重い言葉
『あの時、隣に里奈がいなかったらと思うと今でも背筋が凍る思いだわ』
長いストレートの髪が綺麗だ。
里奈はいつも陽葵を見るとそんなことを思ってしまう。本人は切るのが面倒だからそのままにしているだけというが、まっすぐ綺麗に伸びている長い髪を見ているとそのままにしているようには見えない。
ちゃんと定期的に手入れし美容院に行っているはずである。
まあ……そんな手間も彼女にとっては当たり前の話なのだから、『そのままにしている』という言葉が出るのだろう。
あの時……。
船酔いで苦しんでいる陽葵に酔い止めの薬を手渡したことで現在の二人の関係が出来上がったといっても過言ではない。酔い止めの薬が効いて、1時間後ぐらいには釣りができるようになった陽葵に、いろいろ教えたのは里奈である。
『普通は女の子って釣りなんかしないから分からないわよ。うちの会社がどうかしてるのよ。知ってる前提で研修させるなんて』
トマトソースのパスタを食べながら里奈は言った。
大船駅の周りにはたくさんの飲食店がある。
お洒落なパスタのお店もあり、ちょっとした居酒屋もあり、大船は非常に便利で楽しい街だ。
だから二人で会う時はいつも大船と決まっている。
『ここのパスタ美味しいよね』
『うん』
基本的に陽葵は無口だ。
何も話さなくても絵になる。
すらりとのびた手足。背も高い。
スタイルも抜群で、なんでこんなに細いんだろうというぐらいのウエストである。
肌が白いから黒い髪が一層よく映える。
『陽葵って結婚のこと考えたことある?』
何も考えずに思った事をストレートに聞いてしまうのは里奈の悪い癖だ。
『え? いきなりその話??』 とよく言われる。大事な話をするときは少し他の話をして場を温めてから本題に入ると良いという話を聞いたことがあるが、少し他の話などする余裕などない。
本題が話したい内容なのであって、その時には他の話など思いつかないのである。
『結婚?』
『うん』
『うーーん……あたしは彼氏もいないしなあ……』
性格的なものでもあるのだろうけど、陽葵はいつもちょっとのんびりとした雰囲気を醸し出す。
この……のんびりとした雰囲気が周りと調和しないのかもしれない。彼女はあまり人付き合いも多くない。同じ会社の他の社員に陽葵とよく食事に行く話をしたら驚かれたのを覚えてる。
それにしてももったいない限りである。
こんな美人をどうして男は放っておくのか……。
『そっか……』
『うん。でも結婚って一生モノの決定だからね。あたしだったら慎重に考えると思う』
『だよね』
『あたしってちょっと人と合わないところがあるから、彼がいたら彼の周りの人のことは知りたいと思うな』
そう。
それはよく分かる。
里奈もそう思っていたからだ。
問題はそれをどうやって知るか……だ。
『そうなんだよね。ただそれをどうやって知るか……なんだよねーー』
無口な靖男からどうやってそれを聞き出すことができるのか。
『聞くしかないよ。彼氏に』
『陽葵なら聞かれて答える?』
『うーーん。結婚の話は彼にしたの?』
陽葵はのんびりした顔をして意外と痛いところをついてくる。
でもそれは今の里奈にとってはありがたい。
『……話してない……』
『結婚の話がまだだったらあまり突っ込んだ話はできないかもね』
『そっか……』
『どうしたの? 急に結婚の話なんかしだして』
『うん。実はね……この間、実家に帰ったら母親に聞かれちゃってさ』
『そうなんだ……それはちょっと考えちゃうね』
陽葵の言葉に里奈は黙って頷いた。
30歳を過ぎると実家からの言葉が急に重くなる。結婚するならもう今でないと厳しい……いや……もう遅すぎるかもしれない。
たぶん、自分でもそう思っているからだ。
だから実家の母親の『だれかいい人いないの?』 という言葉はたとえそれが冗談半分だったとしても重いのだ。
『突っ込んだ話以外のところから聞いてみたら? 例えば友達とか、趣味とか……』
友達とか趣味か……
趣味は……ないんだろうな。
友達は……あまりいないんだろうな。
聞かなくてもなんとなく分かる。
里奈は苦笑いするしかなかった。