第二十話
「飛行船……だと?」
カイネルが言葉の意味を受け止めかねて問い返す。
「シュネスには装甲飛行船が二つある。一番艦の「太陽鳥」と、二番艦の「夜猫」だ。ガガナウルを取り巻く強風にも耐え、世界を股にかける船と聞いている」
「……その通り、だが」
「そしてシュネスハプトの近くには風の道がある。一年を通して安定して吹き続け、しかも異なる高さで東向き、西向きの二つの風が吹いている。シュネスで飛行船が交通手段として確立しているのは、このような風の道があるからだ」
「……勿論知っているとも。それが何だ」
カイネルは眼の前の男を眼をすがめて見る。油断のなさと、己の心情を外に出すまいとする構え。それは生来的なものだろうか。
「その飛行船と風の道を使う。時間はおおよそ20分。次から次と問題を出すタイムレース形式だ。シュネスハプトを横切るようなコースを設定し、二つの飛行船にそれぞれ乗り込む。飛行船は縦列状態で飛行し、正解した方はポイントを獲得するとともに、前の飛行船を追い抜く」
「追い抜く……!?」
「そして」
一気に言い切る必要があるのか、誰かが口を開くのを制するように腹筋から声を出す。
「ポイントとは古代の柱。指標柱とか竜の爪とか呼ばれるものだが、問題が読み上げられる直前を区切りとし、二つの区切りの間に通り過ぎた柱の数がポイントとなる。このルールを提案する」
カイネルは説明を頭で反復し、その突拍子のなさに固まるとともに、その眼が左右に泳ぎだす。
なぜ、誰も何も言わないのか。
ツチガマはともかく、アテムは。
周囲にいるアテム側の侍従たちはなぜ異を唱えないのか。
まさか、本当にそんな勝負が実現すると思っているのか。
「な……何を言っているのだ、貴様は」
ようやく、それだけを返す。心臓が鼓動を早め、酸素が薄くなっていく錯覚。
「そのようなことに何の意味がある! だいたい夜猫は民間の商用航路に使われてる船だ! 勝負になど使えるはずが」
「接収する」
背後からアテムが言う。落ち着き払って足を組み、頬杖をついているが、誰も気づかぬ程度にわずかに冷や汗をかいている。
「世界初の形式だが、準備はすべて整えよう。明日、そこのツチガマとユーヤとでの勝負を行うなら、タイムレースはそれまでに終わるのが良かろう。「まだ見ぬあなたと」の放送開始が昼の一時だから、タイムレースは12時半にスタートとしよう」
「正気かアテム! だいたいなぜ追い抜きなどする必要がある!」
「追い抜きには時間がかかる。何度も起きれば出題数に変化があるだろう。指標柱を点数の基準とするのもなかなか面白い。問題ごとに得点が大きく変わるわけだな。やってみるにやぶさかではない」
「馬鹿な……そんなことが」
「さあ、カイネル先王」
ユーヤはさらに一歩進み出て、カイネルの前で腕を広げる。
「賭けの上乗せを持ちかけたのはこちらだ。だからタイムレースの形式は維持するし、こちらの選手もコゥナとズシオウのままでいいが、そちらもいくつかの項目で決定権を持つべきだろう。まずカイネル先王、あなたが選手として出ることを承諾する。そして」
ユーヤの言葉は不思議な連続性を持っていた。多くのことを説明しながら、その全てが一つのセンテンスとして連続しているようにも聞こえる。ある部分についてだけ承諾したり反駁したりといったことができず、全体を呑むしかないような錯覚を起こさせる。
ユーヤはそのような技術を舌に乗せつつ言う。
「ジャンルもあなたが決めたらいい。例えば、すべての問題を歴史ジャンルにする、とか」
「なっ……」
その場の何人が、そのような呟きを漏らしたのか。
「何かの縁だ、問題はアルバギーズ・ショーから提供させればいい。ついでにあの司会者にも手伝ってもらうか。それなら公平にやれるだろう。アテム、ランズワン・ムービーズに使いの者を出してくれ」
「……承知した」
「ま、待て!」
叫ぶように言う。
言葉が通じない国に来たような混乱。常識が書き換えられていくような震え。おそらくはカイネルだけではないだろう。
「し、承諾できぬ。そのような勝負など」
「カイネル」
それにはアテムが応じる。
「覚悟を決めろ。そなたは余の父祖であり、かつてシュネスを率いた王であろう。これに勝てばお前は二つの鏡を手にする。望み通りシュネスの考古学と、多宗教化は大きく後退する。これだけのものが賭けの皿に乗るなど、シュネスの歴史においても二度はないと断言できる。これを受けぬつもりか。しかも、お前の最も得意とする歴史ジャンルでの勝負なのだぞ」
「……は、話がうますぎる。何か罠があるに決まっている」
「勿論あるとも」
アテムはユーヤを一瞥し、その異世界人が口を挟まないのを確認してから続ける。
「このユーヤはセレノウからの客人であり、唯一無二の頭脳を持つ策略家。正直なところ余にも想像がつかぬが、きっと何か罠があるのだろう。だがそれでもお前は受けるべきだ。歴史ジャンルにおいて敗北を知らぬお前がこの戦いから逃げて、それで部下が今後もついてくると思うのか。目的を遂げるために戦い続けられると思うのか」
「う、ぐ……」
窓の外から雑踏が聞こえる。
カイネルを囃し立てるような、勝負の熱が場に満ちるような感覚。
「だ、だめだ。アルバギーズ・ショーはすでに始まっているのだ。我々の意思で民間の撮影を止めるなど」
「はっ」
ツチガマが笑い、そして開け放たれていた窓に足をかけ、一気に隣家の屋根まで飛ぶ。
「む、ツチガマ! どこへ」
「待てベニクギ! そなたはここにいて我々を守れ!」
アテムが鋭く言い、ベニクギはきゅっと草履を鳴らして踏みとどまる。
それはすぐに起きた。屋根づたいに跳躍して広場に降り立ったツチガマ。周囲の観光客が何事かとそちらを向き、何人かは銀写精を構える瞬間。その背から刀を抜き放つ。
紫電一閃。
抜き放つそばでオープンセットの一角、無人の時計塔がぎしりとかしぎ、上半分が滑り落ちながら倒れかかってくるような眺め、ものの見事に広場の対角線にそって倒れる。
打ち上がる悲鳴、もうもうたる砂塵。その中から黒い影が飛び出し、また別の場所で悲鳴と轟音が。
観戦場所を囲むように目立った建物が倒れ、粉塵が打ち上がって建物の隙間を吹き抜ける。
そして何度目かの倒壊音のあと、ツチガマが窓から飛び込んでくる。
「ひ、ひ、これで撮影どころではないのう」
「貴様……! なんということを!」
「死人は出しておらぬわ。お前が煮えきらぬのが悪いのよ。ひ、ひひ。そもそもすべてお前の望みから始まったことじゃろう。一問もクイズに答えぬまま人任せにする気か、のお」
「すぐに人をやれ、怪我人がいないかどうか調べよ」
「はい」
アテムの指示で背後の部下たちが散っていく。アテムはカイネルを鋭く睨む、それにより浮き足立つ感情を抑えんとする。
「勝負を受けろカイネル。もはやお前が何を言おうと止められぬ。そこのツチガマも、こちら側の誰も、一人の意思で止められる勝負ではなくなっている。クイズが坂を転がりだしているのだ」
「う、ぐ……」
カイネルはまだ抗おうとしている。
最終的には勝負から逃れられないことを感じつつも、それが自分の生き方であると主張するかのように、ぎりぎりまで勝負から遠ざかろうとしている。
「カイネル先王」
ユーヤの声、その乱れた意識に芯を通すかのように、言葉が耳に忍び入る。
「カイネル先王、これは世界で初めてのクイズだ。その設営から勝負の様子まで、すべて記録に残す。きっと大陸の歴史において、そして貴方の人生にとっても重要な意味を持つ勝負となる。受ける価値はあるはずだ」
「う、む……」
そしてカイネルは項垂れて。
何かとても大きな時間を振り返るように長く沈黙したあと。
観念したように、その一言を呟いた。
「……わかった」
※
「整理しよう……」
修理を終えたばかりの太陽鳥、その中は閑散としている。
連れてきた騎士のほとんどをランズワンに残し、破壊された建物の片付けにあたらせているためだ。反政府派のテロだと告知するつもりだが、事態がどの程度まで市民に知られるのか、それすら予想がつかない。
わずかな使用人と、王たちだけを集めて、アテムは頭痛に顔をしかめるような様子である。
「コゥナ姫とズシオウどの。そなたたちの相手はカイネルに変わった。飛行船追い抜きタイムレース、その形式で行う」
「街が急に大騒ぎになったぞ、何事かと思った」
「ベニクギ、ゴルミーズ宮で待てと言ったはずでしょう。体は大丈夫なんですか?」
「申し訳ござらぬ。妖精の治療は完了しましたゆえ、もはやかさぶた一つござらぬ。ご案じめされぬよう」
そのような事態の急変は初めてではない、というように王たちは落ち着いている。ひょっとすると自分はまだユーヤという男に慣れていないのか、と思いつつ言葉を続ける。
「賭けているものの確認だが、カイネルが勝てばアッバーザ遺跡の埋め戻し、そして二つの鏡を手にすることになる。対して我々が勝てば、いま向こうにあるヤオガミの鏡が戻ってくる。そしてカイネルの捕縛。それと、シュネスの混乱に関係する情報提供……これはそもそも意味がないのだろう? セレノウのユーヤよ」
「そうだ、勝負に乗せるために言ったこと」
ユーヤは少し離れた場所にいて、メイドたちとずっと何かを話し合っている。しかしこちらの話は聞こえているようだ。それもユーヤの技術だろうか。
「勝負の内容は……明日の12時半より今言った飛行船タイムレース、1時よりユーヤとツチガマによる、「まだ見ぬあなたと」のゲスト当てクイズ、か」
「ゲスト当てって毎回あるんでしたっけ? あまり聴いてなくて」
「ごく稀に無いこともある……他には緊急報道などで放送時間がずれたり、休止した場合だが、まあ気にしても仕方ないな。放送内容を確認しようにもパルパシアの番組だ。今から鳩を飛ばしても間に合わん」
アテムは先ほどの一幕を何度か思い出している。
カイネルと戦うのはコゥナとズシオウの二人組、ということを自然に呑ませたが、これは意図的だろう。この二人でなくてはいけない理由があるのか。
カイネルにとってはそれは問題にするような部分でもなかったのだろう。彼も混乱してたのは確かだが、二対一が意味を持つような実力差でないことは明らかだ。
「ズシオウどの、コゥナ姫、歴史についてはどのぐらい自信がある?」
「うむ、ランジンバフの森では家庭教師に学問を教わっていたが、歴史もそこそこ学んだぞ。クイズの本も読んでいるしな」
「ヤオガミの歴史でしたら得意ですよ」
「……うむ、そうか」
問題はアルバギーズ・ショーから提供させる。そして一般のクイズ番組において、ヤオガミの歴史が出題されることはまずない。
カイネルの知識のほどは学者すら上回ると言われる。対して二人の実力は一般人に毛が生えた程度だろう。
「……それと重要なこととして、こちらは二連勝が必要だが、カイネル側はどちらかで勝てばよい……当然そうなるだろうな」
「そうですね。元々、私たちがアルバギーズ・ショーの3ラウンドを、そしてツチガマとの対決を勝ち抜くという勝負でしたから」
「そうしてみるとラウンドが一つ減ったとも言えるな。残り3つが2つになったぞ」
「……そ、そうだな」
考えれば考えるほど、なぜこうなったのか理解が遠のいていく。胡乱げな眼でユーヤを見れば。
「タレント名鑑を用意して……あと芸能雑誌なんかも……」
「はい、可能な限り揃えましょう。パルパシアの出版社からの本がよろしいでしょうか」
「そうだね、それを中心に……」
ゲスト当てクイズの打ち合わせで忙しいようだ。あの水色リボンのメイドはよく顔色を変えずに付き合えるなと感心する。
「でもアテムさん。そんな勝負が本当に可能なんですか? 飛行船を縦に並べて飛ばすなんて」
「それも世界初だな……。事故防止のため、同じ風の道で他の飛行船を見かけた場合、風上側、つまり後ろにいる側が即座に風の道を降りることが義務付けられている。まして追い抜きなど……」
全て任せる。
その言葉がぽんとアテムの肩を叩いてくる。
「……24時間後、いや、すでに22時間ほどか。何とかしよう……」
坂を転がるような。
先ほどどこかで自分が言った喩えだが、まさにそのような心地であった。
全ては動き出している。砂漠の国の命運も、何人かを結ぶ因縁も、クイズという大岩に巻き込まれて坂を転がるのみ。
最後に待つのは、勝利か破滅か。
自分にできるのはただ、その勝負を取り仕切ることだけ。
「必ず実現させよう……これは余にとっても大いなる戦い。シュネスの王としての真価が問われている、そんな戦いなのだ……」
おそらくユーヤの意図をすべて聞いている暇もなく、また己には理解できない領域のことという自覚もある。
だが取り急ぎ、一つだけどうしても解せないことが。
「ユーヤ、なぜツチガマはあっさりと勝負を受けたのだ? それにあの激昂ぶり、どんな挑発が行われたのだ」
それらの質問はすなわち、なぜユーヤはツチガマをそこまで理解したのか、ということに還元される。
二度ほど見かけただけの相手、何を考えてるかも知れぬ流浪の剣士。同じ異端と言えぬこともないが、どう見てもユーヤと相通じる人物とは思えない。
「……そのことは。申し訳ないと思ってるんだ」
ユーヤはこちらに体を向け、沈痛さを湛えた声で言う。そこには痛みとも悲しみともつかぬ感情が見える。
「どうしてもそれだけは許せない、という言葉を見つけてしまった。それを使って挑発したし、勝負を呑ませることにも使った。あれは最低な行為なんだ」
「……」
迂遠な物言いである。その言葉とやらについて語ることは胸の張り裂けるような悲しみ、と暗に言っている。
「……余はそれを聞くべきだと考える。お前がツチガマのことを理解している、という確証が欲しい」
「彼女は……」
そしてユーヤは、遠い過去を思い出すように視線を伸ばし。
その先は飛行船の浮遊体を突き抜け、空の果てまで。
「彼女は、竜だから」




