第三十一話
「僕のいた世界でも、同じようなことがあった」
「同じ……?」
「毎日ゲストが変わる番組で、明日のゲストは誰なのかを予想する、それだけに血道を上げるようなマニアが存在したんだ。彼らは明星……つまり芸能雑誌を読み込み、呼ばれうる芸能人をリストアップしてそれぞれのスケジュールを把握し、舞台公演や歌手の新曲発表などから計算して……」
「……待てユーヤ、それは、まさか」
ゴルミーズ宮でのあの光景。
床を埋め尽くす資料の山、新聞に雑誌、毛布にくるまって仮眠につくメイドたち、あの光景は。
「市中情報から、ゲストを当てるというのか!」
「そうだ」
ぎいん、と鋼を打つ音がする。
尋常でない長さの刀、水咒茅の軌道をベニクギが撃ち落としている。互いの切っ先は音速に迫るほどの速度。
「この世界ならできると思った。大陸に存在するラジオチャンネルは20以上、新聞をはじめとしてメディアも充実している。情報は豊富なんだ。そしてメイドたちは優秀だった。彼女たちをまとめていた子は、可能だと答えてくれた」
「だ、だが、それでは……」
保証はあったのか。
確実に当てられる保証、勝てる保証。
一瞬、その言葉に疼痛のような嫌悪を覚える。
クイズで勝負している時点で、これが賭けなことは間違いない。賭けの世界で100%の勝利を求めることに後ろめたさがある。だが言葉を止められない。
「そ……それで当たらなかったら、どうするつもりだったのだ。もしツチガマがラジオを取らなければ、ユーヤの答えが外れていたら……」
「それは……」
ユーヤはどこかぽつねんとした、一瞬だけ赤子のようにも見える表情でアテムを見返す。
その答えは、まったくの無心から出てきたように、色がなかった。
「考えなかった」
「なっ……」
「これは僕が、異世界人だからできたことだ」
アテムの心の乱れを鎮めるかのように、ひそやかな声で言う。
「……どういうことだ?」
「ツチガマから見れば、僕の動きなど止まっているも同然だろう。何よりも必要だったのは確信だ。絶対に当てられるはずだと信じてラジオを取ろうとすること、それがあって初めてツチガマを動かせる」
「うむ……」
「もし、僕自身の手で検証したなら、確信は持てなかったかもしれない。不正解の可能性を考えてしまったら、手に迷いが出るかも知れない」
「……待てユーヤ、それはまさか!」
「つまり」
「僕を洗脳してもらったんだ。メイドたちにね……」
――君たちには、明日のゲストが誰になるのかを検討してもらいたい。
――これは必ず、100%の精度で当てなければいけない。
――君たちならできるはず。いいね、必ず、絶対の確信をもって当てるんだ。
「そんなことが……!」
想像を超えている。
ユーヤがこじあけた扉。それはまさに不可能という名の鋼で出来ていた。
たとえ、ほぼ確実にゲストを予想できたとしても、ユーヤはそれを教えてもらうに過ぎない。
それを逆手に取ったのか。
薄氷のような勝利への道を、何らの動揺もなく歩いたのか。
床が無くなるような浮遊感。その場面を想像するだけで気が遠くなりそうになる。
「お前は」
剣戟の音すら遠のくような感覚。その中で絞り出すように言う。
「お前は何者なのだ……。なぜ、そこまでできる。お前の出会ってきた王たちとは、いったい……」
「……」
ベニクギたちの戦いは速度を増している。
赤い着流しが揺れる瞬間に繰り出される直突。ツチガマがバネ仕掛けのように横に飛び、追いすがる赤い影と絡み合う。
「ツチガマ! じきにシュネスの騎士たちも追いつく、観念するでござる!」
「ぐ、ぬかせ……」
地面すれすれから跳ね上がる円弧の剣。ベニクギが首を引いて避け、鼻先で空気がびりびりと震える。濃緑の裳裾が大きく跳んで回り込もうとする。ベニクギが足を踏み変えつつの数度の打ち合い。
「もはやすべて斬り伏せるまでじゃのお! 忘れたか! 今のわしはお前など敵ではない!」
「果たしてそうかな……!」
ベニクギの体が揺らめく。蝋燭の灯のようにゆらりと沈み、気配だけが襲うようなフェイントののちに斬撃が飛ぶ。ツチガマの長刃がそれを受けんとして。
「!」
刀同士が噛み合う刹那、ツチガマの肘から朱がはじける。直後、緑の裳裾を頭の上まで打ち上げるような蹴り。互いに分かれ、そしてツチガマが驚愕の顔を見せる。
「なぜ……!」
「双刻、四命に通じ、四命、八相に通ず。そして八相至りて万象に通ず」
ベニクギも頬に朱線が走っている。その血を指で拭って、祈りのように言う。
「天地のすべて、時の流れの中にあるすべてが我らを育てる。それは言うまでもなく、クイズさえも」
「戯れ言を!」
※
ゴルミーズ宮の夜の底にて。
「ツチガマの強さの秘密が、記憶力にある……」
ベニクギは正座のまま、深く思考するようだった。記憶という点に留意して、先日の戦いを深く思い出す。
「確かに……八相の流れ、つまり型から型への流れが読まれていたやも知れぬ。どんな剣士にも連携の癖があるが、おそらくはそれを……」
しかし、と声を低くする。
「それは意思ではどうにもならぬ……骨の髄まで染み付いた型なのでござる。連携を変えると言っても簡単には……」
「方法はあると思う。向こうがベニクギの動きを読むなら、こちらも読めばいい」
「か、簡単に言われても困るでござる」
「僕の知る、あるクイズ王はこう言っていた。クイズ王の戦いには偶然が存在しない。クイズ王とは、偶然すら制御する存在なのだと」
「偶然を……」
「ベニクギ、僕とジャンケンをしてみよう」
唐突な申し出に、この凄腕の傭兵も少し固まる。
「ジャンケン、というと……?」
「呼び方が違うかも知れないけど、必ずあるはず……三すくみの指の形を出し合う遊び」
「ああ、兎拳のことでござるな」
ユーヤのいた世界では、ジャンケンに似た遊びは世界中にある。当然のようにこの世界にもあった。ウサギ、壁、刀のという三すくみで構成される兎拳である。
ウサギは「きつね」とほぼ同じ形。
刀は人差し指と中指だけを真っ直ぐに伸ばした形。
壁とは親指以外の指を立て、指の付け根から直角に曲げて、相手を遮るように壁を作る。
すなわち。
刀はウサギを斬る。
壁は刀を跳ね返す。
ウサギは壁を飛び越える、という三すくみが成立する遊びである。
「こういう指か……よし、じゃあ勝負だ」
「ま、まさか、兎拳で勝てる技術があると言うでござるか?」
「あるとも」
ただし、と付け加える。
「勝負は30……いや、25回戦で行う。次々と、およそ二秒に三回のペースで出していく。たぶん数えられると思うけど、ベニクギの方でも覚えててくれ」
「? わ、わかり申した」
そして。
「しょい、しょい、しょい、はい終了、18対7で僕の勝ち」
「な……」
動体視力はベニクギが数段、上回っている。こちらの指を見てからの後出しではない。しかしなぜか後半、怒涛の連勝で一気に勝負を決められた。
「妙に負けがこんだでござるな……も、もう一度」
「どうぞ」
そして25セットの勝負が繰り返される。砂漠の夜は月の歩みが遅く、どこかで衛兵の脚甲の音。
「な、なぜ……!」
全てでベニクギの敗北。
出す指を完全にランダムにしたつもりが、後半でどうしても勝てなくなる。ひどい時は3勝22敗ということもあった。
「これが偶然の制御……僕のは、真似事だけどね」
「ど、どうして拙者の手が読めるのでござる。まさか、これは大昔の剣聖の言うような、心を読む技では」
「この技を編み出したクイズ王はこう言っていた。世界に乱数がないように、人間の中にも乱数など存在しないのだと」
「乱数……」
「人間はランダムに何かをしようとすると、脳がランダム行動のための回路を生み出す。これは意識とは別個に存在し、人間の動作を支配している」
「まさか……」
「多いパターンとしては相手の出した手を見て、それに勝てる手を次に出す。特定のループを行う。5手ほどで自分のループに気づいて別のループに入る、などだ。クイズに応用できるかは微妙なところだが、あの王は、とにかく何でも極める人だったからね……」
「……」
ベニクギは自分の指をまじまじと見ている。脳の、今まで使っていなかった部分が励起するかのように意識が冴え、指をわきわきと動かして、何かを何度も確かめるような息遣いをして。
そしてやおら、立ち上がる。
「かたじけない!」
しゅる、と衣擦れの音だけを残して、煙のようにその場から消える。部屋の扉はいつの間にか薄く開いており、そこから出ていったものか。眼の前で見ていても知覚できぬ不思議な動きである。
「……」
ユーヤはひとり残された部屋で、石になったかのように静止していた。
呼吸も、心音も遠ざかるような沈黙。その中でわずかな思考がある。
ベニクギは、今の話で何かを掴んだだろうか。
もしツチガマとの戦いがあるとして、その勝負にも影響を与えるだろうか。
ただのジャンケンの技術と、片付けることは許されないだろう。そんなことを考えていた。
※
「峰相の型、華突崖風!」
嵐のような突き。ツチガマが後退しつつ受ける。
だがベニクギの踏み込みが早い。無数の突きを繰り出しながら一気に追いすがり、遺跡の壁についたツチガマが右へ飛ぶのを見て、壁を砕きつつ反動で同方向へ。
「鵺爪!」
突きを飛び越える跳躍。全身を丸めて剣だけが振り下ろされる。朱色の影が身をかわす瞬間、石の床が断ち割られる。
「互角……いや、ベニクギどのが押している」
アテムのつぶやき。
そしてそれは起こった。ツチガマの腿のあたりが朱に染まっている。遺跡の暗がりの中でその部分は暗色を帯びている。
「ぐ、なぜじゃ……動きが読めぬ。この数日でここまで太刀筋を変えるとは」
「拙者が変わっただけではない。読みには読みあるのみ。拙者もまた、そなたの太刀筋を予見しようとしている」
骨まで達した手応えがあった。だが油断はしない。ツチガマなら首だけになっても戦いかねない。
「もう止めるでござる。お主はあまりにも多くを斬ったが、さりとてもこの場で死なせるには忍びない。おぬしが優れた剣士であることは間違いないのだ。本国へ帰り、クマザネ殿の沙汰を受けるでござる」
「はっ、同情か……わしも落ちたものよの……」
「……そうではない」
「なんだ、何を話している」
アテムがそう言うが、距離は50メーキは離れている。ユーヤにも会話は聞こえない。
だが何かしら、人生の述懐のような、ベニクギにとって重要な話をしていることは分かる。
そのわずかな声が、唇の動きが、ユーヤにだけは意味を届けるかに思えた。
ベニクギは言う。
「……すまなかった」
「……?」
「フツクニにて競い合ったあの日、拙者もお主を疑った。お主のその力に気づいてやれなかった。クマザネ殿の、立会人たちの裁定に激昂したそなたを見て、おかしいと思うべきだったのだ。あれほどの激甚なる怒り、あれは誇りを傷つけられた怒りなのだと気づくべきだった。この遠き砂漠の都にて相まみえたこと。これは拙者の因縁というものだ。そなたの長き流浪も、すべて拙者の責任なのだ……」
「……」
ツチガマは、目蓋を目いっぱいに開き、ベニクギの言葉を一言一句、噛みしめるように見えて。
そして。
「……はっ」
笑う。眼に見えるすべてを拒絶するような笑い。
「ベニクギ、ぬしゃあ珠羅のご令嬢じゃろう。隣り三州で並ぶものなき箱入り娘と聞いておるぞ」
「……家は、もはや拙者とは無縁にござる」
「やはり世間知らずの小娘じゃ。何も分かっておらぬのお。わしの力を理解した程度で、わしの生きてきた道程まで識ったとほざくか」
「……」
その鷲鼻の面が。
ズシオウと同じく鼻から上を隠した面の奥が、灼熱に色づくように思える。
「わしはロニと名乗ることを目指したが、クマザネに士官できるなどとは思っておらぬわ」
「……何?」
「それというのも無頼のためよ。どこの世界にわしのような荒くれを雇う君主がいる。ましてや対等の盃を交わすなどそれこそ絵空事。君主が認めても周りが認めぬじゃろう。わしが多少、慎ましくしても、絹の織物を着ても変わりはせぬ。何よりわしが耐えられぬ。この身に地位や財産という重しが繋がることが耐えられんのだ」
「……」
「わしが求めるのは王と対等であるという名乗りだけ。権力者におのが腕を認めさせ、客人としてわずかに逗留する。それだけで生きてきた証としては十分じゃろう。分かるかベニクギよ、わしはどこまで行っても怪物に過ぎんのだ。求めるのは勝利のみよ。一瞬の勝利の記憶が! 兵を斬ったその血潮だけが! 求めるすべて!!」
閃。
「!」
半歩かわす、その脇を銀色の風が抜ける。赤い糸が散る。これまでのどの斬撃より速い。
ツチガマが地に這いつくばっている。その腕が、四肢が異様な力で大地に張り付くかに思える。どこを支点にしているのか、どこに注力しているのか見えぬ、複雑怪奇な異形の技が。
「告白している、ようだ……」
そこに何かを感じ取ったのか、ユーヤが地面に落とすように呟く。
アテムは凄まじい殺気にあてられながらも、ユーヤの言葉に反応する。
「何を……だ?」
そしてユーヤの意識は現在を離れ、時の脈絡のない世界へと。
「竜は、勇者にはなれないのだと……」




