1-2 リリカはベッドに潜りたい
「異世界の人間ってどういうことだよ?」
アレクはリリカに訊ねた。
彼の頭の中はまだ入って来る情報を整理できていなかった。
「文字通り異世界からやって来た人間ですよ。そいつらがアレク様の結界をはがしたんです」
「ちゃんと言い直してもらってもよくわからねえよ……」
ようやく動き始めたアレクの頭の中ではまだ多くのことを処理し切れていない。
普段早く起きない障害が彼のことを苦しめていた。
リリカはさらに続ける。
「なんでも王子がアレク様の暗殺をもくろんでいるらしいです」
「王子ってあの豚が?」
「豚って……本人の前で言ったら殺されますよ」
そんなことを言いながらリリカ自身も笑いをこらえ切れていなかった。
アレクは王子との関係を思い返してみる。
彼の父である王から魔王討伐の命令を下されたが、王子との関わりはほとんどない。
彼との関わりといえば、ふんぞり返っている王子に舌打ちをしたことがあるくらいだった。
「俺あの豚になんか恨みを買うようなことしたか? 全く思い当たらないんだが」
「まあアレク様は基本的に人当たりの悪いコミュ障なので、恨みを買っている可能性は高いですよね」
「ケンカ売ってるのか?」
リリカは楽しむように続ける。
「でも今回の件はアレク様は直接関係ないみたいです。聞いた話によると、アレク様のほうが王子より人気があることに怒ったんですって」
「なんだそのいちゃもんは」
「まあ、あの王子もわがままですからねえ。あのまま王権握ったら間違いなく国を滅ぼしますよ、あれは」
そこまで言うとリリカは立ち上がって、体についている埃を払い始めた。
アレクの家の埃をかぶったせいで、リリカの体を随分と汚れていた。
頭を振りながら髪に絡まった埃を振り下ろすと、アレクを嘗め回すように見つめる。
彼女の眼の色が変わり鼻息が荒くなる。
「さ、さあ。ここまで大事な情報を教えましたよ。だから、もう布団の中に潜り込んでもいいんですよね。いっぱいクンカクンカしていいんですよね!」
リリカはもう1度アレクめがけて飛び込んだ。
しかし、アレクはまたもリリカを受け入れる様子はない。飛び込むリリカの頭にチョップをくらわし、その動きを止める。
「ギャッフンッ!」
彼女の頭はベッドの上に叩きつけられる。動きを止められた彼女からは高いうめき声が漏れ出た。
「なんで! なんでですか! もうアレク様の欲しい情報は教えたじゃないですか!! ……あ、ちょっといい匂いがするかも」
リリカはアレクのに怒りをぶつけながらも、彼のベッドの端に残る匂いを嗅ぎ始めた。アレクの顔もさすがに引きつる。アレクはリリカの顔をベッドから引きはがす。
「まだ一番大事な情報を聞いていないだろ。それで結局その“異世界からやって来た人間”っていうのは何者なんだ? 俺より強いのか?」
頬をアレクの手に挟まれたリリカは不満げな顔をしながらもアレクの問いに答える。
「だから、言ったじゃないですか。王子がアレク様を殺すために異世界の人間を刺客として召喚したんです」
「はじめからそう言えよ」
「アレク様のベッドが近いのが悪いんです」
何とかベッドに顔をうずめようとするリリカに抗いながら、アレクは質問を続ける。
「そいつは俺より強いんだな?」
「強いかは分かりませんが、アレク様の結界を破れるだけの力は持っているので結構強いんじゃないですか?」
リリカは質問に答えながらもじっとベッドの方に目を向けている。鼻を動かしさせながら、何とかそこに漂う匂いを感じ取ろうとしていた。
アレクはとうとうリリカを抑えていてた手を離した。
自由になったリリカはその体で存分にベッドの上に転がり込んだ。ベッドの中からはだらしない笑い声が響く。その声がアレクの頭にも響いていた。
アレクはベッドから離れて外の景色を眺める。
久しぶりに朝にカーテンを開く。
長らく浴びていなかった健康的な朝日がアレクの体に突き刺さる。外の景色はいつもと変わらない穏やかなものだった。
結界がはがされたこと以外はいつもと何も変わらない。
「なあ、結界が壊されたということは、そいつはこの近くに来ているのか?」
「まあ、来ているでしょうね。そんな遠隔で壊せるほどアレク様の結界は弱くないでしょうし」
「それ、普通にやばいじゃないか」
その時、窓の外から爆音が響いた。
アレクは急いで窓の外に目をやる。
窓の外では、麓の方から巨大な炎の柱が立っていた。柱は渦を巻きながらまがまがしい勢いで立ち上っている。
「呪文……なのか?」
アレクは炎の方向に指をさす。確信のない勇者の問いにリリカはうなずく。
「間違いなく。とうとう攻めてきてしまったんですよ! アレク様、戦わないとですね」
リリカはベッドの中からアレクをはやし立てる。心なしか、その目は輝いている。
敵が来たというのにベッドから離れる気はない。
しかし、アレクはこれだけの力を目の前にしてもまだ焦る様子はなかった。彼にはまだ秘策があった。
「まあそんなにすぐにはこないだろ。こういう時を見越して、山の中には罠も仕掛けてあるからな」
自分が仕掛けた罠たちを思い出し、アレクは自慢げに話す。
リリカはそれらの話を聞いて、思い出したように叫んだ。
「あ! あの罠やっぱりアレク様が仕掛けたやつだったんですね。ひどいじゃないですか。あんな強力な罠を仕掛けるなんて。私じゃなきゃ死んでましたよ」
リリカの一言に、アレクの目が凍り付く。
「リリカ……お前罠に引っかかったのか?」
「ええ。とても痛かったです!」
「痛かったです、じゃねえよ! なんかドレスが汚らしいと思ったら、そういうことだったのか。なんでお前ほどの魔法使いが罠にかかるんだよ」
リリカはきょとんとしている。最悪の予感がアレクの頭をよぎる。
「もしかして、お前、魔力無効のやつにもひっかかったのか?」
「あれもやっぱりアレク様が仕掛けたんですね! あれのせいで私魔法使えなくて罠に大量に引っかかったんですからね!」
「この無能が!」
思わず飛び出たアレクの怒声。本日2度目の大声にアレクの喉は限界を迎えようとしていた。
攻めてくる者がどんな力を持っていたとしても、魔力無効の罠さえあれば大丈夫だ。
そんな彼の甘い希望は一瞬にして崩れ去った。
アレク自身もその場に崩れる。
「何かあった時ように仕掛けた罠なのに、お前が引っかかってどうするんだよ」
力ないアレクの姿を見て、さすがのリリカもベッドから起き上がった。
リリカはアレクの肩を持って微笑む。
「まあ、罠なんてなくてもアレク様の力があれば侵入者なんて怖くないですよ。頑張りましょう」
「なんで罠を壊した張本人に慰められないといけないんだよ!」
アレクはリリカに向かって怒鳴った。そのままリリカを指さす。
「決めた! リリカ、お前が行って奴を止めてこい」
アレクの突然の言い渡しにリリカの顔が固まる。
「な、なんで私なんですか! 勝てるわけないじゃないですか!」
「うるせい! 罠を台無しにした罰だよ。もう時間もたっているし少しは魔法も使えるだろ!」
そう言うと、アレクは窓を開き、リリカを外に放り投げた。
外には巨大なうずがすでに2本立っている。
「アレク様、やばいですって。あんなのどうやったって無理ですって!」
「変態最強魔導士の実力を見せるんだ! 今行かないともう家の中入れてやらないぞ!」
「この人でなし!」
リリカの目はさっきまでの余裕はなくなり、涙がたまっていた。
アレクは本日3度目の大声を上げてリリカを送り出す。もう彼の声はかすれ始めていた。
「どうなっても知りませんからね」
それだけ言うと、リリカはアレクに舌を出してそのまま炎の渦へと歩き出した。