第十六話
「さあ第一回戦、バラマキクイズも終盤だ! 戦いはいよいよ知の聖地、古代都市エリアに突入しているぞ! 選手たちはどの封筒を選ぶのか! あるいはクイズが選手たちを選ぶのか! 選び選ばれの愛のダンスなのか!」
「古代都市エリアに入ったぞ、そろそろゲームが終わってしまう」
オペラグラスを手に、アテム王は焦りの色を濃くする。
観覧の場からそのエリアはほとんど見えない。だが司会者の方を見ていれば、通過者が次々と出始めているのは分かる。ユーヤはなるべく広い範囲を見渡しながら言う。
「そう……勝ち残った選手が、古代都市エリアに二回行く事態はほとんど起こらない。参加者の数とハズレの封入率、封筒の回収率、そして正解率を合わせればおおよその調整が可能なんだ。このゲームは、古代都市エリアが最後のチャンスとして設定されている」
「セレノウのユーヤよ、お前の言っていたこと。許容されるべきもう一つの不正とは何だ。それが今から起きるのか」
「……」
確かに、それを過去のクイズ王から聞いたことはある。
それは悪魔や妖怪を退治する話のよう。現実味がなく、現実と空想の狭間にある話のように思える。
「……マジックインキだ」
「何……?」
単語が自動翻訳されていない。この世界に存在しない物だからだろう。アテム王は聞き覚えのない単語に眼をしばたたく。
「あの文化祭でのバラマキクイズ。僕の知る人物はこう言っていた。ハズレの赤はマジックインキで描かれている。マジックインキには安息香酸が含まれており、これは蝶や蛾の誘因フェロモンに似た物質。だから蛾だけでなく、羽虫や蟻の挙動に影響を与えるのだと」
「待てセレノウのユーヤ、お前の話している言葉が……」
「もう一つの不正とは、偶然それが分かってしまう、という事象」
「偶然……」
アテムは唇の端に困惑を乗せる。話せば話すほど理解が遠ざかるような。話が通じていたようで、その実、互いに違う言語で話していたような気さえする。
「例えばアテム、貴方がある時いきなり透視能力に目覚め、封筒の中身が見えてしまったとする」
「……?」
「もしハズレの文字がはっきりと見えてしまったら、あえてその封筒を持ち帰るだろうか」
「それは……それは出来ない。そんなことをする意味がない。分かってしまったなら、仕方がない」
「そうだ……分かってしまったなら、仕方がない」
アテムの眼が、はっと焦点を取り戻す。
「そんなことが起こるはずがない!」
「そうだ、だが……」
ユーヤの周囲に壁がある。
それは彼と彼以外のすべてを切り離す大いなる断絶。
自分の見てきたあれは、本当に現実の出来事なのか。
かつて存在したかもしれないクイズ王たち、駆使したかもしれない技術。
それはやはり幻でしかないのか。クイズ黄金時代の終わりとともに消滅し、もはや実在を証明することができない伝説なのか。
――竜のように。
脳裏に浮かぶその形容を嚙み潰し、ユーヤはゆっくりと言う。
「ある王はそれに挑んだ。この世界には人間の認知をはるかに超えた情報の世界があり、封筒などまるで問題にならず、あらゆる形で外に漏れ出しているのだと」
「それに触れられるとすれば、おそらく、彼女だけ……」
※
古代都市エリアとは、白い石造りの町並み。
建材は火山灰が使われている古代のコンクリートである。風化して欠けているのは加工によるものだが、古代シュネスにかつて存在したという、高い技術力をうかがわせる。
古代コンクリートは凝結までの時間が長く、妖精の利用で石材の切り出しが容易になったこともあって、現在では技術が失われていた。このような古代コンクリートの町並みはごく限られた遺跡にしか見られず、アッバーザ遺跡などもその一つと言われている。
だが参加者にそんなことを気にしている余裕はなく、みな疲れた足で町の中央広場を目指す。
そこは枯れた噴水を中心とする環状交差点であり、多くの人々や馬車が行き交っていた風情がある。そこに四色の封筒が集中的に撒かれている。
「封筒は一枚だけ取ってくださーい。リタイアされる方は馬車にてお運びしますので、向こうの建物へどうぞー」
スタッフがそのように呼び掛けるところへ、全身から汗を流したコゥナがやってくる。
「はっ、はあっ……!」
脚は震えて、心臓は早鐘を打つ。
距離はともかくとしても、照りつける陽光と高低差、そして砂地を踏み越えてきたことが体力を奪っていた。
広場に広がる景色は終末の日のよう。人々は息も絶え絶えに封筒を拾い、天にかざしたり、眼を押し付けて中身を透かそうとしている。
「……」
眼の前には緑の封筒が散らばっている。
三枚の封筒。それを拾う瞬間。激しい葛藤のような逡巡のような、感情の震えがコゥナを包んでいた。
(ここでハズレを引いてしまえば、負けは確実……)
何も考えずに選ぶ。
それが最も確実。一秒でも早く戻ることを何よりも優先すべき。そんな正論が、脳裏で甘く囁く。
だが、もしハズレだったら。
それを悩んで何になる。
どうせハズレを見分けることなどできないのに。
「……ユーヤ」
※
「許容されるべきもう一つの不正とは、答えが分かってしまう、ということ」
「分かってしまう?」
飛行船の機内にて。
ユーヤは二人に説明していたが、やはり二人の反応は鈍かった。
「……それは例えば生き物の反応。封筒の目隠しはあくまでも人間を想定して設計されている。人間以外の動物や昆虫は、人間の見えない世界を見ており、封筒の何らかの要素に反応する可能性がある。そのような場面を見てしまい、中身が分かってしまう。という事態だ」
「それは……ええと、例えばお犬さんでしょうか。ハズレの紙に犬の嗅覚が反応してしまうとか」
「そうだね。ハズレは大きな赤い字で書かれている。そのインクの匂いに反応するかもしれない」
「犬などいるわけないぞ……」
コゥナは、さすがにこの時はユーヤの頭を疑う顔をしていた。
そんな顔をユーヤは悲しげに見つめ返したが、声音は動じずに話を続ける。
「これは現実的にはほとんど起こりえない事象。だから気にするべきではないかもしれない。僕の知るすべてを君たちに伝える、という意味で説明している」
だけど、とユーヤは一息置いて言う。
「それがどんな事象として現れるか、僕にも分からない。ただ経験によるのみ」
「経験……コゥナ様の経験、という意味か?」
「そう、誰しも、それまでに生きてきた経験がある。あるいは真のクイズ王ならば、クイズではない領域の経験すらクイズに応用できる。人生で見てきたすべてを動員できる者。それこそが王なんだ。髪の毛ひとすじほどの、極小の可能性ではあるけれど……」
※
「……分からない」
神経を研ぎ澄ましている。
匂いも、色も、手に持った感じも、封筒はどれも同じにしか思えない。
そうこうする間にも、参加者は封筒をさっさと拾って引き返していく。数秒の迷いすら惜しいほどの終盤、自分は何をしているのかという混迷の感情が襲う。
時間切れという言葉が猛獣のように迫る。
「うぐ……こ、これだ!」
諦めるしかなかった。一枚を拾い、そして振り返って立ち上がり。
どん、と。体が接触。
「うっ」
参加者の一人、それは年配の女性であった。さほど強い衝突ではなく、互いに少しよろめいた程度。女性は会釈だけを残して去っていく。
「い……いかん、気をつけないと」
ぴいい、と笛の音が。
「ゼッケン16番の方、接触のペナルティです。一分間。その場で待機お願いします」
「!」
瞬間。
周囲の街並みが遠ざかる。
スタッフの言葉が間延びして聞こえる。
不思議の国のアリス症候群というこの現象、激しい動揺とストレスが生み出す距離感の乱れである。
大地が大きく傾くかのよう。足から力が抜け、その場に片膝をつく。
「う、うう……」
悔しさや焦り、そしてこれまで蓄積していた疲労が、大岩となってのしかかるかに思えた。
封筒を持っていられずに落とす。そして、一秒が無限に長くなるような感覚が。
「こんな……こんなことが」
まだ、一問も答えていない。
何もできていない。
そのあまりにも空漠たる悲哀。その身に起きている事が受け止めきれない。
――どうしても行くのか。
――お前はまだ13の祝いも済ませていない。森の戦士となっていない。
(そんな……そんなことはない! コゥナ様は大人にも負けぬほど強い)
――戦士は、一日森に入れば百を知り。
――もう一日入れば、さらに百を知る。
――お前が優れた弓師であることは認めよう。
――だが、あまりにも若い。
(弓だけじゃない! 森のことだって誰よりも知っていた。獣も虫も、樹も花も、蜂蜜や妖精のことも)
――行くならば、世界を見てこい。
――きっと、己の小ささを知ることになる。
(コゥナ様、が)
石の地面に、ぽつりと水滴が。
それが己から流れたことも認識できない。
(コゥナ様が、わがままを言ったから)
(だから、白猿神の怒りを買ったのか。祖霊の加護を失ったというのか)
(コゥナ様は……)
しゃら、と音が。
はっと眼を向ける。
石の上を這う蛇。鉛筆ほどの太さしかなく、目にも鮮やかな赤い蛇。
「……シュネスアカヘビ。か」
森に深く分け入る者ほど蛇に敏感だという。コゥナの知る限り毒性のある蛇ではない。こちらに敵意を向けてないことだけ認識する。
その蛇が。三つの封筒の前に這い進み。
二つの封筒の間を進み、その奥にある一通に。
その紙に対して鎌首をもたげ、中央をつつく。
「……?」
そして食べ物ではないと認識したのか、また身を揺らしながら去っていった。
「今の、は……」
何かが、引っかかる。
紙を食べ物と勘違いすることもあるだろう。落ち葉をちぎって食べる蛇も見たことがある。
だが、なぜ手前の二通を無視したのか。
「ゼッケン16番の方、ペナルティ解除です。動いて結構ですよー」
「……」
――覚えておくがいい。蛇というものは。
「コゥナさん!」
そこへ声がかかる。忘我に沈もうとしていたコゥナがはっと視線を上げれば、汗だくになったズシオウがいた。
「コゥナさん、さっき1ポイント取りました。二人で一通ずつ持って、急いで戻ればまだ間に合うかも!」
「1ポイント……」
その言葉の意味がゆっくりと浮上してくる。
「! そうだ! クイズを」
「? コゥナさん大丈夫ですか? 暑気の病とかに……」
コゥナは足元を見て、緑の封筒を二つ拾う。
「ズシオウ! これだ! この封筒を持っていけ!」
「え?」
「走れるか!?」
ズシオウは封筒を押し付けられて動揺したものの。
そのコゥナの決然たる眼に、きゅっと唇を結んで強くうなずく。
「大丈夫です! まだいけます!」
言うが早いか、ズシオウは振り返ると同時に一気に加速。その小さな体で飛ぶように走る。コゥナも少し慌てて後を追う。
「ズシオウ、お前なかなか速いな」
「本当は私、全力で走っちゃダメなんですけど、今日は特別ということにしましょう」
「そうか、ヤオガミでは子供の頃は目立たないように過ごすのだったな」
「はい、父上の命でもありますし」
「お互い父に苦労するな」
「?」
その言葉への反応は、共感というより疑問符だったが、ともかく二人は数百メーキを走り切る。
「おおっと! 戻ってきたぞ! さあ、これが最後の通過者となるか!」
観光客の増えだす刻限である。他の参加者もスタートに集まってきており、スタッフや観客も併せてちょっとした人だかりになっていた。
「さあて……おっと出た問題用紙だ! 問題! グリドラ、アルメテッラ、パシフィラと言えば共通して使われる食材は?」
「タマネギです!」
「正解! ゼッケン16番のチーム、これで2ポイントだ!」
ぱん、とハイタッチをして次はコゥナの番となる。後方からは途中で追い抜いた参加者が駆けてきている。
そして封筒からは、問題用紙が。
「さあ! これが最終最後の問題となるか! 問題! 細胞形成層の緻密度合いが濃淡となったもので、気温や降水量の通年格差によって形成され、サンゴや魚の鱗などに見られるものは何!」
周囲に大量の疑問符が飛ぶ。
おそらく書かれた文字をじっくり読めば分かった者も多いはずだが、とっさに音声が文字に変換されなかったのだろう。
背中から湯気を放つコゥナは、鼻筋に汗を一すじ流して。
叫ぶ。
「――年輪!」
そして。
「正解!!!」
全員が一斉に手を伸ばす。爆発的な歓声。
これまでの悲運さを見ているがゆえに、コゥナとズシオウの若さゆえにその歓声は格別のものだった。大音量での称賛の声が入り乱れ、司会者も言葉の限りの賛辞を贈る。
そして喧騒の中、ズシオウとコゥナはそっと視線を交わし。
残った力のすべてで、笑いあった。