第十五話
※
砂丘の砂がさらさらと崩れる。そこを動き回る参加者たちはすでに肩で息をしており、座り込んでる者もいる。
砂漠エリアの砂はさらさらとして足が埋まり、体力と気力を吸い取っていくかに思える。
「広い……飛行船から見たときよりも広く感じるな」
コゥナは砂丘の上から周囲を見る。後方の遺跡エリアは驚くほど遠くに感じられ、前方の古代都市エリアは砂煙にかすんでいる。
ランズワンにあるものはすべて撮影のためのオープンセットであり、趣旨にそぐわないものが映り込まぬよう、距離を置かれている。砂丘も目隠しのために人工的に盛られたものだとか。
その干渉地帯のような砂漠。ほんの200メーキほどの幅のはずだが、その数倍はありそうに思える。
そして意図的なものか、このエリアでは極端に広範囲に封筒が撒かれている。
人々は遠方に見える点のような封筒めがけて必死に走り、それがサボテンだと分かって膝からくず折れたりする、悲喜こもごもの眺めである。
「……」
右手に複数枚の色ガラスを持ち、片眼鏡の前を通りすぎるように動かす。
次々と視界の色が変わり、その中で強い補色効果を示すものが残像として残る。
「あれだな」
砂を一気に滑り降りて封筒を拾う。
「コゥナさん!」
そこへ声が飛ぶ。ズシオウが砂丘の横を回り込んで走ってくる。ズシオウもまたズボンにまで汗が染みている。
その手には赤い封筒が握られていた。
「ズシオウ、封筒を拾ったなら早く戻らないと」
「コゥナさん、今、何ポイント取ってますか」
「……ゼロだ、三連続でハズレが」
ズシオウの顔にさっと絶望の影が降りる。
「わ、私もです。二つ拾って、二つとも……」
「……! まさか!」
恐ろしいまでの不運。
それが自分たちに降りかかっているという現実が、寒気のように認識される。
「五通すべてハズレだったのか!? そんな馬鹿な! 今までの最高で四通連続だったはずだぞ!」
「……じ、時間的に通過者が出始める頃です。急がないと」
そしてコゥナを通りすぎ、走り去らんとする。
「私はハズレを回避できないか試します、コゥナさんも急いで!」
「わ、わかった」
コゥナは砂丘を駆け上って戻っていき、ズシオウは別の封筒のところへ。
「あった、赤い封筒……」
そして、手の中に赤い封筒が二通。
ズシオウはぶわりと上着を脱ぎ、それを頭からかぶって、襟首の部分から真上を覗く。そして封筒を日に透かす。
「……見えない」
封筒は厚紙を芯として、ざらざらした手漉き紙で覆ったものだ。まるで板のように光を通さない。
次に二通の封筒を比較する。封入されたものの厚み。振ったときの音。力を加えた時の折り曲げへの抵抗。
そして黒髪の中から一本の竹ひごを取り出す。両側にクリップがついており、中央に赤い線がある。
クリップに封筒を止め、赤い線を一本の髪の毛で吊り下げれば、まさに天秤の要領となる。
竹ひごは傾かない。中央で釣り合っている。
「……音や、紙の硬さ、重さもまったく同じ……ということは」
仮定として、ハズレの紙と問題用紙は違う紙だとする。
ならばその重さ、紙質などは異なるのではないか、という推論。
そして、ハズレの封入率が全体比率で少数である場合、ある二通の中身が同じものならば、それは両方がハズレより、両方が問題用紙である公算の方が高い。
もし封筒の片方が問題用紙なら、もう片方もそうだと言える。
そして走る。
小さな体で黒髪を振り乱し、額に玉の汗を浮かべて、砂漠の熱気に耐えて。
周囲では大人もすでに息を切らしていた。そのような参加者を撮影スタッフが追跡している。
必死に足を動かし、遺跡の黄金の風景を抜けて、そして。
「ああーっとぉ!! これは何だー!」
赤い、大きな文字が。
視界までが真っ赤に染まるような感覚が。
「そん……な」
撮影スタッフや観光客もさすがに哀れむ顔を見せ、頑張ってと手を振る。
しかし番組への抗議とまではいかない。ズシオウとコゥナの優勝など誰も考えておらず、自分とは何の関係もない一参加者の不幸に、本気で怒る者などいない。
形容しがたいほどの不運、心が張り裂けそうなほどの理不尽。
しかしそれは、ごく当たり前に起こりうる程度の不運なのだ。
(あの二枚の封筒、まさか両方がハズレ、そんなことが……!)
「さあゼッケン16番、頑張って行ってきて!」
「う、は、はい……」
走り去ろうとするところへ、スタッフが声をかける。
「16番の方、無理しないでもう休まれても結構ですよ。冷たいものとか用意してますから」
ズシオウは一瞬、そのスタッフへ激甚なる視線を向けかけた。
奥歯がきしむような怒り。なぜ簡単にリタイアなど言えるのか。この勝負にどれほどのものが懸かっているか、どれほど常識を外れたことが起きているか分かっているのか。子供だと思って――。
「……! 大丈夫です、まだ行けます!」
引き留める声を振りきって走る。
陽はいよいよ高くなり、真なる砂漠の熱射が降り注がんとしていた。
※
「勝てない……?」
観覧の場となっている家にて。アテム王が拳をぎゅっと握る。
「そうだ、僕の教えた技術だけでは」
「しかし、あの時に色々と」
「……即席で作る天秤の精度なんてたかが知れてる。封筒の解体や透視についても……確かにそれを目撃したことはあるが、一朝一夕に身に着けられるシロモノじゃないんだ。それに撮影されている。僕のいた世界にはなかった、空間全体の完全な記録が残る。物理的な不正はとてもできない」
「打つ手なし……ということか」
アテムは苦渋を強く見せる。神がかり的な悪運、そうとしか呼べぬ事態であったが、さすがにユーヤを責めるのは筋が違うと自戒する。
顔を歪める。およそこの砂漠の貴公子が表したこともないような無念さ。この天の悪意にすら思えるほどの敗北劇を、王としてどう受け止めればよいのかと苦悩するように机に拳を押し付ける。
「違う、まだ二人に策を教えている」
そっと囁かれる言葉に、アテムがはっと眼を開く。
アテムは武人たちを交えた会議に追われていたため、ユーヤの行っていたレクチャーをすべて聞いていたわけではない。まだ何かあったということか。
「……しかしセレノウのユーヤよ、不正は不可能なのでは」
「僕の想定してる行為は、確かに真っ当とは言えないかもしれない。しかしこの状況、この番組において、許容されるべき不正が二つ存在する」
「二つ? それは……?」
「まず一つは、偶然、誰かの不正に巻き込まれたという事態……」
※
「不正に巻き込まれた、ですか?」
「おそらく現実的に起こりうる範囲で、実践できるのはそれぐらいだろう」
「現実的に……」
展望デッキの一角にて、ズシオウは首をかしげる。
それはユーヤとしても知りうる人間を絞りたかったのか、ランズワンに向かう早朝の飛行船において、コゥナとズシオウのみに伝えた話である。
コゥナはといえば化粧をしている。鏡を前に、頬に模様を描きつつ視線を向ける。
「ユーヤよ、不正といってもバラマキクイズはすべて藍映精で撮影されているぞ」
「そう……ある種の手品じみた手法で封筒を解体したり、中身を見ることは危険だ。大会運営による検証がどの程度詳細なものか分からないが、カイネル先王側の関係者も見ているし、当然撮影もするだろう。物理的な不正はできない」
「では、どうするのだ」
「あの会場……」
ユーヤは会場の広さを示すように、指で大きく円を描く。
「僕の知るバラマキクイズとはかなり違う。会場は広く起伏があり、障害物もある。参加者も多いし、封筒は数百枚が撒かれる。まるで長距離走のような眺めになる」
「うむ、だんだんと参加者が疲れてくるのも見どころだからな」
「その演出も理解できる。ただ、この形式でのみ生まれうる不正行為がある。つまり、封筒をどこかに隠しておく、ということ」
「隠す?」
「そう、複数枚の封筒は重ねて胸に当てれば自然に持ち運べる。それを帰り道のどこかに隠しておいて、次の周回で拾う」
「そんなことが……だがユーヤよ、あの番組でそんな場面は見たことがないぞ」
「たとえ発覚しても、そんなシーンはカットされるし公表されないからだ。これはおそらく最低限の範囲なら番組側も許容している不正。防ぎようがない、構造的なセキュリティホールのようなもの……」
※
「このあたり……」
遺跡エリアの大階段。一段が広間ほどもある石段が何十個も続いている場所。
やや年かさの行った参加者などは石段に座り込んだり、歩いている者も多い。おそらくはもう通過を諦め始めている。
階段の両端は砂に侵食されている。彼方から吹き寄せる砂が少しづつ積もっているのだ。中央の広い範囲は掃き清められていたが、そこも参加者の靴底から落ちた砂でざらついている。
「……こっちを」
階段の端を、砂を蹴立てながら走る。
――あるとすれば、砂の中だ。
――砂をかき分けて探している暇はない。だから砂の上を走るんだ。
――集中して、足元から感じる感覚を意識しながら。
そして踏み当てる、くしゃりと歪む紙の感触。
「っ! あった!」
緑の封筒。砂をかぶせて道の端に隠すだけという粗雑な方法ながら、この砂の国では誰にも見つかりようがない。
転んだ振りでもしてここに封筒を隠し、同じく偶然を装って見つける予定だったのか。
これを仕掛けた人物はすでに通過したのか、あるいは人の眼を恐れて回収できなかったのか。
考えている暇はない。
砂を落とすのも惜しんでそれを胸に抱え、階段を両足飛びで踏み切って下りていく。
「ユーヤさん……まさか、バラマキクイズの会場を探させたことって」
それは不定形の想像であったが、走りながらも意識に登る。
なぜ、ユーヤは会場に封筒が残っていないか探させたのか。
封筒の現物が欲しい、それもあるだろう。
だが、同時に何かを知ろうとしたのではないか。
運営が、このエリアをどれぐらい丁寧に掃き清めているか。封筒が残っていないかチェックしているか。
もし封筒が落ちていたならこの手は使えない。過去に撒かれた封筒は無効になるのが当然。過去の収録と、今回のそれを見分ける通し番号でも振っておけばいいだけのこと。
ユーヤが知るのはクイズだけではないのか。
クイズ番組の運営、素人参加者の動きすら読み尽くしている。それがユーヤという男なのか。
「お願いします!」
そして司会者、アキューラ氏のところへ戻る。
「おおっと早いぞ! どこかにまだ封筒が残っていたかあ!」
そして封筒の中からは、今度こそ問題が。
「問題! ナイフ職人としても知られた作曲家ジェオットの言葉、ナイフの王は黒曜石、ナイフの女王は何?」
「ガラスです!」
「正解! ゼッケン16番、ようやく1ポイント獲得だあ!」
司会者が言い終わる前にきびすを返し、また走り始める。
「スタッフの方、通過者は何人ですか!」
「19人です!」
一瞬、立ちくらみを起こすほどの動揺。
だが歯を食いしばり、靴底で石をとらえて走る。
(……もう失敗できない。チャンスは、あと一度!)