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第十八話




過去とは泥の中にある。


時系列は曖昧で、物の形は崩れ、言葉は前後を失って混沌を生む。時おりガラス片のように皮膚にくい込む、痛ましい記憶。

混濁した記憶。それを何度も思い出す。


「勝負事って、なんでこんなに熱くなれるんだろうね」


眼の前にはオセロの駒。

ルールはとても単純なもの。二人の間には広げた絵本が目隠しとしてあり、氷神川ひみがわ水守みもりは目隠しの向こうで何枚かのオセロを設置する。七沼はそれと同じになるようにオセロを並べる。

白と黒、多い方の数が合っていれば、その枚数だけのポイント。全体の枚数が合っていれば3ポイント。親を交代しつつ何度も何度も繰り返す。


他の部員もいないクイズ研の部室で、もう三時間も続けている。

結果は歴然。氷神川の圧勝である。


たまに行っているゲームだが、七沼は一度も勝てたことがない。

彼女には偶然が存在しないかのようだった。トランプでも、双六でも、ジャンケンですら彼女はそのほとんどを勝った。そんな姿を尊敬をしていた。彼女こそは特別な人間だと思っていた。


「氷神川さんは凄いね。どんなゲームでも必勝法を見つけるし」

「私が特別なんじゃないよ。みんなが諦め・・が早すぎるんだよ」


絵本の目隠しを取り払う。親の氷神川が白三枚に黒一枚。子の七沼は黒三枚に白二枚。多い方の色が違う、全部の枚数も違う、0ポイントである。


「このゲームも本当に深い。どれほど考えてもまだまだ戦略がある。そういうのを考えてるとぞくぞくするよね。ゲームってそういうものだと思うの。どれだけメタ構造に迫れるか、どれだけゲームの本質に迫れるか」


偶然を偶然のままに放置しない、それは氷神川という人物の特性だった。

たとえ運の競い合いとされる勝負でも、必ずそこに何かを見つける。不確定な部分を崩す。世界の破壊者であり、新しい秩序の担い手。そんな彼女を覚えている。


「クイズもそうだよね。出題傾向とか、ボタンを押すタイミングとか、実はちゃんとお約束があって、戦略があるんだよ。それって番組側とのコミュニケーションなんだよね。攻略法も戦略も、ある程度は番組側が用意していて、クイズ戦士たちはさらにその先を見つけて、両者が交わりながら進化していくの」


それはかき集められた言葉。

実際には一度にこれだけの言葉を述べたことはない。あらゆる場面で氷神川という人物が言っていたこと、その立ち居振る舞いから感じられたこと、それが記憶の中で圧縮されている。


「私達はね、番組に潜るの」

「潜る……」

「そう……番組のすべてを見て、潜って、そこから戦略を編み出していく。それがクイズ王。あらゆるものを動員するのがクイズ王なの。だから偶然はない。必ず勝つ。クイズ王って、勝利する人・・・・・なんだよね」

「そうだね……」


本当にそうなのかは分からない。

だが、彼女の世界観を崩したくなかった。


彼女の世界観は、彼女と同じぐらい、魅力的だったから。


七沼は視線を上げる。大きな外国の絵本が目隠しになって、その顔は見えない。


「受験かあ」


ふと、その場に落ちる金属片のような言葉。それもまた別の場面だったはずだが、過去のあらゆる思い出が折り重なって想起される。


「七沼くん大学いくの?」

「一応……行ける範囲で頑張ろうかなと」

「私はどうしようかなあ。面倒なんだよねえ、勉強とか」


意外なことだが、氷神川は成績が振るわなかった。

進学校であるこの高校でははっきりと下位の方であり、ときどき教員に訓戒を受けているのを見たこともある。

そんな話をするとき、彼女は照れ笑いを見せて、何でもないことのようにまたクイズの話を始める。


「どうしてみんな、そうしないんだろう」


話がクイズのことに戻っている。これはいつの場面だったろうか。

もの悲しげな、退屈に耐えかねるような、うつろな声。


「早押しだってそうだよ。どうしてもっと考えないの。見落としてしまうの。もっともっとゲームに深く潜ろうとしないの。世界を運任せにしてしまうの。もったいないよ」

「そうだね」


七沼は彼女を肯定する。

たとえ、ゲームに付き合う部員がいなくなっても。


皆が彼女とジャンケンすることを疎んじるようになっても、七沼だけが彼女に寄り添い続ける。その孤独すら噛みしめるかのように。


「みんな、普通に生きることが、怖くないの……?」

「……」


氷神川は、この世界というものに馴染めない印象があった。


何かにずっと苦悩していて。

クイズの時だけはその憂いを忘れて。

放っておけばクイズの地平線の向こうに。

誰も知らない場所に行ってしまうような、そんな人物であった。


そしてまた、どこかの場面での言葉。


「出たいよね。フラッシュ25」

「またハガキ出しなよ。高校生大会もときどきあるし、氷神川さんなら受かるよ」

「うん、予選会のこととかずっと調べてるの。面接の用意もしてるし、ハガキも思いきり凝って描いてて……」


記憶。

あの夏の日。高校三年の最後の夏。


ある夜に、彼女から電話がかかってきたことを覚えている。

人生のすべてが肯定されるような、幸福に満ちた純白の声、彼女はこう言っていた。




――出られるよ、予選会に。






25人で競う二回戦。

五人組パネルクイズとは、これもやはりアルバギーズ・ショーで発明されたクイズである。


様々な地域のオープンセットを選手たちが周り、その地域ならではの物や人、風習などについて問う。問題の難易度が高めに設定されている。


チーム戦であり、解答者は一人。チーム内で持ち回りで担当する。

チームの残り四人は答えを聞かされており、それが何であるかを単語一つのみのヒントを書いて示す。五つのチームが一つずつ、全部で五つのヒントが示される。

チーム同士でどんなヒントを出すかの相談はできない。


答えが灯台なら、「海」「光」「案内」「航海」「目印」などがヒントとして挙げられる。

もし「光」「光」「白い」「白い」「光」などと出てしまったら目も当てられないだろう。


「似たような形式のクイズは僕の世界にもあったけど」


シュネスハプトの王宮にて、ユーヤは王たちを前に話している。


「僕の世界では、なるべく他とかぶらないヒントが良いとされていたね」

「そうなのだが……、ひねったヒントを出そうとして意味不明になったり、妙な方向性のヒントがかぶってしまったり、というのもあるあるだからな」


コゥナも一家言ありそうな様子である。ユーヤは少し間をおいて続ける。


「このクイズ、実のところ解答者の実力のほうが大事だと思う。過去問をリストにまとめたから、それを復習しておけばまず負けはない」

「ユーヤさん、ヒントがかぶらないコツなどはありますか?」

「どうせ、君たちが当たらないなら他も当たらないから無難なものを出せばいい。それから」


ユーヤは、それは付け加えるだけという風情で、口調を早めつつ言う。


「いちおう裏技も思いつかなくはない……文字の大きさとか、黒板に書く位置で意味を持たせるとか、あるいはブロックサインを使うとかね。だがそこまでは必要ないと思う。メイドさんに練習問題を作ってもらってるから、あとで予行演習してみよう」

「うむ、わかったぞ」

「わかりました」





「観光客が増えてきたね」

「そうだな、ランズワンは日に数千人が訪れる。近隣の町を出た馬車が到着するのが今ごろだ。もっと増えるぞ」


この二階家からはランズワンの大通りもよく見える。道には露店なども増え始め、祭りの様相である。この家は観光客の流れから離れているが、それでも窓の下から話し声など聞こえてくる。

アテムが、シュネス側のメイドに指で指示しながら言う。


「ユーヤよ、シュネスならではのパンを味わってみるか」

「ほんと? 楽しみだな」

「うむ、これだ」


薄紫の布で口元を隠したメイドが来て、皿をそっと差し出す。

その上にあるのは、黒と灰色がまだらに混ざった直方体。


「……?」


ユーヤの第一印象はカロリーバーでしかない。何となくドライフルーツやスパイスの香りもするが、ぴしりと角が立っていて、一見すると食べ物というより石材である。


「ガルトゥーツというものだ。見た目の質素さが好まれている。シュネスは粗食を美徳としているからな」


アテムがそれを持ち上げ、皿にかるく打ち付ける。するとキン、キンと、まるで鉄琴のような金属音が響いた。


「……な、なんか硬そうなんだけど」

「ガルトゥーツはこのように作る。まずフルーツや雑穀などを練り込んだパンを焼き、棒で叩きつつ一度生地状に戻す。それを型に入れて重しを乗せて乾燥させ、ある種のカビを繁殖させてさらに水分を奪うのだ。そして3ヶ月もかけると、このように最上のものができる」

「カビで水分を抜く……鰹節の要領か、それをパンでやるなんて……」


ものは試しと持ってみる。文鎮かと錯覚するほど重い。


表面は多少ざらざらしており、指で押しても凹まない。樫の木ほどの密度がありそうだ。


かじってみる。本気で噛むと歯が欠けると理解してやめる。


「……アテム、これ噛むものじゃないだろ。削るとか、水で戻して食べるもの……」

「いや、それは間違いなくそのまま噛んで食べるものだ。あとは蜂蜜ぐらいしか使わないぞ」

「嘘でしょ……?」


ふむ、と興が乗った様子で足を組むアテム。


「問題にしてみようか。それはどうやって食べるものだ?」

「……ちょっと待って、本気で考える」


会話からいきなりクイズに発展するのはクイズ戦士ならでは、という事もなかろうが、ユーヤとしては慣れ親しんだ流れである。鼻の頭に拳を当てて熟考する。


「……口の中の水分で戻すのかな。飴みたいに舐めてから、しばらくして噛む」

「大きすぎるだろう。アゴが疲れてしまう」


確かに、カロリーバー程度の大きさでも、この硬さをずっと口に入れてるのはしんどそうだ。よだれも出てきてしまう。


「……噛むポイントがある。そこだけ中空になってて、かじって切り離せる。この一本を3つか4つに分けて食べる」

「重しを使って圧縮してるのだぞ、乾燥の後にそんな加工はできぬ」

「うーん……」


そこで、ふと気づく。

アテムは「あとは蜂蜜ぐらいしか使わない」と言っていた。何だか取って付けたような発言だ。


あれはヒントではなかろうか。

このパンは蜂蜜を使わなければ・・・・・・食べられない。だから慌てて蜂蜜に言及して、問題として公平さを担保したのでは。


(確か……水のようにさらさらした蜂蜜があったはず。名前は錦雲ジンユン花蜜ファミンとか言ったけど、それで戻して食べる……?)


だが、アテムは「そのまま噛んで食べる」と言っていた。水でなく蜂蜜で戻す、というのはただの言葉遊びだ。答えとしてアンフェアだろう。


(蜂蜜……蜂蜜を、使う……)


「……! まさか」


ユーヤははっと眼を見開き、勢い込んで言う。


このパン・・・・よりも硬い・・・・・蜂蜜で砕く!」

「おお、さすがはユーヤ」


シュネス側のメイドがそれをそっと差し出し、その時、ユーヤを称賛するように微笑と流し眼を送る。


それは上顎にはめるマウスピースのようだった。琥珀色に透き通っており、歯に相当するものがどれも円錐型をしている。


「これで噛むのか!?」

「そう、この蜂蜜はコハクハナバチの生産する硬化蜜バイスというものだ。型に入れ、アルカリを加えると銅に匹敵するほど固くなる。その蜂は巣をこの蜜で覆い、外敵を防ぐ」


アテムはそのマウスピースをはめる。口元から琥珀色の牙が覗いている。


「人間の体温に反応して少しずつ溶ける。使い終わったら湯煎して溶かすのだ。このマウスピースを作るための型も売っている」


もっとも、と、片眼をつぶって笑ってみせる。


「ガルトゥーツは普通は金槌で砕いて食べるパンだ。マウスピースで食べるのは、まあ、酔狂と言うものだな」

「なるほど……」


ユーヤもマウスピースをはめて、かじってみる。なるほど、牙の先端でパンが少しずつ削れて、口の中にこぼれ落ちてくる。鼻に届く蜂蜜の風味と、喉を滑り降りていく甘み。豊かな小麦とドライフルーツの香りが鼻から抜ける。


だが何よりも楽しいのは食感だった。本来は噛み砕けないものを砕く喜び。がりがりと牙が食い込む瞬間、快楽中枢が刺激される。巨大な肉や骨をかじる原始人の快楽か。あるいは背徳感か、子供心を思い出す自由さか。

惜しむらくは、あまり量が伴わないことだが。


そして鐘が鳴る。


おそらくは午後の一時を告げる鐘。町中の観光客が一斉に移動し、その集まる先でショーが開演を迎えて――。


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