第7話 元聖女様、畑を耕す
「あー、痛い」
怪我して二日目の朝。
昨日は丸一日熱を出して寝込んでしまったけど、熱があった方が痛覚が麻痺していてマシだった。
ドラゴンに噛まれていた肩は赤く腫れていてとても痛む。
傷口自体はどういう理由か塞がりかけて血が止まっているけど、数日は左腕が使い物にならない。
利き腕が右で助かったと今ほど思うことは無い。
左腕を動かさないために三角巾で腕を吊るして、私は寝室からリビングに向かう。
「おはよう」
私以外に人間は住んでいない屋敷だけど、キッチンには人影が一つ。
この広い屋敷の家事を一人?でこなしている人形さんが朝食の用意をしてくれていた。
彼は私に気づくと、近づいて来て肩に顔を寄せる。
「心配してくれるの? とりあえず今日は大丈夫だよ」
そう告げると、人形さんは椅子を手前に引いてくれた。
私が席に座るとキッチンから朝食がトレーに乗って運ばれて来た。
今朝のメニューはパンをちぎって野菜スープに浸してあるものだった。
パンは柔らかくなっていて、一口サイズで食べやすい大きさだ。
おそらく私が病み上がりで胃の負担にならないように作ってくれたんだろう。同じ事を繰り返すだけじゃなくて、相手の様子を観察してお世話してくれる。
本当に不思議な人形だ。
「ありがとう人形さん……人形さん呼びってあんまり良くないよね?」
しばらくはお世話になるわけで、同じ屋根の下で暮らす相手を物呼ばわりするのは気が引ける。
愛称があればこの人間みたいな気遣いの出来る彼と仲良くなれそうだ。
「ねぇ、今日からあなたの事をマリオって呼んでいいかな?」
人形といえば日本でも教育番組で人形劇があって、それが操り人形を使っていたから。
決して赤い配管工のおじさんじゃない。いやっふー。
私が彼にマリオという名前を与えると、ちょっとした倦怠感が訪れてフラッとする。
養父様から貰った鍵で屋敷の扉を開けた時と同じ感覚だ。
今のは何だったの?
『マリオ。良い響きですね』
「そうでしょ? ……って、えええぇぇぇっ!?」
急に誰かの声が頭に響いた。
幻聴!? まだ追放されて4日目なのにもう孤独に耐え切れずにイマジナリーボイスが!?
『驚かせてしまって申し訳ありません。マスター』
「マスターって、もしかしてマリオさん?」
この場にいるのは私と人形の彼だけ。
そして、屋敷の鍵を持つ私をお世話しているのは人形さんだ。
『はい。自動人形のマリオです』
「どうもご丁寧に。私はミサキです」
顔はのっぺりとしているけど、聞こえる声は非常に落ち着いている。
音声案内で聞くような声と言えばいいのかな?
『ミサキ様ですね。ワタシはマスターであるミサキ様から名付けをして頂いたのでこうして会話が可能になりました』
「え?どういう意味ですか?」
『自動人形であるワタシはマスターからの魔力供給が無ければ動けません。この屋敷を訪れた時点でミサキ様は仮マスターとして登録されていましたが、名前を付けていただいた事で本契約がなされました』
何か勝手に契約されてる!?
いやまぁ、呼ぶのに困るから名前付けただけでそんな大きな事になるとは思っていなかった。
だけど、話して意思の疎通が出来るようになったのはありがたいかな。
「これからよろしくお願いします。マリオさん」
『かしこまりました。ミサキ様』
教会を追放されて初めてお喋りしたのは、顔がつるつるのお人形さんでした。
こうやって話せれば、人がいなくても寂しくはなさそうですよ養父様。
マリオさんとお喋り出来るようになるという事件があって、朝食を食べ終わった後に私はキッチンへと招かれた。
お屋敷に相応しいサイズの広いキッチンにはフライパンや鍋といった調理器具やお皿が整理して置いてあった。
『実はミサキ様にご報告がございます』
ごくりと唾を飲んで私は続く言葉を聞く。
『屋敷に残されていた食材が底を尽きました』
「それは一大事だ!」
なんてこった。
腹ペコ食いしん坊のミサキさんにとって致命傷になりかねない大事件だ。
「ど、どうしよう」
困った事にこの屋敷の近くには町どころか村すら無い。
加えて私の所持金はゼロだ。
『調味料などはありますので、近場で食材を調達すれば何とかなります。庭にある畑も再稼働させれば問題無いでしょう』
そうだ。
屋敷の周囲にある森は自然豊かで鳥達も沢山住んでいたから狩りをすればいいんだ。
現代日本や教会で黙っていれば食事が出る光景に慣れていたから思い付かなかった。
原始時代はそうやって人間は生活していたのだから私に出来ない理由は無い!
『森に入るには準備が必要でしょうから先に畑の手入れをしましょう。そちらの方が安定して食材が収穫出来ます』
「そうだね。家庭菜園を頑張ろう!」
マリオさんと一緒に屋敷の裏手に回り込むと、レンガで仕切りされた畑があった。
ちょっとした広さがあるので、色んな種類が育てられるだろう。
種と道具は屋敷の中にある物置きから持ってきて使う。
「昔もこうやっていたの?」
『はい。契約の都合で詳しいお話は出来ませんが、前のマスターの時は主にここで野菜を育てていました』
前のマスターさんはマリオさんに任せっきりで何にもしなかったから畑仕事も慣れっこだという。
私はそうはならないようにしよう。
『ワタシはマスターのお世話をするのが役割ですからお気になさらず』
「そういうわけにもいかないんです。ニートになるのはちょっと…」
『なるほど。承知しましたが、無理をなさらずに。まだお怪我されていますので』
マリオさんに比べるとぎこちないし、不恰好な形にはなるけど畑を耕す。
こういう経験って日本だと貴重なんだよね。記憶を無くす前の私は農家の生まれではないだろうね。
終わってみれば大半をマリオさんが耕して、種を植える準備は終わった。
「こ、腰が……肩も……」
『やはりお休みになっていた方がよろしいのでは?』
「少しは動いて疲れないと眠れそうにないんですよ。それで、種はどういう風に撒くんです?」
この畑はマリオさんにとっては急ぎでもなければ必要な事でもない。
私が自分で食べるための食糧を作るんだ。
だったら多少の無茶をしてでも手伝わないと。
『種は一定の間隔を空けます。植える深さは……』
「ふむふむ。なるほど」
マリオさんは懇切丁寧に種植えを教えてくれた。
これで本業は料理や掃除だっていうんだから私より高性能だ。
あくまで与えられた知識を活用しているだけだと彼は謙遜したけど、そのおかげで私は助かっている。
「ありがとうございますね。マリオさん」
『お礼なんて不用です。ワタシはミサキ様の道具なのですから』
「道具なんて思えませんよ。マリオさんは私の命の恩人なんですから。この肩の怪我だって、マリオさんが運んで手当てしてくれたから」
ドラゴンの近くで倒れていた私を抱き抱えて運んでくれた。
あのままだと食べられちゃったかもしれないし、出血と魔力の枯渇で衰弱死していた。
昨日も今朝も体調に合わせてご飯を用意してくれたから私はこうして生きている。
『その事ですが、ミサキ様を運んで手当てをしたのは……』
マリオさんが歯切れ悪く何かを言おうとした瞬間、屋敷の玄関の方から物音がした。
「おい! 誰かいないのか!!」
しかも人の声まで聞こえてきた。
こんな変な場所にお客様?それになんだか大きな声で怒り気味?
私はマリオさんから話の続きを聞けないまま玄関へと向かう事にした。
今の屋敷の主人は私みたいなので対応しなくちゃ。
玄関に回った私は腰を抜かしそうになった。
怖い顔で待っていたのは頭にツノの生えた顔に傷がある大男だった。
誰!? どちらさまです?