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第三話



黄金の都、とも呼ばれるシュネスハプトは石造りの都であり、驚くほど大きな通りを馬車が、あるいは荷を山積みにしたラクダが行き交っている。


メイドのリトフェットは同じ馬車に乗り、何かと解説している。世界のことについて学び続けるのもユーヤの義務だった。


「シュネスハプトは人口45万人。シュネスでは最大の都市です。建物はナイアトビ地方から運ばれてくる石材によって作られております」

「すごいな、高層建築もあるし、ホールみたいな建物や、宗教建築みたいなものも……」

「シュネスでは古来より精霊や怪物への信仰も存在します。都市ごとに神殿は一種類なことが多いのですが、シュネスハプトではどのような宗教施設も許可されております」


馬車はいくつかの路地を横目に王宮に向かう。ある場所ではバザールが開かれ、ある場所には公園もあった。若者たちが何かの球技に興じている。

同乗しているコゥナが問いかける。


「これだけの人間がいるのに、水はどうしているのだ。水路を引いてるようには見えぬぞ」

「大河ユレネタゥからの水は地下水路にてシュネスハプトに引かれ、地下配管にて200ヶ所以上ある公共井戸に配られております。この上水道の総延長は400ダムミーキ、90年以上かけて作られたものです」


ユーヤが見たところ、公園は割とあちこちにある。樽を背負った労働者が樹の根本に水を撒き、花壇まで整備されている。


「外側は完全な砂漠だったのに、これだけの都市が……」


ユーヤは感心しきりという顔だった。ただ豊かというわけではない。多くの人によって丁寧に維持されている、という印象がある。石畳の道は数え切れないほどの補修の跡があった。

よく見れば建物には他国の建築様式のものもあり、長い歴史の中で、文化や技術を取り込んできたのだと感じられる。


馬車が大きく曲がり、他の馬車とすれ違う。コゥナは倒れかかってくるユーヤの肩を受け止めて言う。


「しかし大通りの割には曲がりくねってるな、十字都フォゾスパルの道はもっとまっすぐだぞ」

「……いや、これは僕の国にも見られるけど、おそらく大軍が一気に攻め込めないようにという」

「ユーヤ様、そろそろゴルミーズ王宮が見えます」


言われて、首を回して馭者の方を見る。見えてくるのは平たい山型をした巨大な城。一見して、ユーヤの知る古代の墳墓、砂漠の巨大な三角形を連想する。

それは横にかなり大きい。バルコニーの数を見ると七階建てであり、近づくほどに巨大な立像や、白や黄色のタイルで装飾された外観が見える。

しかし奇妙なことには、道の脇に人の列が出来ている。何百人もの人々が談笑しながら歩き、王宮の正門から中に入っていくのだ。外国人も多い。


「床面積においては世界最大の城です。一階部分は公共図書館や音楽堂などがあり、観光地としても人気です」

「そうなのか……」


王宮の観光地化。王がクイズ戦士として競いあう世界で、今さらその程度で驚くこともないだろう。


ユーヤたちの馬車はさすがに観光客とは違う入り口から入り、なだらかなスロープを登って王宮の上層へ。どちらかと言えばこっちの方に驚いた。内部に馬車がずらりと並ぶ様は、まるでデパートの駐車場のようだ。


そして最上部、人々の喧騒は遠くなり、空間に妖精の光がちらほらと舞い始める頃、ユーヤたちは馬車を降りた。








「バフムス?」

「そうじゃ」


時間は少し戻り、パルパシア双兎国の都にて。


ユーヤたちの馬車を見送りに出てきた双子が、特に注意すべきこととしてその名を伝える。


「シュネスに行くのはよいが、バフムスだけは味わってはいかんぞ」

「あれは恐ろしいものじゃ。滅多に手に入らんと聞くが、あの性格の悪いアテムのことじゃ、ユーヤを篭絡するために用意せぬとも限らん」

「どんな料理なんだ?」

「それは……」


双子は肩をくっつけてそれぞれ外側に目をそらし、口元を扇子で覆う。

そのうちになぜか眼はうるみ、息遣いが荒くなって、服をつかんで襟から風を入れ、火照る体を冷やさんとする。


「……と、とにかくダメじゃ、あれを経験すると二度とシュネスから出られなくなると言われておる」

「我らも交易品で一度だけ試したが、まさに魔性の逸品。しかも本場の極上ものとなれば……」

「……妙な薬じゃないだろうな」

「そういうわけではないが……とにかくバフムスだけはダメじゃぞ!」

「絶対ダメなんじゃからな! 絶対じゃぞ! 用を終えたらさっさとパルパシアに戻ってくるのじゃ!」

「……」







「バフムスというのはあるかな?」


忠告は忠告で聞くとして、それよりはクイズ戦士としての好奇心がまさる。


案内されたのは広間だった。まずは食事をとの誘いである。場の中央にはカーペットが敷かれ、料理の皿がいくつか並んでいる。

立ち働くのはこの国のメイドなのか、腰履きで裾の膨らんだズボンに胸を覆うビスチェ、口元を薄紫の布で隠した女性たちである。金の臍ピアスが眼にまぶしい。

男は黒の軽鎧を着て、手槍を構えて外周に待機している。


アテム王は少しくつろいだ格好になっていた。ガウンのようなゆったりした衣装に腰紐を締め、座卓の上にあぐらをかく。金の装飾も少し減らしている。


「ほう、バフムスか……あれはいつも手に入るとは限らぬからな。だが分かった、用意させよう」


ユーヤは少し考える。


(手に入る……料理というより特殊な食材なのかな? そういえば、双王も交易品だとか、本場の品だとか言ってたが)


詳しく質問することもできたが、どうも今日すぐ味わえるわけではなさそうだ。のちの楽しみとして胸に留めておくことにした。


カーペットを囲むのは三人のみ。円形に編まれた座卓の上に王が横並びになる。対面には使用人たちがいて給仕のために控えていた。中央にアテム、その右側にユーヤとコゥナという並びになる。

左側が不自然に空いていたが、特に気にはしなかった。


料理はもちろんパンだけではなく、豆とトマトを煮込んだ料理。香辛料をまぶしてオーブンで焼いた羊の肉。野菜をペースト状にした冷たいスープなどが出てくる。

ユーヤの印象としては家庭料理という風情である。王の食するものだけあって器やカーペットは最上のものだが、粗食を美徳とするというのは本当らしい。


「さて、普段の食事はこのようなものだが、客人がいることだ。ビジューシを開けよう、味わうといい」

「ビジューシ?」


運ばれてくるのはカボチャほどの大きさの壺、口の近くまで液体で満たされている。給仕の女性が近づく途端、強い潮の香りが届く。


「ビジューシか……父上がよく取り寄せていたが、コゥナ様には食べさせてくれなくてな。これが本場の品か」

「うむ、ビジューシは珍味として人気があるが、栄養価も評価されている。最近は生産に奨励金を出しているのだ」


取り出されるのは白くのっぺりとした塊、フグの白子を連想する。嗅覚に意識を絞れば非常に複雑な香りである。チーズのような、佃煮のような、形容しがたい香りだ。


「発酵食品なのか?」

「そうだ、シュネスの南方、ヒッツシュという町に塩水の湖がある。練った小麦粉をその湖の水につけて密封しておくと、発酵して膨らむのだ」

「嫌気発酵……? まさか、嫌気発酵させるパンが存在するなんて」

「コゥナ様が見たのはもっと黒かったぞ」

「発酵が進むと色が濃くなる。滋養は黒いもののほうがあるが、漬けて24時間から36時間のものが最も味がいい、それはシュネスでしか味わえぬ」


女給がそれを陶器のまな板に載せ、木製のナイフでそっと切り分けていく。ぬらりと切れる感じは生魚のようでもあり、出来立てのバターのようにも見える。むわっとするような塩気の混ざった香りが流れる。


ぺたり、ぺたりと青磁の皿に並べられる様子はまるで刺身のようだ。


「塩辛いものではない、食べてみるがいい」

「じゃあさっそく」


食べてみる。つるりと喉の奥に流れんとするのを舌で押さえれば、口腔内のあらゆる部分を押し返してくる官能の食感。軟体生物のような絶妙な固さと、鼻に抜ける塩の香りが五感を沸き立たせる。

ごくりと喉に落とせば、なまめかしい記憶が歯の根に残る。そしてやはり、パンの記憶を呼び覚ます小麦の味がある。


「これは……牡蠣に似てる」

「そうだ、ビジューシは牡蠣の代用品として食べられていた。今では食材として評価されているがな」


そして次々と運ばれてくるのは、同じような壺の数々。赤、灰色、黒などの液体で満たされている。


「タレに漬け込んで味を染み込ませることもできる。そちらの赤いものは辛いから気を付けるといい」


たまらず、次々と箸を伸ばす。醤油のようなアミノ酸のうまみ、豆乳を煮たようなまろやかな味、馴れずしのような酸味が強いものもあった。


「これはお酒に合いそうだな……」

「うぐ……妙な味だな。うまみがあるのは分かるが……」


コゥナは少し顔をしかめていた。まだ早い味だったようだ。


「ユーヤよ、これも試してみるがいい」


アテムが指を鳴らし、女官がうやうやしく差し出すのは黒い壺。

中にもやはり黒い液体、しかしそれはふつふつと小さな泡を放っている。


「これは……」


他の壺のせいか匂いは分からない。

だがその黒ずんだ液体にはどこか見覚えがある。過去には親しんでいたような。

取り出し、短冊状に切られたビジューシを箸でつまめば、ぷるぷると震える琥珀色。


口に運べば脳の奥で閃光がはじける。この風味には覚えがある。記憶の箱から中身があふれ出すような感覚。


「ビール!」

「そうだ、度数が高く、コクのある黒ビールに漬け込むと抜群に合う。この壺はビール選びから始めて余が漬けたものだ」

「こ、これはすごいな、苦みがうまく中和されて、ビールのコクだけが舌に残る。しかも噛み締めるごとに口の中が香りで満たされる」

「うう……気持ち悪い。赤いタレのやつは辛いし、灰色のはフナの内臓みたいな匂いする……」


コゥナの方は心が折れかけていた。

からんと箸を置き、片膝を立ててアテムをにらむ。


「アテム王よ、食事もいいがそろそろ用件の話をしたらどうだ」

「ふむ、そうだな」


アテムは指で背後の衛士を呼び、何事かを指示する。衛士は早足で退出した。


「だがその前に、ちょうどもう一組の客人が来ているのだ、食事が済んだら紹介しようと思っていた」

「アテムの客人など我々には……」


「ユーヤさーーーん!」


ばたばたと、白い衣装をはためかせて走る。

振り向かんとするユーヤに覆い被さるのは黒髪の童子。


「うわっ!?」


その顔は上半分が木製の面で隠され、同じく手足の長さを隠すためという長裾の服。

その人物は本来の名前も、性別すらも秘されているという、東方の神秘の国、ヤオガミの世継ぎ。


国主代理、ズシオウは口に満開の笑顔を乗せ、柳の枝のような細腕でユーヤにしがみつく。


「お久しぶりです。ラジオ聞きましたよ、パルパシアでも何かあったみたいですね。でもユーヤさんがご無事で何よりです。双王様に悪い遊びとか教わってないかと心配を」

「ず、ズシオウ、ちょっと離れて。食べ物とかあるから服が汚れる……」

「何やら数ヵ月ぶりの心地でござるな、ユーヤどの」


そして背後からゆらりと現れるのは緋色の裳裾。腰に刀を帯び、先端に向かうにつれて紅みを増す髪。

ロニと呼ばれる傭兵、ベニクギである。


ズシオウはがばりと顔を上げる。仮面の奥に見える眼は宝石のように輝いている。


「コゥナ様もお久しぶりです!」

「久しぶりというほどでもないだろう。ハイアードで別れてから、まださほど……」


瞬間。


コゥナのうぶ毛がさっと逆立つ。

何か、妙な気配が生まれた。


それはユーヤの気配だと気付いたが、彼本来の職能のためか、おそらく表情の変化はあったとしても一秒未満。


今は鉄壁のポーカーフェイスを貼り付け、何でもないような態度を見せている。


(ユーヤ……?)


今。

確かに、この奇妙な男は動揺した。


狼が罠の匂いを嗅ぎ付けるように、何かに気付き・・・・・・、何らかの不安な予感に戦慄したのだ。


「二人はどうしてシュネスに……」

「外遊の予定は前々からあったのでござる。ヤオガミでは国主の行動は国家機密ゆえ、明かせぬままでござったが」

「ユーヤさんに会えるなんてすごい偶然ですね。お暇ができたらお忍びで町に行きませんか。シュネスハプトは金細工の他にも織物が有名なんですよ。ハウキシと言って染め糸で編んだスカートとかが……」


ズシオウはわずかに九歳、性別すら定かでないとはしきたりのためだけでなく、まだ男でも女でもない中間性、何者でもない自由な少年時代の具現のような、そんな人物だった。


それがなぜ、ユーヤに戦慄を与えたのか。


コゥナにはまだ見えない。

このシュネスに何が起きているのか、ユーヤには何がどこまで見えているのか……。



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