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第二話






空を舞う七色の羽。


それを眼にするときに忘我がある。憧れだった世界に踏み込む感覚。この世ではない場所に迷い込むような混乱。


実際には意識することも難しいほど一瞬のことだった。予行演習でも何十回も見た光景である。

回答者が居並び問題に答える。それはクイズという事象の最後の1ページにすぎないと感じる。運営に回った身としては、とにかく最後まで事故なく終われることを願うのみだ。


高校の屋上フェンスと、グラウンドの高架照明。その二つをワイヤーで結び、滑車に吊られた船を走らせている。

船には電池式の仕掛けが積まれており、テイクオフから七秒後、乗っている封筒の束を少しずつばらまくようになっている。

数にして五十枚、重量にして一キロもの封筒を少しずつ撒くのは絶妙な調整がいる。一ヶ月がかりで用意し、数えきれないほどのテストを重ねたものだ。


そして参加者が走り出す。

歓声をあげ腕を振り上げ、封筒の行方を眼で追い、集団がいくつかに分かれていく。あらゆる窓には観客の顔。飛び交う声援は花吹雪のよう。


特に検討を重ねたのはスタートのタイミングだ。封筒がすべて落ちきってから走るのでは、最初から撒いておくのと差がない。

かといって走る選手たちの上に降りそそぐ形になると、上を見て走るために転倒が起こる恐れがある。また飛び上がって封筒を掴むような行為はかなり危険だ。スタートのタイミングはコンマ数秒の見極めが必要だった。


「順調かな、校舎の外には出てない?」


そう尋ねるのはやや乱れた髪にくまの濃い目元。徹夜の疲れはピークを超え、さらにクイズの高揚で眼をギラギラと光らせた男である。


「大丈夫です。風向きもばっちり」

「教室にも入ってません」

「七沼先輩、もうすぐ最初の人が来ますよ」


後輩たちは頬を紅潮させつつ、同時に緊張の色も見える。彼らの通うのは保守的な教師の多い進学校であり、バラマキクイズを行うことには反対も多かった。安全性を確保するという条件で説得した以上、怪我人を出すわけにはいかない。

七沼と呼ばれた男は、歓声を遠く聞きつつ言う。


氷神川ひみがわさんは?」

「グラウンドの奥まで行ってます。だいぶ向こうまで」

「他の封筒拾われちゃったんですかね? 先抜け25人ですから、早く戻らないとやばいですよ」

「そうか……」


クイズ研の毎月の例会で、あるいは今日のような文化祭で、七沼はいつも運営側に回っていた。そのような部員も少なくはない。問題作りや大会の企画に燃える者もいるだろう。

そして参加側に回るのは、まばゆきクイズ王の卵たち。


「あ、見えました。走ってきてます」

「でもだいぶ後ろの方……大丈夫かな、ハズレも入れてるのに」


七沼は、その人物のいる方角を眺める。不可思議な視覚の働きを感じる。彼の眼は彼女を見るための装置であり、自動的にそこに焦点が絞られるような。

それは、眼の覚めるような快活な笑顔。


花壇を両足飛びで越えて、男子生徒たちを縫うように走る。全身でクイズの風を浴び、青春の日々を泳ぐような手足の躍動。制服の黒いスカートが風にはためき、肩までの髪は翼のひらくよう。


氷神川ひみがわさん……)


七沼の動悸が早まる。それは緊張と疲労の裏返しか。あるいは特別な時間を予感する歓びか。


最初の一人が彼の前に並んだときも、封筒から紙を抜き出す瞬間も、意識のどこかが彼女を向いている。彼女がこの世界にいることを確信することが喜ばしい、そんな気がする。


あるいは青春とも呼べる日々。


思い出はいつも、クイズ王の輝きとともに。









繋船柱とは鉄塔であり、まず飛行船は先端部分をそこに係留する。鉄塔の上には数人が待機しており、頑丈な係留索で飛行船の先端部分を固定する。


固定する台座はレールにそって動くようになっている。ハンドルの操作によって地面まで降ろされる飛行船は、ガスの排出やバラストの放出を必要としない。


ユーヤは案内のままに船を降り、そこで砂漠の陽光に眼を細める。

熱気は感じるが、ユーヤの故郷のようにむっとする暑さはない。湿度が低いためだろう。


降りた先は港の眺めだった。ユーヤの感覚で言えば小都市のフェリー発着場ほどの規模。屋根だけの建物には旅行鞄を抱えた人々が並び、係員が何十人かを引き連れて案内している。繋船柱は七本あり、それぞれに飛行船が繋がれていた。


「飛行船が交通機関として確立してるのか……。一般のものは、金属で補強されてないようだけど」


一緒に降りてきたコゥナがメイドを呼ばわる。


「そこの者、アテムはどうした」

「陛下は先に王宮へ向かわれるとのことです。馬車が来ているか確認して参りますので、ロビーにてお待ちください」

「うむ、そうか」


ユーヤはそこで気付く、コゥナは少し強がっている気配がある。

フォゾスの大族長の娘であることは周知されているはずだが、コゥナ自身がこれまで人前に出たことはなく、一般の者はフォゾスの狩猟民を見ることも珍しいと聞いている。侮られないように気を張っているのだろう。

その様子に何となく気を遣って、ユーヤが声をかける。


「コゥナ、せっかく異国の港に来たんだ、あちこち観察しておく方がいいんじゃないか」

「うむ、そうか、そうだな」


ユーヤとコゥナはフェンスで仕切られた場所にいて、周囲には数人の使用人が遠巻きにしている。

コゥナは背伸びをして遠くを見る。ユーヤもそれとなく港の人々を観察した。人々の旅行鞄は大きく重そうで、家族連れの観光客や、商談に訪れたとおぼしき礼服姿の紳士もいる。

出発ゲートらしき場所にはシュネスふうの衣装が目立つ。通気性のよさそうな麻の服。大きめのストールで首回りを保護し、起毛革ツイードの靴はくるぶしまである。ポケットには必ずフラップ(ポケットの蓋)がついていた。

サングラスをかけたり、金属製の水筒を鞄にくくりつけている者も多い、お国柄というものだろうか。


コゥナが肩を叩いてくる。


「ユーヤよ、装甲飛行船があるぞ」

「ああ、僕たちが乗ってきたやつは向こうの方に……」

「違う、色が黒い」


言われて、ユーヤもそちらを見る。


遥か向こう、1ダムミーキ(約1キロメートル)ほど離れた繋船柱に黒い影が繋がれている。


ユーヤの乗ってきたのは赤い船。形状は似てるように思える。眼を凝らしてよく見れば金属の光沢。吊り下げている巨大な貨客部分は大邸宅のように大きい。


「うむ間違いない。細部までほとんど同じだ。窓の形も方向の位置も」

「よく見えるね……確かに似てるけど」


「あれは装甲飛行船二番艦、「夜猫バテート」です」


振り返る。そこにいたのは黒のエプロンドレス。その上から砂よけのケープを羽織った女性である。大きめの眼鏡をかけて、長めの髪をケープに仕舞っている。


「ユーヤ様の乗ってきた船は「太陽鳥ラーレー」、どちらも古い時代の精霊とか怪物だとかの名前です」

「君は……」


一度会った人物の名前は忘れない、それはユーヤの職能でもある。だがユーヤが何か言うよりメイドの動きの方が早かった。奥から数人のメイドが出てきて左右に衝立を展開、そして中央のメイドが手を差し出す。

そこには藍色の小人。透き通った羽を持つ妖精の姿が。

その額の第三の眼が、開く。


「うおっ……」


それは映像を記憶する妖精、藍映精インディジニア

風景が塗り変わる感覚、方向感覚の混乱が体を突き抜けて、一瞬だけ重力を見失う。まだこの変化に慣れない。

そこはどこかの公園であり、噴水の前でオレンジ色のリボンを付けたメイドが踊っている。視覚だけの変化のはずだが、噴水の涼気が肌に届くような錯覚がある。


かつて出会ったセレノウのメイド長、ドレーシャ・ヴォー。そして水色リボンの社長秘書風のメイド、リトフェットである。


二人はくるりと回って左右対称にポーズをとり、正対してからうやうやしく礼をする。

奔放ながらも優雅さが残る動きではあるが、このオレンジリボンのメイドはやたら声が大きい。


「ユーヤ様!! なんとなんと! 次はシュネス赤蛇国においでですか! そのお忙しき身の上! メイドとして全力でサポートさせていただきます!!」


そしてユーヤの周囲で、数人のメイドが着付けを開始する。衝立があるとはいえ、この立体映像は外側からどう見えているのか少し不安だった。だが抵抗するのは無意味なので身を任せる。


水色リボンのメイドが眼鏡を光らせる。


「タキシードのご説明をさせていただきます。シュネスは年間を通して気温が高く、タキシードも薄手で通気性のよい素材がベターです。腕周りに少し余裕を持たせております。また伝統的に腰帯カマーバンドを巻くスタイルが正装とされており、首回りから砂が入らぬよう、ストールを巻くことが多いです。ストールは室内では脱いでも構いません、その際はメイドにお預けください」


オレンジのリボンも解説に割って入る。


「シュネスの美徳は質素倹約! 粗衣粗食です! 懐中時計にも銀や宝石はつけませんが、ゴールドだけは積極的に身に付けるべきとされております! よってハリックス社の金時計をご用意いたしました! 男子も指輪や腕輪を身に付けますが、例外として職人やクイズ戦士は何も着けなくて良いとされております! 靴は起毛革ツイードのものが多いですが、外国人は何でもかまいません!」

「あまり決まりごとの多くない国ですが、それだけに服でのごまかしが効きません。会食のマナーなどはメイドによくお習いください。それでは簡潔ながらこれで失礼いたします」


映像は終わる。

周囲のメイドは衝立を解体して鞄にしまい、外側に退く。映像は終わったが、中央にいた水色リボンのメイドだけは消えていない。


「というわけですのでユーヤ様、シュネスではこの私、セレノウにてメイドたちの副長を務めておりましたリトフェットがお世話させていただきます」

「どうして僕たちがシュネスに来ることが……」

「シュネスだけではありません。すでにラウ=カンやフォゾスにも上級メイドが派遣されております。もともと、我々はハイアードでのクイズ大会の時期にだけ集められていた上級メイドです。本来はセレノウ本国や、各国の迎賓館や大使館での勤務が主任務です」

「なるほど……それはいいけど、人前でいきなり着替えさせないでくれるかな、今のって外からどう見えてたの」

「目隠しは万全でしたのでご心配なく」

「あと、今の映像の時って君はどこに……」

「収録の時と寸分たがわず同じように動いただけです」

「……なんで?」

「私が二人いたら混乱なされるでしょう?」

「……」


社長秘書風のメイドは眼鏡を光らせる。セレノウのメイドたちが只者でないのは分かっているが、その副長というのはやはり卓抜な人材なのか、それとも型破りなタイプなのか。


「ええと……後ろの子たちは?」

「これらはセレノウの一般メイドです。私はメイド使いですので」

「メイド使い?」

「我々上級メイドはそれぞれ得意を持っておりますが、私はメイドの教育と指揮を専門としております。一般メイドであっても、私の指揮下であれば上級メイド並みの力を示せると自負しております」

「そ、そう……」


リトフェットの背後には数人のメイドたちが控えている。

そこでわずかな違和感。何人いるのか分かりにくい。妙に互いの距離が近いのだ。

よく見ればメイドたちはリトフェットの手首や二の腕を掴んだり、腰の後ろに手を当てたりしている。物音ひとつ発さず微動だにしない。


「…………。まあ、じゃあ、シュネスの王宮まで案内してくれる、のかな」

「はい、こちらへどうぞ」


リトフェットが振り向くと、背後のメイドたちが四足獣の下半身のように連動して動く。一糸乱れぬ足並みが少し怖い。


コゥナが何となく発言する。


「教育と指揮が専門なのか、そういうのはメイド長の職能ではないのか? セレノウのメイド長は、さっき出てきたドレーシャとかいうメイドだったはずだが」

「うちのメイド長はちょっと並外れてますので」


そして他愛もない冗談のような響きで、一言。


「そのうち追い落としますが」

「うむ、そうか、出世のために努力するのは悪いことではないな」


コゥナはそのように受け取ったらしい。

真新しいタキシードに身を包んだユーヤは、その耳元にそっと囁く。


「コゥナ、あの子にはあまり近づかないように……」

「む? うむ、そうだな、セレノウのメイドだからな」


もともとシュネスの危難のために呼ばれた身である。平穏な旅のはずもないが、それ以外にも色々と起こりそうな予感がする。


しんどさというものが大きめの猫となって、ユーヤの背中で寝息を立てるかに思えた。



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