第三十話
※
時はしばし戻り、まだ夜の眠りのうちにあるゴルミーズ宮。
衛兵がゆっくりと油断なく歩き、メイドたちは灯明の数を減らしていく。鮮やかなシュネスハプトの夜景にも静けさが漂う深夜。
ユーヤとベニクギは、とある一室に移動していた。砂漠の夜はしんしんと冷えていくが、どこかに暖房があるのか、部屋の床には湯のような暖気が流れている。
「ユーヤどのは……」
下履きと裳裾を着け直したベニクギが、床に腰を下ろして言う。
「拙者が、ツチガマに勝てる道があると言われてござったが……」
「僕の話が参考になるかもしれない、というだけだよ。僕に剣は使えないし」
「それでも構わぬでござる」
居ずまいを正し、正座になって向き直る。部屋の隅には三叉の燭台。ゆらゆらと揺れる光の中で赤い着物が照り映え、頬の赤みも強く出ている。
「ぜひお聞かせいただきたい」
「……その前に、確認したいんだ」
何なりと、と、腰を下ろすユーヤに向かって膝を詰める。
「ベニクギ、君がかつてロニの座を争ったという勝負の話だ。ツチガマとの剣の勝負の後、早押しクイズ……雷問が行われたとか」
「左様にござる」
「会場にはたくさんの侍と立会人がいて、異様な早押しをしていたツチガマに立会人が異を唱え、勝負が没収された……」
「その通り、相違ござらぬ」
「……そこが肝心だった。かつての勝負が一問一答だったから、当然そうだと思っていた。大勢の観客がいるなら会場は広くとるはず。そういう勝負になる可能性もあったんだ……早く聞いておくべきだった……」
「ユーヤどの?」
「ベニクギ、その時の勝負というのは」
「パネルクイズ、だね」
※
アテムが石舞台の上で駆ける。鋭く口笛を鳴らすと、彼と並走するように白馬が駆けてくる。他の馬は杭につないでいたのか、遅れている。
「ユーヤ! こちらだ! 乗れ!」
アテムが強引に手を引き、ユーヤはたたらを踏みながら追走。
半メーキほどの段差になっている部分に白馬が駆け付け、アテムが馬上に躍り上がる直後、左右から騎士たちに抱え上げられる。
「うわっ!?」
そのまま遠慮なく放り投げられ、どしんと馬上に。馬は手綱を打ち付ける前にすでに駆け出している。やや急な砂の坂をぐいぐい上る。
「ちょ、ちょっと危ない」
「舌を噛むぞ!」
前方に赤い影が飛び出る。どういう走り方をしているのか、砂をほとんど乱さずに駆けるのはベニクギ。一気に坂を上り切って先行する。
「アテムどの! 彼奴がそなたを人質にとる可能性がある! 後方にて控えられよ!」
「断る! 余はこの手でツチガマの捕縛を指揮せねばならぬ!」
後方からも騎士たちが駆けてきて、アテムを守るように左右に位置する。
「あ、アテム落ち着いて」
「ユーヤ、もう良いだろう、話してもらうぞ。いったい何が起きたのだ。なぜツチガマはいきなりラジオを取って自滅した」
アッバーザ遺跡には荷車や土嚢が置かれ、ショベルなど発掘の道具らしきものもあるけれど、人の姿はなかった。
それというのも飛行船での勝負のため、シュネスハプトに外出禁止令が出されているためだ。もし作業員で一杯なら危険なところだった。アテムはひそかに安堵する。
「……その話をするには、彼女がどういう人間かを知らねばならない」
「どういう人間……もともとは山賊だったらしいな。武力にて頭角を現し、ヤオガミ国主の前でベニクギと競った……」
「彼女はいわば、影の世界にいた人間だ。僕にはとても想像が及ばないが、おそらくは日の当たらぬ世界の住人。尊敬や称賛から遠い人物だった」
「……?」
「彼女の主観では、周りの人間も自分の強さが分からず、野卑で無粋な人間ばかりだった。だから称賛を求めてロニになろうとした」
相槌はない。
アテムの主観では、ユーヤの言うことがうまく浸透してこない。
あれだけの力がありながら称賛と無縁。剣の頂点たるロニを目指していながら尊敬が無かったというのは、信じられぬというよりも、何か非現実的な話に思える。
「彼女が求めていたのは勝利だ。勝利こそ有無を言わせず得られる称号。勝利を確信したい。勝利を実感させてくれる敗北者を目の前に置きたい。そして勝利する姿を大勢の人間に、できれば王族や権力者に見てほしい。それが彼女の願い」
「待て……それはツチガマのことなのか……? 誰のことを言っている……?」
「……いや、少し余計だった。僕の推測に過ぎないことだ。肝心なのは、なぜツチガマが勝負を受けたかだったね」
周囲は古代の街。
朽ち果てたタイル張りの壁は、彫刻で飾られた石の柱は、しかしどことなくモダンにも見える。様々な顔料で描かれた動物の絵。色鮮やかな鉛ガラスの窓。半円型だったり輪郭が波打っている出入り口。そして敷き詰められた石畳。
「一言で言えば、ツチガマは僕の作戦を読んだからだ」
「作戦?」
「そう、ラジオに入っている蝋読精は録音もできる。この場合、もっとも簡単な不正は録音を使うことだ」
「録音……なるほど、確かに可能やも知れぬ」
古代の街に騎士たちが散っていく。単独にならぬよう小隊を組み、さらに空港の方角から次々と集まってきている。遠くで飛行船が塔を離れ、こちらに船首を向ける様子も見える。
「過去の放送の録音を用意し、ヒントが読まれる前に取る。そして一撃必殺の勝利を収める」
「……ん?」
油断なく遺跡に眼を走らせながらも、アテムはふと疑問符を浮かべる。
それはまるで、先ほどツチガマがやったことではないか。
「ツチガマはそれ以外の不正についても考えただろう。だが「まだ見ぬあなたと」はどう見ても偶発的に選ばれたものだし、パルパシアまでの距離を考えれば伝書鳩での情報収集も間に合わない。だから録音しかないと判断した。そして自分なら、その裏をかけると」
「裏……」
「僕がラジオを取るより早く、それを手にし、正解を答える。誰一人有無を言わせぬ勝利だ。彼女はそれを望んだ」
「だが、仮にそんな作戦があって、見破ったとして……ツチガマはどうやって答える気なのだ……」
ベニクギは少し前を走っている。その鼻が空気の匂いをかぐようにひくつき、アテムと短く視線を交わしては方向転換してゆく。
「思い出してほしい。あのアルバギーズ・ショーの2回戦。僕達の観戦の場にツチガマが現れたとき」
「うむ……覚えているとも」
ユーヤが斬られかけた時だ、と言おうとしたが、この異世界人には何となく冗談にならない気がしたので黙っていた。
「あの時、彼女は僕の方を見て「セレノウのユーヤ」と呼んだ」
「うむ、覚えている」
「おかしいと思わないか。僕は彼女に背中を向けていた。そして最初の邂逅ではずぶ濡れだった。服もメイドが新しいのを用意してたし、髪型も違うのに」
「……?」
「彼女は、手で僕に気づいた」
言われて、しかしアテムにはまだ、その意味するところが分からない。誰しもの心に強く残る、この褐色の貴公子には想像もつかぬ世界の話。
「手……?」
「そう……僕は本来、印象に強く残るような人間じゃないんだ。特にあの時は余計な印象を与えないように静かにしていた。彼女は僕の手の微細な皺、指の長さ、皮膚の色、そんなものを見て僕と気づいたんだ。訓練によってできるものとも違う、彼女だけの能力」
「何を言っている……?」
「彼女は」
「完全記憶能力者、というものだ」
※
「記憶……?」
ベニクギが、夜のゴルミーズ宮にて疑問をつぶやく。
「ベニクギ、君との間で行われた雷問、パネルクイズだったんだろう? 大きく引き伸ばされた写真の一部を開放していって、何が写っているのか当てるクイズ」
「た、確かに」
ヤオガミはかつて妖精のいない土地だったが、今では定着している。銀写精を用いた写真もあるだろう。
ロニをめぐる勝負、純粋なクイズも予定されてはいたが、二人の人間がロニを争うという事態。そして侍からの注目度の高さもあり、そのような形式のクイズが選ばれた。
「ツチガマの解答は異常な速度でござった。城の写真ならその石垣の一部が、古筆の屏風ならばその縁取りの一部が見えた瞬間に押した」
「彼女にはそれだけで分かったんだ」
「ま、まさか、石垣の一部だけで城を当てるなど、高名な宮大工だろうと、専門の研究者だろうと……」
「僕の世界にも完全記憶者と呼ばれる人はたくさんいた。その能力はとても一言では言えず、個人個人で微妙に異なっていたし、研究者の間でも意見が分かれていた。だから彼女の能力については、その全てを推測として話す」
「……」
「この能力は主に映像記憶に現れると言われるが、彼女はおそらく見たもの、聞いたもの、五感に感じるすべてを記憶しておける人間だ。だが往々にして、多すぎる記憶は負担になる。だから彼女は人混みを避ける傾向がある。かと言って心を無にしておくわけにも行かない。だからラジオを聞くんだ。視覚情報は聴覚の5倍の情報量と言われるからね」
「……四六時中、ラジオを聞いている人間は珍しくはござらぬ」
「だがチャンネルを変えてる様子がない。クイズ番組を選んでないのは不自然だと思っていた。彼女は膨大な情報から身を守るためにラジオを聞いてたんだ」
――見たくないんじゃない、見られないんだ。
「あのツチガマが……」
「それは剣にも言える。ロニを争う戦いで君はツチガマに勝ったんだろう? だが先日のランズワン、あの雨中の戦いでは負けた」
「左様……」
「あれは君の動きを完全に記憶していたからだ。動きのパターンを記憶して次の動きを読めたから勝てた。一つ確認しておきたいんだが、彼女は刀の速度や、身のこなしの鋭さが増していただろうか?」
「いいや……違う」
あの一戦。ベニクギも何百回と思い起こしている。動きを読まれていた、となれば納得できる部分が大きい。
「そう……確かにツチガマの身体能力はさほど変わりなかったでござる。だから敗北は勝負に起こりうるまぎれ、運否天賦のことかと思っていた、でござる。……しばし待たれよ、ユーヤどの」
ベニクギは口元に拳を当て、深い熟考ののちに語る。
「……ではもしや、ツチガマがユーヤどのとの勝負を受けたのは」
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「そうだ」
ユーヤが答えを返すのはアテム王。
「ツチガマには自信があった。自分ならば「まだ見ぬあなたと」の過去のゲストを記憶していると。司会者のわずかな抑揚。間のとり方、声の調子。番組が始まるまでのCMの組み合わせ、人の顔を見分けるように、そんなわずかな差異から記憶を掘れると信じたんだ」
「そんなことが……まだクロナギどのは一分も話していなかったぞ。数多くの記憶の中から、ある特定の放送回を思い出せるというのか」
だけど、と、ユーヤもまた古代の都市に眼を凝らしながら言う。
「彼女にとって誤算があった。あれが録音じゃなかったことだ。正真正銘。今日の放送がラジオで流れただけだった」
「……」
「記憶能力者といっても、瞬時に記憶を掘れるわけじゃない。ツチガマは数秒考えて、この音声が自分の記憶にないと気づいた。だから激しく動揺したんだ」
「ユーヤ……そなた、それを観察だけで……」
「アテム王、こちらでござる」
ベニクギの声に応じて馬を回す。そこはまた掘り下がった構造。真っすぐに降りていく長大な坂道があり、ある場所からはアーチのような屋根がかぶさってくる。
「ここは……地下道?」
「水庭というものだ。この階段の奥にはかつてプールのような水場があった。大規模な井戸があったか、あるいは大河ユレネタゥから水を引いていたのだろう。シュネスハプトにも似たような場所がある」
「階段井戸というやつだね……僕の世界にもあった」
段差が1メーキある巨人の階段に、何ヶ所かの人間用の階段を掘ったような構造である。
平坦な部分を選んで白馬が跳躍する。連続する下りの跳躍を物ともしない。騎士たちは馬で降りられないのか、下馬して駆けてくる。
「じゃあ、河に通じる道があるのかも」
「1500年以上前の遺跡だぞ、あるはずがないが……それよりユーヤよ!」
階段を降りて最下層、そこはさらに巨大な横穴となって奥に通じている。ベニクギの影を追い、アテムがためらうことなく馬を進める。
「どうしたんだ、アテム」
「今の説明では半分だ!」
土は乾いてひび割れている。今は洞窟に見えるが本来は体育館のような建物であったらしく、崩れかけた天井からは光の柱と、さらさらと砂の柱も落ちてくる。
「その計画、ツチガマがラジオを奪うことが必須ではないか、それでは計画として不完全だ!」
「……」
「いや、それ以前になぜツチガマが勝負を受けたのか、余にも見えてきた。あやつは録音が使われるかどうかを見抜けるからだ!」
そこはおそろしく平坦で、かつ天井の高い地下空間。ひやりとした空気が肌に届く。潮の引いた遠浅のような、ほとんど気づかぬ程度の下り坂が何百メーキも続いている。
「剣士としての眼と瞬発力があれば、お前がラジオに手を出すかどうかは見抜ける! その動きが真か偽かもな! あの時、お前も本気でラジオを取りに行ったのだ! それをツチガマが後の先で奪った!」
「……その通り」
「つまり!」
視界の果て、ツチガマがこちらを向く。そこにベニクギが追いついている。
その濃緑の裳裾は砂と汗にまみれ、草鞋は泥にまみれ。
「……お前には答えが分かっていた。ゲストが誰なのか、ヒントが読み上げられる前に分かっていたのだ。そうであろう」
「……そうだよ、その通りだ」
そして東方の剣士は、あらゆるものを憎むような、悲しむような眼をしている。
どこにも行けず、何にも成れず終わろうとしている己に、耐えかねるかのように。




