のイメージが何度も織り込まれている。その濃密なイメージが理解を妨げる。


「分からない……死にたくない、ということか? それとも死に向かいたいの、か……」


上空から差し込む光。柱となって水庭ルウィナの中央に降りる。ユーヤがはっと振り仰ぐ。


「……!」


同時にとてつもない騒音。数百もの鎖の輪がぶつかり合い、大鳴動となって空間全体にとどろく。


竜が暴れている。という事すら遠ざかる。その神々しい光。


「あれは……!」


円を描くように、放射状に並ぶ七枚の羽。

白いうすものを羽織るような女性の姿。


世界で最も貴重な、その妖精の名は――。



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