2-4 アレクに酔いが回るや回る
「地獄の業火」
アレクが呪文を唱えた途端に、巨大な魔法陣が広がった。
リリカを狙っただけのものとは思えない巨大な範囲だ。佐藤に襲われたときに、創り出したような緻密な魔法陣ではない。力を見境なく使ったために生じるものだった。
「ちょ、ちょっと」
リリカは足元に広がった魔法陣に戸惑う。攻撃を避けようにも、ちょっと位置をずらしただけでかわせるような代物ではないことはすぐに分かった。
それにくわえて、攻撃に当たればただで済むはずがない。アレクの攻撃を食らった佐藤が塵一つ残らなかった記憶を思い出す。同じ光景が今、自分の身にも起ころうとしていた。
「瞬間移動!」
とっさにリリカは呪文を唱える。その名の通り、瞬間移動の呪文だ。
――できるだけ早く避けられるように。
遠くに移動しようとすればするほど、魔法発動の時間は長くなってしまう。
リリカがしなければならないことは、アレクの地獄の業火が発動してしまう前に魔法陣の外に出ることだった。
どこまで魔法陣の範囲があるのか、彼女には検討が付かない。
リリカは、自分が長年積み重ねてきた、魔法使いとしての勘を頼るしかなかった。
「瞬間移動!」
射程を決めて魔法を発動させる。
リリカの体はそのままアレクの後方の木の上に移動できた。
とっさに唱えた魔法だったので正確に狙った位置には移動できなかったが、命があるだけ良しとすることにした。
リリカが移動したとほぼ同時にアレクの魔法も発動する。
瞬間移動したリリカは、その先で天まで伸びる強大な炎の渦を目にした。
その威力を目にして、ようやくリリカも自分の身に降りかかろうとしていた恐怖を実感した。巻き込まれていたら佐藤の時同様、ひとたまりもなかっただろう。
ほっと一安心するリリカ。アレクの後姿が見える。アレクに対して文句を投げようとしたが、その瞬間、アレクがリリカのほうを向いた。
まるで、始めからそこにいるのがわかっていたかのように、正確にリリカのいる位置に顔を合わせた。リリカの方を見て、アレクは赤らめた顔で残虐に笑う。
「予想通り」
「え?」
リリカはすぐに周りを見渡す。そして見つけてしまった。自分の頭上に張られたもう一つの魔法陣の存在に。
リリカ自身が張ったものではない。しかし、それはリリカの頭上で、彼女のことを待っていたかのようにおいてあった。
今度は馬鹿でかいものではなく、間違いなくただ一人のみに標準を定めた魔法だ。リリカがアレクの背後に瞬間移動してくることを見越して、時間差で張られていたのだ。
あらかじめ魔法陣が張られている分、呪文を唱えた瞬間に魔法が発射されることになる。
とっさにリリカの中の危険信号が鳴り響く。
「|氷結惨劇」
アレクは呪文を唱えた。氷属性の最上位魔法だ。当たればそのまま永遠に氷漬けにされかねない。
瞬間移動では間に合わないと判断したリリカは、イチかバチか木の上から飛び降りる。
魔法はすぐに発射され、リリカが止まっていた木だけを襲い、1つの氷の塊に変えてしまった。
木から飛び降りたリリカは、心臓を抑え、まだ自分が生きていることを確認した。
背後にある氷の塊を見つめて、そこに自分が閉じ込められていたかもしれない未来を想像する。
あまりに細い綱渡りの連続。それだけで自分の寿命が縮んでしまうような心持だった。
荒ぶる息を整えながら、自分のことを攻撃してくる最強の勇者の姿を眺める。
彼は上機嫌に笑っていた。悪意の全くない愉快な表情がやけに輝いていた。
「あ、、、危ないじゃないですか! なに、こんなに高度な読みを決めてるんですか。死ぬかと思いましたよ!!」
リリカの怒鳴り声に対して、アレクは危うい口調で語りだす。
「ちゃんと頭が働いてるということを証明してやったんだよ。見たか?俺の完璧な読み。これで俺が酔ってるわけがないだろ?」
アレクは人差しで自分の頭をトントンと叩いて見せる。それで頭が働いていることを表そうとしているようだった。あくまで彼は自分が毒キノコなんかで酔ってないことを証明したいらしい。
発言とは裏腹に、アレクの目はうつろで、よだれを垂らしている。とても正気ではない。
「酔ってないという人間ほど、信頼できないものはないですよ……」
アレクの上機嫌な返しに、リリカはため息交じりに返した。今まで見たことない仲間の姿に困惑もしていた。
アレクは今や完全に野生の勘で戦っていた。
彼を動かしているのは、正常な理性なんかではない。彼が魔王との戦いの中で覚醒させた勇者としての戦闘の勘だ。
それも、毒キノコのせいで洗練された最強の完成だ。それこそが彼を世界最強の勇者として引き立てていた。
――そのやる気で城まで攻めてくれればいいのに。
リリカは力溢れるアレクの姿を見つめながら、ふと思いを巡らせていた。
このままアレクに城に乗りこむように促したらどうなるのだろう?
もう一度最強のアレクと冒険することが可能なのではないだろうか。最強の力を国の人々に見せることができるではないか。そうすればもう彼のことを悪くいう人々なんていなくなるはず……
リリカは、すぐに首を振って振り払う。
「アレク様はそんなことは望んでいない」
リリカは周りの状況を眺める。2つの魔法によって、山は莫大なダメージを受けていた。地獄の業火が発動された範囲の植物は消え果て、木も1本、氷漬け。
このまま彼を止めなければ、山は消滅しかねない。
それは、すなわち、アレクの大切な居場所がなくなってしまうことを意味している。
「防御結界」
リリカは自分に結界を張った。山の外に張り巡らせているのと同じものだ。魔力の大きさによって、あらゆる外部の攻撃から守ってくれる。
しかし、アレクの魔法と戦わせたときにどうなるかは、リリカ自身にもわからなかった。
――それでもやるしかない
リリカは呼吸を整えてアレクの方を見つめる。
このまま逃げ続けていても状況はひどくなる。アレクを止めるためには逃げずに一気に接近していくしかない。
「アレク様の大事な住みかをなくすわけにはいかない」
結界を身にまとったまま、リリカは一気にアレクの方へと走り出した。
突然のリリカの行動にアレクは歓喜する。
「なんだリリカ、真っ向勝負か! 受けてやろう」
アレクは相変わらず遊び感覚でリリカと向き合う。遊び感覚で山を破壊しようとしている彼の魔力が計り知れなかった。
リリカは恐怖と戦いながらも、まっすぐとアレクの方へと走り続ける。
「地獄の業火」
アレクはしっかりと呪文を唱えて、リリカのもとに魔法陣を張る。読みなど関係ない、威力重視の最大火力だ。
リリカは足元を見ずに突き進む。今更止まる気など彼女の頭にはない。ただ前に進むことだけを考えて、他の考えを取り払う。
すぐにアレクの魔法が発射された。
リリカの足元に地響きが鳴りだす。熱さと不安定な足場にひるまずに前を見つめる。
――来た……!
正念場はここからだった。リリカはただ前だけを見つめて走り続けた。




