第二十二話
※
シュネスハプトの黄金の屋根、ゴルミーズ宮は夕映えの残照を受け、いっそう美しく輝く。人々は一日の仕事を終えて帰宅の途につくか、あるいは歓楽街へ繰り出すかという頃。
宮殿には激震が走っていた。
「不可能という言葉を二度と口にするな」
アテム王は国の重鎮らを前にし、その手に短剣でも握るかのような凄味を出して言う。
長い卓を囲い、居並ぶのは文官に武官。有力貴族と貴族籍を持つ富豪。民間の運輸会社の重役にラジオ局の代表。大学から喚んだ科学者や歴史学者などもいる。二時間足らずでかき集めたにしては各分野での最高の人材ばかり、さすがは王の威光と言うべきか。
あるいはシュネスという国が緊張状態にあって、王政府の権限が強かったためか。
彼らに告げられたのは先王カイネルとの決闘。そして世界でも例のない飛行船追い抜きクイズについてである。
「し、しかし、風の道で飛行船を追い抜くことは危険なため、法律で禁じられております……」
「承知の上だ。最悪の場合、「太陽鳥」と「夜猫」が航行不能になっても構わん。内部の人員の安全策も含めて協議せよ」
下は30そこそこから上は85まで、誰一人としてアテムより年下はおらぬが、その全員が王の言葉に冷や汗をかく。
彼らには妖精の鏡のこと、そしてセレノウのユーヤのことは伏せられていた。しかしこの一戦が先王カイネルとの確執に決着をつけるものであり、先日の脅迫騒ぎとも関連するとなれば、やはり国の一大事には違いない。誰一人として王の言葉を軽んじることはできない。
そして何より、この時のアテムはいつもより腰の座った印象があった。王位継承が早かったこともあり、相応の威厳を身につけるのは時を置いてからという見方が強かったが、今は居並ぶ大物たちの前にあって、それらを食ってかからんとする胆力があった。
「……商人の風をコースとするならば、シュネスハプトの北方を横切る形になりますな」
「うむ、レヴァイデル教授、商人の風について述べよ」
「高度200メーキ前後を東向きに、500メーキ付近では西向きに流れる風です。過去の計測によれば幅はおよそ200メーキほど。速度はおおよそ80から90ダムミーキ毎時。日によって変わります」
「追い抜きは可能か?」
学者は口を開いては閉じて、なんとか不可能、以外の言葉を出そうとする。
それとは別の学者が手を挙げる。
「陛下。強い風に乗っている飛行船が並列になるとき、互いに引き寄せられるような力が生まれます。これはボートなどにも見られる挙動です」
「接触の危険があると言いたいのか」
「ですので、片方の飛行船が風の道を出るのはどうでしょうか。比較的安全にすれ違えるはずです」
「駄目だ。それでは追い抜きとは言えぬ。それに風の道の速度を考慮すれば、一度道を出れば数百メーキの差がつく。クイズはおおよそ20分で行うのだ、悠長なことはできぬ」
重鎮たちは顔を見合わせる。
「風の道の中で追い抜くのだ。可能なのか」
「こ、後方にいる飛行船が左右の方向舵を展開し、急加速を得る方法なら、なんとか可能かと」
「よし、検討しろ。必要なら方向舵や装甲の増設も行え。動ける技師をすべて動員しろ。それと夜猫の接収はできたか」
「積み荷が……ハイアードへの急ぎの荷を抱えているとかで、荷主が渋っております」
「構わん、逆らうならば……」
アテムは少し考える。
手段を選ばないつもりであったし、必要とあれば兵士を動かすことも、関係者を投獄することも辞さないつもりだったが。
本当に手段を選ばないなら、もっとやりようはあるものだ。と思い至る。
「積み荷はなんだ」
「サザナのヤシ油。レビ湖の真珠。ハイアンガラの樹皮などです」
「荷はすべてこちらで買い上げる。相場の倍額でな。同時にローバラッド社のハイアード支社に手紙を出し、注文と同じ荷を届けさせろ。すべては余の個人資産から予算を計上する」
ざわめきが部屋いっぱいに広がる。
どうやら事態は今まさに動いており、前代未聞の飛行船追い抜きクイズは本当に実現するのだと、段々と気付く者が増え始める。
「へ、陛下。では問題の読み上げはどういたしましょうか。一つの飛行船に一組ずつしか乗らないのですよね……」
「うむ、司会者はどちらかの船に乗せるとして……拡声の妖精を使って何とかできぬか」
「無理……い、いえ、商人の風の風はことさら強くありますれば、風の唸りによって聞こえなくなるかと」
「それに、音の伝播には速度というものがございます。二つの飛行船は少なくとも50メーキ以上離れる必要があり、解答者同士はさらに離れています。問題の届く時間に差が生まれます」
若い学者がそう進言するが、それは否定的なニュアンスを込めていなかった。事態の解決を目指すための問題提起、そのような空気が少しずつ生まれており、重鎮たちの間で議論が交わされる。
「ニュア大臣、ラジオを使うのはどうだろうか。解答者たちの脇にラジオを置けばよいのだ」
「その場にいなくては司会進行ができぬぞ……。司会とは別に、国営放送でひたすら問題を読み上げ続けるか? しかし追い抜きなどを考えると……」
「国営放送を使うとなると国民に周知する時間が足りない。さらに他国にも勝負のことが漏れてしまいますが」
「国王陛下」
末席の方にいた文官が手を上げる。
「なんだ」
「七彩謡精を新たに喚んではいかがでしょう」
「な……!」
周囲の大臣たちが血相を変える。
「司会者はどちらかの船に七彩謡精とともに乗り込むのです。正誤の判定については、あらかじめ両方の船に問題の一覧を持ったスタッフが乗り込み、判定を行います。結果は光信号を飛ばすなどして伝達できます」
「いかん! 七彩謡精を呼ぶには「籠いっぱいの宝石」が必要なのだぞ! 50億ディスケット相当という額だ! 度を超えている!」
「うむ……いよいよとなれば検討には値する」
「国王! しかし!!」
「ラウ=カンだ」
一人の老人が発言する。長らく外交の重役を務めてきた大物である。アテムも敬意を払いつつ問いかける。
「センザ老、ラウ=カンがどうしたと言われるのか」
「ラウ=カンは来年、新たに国営のラジオ局を持つ予定だと聞いております。まだ内定の段階ですがな。あるいは七彩謡精を欲するかも知れませぬ」
「なるほど……そちらに売却できる可能性があるのか」
「国王、しかし売却となればかなり目減りするおそれが……」
「すぐラウ=カンの大使を呼べ。それと売却までの間に七彩謡精に利用価値がないか検討しろ。研究目的では引っ張りだこのはずだ。呼び出しの準備も進める。王室にある宝石で足りるか計上しろ」
窓を一瞥する。いつの間にか日が暮れようとしている。
ここまでの会議で検討した事項は20あまり。この直後よりアテム王は何人かの有力者と面会せねばならぬし、作成させている勅書に署名したり、飛行船のドックにも行かねばならぬ。ユーヤの様子も見ておきたいし、普段の政務とて休むことは出来ない。
ここが正念場と、内心で気を張る。
「よし……これで大まかな検討はできたな、細かな詰めを……」
「あの」
一人、手を挙げる者がいる。
そういえば、その人物は最初の方から何度か発言を求めていた気がする。他の強面たちの影に埋もれていたようだ。
「なんだ」
「その……すでにご確認の事でしたら申し訳ないのですが。解答は、その、早押しで行うのですよね」
「そうだが、それがどうした」
「紫晶精で、でしょうか?」
「そうなるな」
上目遣いで細かく確認するような言い方に少し苛つきながら、話の先を促す。
「それがどうしたのだ」
「あれは有効範囲が20メーキなのですが……」
一瞬、すべての音が消える。
全員が固まり、天使がゆっくりと頭上を通る。
「……何だと?」
「え、ええと、ボタンが押されたとき、他の紫晶精が作動しなくなるのです。これにより最初に押したのが誰かの判定ができるのですが、20メーキ以上離れると、この効果が失われます」
「レビ大臣、そうなのか」
「確かにそうですが……中継を挟めば良いのです。例えば20メーキおきに紫晶精がずらりと並んでいる場合、早押しの効果は全てのボタンに現れます」
それもそうだ。
先日、ハイアードで行われた百人早押しクイズ、あれは端から端の距離は30メーキ以上あったはずだ。
「そうだな、中継点を作ればよいのだ。船にもあちこちに紫晶精を置いておけ、ば……」
――50メーキ以上離れて飛行する。
会議のどこかで出た言葉が、巨大な牛となって卓上に落ちる。
「……ジェスコー長官。飛行中、飛行船の距離を20メーキ以内に保てるか」
「……いえ、無理です。その事だけは航空局長官として断言させていただきます。それは飛行船の世界では接触と同義です」
「……近付きすぎると、飛行船同士がくっつくような力が働く……だったな」
「たるんだロープで船体を結ぶのはどうだ、そのロープに紫晶精を……」
「いや、風の道でそんなロープを使うと操船に支障が……」
「長い竿でも付けるか、何本か折れても……」
「接触の危険度は変わらん、それに竿では風に耐えられるかどうか……」
あちこちで話し合いが交わされるものの、なかなか妙案は生まれそうにない。
どこかから夜を告げる鳥の声。
いよいよもって会議は混迷を極めつつあった。
※
「今のコゥナの押しは確定ポイントじゃないだろ」
テーブルの上に二つの早押しボタン。紫晶精と呼ばれる妖精が姿を変えたものだ。
問われたリトフェットはうなずく。
「そうですね。ジョッカ古壁は/主に何を防ぐためのもの。兎害で正解ですが、読まれたところまでだと「シャンカウラ王」ですとか、「マーセルウサギ」が答えになるかも知れません」
「ジョッカ古壁といえば兎害だぞ」
「……うん、そうだね。確定まで聞いてから押してもいいけど、連想できたなら押してみるのも悪くない、その呼吸は覚えててくれ」
ユーヤは懐中時計を見る。シュネスの人々の好みだという金無垢の時計。これで時間を見るのも慣れてきた。
時刻は夜中の10時ごろ。
「二人ともそろそろ眠ろうか。帰ってからずっとぶっ通しで疲れただろう?」
「コゥナ様はまだ行けるが……ズシオウはどうだ」
「大丈夫ですよ」
二人は強気な様子だが、ユーヤはかぶりを振る。
「いや、寝ておくべきだ。睡眠は体調に直結するからね。できるかぎり十分な睡眠を取るべきだ」
その発言に二人は半目になるが、ユーヤにはその意図がよく分からない。
「? ええと、とにかく眠ったほうがいい」
「わかりました。じゃあ明日もよろしくお願いします」
「そこの者、コゥナ様は寝る前に湯浴みをするぞ。シュネス名物の銀泥湯に入ってみたい」
「ご用意しております。こちらへ」
コゥナはシュネス側のメイドに案内されて出ていく。ズシオウも少し肩が凝った様子で首を動かし、出ていかんとする。
「ズシオウ、そういえばベニクギは?」
「瞑想に入るとか言ってましたよ。向こうのテラスにいるそうです」
「瞑想……」
「行ってみますか?」
そこは王宮の屋根からヒサシのように突き出たテラスであり、鏡のように磨かれた板張り。そこに燭台と蝋燭が持ち込まれている。夜風はゆるやかであり、炎はまっすぐな涙滴型を描く。
ベニクギはその中央に立って、眼を閉じて脱力。炎に照らされて緋袴はいっそう赤らんで見える。
「周明架の瞑想ですね。過去と対話するためのものです」
「炎による自己催眠だね……僕の世界にも似たようなのはあるよ」
ベニクギの上半身がゆっくりと揺れ、よく見れば足袋に覆われた親指に力が込められている。指はわずかに開いてわななくように動き、そして肘がぴくりと動いて。
灯火が揺らぎ、風斬りの音が響くかに思えて。
突如、赤の傭兵は膝から崩れ、がくりと前のめりに倒れる。
「! ベニクギ……」
ユーヤが言い、そこでベニクギは身を起こして二人を見る。瞑想中とはいえ、ベニクギがユーヤたちに気づいてなかったわけもないだろう。
「ズシオウ様……お恥ずかしいところを」
「ベニクギ、もしかしてツチガマとの戦いを想像していましたか」
「……左様にござる」
今の一瞬。ユーヤも確かに幻視した。
背後に回る巨大な蝦蟇のような姿。それに反応して振り向きざま斬りかかるベニクギ。そして、その脇腹を薙ぎ払う長刃を。
「ベニクギ、もはや勝負は私とコゥナさん、そしてユーヤさんが引き継いでいます。あなたが戦う理由はありません」
「念のため、にござる。いざという時にズシオウ様を守るのも我が役目……」
「……ツチガマに勝てぬのなら、むしろ戦わぬ方がよいでしょう」
ユーヤはズシオウの背に眼をやる。かなり突き放した発言に思えたためだ。
「我々の護衛はシュネスの兵が行ってくれます。むしろ貴方がいてはツチガマを無用に刺激してしまう。勝てる確証が持てぬなら、明日はこのゴルミーズ宮に閉息していなさい」
「……面目次第もありませぬ」
「私は就寝いたします。案内は無用です」
ズシオウは背を向け、光の漏れる王宮の回廊へと戻っていく。
夜天にはユーヤとベニクギ。砂漠の夜にあって、だんだんと大気から熱が奪われ、足元に夜露が這い寄るかに思える。
「……珍しいな、ズシオウがあんなにハッキリ言うなんて」
「不興を買ってしまったようでござる」
ベニクギは正座の姿勢となり、深く項垂れて言う。
「それも当然にござろう。拙者はロニたる役目を果たせておらぬ。一つの時代に一人だけの卓抜たる剣士、それがロニの称号なら、拙者はそれには相応しくない」
「ベニクギ、ズシオウは君を心配してるんだよ。一度は間違いなく生死の境目にいたんだ。妖精の治療を受けたからって、万全とは限らないし」
「ユーヤどの」
ベニクギは両手を広げて斜め前に手をつき、暗がりの中でユーヤを見上げる。
「どうかご教授願いたい。ツチガマをどのようにして理解したのでござるか。あの生まれついての無頼を、我流の極みである異形の存在を」
「……」
「知剣合一。という言葉がござる。剣の冴えが雷問に通じるならば、クイズの奥義もまた剣に通じる。ユーヤどのはツチガマにクイズで勝てると言われた。ならばその奥義は、我が剣にも通じるのではと愚考いたす所存」
ベニクギは真剣そのものであり、藁にもすがるという風ではない。
それは確信であった。この世には己の知らぬ技術の世界があり、ユーヤはそこで生きている男なのだと。達人ゆえに至る形での理解であろうか。
「……参考になるか分からないけど、一つだけ、君にしてあげられる話がある」
「おお、それはいかなる……」
「ただ、代わりに僕の頼みも聞いてくれないか」
「承知したでござる。どのようなことでも」
「じゃあ……」
長い沈黙を挟んで、セレノウのユーヤは口を開く。
「体を……見せてくれないか」




