病んだ魔法使いが、貴族令嬢に恋をして攫って監禁しました。
「やっとつかまえた」
「あなたを一生、ここから逃がしません」
「あなたを絶対に、僕は逃がしません」
「愛しています」
誰かのそんな声が、聞こえた気がした。
目を覚ますと知らない部屋にいた。
部屋の中には、嬉しそうに私を見つめる男。黒く長い魔法使いのローブをまとっている。
知らない相手だ。どこかで見たような気もするけれど、知り合いではない。
視界に入るのは彼だけ。
その異常さに気づき、慌てて起き上がる。そしていつも側に控えている侍女のマリーを探した。
でも、いない。
この状況はおかしい
知らない部屋に、知らない男性と二人きり。こんなこと、貴族の女性として許されない
動揺していたずらに部屋の中を見回す私を男が笑った。
「他には誰もいませんよ。あなたと僕の、二人っきりです」
「そんな、どうして!?」
関係を疑われてしまうではないか
未婚なのに、そんなの困る
焦る私に彼は告げた。
「僕があなたを攫ったからです」
ひどく嬉しそうに笑う彼に混乱する。
笑って言うような内容ではないはずだ。
「なんで笑って……」
「あなたをようやく手に入れたんですよ。嬉しくないわけがない」
彼は屈託無く笑い続ける。
本当にわけがわからない。
何故、私が攫われたのか。
そもそもいったい彼は誰なのかーー
「これからは、ずっと二人きりです」
彼が甘い声で囁いた。私のことを愛おしそうに見つめながら。
本の中では、何度も胸をときめかせた台詞。でも、知らない人からいきなりそんなこと言われても全然嬉しくなかった。
「あなたのためなら何だってします。僕から逃げたい、ここから出たいなんて願い以外ならね。全部叶えてあげます」
誘拐犯から逃げたい、以外の願いなんて今はない。
「ああ、自殺はできないように魔法をかけてありますから、無駄なことはしないでくださいね。行動を制限する魔法は簡単ですから。他人や自分に危害を加えさせない魔法なら尚更です」
……自殺したくなるようなことをするつもりなの?
サッと体から血の気が引いた。
そんな私を見て、男はゆっくり首を振った。
「酷いことをするつもりはありませんから安心してください。でもあなたは、これから命尽きるまで僕とずっと一緒にいるんです」
何を言って……
いきなりそんな、何を言って……
……まさか、一生私を監禁するつもりなの?
一度も話したこともなかったような相手を!?
男の異常な執着に恐怖を覚えた。
そんな私に彼は言う。
「楽になる方法を教えてあげましょうか?僕を好きになるんです。そうしたらここは、あなたにとって楽園になります」
何を言っているの
あまりに無茶な言い分に、少しだけ冷静になれた。
そんな自分勝手な理屈、通るわけがない。
「どうせなら魔法で好きにならせればよかったのに」
思わず口をついた言葉。
嫌だけど、絶対に嫌だけれど、自分からこんな人を好きになるよりはまだ現実的だ。
やれるものならやってみろ、そう思った。
「そうしたいのは山々なんですけどね。残念ながら心を変える魔法はないんですよ。だから、あなたが自分で僕のことを好きになってください」
本当に何を言っているんだろうこの人。誘拐犯を自分から好きになる人間なんているわけないのに
私が眉をひそめると、彼は宥めるように続けた。
「そんなに頑にならないで。嫌いな男とずっと一緒にいるのは辛いでしょう?だったら、僕のことを好きになればいいんです。僕のためではなく、あなた自身のために」
彼にばかり都合のいい理屈。
「そうしたらあなたは、好きな相手に愛される、幸せな女性です。ね、僕と幸せになってしまいましょう?」
なのに不意に、『幸せ』という言葉が、異常な状況に混乱する頭の中にするりと入ってきてしまった。
不幸自慢をするわけではないけれど、今まで生きてきて幸せだと感じた覚えは無い。家族から愛されていると感じたことなどないし、心を許せるような友人だっていなかった。挙句の果てに、頭のおかしな男に誘拐された。
そんな私の内心を知ってか知らずか、男は繰り返した。
「そう、幸せに。あなたが幸せになる方法は、もうそれしかないんですよ。僕は一生、あなたを逃すつもりはありません。あなたを離しません。あなたは今後一生、僕以外の誰とも会うことはないんです。今、あなたはそれを嫌だと思っているのでしょう?でもね、僕を好きになりさえすれば、それはこの上なく幸せなことに変わるんです」
自分が語る未来を想像したのか、男の目が甘く蕩けた。
理屈ではそうかもしれない。でもそれは、私の意思を完全に無視した未来だ。
強い反発を覚えて、男を睨みつけた。
「今、あなたを不幸にしているのは、頑に意地を張るあなたの心なんですよ。僕はあなたを愛しています。あなたを一生、大切にします。僕にはあなただけなんですから」
勝手な言い分。愛してるなんてこんな状況で言われても嬉しくなんてーー
「だから、よく考えてください。何があなたにとっての最善か。意地を張って僕を嫌い続けて、唯一顔を合わせる僕に怯え憎みながら、あと何十年も一緒に暮らすのか。僕のことを好きになって、愛しい人との誰にも邪魔されない生活を満ち足りた気持ちで送るのか。賢いあなたならわかるでしょう?どれだけ嫌われようが憎まれようが、僕はあなたを離しませんよ?」
彼を拒絶する私の思考を塗り替えようとでもいうかのように、彼の言葉は止まらない。
聞きたくなくても、その声が耳に入ってきてしまう。耳を傾けてしまう。確かに、それはそうかもしれない、と思ってしまう。
だってすべてが出鱈目なわけではないから。
それでも彼の言葉に必死に抗う。
グッと唇を噛んで。
こんな奴の言葉なんて聞いちゃダメ
誘拐犯を好きになるなんて嫌。信用できない
そう思うのに
「どうせ政略結婚で、顔も知らない相手と一緒になるはずだったんでしょう?だったらその相手が僕になっただけのことです。そうではありませんか?」
と言われて、心が揺らいだ。
元々、親の決めた家の益になる相手に否応なく嫁ぐはずだった。それがたとえ彼だったとしても、私は大人しく嫁いだだろう。
「僕は平民の出ですからね。いくら魔法の才があってもあなたの家には認めてもらえないでしょう。あなたの家は、貴族でなければ人ではないと思っていますから」
……確かにお父様もお母様も、そういう人たちだ。
「だから、あなたと一緒になるにはこうするより仕方なかったんです」
「でも、だからってこんなやり方……」
やっぱり納得できない。誘拐は犯罪だし、私の意思を無視している。いくら好きだと言われたって……
ここから逃げなくては
きっと町の警備隊だって私を探しているはず
決意した私の心を読んだかのように彼は言った。
「……あなたによく似た背格好の女性の死体を買って、顔を潰してあなたに見せかけておきました。皆、あなたは通り魔に襲われて死んだと思っています。捜しに来る人はいないでしょう」
なんですって!?
予想外の内容に、驚くと同時に一気に体が冷えた。
「世間的には、あなたはもう死んだのです」
なんて、ことを……
全身がガタガタと震え出す。私を捜してくれている人はいないのか……
たとえここから逃げられたとしても、そんな醜聞のついた女にまともな嫁ぎ先などない。
私の未来は閉ざされた。
震える私に、彼は要求する。
「僕の愛を受け入れれば、あなたは幸せになれるんです。だから僕を好きになってください」
誘拐しておいて、死んだ事にしておいて、自分を愛せだなんてそんなの酷い。愛じゃない
そう思って睨んだ。
「これが、僕に示せる精一杯の愛情です」
こんなので精一杯だなんて、酷い人に捕まってしまった……
目の前が暗くなる私に彼は言う。
「このことが露見したら、僕は間違いなく死刑でしょう。平民が貴族を攫うなんて決して許されませんから。僕はあなたと一緒になるために、命を賭けたんですよ」
……迂闊にも一瞬ときめいてしまった。
そんな風に強く誰かから求められたことなんて一度もなかった。
彼は命懸けで私を愛しているというのか。
でも、思い直す。
こんなの違う。こんな一方的なもの、愛なんかであるはずがない。愛とはもっと、相手を思いやるもののはずだ。……知らないけれど。
尚も拒絶する。
けれど彼は告げる。彼の精一杯の愛とやらを。
「この家の周りには、強固な結界を張ってありますから庭に出たって構いませんよ。決して中からは出られませんから」
中途半端な自由。
でもそれなら外を通りがかった人に文字などで伝えれば逃げるチャンスがあるかも……
希望は、ある
やっぱりこんなおかしな人からは逃げなければ
そう、思ったのにーー
「ああ、外からは見えない、聞こえない、感じられない細工がしてあります。大変だったんですよ、この魔法を開発するの。そもそも森の中ですし、この場所が誰かに見つかることはまずありません」
希望は即座に潰された。
「ふふっ。あなたとずっと、誰にも邪魔されずに一緒にいるために、僕が作ったオリジナルの魔法です」
なんとかと天才は紙一重っていうけど本当にそうなのね
失望とともに、そんなくだらない考えが頭をよぎった。
「僕の仕事はね、魔の森を封印する結界師なんです。結界を維持し続けさえすれば、職場に顔を出す必要もない。だからずっと一日中、あなたと一緒にいられます」
ずっと側で私を監視し続けるというのか
彼が口を開くたびに、考えられる限りの可能性が潰されていく。
ここから、彼から逃げ出せる可能性が。
徐々に絶望が心を支配していく。
本当に他に、選択肢がないのなら。それならーー
心がどんどん、闇に侵されていく。
逃げたい
こんな勝手な人になんて屈したくない
でも逃げる方法がない
周りは私が死んだと思っている
助けに来てくれる人なんていない
そもそも私のことを愛してくれている人なんていない
私のことを純粋に心配してくれている人だってどこにも……
それならいっそ、私を命をかけるほど愛していると言うこの男を
死刑になる危険を冒してまで、私を求めるこの男とーー
…………………だってもう、耐えられないから
もう、心が限界だった。
元々、ギリギリだったのだ。
最近、家の中での私の扱いはどんどん酷くなっていた。親には出荷間近の家畜のように扱われ、使用人達は誰も味方をしてくれない。
助けを求められるような知り合いもいない。
そんな中、ギリギリのところで一人で耐えていたのだ。
なのに誘拐されて、一生逃がさないと言われて。
これ以上は心がもたないからーー
諦めとともに、目を閉じた。
そして、自分に言い聞かせた。暗示をかけた。
心を守るために。
仕方がないから。
今まで何度も、色々なことを諦めてきたのと同じように。
自分の心を塗り替える。
こんなところで、誘拐犯を憎みながら一生を終えるなんて嫌
彼は私を大事にすると言った
私も彼を大事にすれば、きっと幸せになれる
どうせ他に選択肢なんてない
そう、自分を追いつめる。
自分で希望を、消していく。
実際にはありもしない希望に、縋ってしまわないように。
もし今度期待してそれが叶わなかったなら、きっと私は壊れてしまうから。
だから言い聞かせる。
逃げることも、自害することもできない
私を探している人さえいない
助けなんて来ない
そんな中、唯一顔を合わせる人間を憎みながらあと何十年も生き続けるなんて無理
心が壊れてしまう
狂ってしまう
だから彼を受け入れよう
彼の存在を
彼のためじゃない
決して彼のためじゃない
自分のために
自分を守るために
必要なことだから
決意が体に染み渡るのを待つ。
どれくらいの時間が経っただろう。
心がだんだん、静かになっていくのがわかった。
大きく息を吸い込んだ。
まだ、こんなのじゃ足りない。
もっともっと、信じなければ。
心の底から信じ込まなければ。
彼を受け入れられると。
目を閉じたまま、暗示をさらに深く強固なものにしていく。
大丈夫
私は彼を好きになれる
だって私を愛していると言った
生まれて初めて、私を愛していると言ってくれた人
だから大丈夫
好きになれる
大丈夫
大丈夫
誰もくれなかった愛をくれる人
だから大丈夫
好きにならない理由がない
絶対に大丈夫
彼は私を攫うほど好き
大丈夫
大丈夫
好きになれる
私は彼を好きになれる
大丈夫
大丈夫
だってこの先、ずっと彼と二人きり
だから大丈夫
他に誰もいないのだ
彼以外いないのだ
だから大丈夫
私は彼を好きになれる
大丈夫
大丈夫
好きになれる
だって私、幸せになりたい
もう不幸なのは嫌
大丈夫
大丈夫
私はここで幸せになれる
私を愛してくれる人がいるのだもの
大丈夫
そこに、いるのだもの
大丈夫
私が彼を好きになれば、きっと私だって幸せになれる
大丈夫
大丈夫
きっと大丈夫
好きになればいいの
大丈夫
彼を好きになればいいの
大丈夫
大丈夫
幸せになりたい
大丈夫
大丈夫
大丈夫
そのために必要なことならできる
大丈夫
大丈夫
大丈夫
大丈夫
大丈夫。ほら、私は彼が好き
目を開けた。
目の前には、彼の白く細い指先が差し出されていた。
知らない世界へ誘なうように。
もう一度、深呼吸をする。
私は彼と幸せになる
静かにその手を取ろうとしてーー
バチン!
指先から電流が走ったような感覚がして、私は気を失った。
気がつくとベッドの上に横になっていた。彼はすぐ脇に立って、私を見つめていた。ものすごく青ざめた顔で。
「すみません……浮かれ過ぎて、魔力の制御が外れてしまったみたいです……」
先ほどまでとはうって変わって、自信のなさそうな震える声。怯えたような瞳。
どういうこと?
首を傾げる。
「僕の属性は雷なので……こんな風になったこと、今まで一度もなかったのですが……あなたを傷つけるなんて……」
彼は呆然と呟いた。
漏れ出した魔力に撃たれて気を失ったのか……
聞いたことがあった。感情が昂りすぎると魔力が制御を失うと。
ぼんやりと理解する。
目も合わせずにボソボソと呟く彼。合わせる顔はないけれど、様子が心配で離れられない、そんな空気が伝わってきた。
私を心から気にかけるその様子に、心が温かくなった。
私を心配してくれる人がいる。
私を想ってくれる人がここにいる。
私に受け入れられたことが嬉しすぎて思わず魔力の制御を失ってしまうほどに、私のことを好きな人が。
私に嫌われることが怖くて、怯えて震えてしまう可愛い人が。
それは、こんなにも嬉しいことだったのか。
こんなにも心が浮き立つことだったのか。
初めて感じる心がそわそわするような感覚に、口元が知らず綻んだ。
手のひらを握って開いてみる。ちゃんと動く。
体をゆっくりと起こした。大丈夫そうだ。
「大丈夫ですよ。ちょっとびっくりしただけです」
安心させるように笑いかけると、彼は何故だか泣きそうに顔を歪めた。
そんな顔、しなくていいのに。
「赦して、頂けるんですか……」
今にも涙が零れ落ちそうなほどに潤んだ瞳。
「ええ、大したことではありませんから」
漏れた魔力でちょっと気絶してしまっただけのようだから。別に気にしていない。
彼はそれを聞くと、両手で顔を覆って俯いてしまった。
どうしたのだろう?
そっと手を伸ばして、長い前髪に触れてみる。
彼は一瞬、びくりと肩を揺らした。
そして数秒後、静かな嗚咽が聞こえてきた。
少し驚いたけれど、彼が泣き止むまでずっと私はその髪を撫で続けた。
湧き上がる愛しさを込めて。
歪な恋人達に幸あれ。




