1-3 佐藤は魔法が打ちたい
リリカが行ってしまったのち、部屋の中は急に静けさに包まれた。
敵からの攻撃も一度止み、あたりが急に穏やかになる。
その静けさが逆にアレクの心に突き刺さっていた。
アレクは近くにあった椅子に腰かけ、深くため息を吐く。
彼の頭の中には、トボトボと歩くリリカの姿がまだ映し出されていた。
これまで起きたことをいったん整理してみようと試みる。リリカに目を覚まされてから、時間はあまりたっていなかった。
その間に起こったことを1つ1つ整理する。
リリカと顔を合わせたのも、実に3か月振りのことだった。
まだリリカに「久しぶり」の言葉一つかけていないことに、アレクはようやく気が付いた。
昔の仲間がやって来た、敵が攻めてきた。
あまりに突拍子のない出来事の連続にアレクはまだ付いていけてなかった。混乱していたと言っても間違ってない。
手のひらで目を抑えながらゆっくりと息を吸う。
彼の頭が少しずつ正常に戻っていく。
アレクの中で、リリカの最後の言葉が再生される。
「どうなっても知りませんからね」
一瞬だけアレクの方を向いた目には涙が浮かんでいた。
アレク自身、イライラしてリリカを追い出していた。それでもリリカはアレクのために歩き出してくれた。
アレクの頭の中で、リリカたちと共に旅していた時の記憶がよみがえる。
魔王討伐の旅の最中も、リリカはアレクの近くにいて、みんなを賑やかにしてくれていた。
様々な情景がアレクの中で浮かび上がる。
”寝込みを急に襲われそうになったこと”
”食べようとしたご飯がいつの間にか食べられていたこと”
”倒そうとしていた魔物とリリカが仲良くなってしまい一悶着起きたこと”
”魔王城の前で魔法を暴発させて門番に見つかったこと”
他にも……
アレクは一度考えることをやめた。
これ以上考えたら今抱いている思いがどこかへ飛んで行ってしまうような気がした。
頭を振ってもう一度外を眺める。
たとえ何があっても、リリカがアレクのために向かってくれたことは変わらないのだ。アレクは自分に言い聞かせた。
――とりあえず帰ってきたら褒めておいてやろう。
アレクはひそかに心の中で決めた。
その時、また轟音が響いた。
アレクはすぐに窓の外を眺める。
外にはまた炎の渦が立ち上がる。
さっきよりも一回り大きいそれは山の半分を囲んでいるようだった。無作為に放たれたものではない。明らかに誰かに向けて放たれたものだった。
アレクは椅子から立ち上がり、靴も履かずに窓から身を乗り出した。
外は、青い空も陰るほどの炎の色で染まっている。冬の寒さもかき消すような勢いで炎が立ち込めていた。
アレクはその炎から漏れ出る魔力を感じた。
その勢いは、たしかに、この世界ではめったに感じることのできないものだった。
――リリカのものではない。アレクにも直感的にわかった。
やがて、炎の渦の中から黒いシルエットが浮かんでいた。
シルエットはゆっくりと、しかし余裕を持ってアレクの方へ近づいていた。
その輪郭が見えるほどまで近づくと、シルエットの主は口を開いた。
「これはこれは、勇者さま、初めまして。あなたを殺しにやってきた佐藤といいます。よろしくお願いいたします」
佐藤の口調は礼儀正しいものだった。
しかし、それは心から出た言葉というよりかは、形だけのもののようだった。名前を名乗り挨拶することが、習慣となってしまったようなしゃべり方だった。
佐藤はアレクの姿をなめるように見回す。
「それにしても、勇者様は随分と汚らしい格好をされているのですね」
佐藤に言われて、アレクは自分の姿を眺める。
灰色のパジャマにぼさぼさの髪、確かにひどい格好だ。
それに比べて、佐藤は上品な紫色のマントを身にまとっていた。
黒いサラサラの髪に、やけにレンズの大きな眼鏡。
服の1つ1つから輝く光沢は、彼の姿を不相応に照らしていた。
――いかにも王子が好みそうな服のセンスだった。
「あいにくこの姿が性に合うものでね。あんたは随分豪華な服だな。デベルにでも貰ったのか?」
アレクは嫌味のつもりで言ったが、佐藤には効いていないらしい。かえって、自分の服装を眺めて悦に浸っていた。
その顔が王子に重なっているようにアレクには見えた。
「ええ、デベル様に召喚してもらった時にもらったのです。こんな素敵な服なかなか着れるものではありません!」
悦に浸る佐藤の横で、アレクは彼に担がれているリリカを見つけた。
彼女は、戦いの傷痕なのか、かなりボロボロになっていたが、まだ生きていた。
アレクはリリカを指さす。
「そいつ俺の連れなんで、返してもらえないっすか?」
「ええ、返してあげますよ」
佐藤はあっさりと答えたが、言葉とは反対にアレクの前で詠唱の準備をする。
「あなたを葬り去ってからね!」
「地獄の業火」
佐藤が呪文を唱える。
火属性の呪文、アレクも習得している最高ランクの威力だ。
魔法陣がアレクの足元に浮かび上がり、そのまま炎の渦が沸き上がった。
アレクは寸前で何とかその炎をよける。このくらいのことはまだ彼にも余裕だった。
「危ないじゃねえか。いきなり放ってるんじゃねえよ」
アレクの文句を男は無視した。
魔法を放った自分の手を見ながら、佐藤は高笑いを始める。
「やっぱり避けるのか。さすが勇者、練習で放った時とは違うね。癖になりそうだ」
男のテンションの上がり方にアレクは温度差を感じながらも、すぐに反撃に入る。
しかし、構えを取ろうとしたアレクに、男はすぐに反応した。
彼は空いている手をアレクに向けて動きを制する。
「おっと、変なことはよしてくださいね。もしあなたが攻撃するようでしたら、この大事なリリカちゃんを粉々にしちゃいますよ」
侵略者は不敵な笑みを浮かべる。
さっきの一撃から、男の力はは本物だということはアレクも感じていた。彼が粉々にすると言うのならば、本当にそれくらいはできるのだろう。
アレクは舌打ちをしながらも動きをやめる。男の顔はすでに勝利を確信していた。
「あなたは、一応、最強の勇者らしいですからね。私も念を入れておかないと」
佐藤は抱えていたリリカを乱暴に地面に投げ落とした。
リリカからうめき声が漏れる。
佐藤はリリカに左手を向けて構え続ける。
――いつでも魔法が打てる。アレクに牽制しているのだ。
「あなたも勇者様に命乞いをしなさい」
男はいかにも事務的にリリカに指示する。
リリカは地面に横になりながらアレクの方を見る。
「アレク様、私の事はどうでもいいですから……」
リリカの一言に男は目を丸くする。
不機嫌な顔をすると、リリカのすぐ近くに魔法を一撃飛ばした。
リリカをわざと外してはいたものの、リリカの言葉はそれで遮られてしまった。
「おい、ここにきて変なことを話すんじゃねえよ。次変なことを口にすれば、跡形もなく消してやるぞ」
男はリリカを見下ろしながら脅すと、再びアレクの方を向きなおす。その顔には再び黒い笑みが浮かんでいた。
「さあ、勇者様。いや、アレクよ。あなたには私の最強の力をくらわしてあげましょう。ステータス999の、最強の私の攻撃は! いくら勇者でも耐えられるわけないでしょう」
男の言葉にアレクは引っかかった。
「ステータス? なんだそれ」
アレクから飛び出た不意の言葉を佐藤は鼻で笑う。
「おやおや、アレク。ステータスも知らずに最強を名乗っていたのですか? ステータスとは力の証。そして、ステータスが999ということは、私は最強の力を持っているということです!」
男は眼鏡を少しだけもちあげてアレクを見る。
「そう、あなたよりもね」
男はそのまま魔法の構えをとった。
「さようなら。“元“最強の勇者様」
「地獄の業火」
アレクの下に再び魔法陣が浮かび上がる。
アレクに動こうとする様子はない。
ただじっと、倒れているリリカのことを見つめていた。
リリカはアレクの方を見て何かを叫んでいるようにも見えた。
しかしその声は、下から鳴り響く炎の音で、もう何も聞こえてはこなかった。