第二十八話
「それが、このクイズの作戦のすべて」
真昼の陽光が差し込む管制塔。気難しそうな異世界人は暗鬱に語る。
「……ええと、つまり」
アテムが沈黙しているため、会話に空白が生まれている。脇にいたリトフェットが少し戸惑いの色を見せ、やや義務的に話を継ぐ。
「作戦の根幹とは、カイネル先王を追い詰めること……」
「その通りだ」
鉛を吐くようなユーヤの声。
「この飛行船追い抜きクイズは心技体を極限まで削る。このクイズについて予備知識がなく、また一人で戦ってるカイネル先王には厳しいはずだ。早押しにおいてメンタルが崩れた者は必ず負ける」
ユーヤは息も絶え絶え、という印象であった。言えば舌がただれるような話を、強烈な意志の力で語っている。
「本当はここまでしたくはなかった。カイネル先王と戦うつもりはなかったんだ。この国で地位も名誉も全て失ったあの人から、これ以上を奪うことは……」
「……ユーヤ様」
では、なぜこの勝負は生まれたのか。
リトフェットはつい昨日のことを思い出す。強烈な殺気に彩られた記憶。ユーヤが突然に乱心したかのような振る舞いを見せ、カイネルと、その契約者に挑みかかった一幕。
「では、あの時、ユーヤ様が勝負の枠組みを変えてまでカイネル先王に挑んだのは」
「そうだ」
その時、管制室の入り口からざわめきが。
黒衣の騎士たちを乱雑に押しのけ、入ってくるのは濃緑色の裳裾。
「ひ、ひ……」
昼日中であっても、その爬虫類のような印象は変わらない。
口が耳まで裂けるような笑み。こめかみに異常な注力が見える目つき。その足取りはゆらゆらと揺れていながら、誰も一歩たりとも動けない殺気が場に満ちる。
「……あの二人では、この怪物には勝てない、絶対に」
ユーヤは小声で言って話を打ち切り、ツチガマへと向き直る。
「ようやく来たのか、勝負の刻限まで15分ほどしかないぞ」
「ひ、ひ、1分前とて同じようなものじゃろう。今さら打ち合わせる事のあるでなし」
「……説明しておこう。そこに二つの木板がある。カイネルとコゥナたちの勝負の場とは、数千個の紫晶精を通じて接続されている。白の木板が上がればコゥナの勝利、もし黒の木板が上がれば」
ちゃり、という鍔鳴りの音。
「……!」
一瞬、さすがの異世界人も全身が緊張を示す。
抜いた瞬間だけが残像のように見える速さ。その異様な長さの刀が半円を描き、床に触れる刹那にまた背中に戻っている。
そして蛇をかたどった黒の木板が、音もなくずれてからんと落ちる。
「……何をするんだ」
「結果など不要じゃろう。ここまで足を運ばせて、わしと戦わずに勝負を終える気か、のお」
ツチガマは右手を伸ばし、鉄杭に繋がれた馬を示す。
「それより移動しようかのお。この場ではお前たちの手兵が多すぎる。全員を斬るのも骨じゃからなあ」
「……僕たちが負けを反故にするとでも言うのか。移動はしてもいいが、カイネル先王との勝負の結果が、まだ」
「は、あのような男、どうでもよかろう」
あざ笑うというより、ツチガマは早くこの場を離れたい風情であった。つま先で床をたんたんと叩く。
「王位を追われた隠居の身で、望みがちと太すぎるのう。それもこれもあの王子に感化されたがゆえ、気の迷いに過ぎぬわいのお」
「……あのハイアードの王子のことか」
「気に食わぬ男じゃったが眼は確かじゃったのお。あやつはわしの力をよう理解しおった。わしならばどの国の王とも対等に付き合えると見抜いておったよ。わしはこれから、わしに相応しき王族を探しに出る。カイネルとの契約ももう終わりじゃ。こんな寂れた国の内乱になど付き合えぬわ」
「……」
かのハイアードの王子。
彼を知るユーヤならば、この異形の剣士もまた、王子の魔性とも言える魅力、あの魔術にも似た弁舌に呑まれたとしか思えなかった。
彼は一体どのような術をかけるのか。
どんな大それた事でも自分なら成し遂げられる。国を動かすほどの事件すらも起こせる。彼と対峙した者はそんな確信を持たされてしまう。ユーヤは斜めに構えて言葉を探す。その間にもツチガマの床を踏み鳴らす音が大きくなる。
「さあ! はよう来ぬか、この近くにあるという、あの」
「どうでもいいだと」
声はユーヤの後方から響く。
はっと意識を向ければ、しゅらと響くのはサーベルが鞘走る音。
アテムが立ち上がりつつ腰のサーベルを抜き、鋼を打ち抜くような勢いでツチガマの眉間に突きつける。
「……!」
びいん、と振動する切っ先を眼前に、ツチガマは一瞬、何が起きたのか分からぬ顔をする。
「これは歴とした王族同士の決闘! 余はその立ち会いを務めている!」
その眼は火を吹くように怒りにたぎり、放たれる声は腹の底から重々しく響く。
「可能な限りすべてをこの眼に収め、確たる記録に残さねばならぬ! これは四千年の歴史を持つシュネス赤蛇国において、これからの数百年を左右しうる勝負の場である! 貴様ごときの勝手な判断でやり過ごしてよいものではない!」
「う……」
初めて、ユーヤはこの異国の剣士が気圧されるのを見た。
むろん、彼女が本気になればアテムの腕を斬り飛ばすことも可能だったであろうし、それが起きていても不思議はなかった。
だがツチガマは切っ先から逃れるようにわずかに身を引き、誰か止めるものはいないのかと周囲を見る。
周囲は足を揃えて立ちつくすのみ。ツチガマにはやや侮蔑の混ざった冷徹な視線が注がれる。
「そこの人」
ユーヤが、緊張の糸の隙間を縫って言う。それはこの空港の管制官の一人である。
「は……はい」
「これだけの空港なんだ、信号弾はあるだろう? 装甲飛行船も光の信号でやり取りしてるらしいし」
「ご、ございます。日中にては煙弾が用いられます」
「では、そこの白の木板が打ち上がったら信号弾を3つ。黒の木板も切断面を繋げばまだ動くかも知れない、そちらが打ち上がったら信号弾を6つ。壊れた可能性もあるから、12時25分までに何の信号もなければ、やはり6つ打ち上げてくれ」
「わ、分かりました」
そして、アテムの突き出したサーベルにそっと手を乗せる。
「アテム、さあ行こう。移動するだけだ」
「……うむ」
アテムはサーベルを収め、ツチガマには眼もくれずにその横を抜ける。
「それで、どこへ移動するんだ」
「……あっちじゃ。静かな場所がええじゃろ」
ツチガマは、まだ周囲の空気を読むかのように慎重な動きを見せて。
やがて、大きな管制塔の窓から一点を示す。
「……アッバーザ遺跡、よ」
※
――問題、トラクカマル峡谷遺跡にのみ見られる、色素を谷/底に
ぴんぽん
「雫絵!」
ズシオウが答える。しかしポイントは夜猫側に入った。夜闇が迫るように脇を追い抜いていく。
「さすがはカイネル様です……。調子が落ちてるのは明らかですが、なかなか引き離せない……」
ズシオウが畏敬の声を漏らし、コゥナは窓から前方を見つつ叫ぶ。
「あと何分だ!」
「二分を切っております! 制限時間になれば双方が信号弾を打ちます!」
コゥナとズシオウも体力をかなり奪われている。揺れる飛行船で踏ん張っているだけでも疲労があり、さらに追い抜き、追い抜かれる際のプレッシャーが形容しがたい消耗をもたらしている。
「ズシオウ! 約3ダムミーキ先から指標柱が異様に多いぞ! しかも船が速度を増している!」
その速度は船内にも異常として伝わっているのか、クイズに関わっているのとは別の乗組員たちが何かを叫び交わす。
「どうした!」
「船速が時速140ダムミーキを超えております! 異常です! これほどの強風になるはずがないのです!」
「何……」
――問題、ラウ=カンとヤオガミの双方で見つかり、その形/状から
ぴんぽん
「蛙壷です!」
太陽鳥側のポイント、赤が黒を追い抜いていく。
「ねじれが起きるかも……」
誰かがそう呟き、船員たちがハッと顔を上げる。
「どうした?」
「危険な風が……ねじれ風が発生する可能性があります」
「それは何だ!」
赤と黒がすれ違い、船体のあらゆる場所がきしむ。その中でひときわ高齢の、ベテランの船員が大声で言う。
「商人の道とは筒ではなく、ひとかたまりの「空気の行列」だと言われております。何らかの理由でその一部分だけが速くなるとき、前の風を追い抜こうとします。その時、このように……」
船員は両方の手を手刀の形にして、右手を左手に重ねるように動かす。その時、指先が左手の手首の周りを一周するように動く。
「前の風に外周からねじり込むように混ざり、きりもみ回転の動きが起きるのです。この挙動はほんの一瞬だけですが、もし巻き込まれたら……」
「バラバラになるのか?」
「いえ、船体は耐えられるはずです。乗員も訓練を受けておりますから大丈夫でしょう。しかしお二方は……」
――問題、月の遺跡といわれるアラディナード遺跡群を発見/した
ぴんぽん
「ロビ・パルパシア!」
太陽鳥側の正解。そしてズシオウが言う。
「コゥナさん、コゥナさんが決めてください!」
「……そこの者」
と、風について伝えたベテランの船員を指す。
「はい」
「もし夜猫が風の道から離脱しようとしたら、こちらもすぐに離脱しろ」
船員はコゥナの眼を正面から見て、そして決然とうなずくと、展望デッキ全体に轟く声を放つ。
「総員、防御姿勢! 機関主任に伝達! 緊急降下の用意を!」
「なんという数だ……!」
コゥナの視界にも異変が起こる。森のような緑の林立。
その地点こそは古代よりの交通の要であり、主要な4つの隊商路が重なり合うポイント。
その時、その場にいた数十頭のラクダが、荷車を駆る商人たちが、西方からの影に気づいて空を見上げる。
――問題、シュネス歴512年、ターランの戦いにおいて猛将ヤンブラ/イズを
ぴんぽん
「ダンナンテです!」
ズシオウの正解。そしていよいよ林立する柱の森が。
迫る。
「……制限時間いっぱいのこのタイミング。滅多にない風の挙動。あの指標柱の数。これが偶然だと言うのか」
コゥナが息を呑み。
その風に。
外周の全てを取り巻く窓に、そこを流れる目に見えぬ激流に。
何かが。
「……?」
それは数万匹の群れを作る銀鱗の魚か、あるいは野を埋め尽くす蟻の大群か。
目に見えぬ何かが大量に、船体に張り付き、酷薄に笑うかのような感覚が。
「まさか、妖……」
そして。
船体がねじれる。
重力が横倒しになり、視界が360度回転する。
「ぐうっ!?」
体が床に張り付く。観葉植物が、いくつかの椅子が横向きの力を受けて床から剥がれる。人が大きく飛ぶ。
遠くで、何かが破滅的な音を立てて船体から剥ぎ取られる。
――問題。本日/銀靴座の
脳が撹拌されるような感覚。しがみつく腕がほどけてコゥナの体が飛びかける瞬間、船員の一人が腕を掴む。
そして視界は水平に、船体底部の重りによって急停止を見せ。
展望デッキの中央には。
両足で床を踏みしめ、直立する白装束の姿が。
「パールナック遺跡です!!」
そして――。
「正解! こちらのポイントです!!」
全員が。
今のきりもみ挙動にて全身を打った者も、腕を脱臼した者も、一瞬だけ全てを忘れるような歓声が打ち上がる。
問題の全容は以下の通り。
問、本日、銀靴座の14日は真珠の日ですが、この日に発見されたことからその名がつけられた、シュネス七大遺跡の一つと言えば何?
解、パールナック遺跡
「記念日問題……ユーヤさんの予想通りでした。まさか最後の最後に出るなんて……」
「ズシオウ! おまえ今の回転の中で押したのか!?」
「はい、船の上で戦うための特別な立ち方です。これも本当は使えるとこ見せたらダメなんですけど……」
そして制限時間を告げる信号弾。二隻の飛行船が語り合うように打ち合う。
世界で二隻だけの装甲飛行船、それが並び飛ぶ姿に何かを感じ取ったのか、遥か下方ではキャラバンの商人たちも手を振っていた。
この戦いを目撃した多くの人々は、様々な推測とともにその様子を語り合うのだろう。
コゥナがはっと目を開く。
「夜猫はどうなった!? 今の風に耐えられたのか!」
「大丈夫です。こちらがねじれ風に飲まれるのを見て、逆方向に舵を切りました」
後方を見れば、信号弾を次から次と撃つ黒い飛行船。少なくとも外見では無事に思える。
「舵によって渦を相殺することで耐えたようです。向こうの船長も優秀ですからな」
「そうか……良かった」
そして双方の飛行船は舵を下方に切り、前傾姿勢となって下降していく。
「あとは頼むぞ……ユーヤよ」




