第十一話
また翌日。
「映画に行ってくる」
いきなり現れたユーヤに、ズシオウとコゥナは面食らう。
「ユーヤさん、映画というと?」
「アルバギーズ・ショーの最新のやつは街の映画館にしかないらしい。急いで見てくる。二人はテキストをやっててくれ」
ズシオウたちは来客用の部屋にいて、ガラスの天板がはまったローテーブルを囲んでいる。テーブルにはクイズの書かれた紙束が散らばっているが、それはユーヤとメイドたちが用意した問題である。
「待てユーヤよ、ならばコゥナ様がついていこう、どんな危険がないとも分からん」
「あ、ずるい!」
「二人とも、テキストは終わったの?」
言われて、コゥナはひらひらと紙を振る。
「これは問題が簡単すぎるぞ。それに過去のバラマキクイズで出された問題ではないか。コゥナ様は何度も見てるから覚えてる」
「そうですよ。私たちだっていつかは妖精王祭儀への参加を予定していた身ですよ。クイズの心得ぐらいあります」
「そうか……」
ユーヤはいくぶん安心したように力を抜く。メイドたちの見解によれば、アルバギーズ・ショーの一回戦、バラマキクイズは比較的問題が易しい。基礎がしっかりできてれば落とすことはない、とのことだった。念のために二人をテストしていた形である。
「じゃあ二回戦、三回戦用のテキストを用意してるから、そっちもやってくれ」
「うー、昨夜からずっとではないか、もう覚えきれんぞ」
と、ユーヤは二人の様子にさすがに心を痛める。二晩の完徹を越えたユーヤがそう思うのも奇妙な話だが。
「……そうだな。やり過ぎても逆効果だしな。一緒に行こうか」
「おお!」
ばん、とペンを置いて立ち上がるコゥナ。
「よし! すぐ行くぞ!」
「メイドさんが馬車を用意してくれてる。目立たない格好に着替えてすぐ出発しよう」
「おみやげお待ちしてますね」
ズシオウが立ち上がる様子がないのを見て、ユーヤが声をかける。
「ズシオウは……ここにいるか?」
「……そうですね、ベニクギはもう大丈夫と言ってましたけど、まだ心配ですし、私はお留守番してます。他にもテキストがあるんでしょう?」
聞くところによれば、ベニクギはもう起き上がって刀を振っているらしい。妖精による治療もまだだというのに、ロニの体はどうなっているのだろうか。
「じゃあ、申し訳ないが続けててくれ」
「……ユーヤさん、映画ということはシュネスハプトのティソル・シネマパークですね?」
「よく知らないけど、まあ上映館はメイドさんに調べてもらうから」
「なるほど……」
じっ、とズシオウの黒瞳がコゥナを見る。
「む、どうした?」
「コゥナさん、ちょっとこっち」
立ち上がり、コゥナの腕を取ってどこかへ連れていく。
「ど、どうしたズシオウ」
「ユーヤさん、先に行っててください。いま九時半ですから十時に待ち合わせにしましょう。シネマパーク前におっきな猫の石像があるはずですから、そこで」
「? ああ、分かった」
そして30分後。
「……」
二本足で立ち上がった猫の像。その真下にいて、ユーヤはこれ以上ないほど眼を丸くする。
やってきたコゥナは花のブローチをつけたキャスケット帽をかぶり、ややだぶついた青と白の長袖ボーダーシャツ。首に銀のチェーンをあしらい、チェック柄のミニスカートという姿だった。落ちつかなげに首を縮めて周囲を見ている。
「ええと」
「ず、ズシオウに無理矢理着せられたのだ。なんでコゥナ様がこんな服を……」
スカートから褐色の細い足がすらりと出ており、小柄ながらもスタイルが引き締まって見える。
ボーダーシャツはスカートの上半分にかかっており、コゥナはシャツの裾をぎゅっと押し下げてスカートを隠そうとしていた。スカートが完全に隠れるとそれはそれで妙な絵になりそうである。
足元は光沢のあるパンプスに近い靴。こなれたコーデのようでもありながら、色づかいに子供らしい遊びを残している、という形容が浮かんだ。
少女はユーヤの脇に回り、腕を組んでユーヤの体に隠れようとする。
「は、早く見に行くぞ」
「うん……」
と、そこへメイドが歩いてくる。ここまで送ってくれたリトフェットである。
「ユーヤ様、私どもメイドは私服に着替えて護衛させていただきます。ごゆっくり」
「ああ、うん」
そして銀色の妖精を取りだし、ぱしゃりとシャッターを切るような音。
「こ、こらセレノウのメイド! なぜ写真を撮った!」
「旅の思い出というものです。ユーヤ様の行動を記録するのも我々の役目ですので」
「うぐぐ、ひ、人に見せるなよ」
「ご心配なく、ではこれにて」
すっと身を引き、近くの群衆に紛れてしまう、換気口に吸い込まれる煙のようにすばやい退出だ。
「じゃあ行こうか」
「ま、待て、人が多すぎる。はぐれないようにゆっくり歩け」
確かに、まだ午前中だというのに人が溢れている。シュネスの民族衣装風の者もいれば、都会的に着飾ったカップルなども多い。映画がこの世界でどれほど人気の産業かを感じさせた。
その映画館とはアラスカの氷の家、あるいはモンゴルのテントを思わせる半球型の構造物である。キャンプ村のようにそれが無数に並び、大勢の人間が入り乱れて動いている。見れば着ぐるみがチラシを配っていたり、背中に桶を背負ったジュース売りがいたりと活気がある。
「ここが映画館なの?」
「ここはシネマパークだ。少し前の映画とか、ニュース映画とかバラエティ映画なんかが多い。入場料を払えばどの映画を何度見てもいいのだ。一日遊ぶこともできる」
「いいなあそれ」
敷地全体は柵で囲われており、入場料として大人は800ディスケット。コゥナは半額の400ディスケットである。
「かなり安いね」
「その代わりこういうところは食い物が高いのだ。ジュース一杯で300ディスケットも取る」
その辺はどこも同じだな、とユーヤは苦笑する。
半球の構造物は30ほどもあった。布製もあれば石造りのものもあり、木造もあれば極彩色に塗られたものもある。日干しレンガなどもあり、シュネスハプトの街並みにあっては何かの遺跡のようにも見える。
ふと眼をやれば、幼児の集団を引率している女性がいて、日干しレンガの前で幼児を整列させていた。
「はーい、こういうレンガは泥レンガとも呼ばれまーす。ユレネタゥ河の泥に、藁なんかを混ぜて型に入れて、干すと出来上がるんですねー」
そこで、女性はポケットから折り畳んだ厚紙を取りだし、大きく広げる。
「さてここで問題です。泥レンガを作るとき、虫よけのためにあるものを混ぜます。それは何でしょーか」
「はーい!」
「はいっ、はーい!」
幼児たちはいっせいに手を上げ、周りの大人たちもそれを微笑ましく見守る。
「へー、幼児教育でもクイズがあるのか。それもけっこう高度な問題だな。えーと確かエジプトなんかでは……」
「ユーヤよ、早く来い」
ぐい、と組んだ腕を引かれる。
「あ、ま、待って、あの問題だけ」
「動物の糞だ。牛などの糞を乾燥させて、混ぜ込むと虫よけになるのだ」
それより、と指で前を示す。
「予想より人が多い、急がんとかなり待つかも知れんぞ」
コゥナの予想通り、アルバギーズ・ショーのドームには行列が出来ている。行列は百人ほども並んでおり、前の方で五つの列に分かれていた。
「五館上映か。フォゾスでも人気のある番組だったが、本場はもっとだな」
「けっこう長いね……何時間も待つのかな」
「あと20分ほどだな」
コゥナが言い、ユーヤはちょっと首をかしげる。
「なんで分かるの?」
「見ろ、一分ほどで後ろに五人並んだ」
確かに、子供連れの女性や高齢の男性などが並んでいる。
「だが列の長さが変わってない。100人ほど並んでいて一分間に五人進んだわけだから、およそ20分で100人ぶんの列が消化されることになる。ショーの上映時間はほぼ決まっているから、これで一館ごとの入場者数も分かるぞ」
「リトルの公式……コゥナ、それは自分で見つけたの?」
コゥナはじろりとユーヤを見上げる。
「コゥナ様が見つけたわけないだろう。本に書いてあったのだ。古くから知られていることだ」
「そうか、確かフォゾスでは数学教育が盛んだとか……」
「うむ、森の民は物質的な豊かさを遠ざけているが、数学は純粋な精神の学問として重視されているのだ。まあ、今の計算はただの算数だがな」
ユーヤは少し考え、そして問いかける。
「じゃあちょっと暇潰しでも。1から1万までの間に、15や319のような、1を含む数字はいくつある?」
「簡単だ。9999までで1を含まない数字とは、つまり1を除く9種類の数字の組み合わせだ。二桁の数も0095などと表現できるからな。つまり9の4乗で6561、これを10000から引いて、3439だ」
「正解……」
「ふふん、こんなもの誰でも解けるぞ」
やや得意気に胸をそらす。
「では……599199を9で割ると余りはいくつ?」
「甘いな。それは子供騙しというものだ、6だ」
「九去法も知ってるんだね。本当にすごい……」
「少しは見直したか?」
見上げてくるコゥナの眼は陽を受けて輝き、八重歯を見せてにっかりと笑う。
ユーヤはその眩しい笑顔に眼がくらむかのように、やや顔をそらして言った。
「見直すとか見直さないとか、そういうのはないよ。コゥナはすごい人だと思ってる。最初に会った時からだ。薬学にも通じてたし、もちろん弓の腕も」
「森の民はいろいろな教育を受けるからな。だが最も通じているのは妖精だぞ。フォゾスでは他の国では活用されない妖精がたくさんいる。いつかユーヤもランジンバフの森に来るがいい。いつぞやの返礼の席も設けたいしな」
「そうだね、いつか、きっと……」
世界の違いは、人の違い。
人の違いとは、あるいは教育の違いなのか、そんなことを考える。
そうこうするうちに列が進み、やがてユーヤたちは一つのドームへと入っていく。
中には外周部分にのみ椅子があり、中央に集まっているお客と、外周部に座っているのが半々ぐらいである。一定数が入ったところで入り口の戸が閉ざされた。
ドームには手の平ほどの明かり窓もあり、歩ける程度には明るい。
そして中央に台座があり、濃い藍色の妖精が。
その額にある第三の眼が、かっと見開かれた。