一人ぼっちで寂しく無かったの?
翌日に延期された私の講義は、またもや延期になった。タイラントが熱を出し、寝込んだからだ。
三月の噴水の溜池は、金髪の魔族を寝込ませる程冷たかった。や、やっばり私のせいよね。流石に後ろめたかったので、アイツにハチミツ入りの牛乳でも持って行こう。
私はハチミツと牛乳を分けて貰おうと、食堂の厨房に入った。まだ夕食の時間には早かったせいか、厨房内は無人だった。
ど、どうしよう。勝手に食材庫を覗いたりしたら駄目よね。私がオロオロしていると、厨房内にある個室から大声が聞こえた。
「誰かそこにいるのか?鶏ガラスープの鍋を持ってこい!」
私はその声に飛び上がるように驚いた。あ、あの部屋は、確か料理長の個室厨房?ど、どうしよう?私は釜戸に置いてある鍋を見て回った。
その中の一つに、澄んだ色をしたスープが入った鍋があった。こ、これかな?非力な私は、大量のスープが入った大鍋を両手で抱え、なんとか個室厨房まで運んだ。
個室厨房の中央に小さい窓が開いていたので、そこに鍋を置いた。すると、窓の中から私を睨む人影があった。
「誰だお前は?新入りか?」
個室厨房の中は薄暗く、料理長の顔は鮮明に見えなかったが、かなり背が高そうな人だ。
「ち、違います。私はタイラントの客人でリリーカと申します。タイラントが風邪を引いたので、ハチミツ入り牛乳を持って行きたいのですが、分けて貰えますか?」
返答は無かった。その変わりに、料理長が釜戸にある鍋を指差した。あ、あの鍋も持って来いって事をかしら?
私は釜戸に戻り、また重い大鍋を息を切らし運んだ。それを三回繰り返した後、窓には一つのグラスが置かれていた。
その湯気の香りは、ハチミツ入り牛乳だった。私がそれを受け取ると、窓は閉められた。
「あ、ありがとうございました!料理長さん」
目的の物を手に入れ、私はタイラントの部屋に向かった。すると部屋の扉の前で、カラミィが落ち着かない様子で立っていた。
「どうしたのカラミィ?なんで部屋に入らないの?」
「······メイドの私が、軽々しく国王の部屋に入れる訳がないでしょう。これだから世間知らずの人間は」
「お見舞いにメイドも国王も関係ないでしょう。一緒に行きましょう」
「ちょ、ちょっと。何をするのよ!」
私はカラミィの手を掴み、扉をノックし部屋に入った。タイラントの部屋は広かったが、国王の部屋とは思えない程質素だった。
照明器具は特段高価そうに見えず、壁に絵画を飾る事も無く、床には絨毯も敷かれていなかった。
味気ない部屋。私はそう感じた。経屋の中央に普通のベッドが置かれており、部屋の主はそこで横になっていた。
「タイラント。部屋の外でカラミィが心配そうに立っていたわよ
」
「よ、余計な事を言わないで!」
私達に気づいたのか、タイラントは半身を起こした。そして眠そうな紅い目でこちらを見る。
「た、タイラント様。お休みの所お騒がせして申し訳ございません。な、何か必要な物はございますか?」
「うむ。今は大丈夫だカラミィ。後で構わんから着替えを持ってきてくれるか?」
「は、はい!承知致しました」
カラミィは頬を赤らめ、それは幸せそうに部屋を出て行った。本当にこの金髪魔族の事が好きなのね。
「······娘。その手に持ったグラスは何だ?」
「お見舞いの品よ」
私はベッドの脇にあった椅子に腰掛け、ハチミツ入り牛乳をタイラントに渡した。タイラントは黙ってグラスに口をつける。
「どう?美味しい?」
「······滋養はありそうだ」
相変わらずタイラントは無表情だった。でも、あの時何で苛立っていたのかしら?
「······ごめんね。タイラント。私のせいで風邪ひかせて」
「謝罪は不要だ。あの程度の事で体調を崩す私が軟弱なのだ」
ん?これって、一応私を気遣っているのかな?
「こんな広い部屋で一人で寝てて、寂しくならない?」
「?どう言う意味だそれは?」
「風邪や病気の時って心細くなるから、誰かが側に居て欲しいって思うものよ」
「それは子供の話だろう。私は大人だ。心細くなど思わん」
言い終えると、タイラントはグラスに残ったハチミツ入り牛乳を飲み干した。
「······タイラントは、子供の頃から一人ぼっちで寂しく無かったの?」
「寂しく思う暇など無い。私は一日も早く国王になる為に、日々を過ごして来た」
「じゃあ、もし後継ぎじゃなかったら?市井の子供だったら違った?」
「やめろ」
······まただ。またタイラントは苛立っているように見える。
「そんな仮定の話は無意味だ。私はこの国の王になる以外の道など教えられていない」
······私の目に、一人の少年が立っている姿が映っていた。その少年は、国と言う名の宝箱を両手で抱きしめて離そうとしない
。
まるでその宝箱が、自分の存在意義の全てと言わんばかりに。少年は俯き、泣くことも、寂しいと言う事も出来ないでいる。
《 遠い 遠い昔 片割れを探していた僕
僕を探していた君 求める姿は月夜に隠れ
太陽の光は その姿を陽炎に変える 》
······気付いた時、私はか細い声で歌っていた。私が子供の頃、母さんが枕元で口ずさんでくれた歌だ。
悲しい歌なのに、子供の私は何故かこの歌がお気に入りで、何度も母さんに歌ってとせがんだ。
《 月日はあまりに永く流れ 僕は土に還る
月日は君を雲にして 空に浮かべる
僕は土から 君は空から
届かない手を伸ばし続ける 》
······母の歌が終る頃、子供の私はいつも眠りに落ちていた。でも、紅い目の少年は歌が終わっても眠りにつこうとしない。
少年は分かっているからだ。眠りから目を覚ましても、何度それを繰り返しても、自分は一人だと。
私の意識は、突然想像から現実に舞い戻った。タイラントの抱える孤独の一端に触れた気がしたからだ。
それはとても冷たく、私の心臓を冷やしていく。私は急に怖くなり、それから逃れるように椅子から立ち上がった。
扉に向かって歩き出そうとした時、私の手首をタイラントが掴んだ。それは、昨日教室で私の手を掴んだ時と違い、痛みは伴わなかった。
タイラントは私と目を合わさず、無言だった。これも愛情の実験?私はそう問い質そうとした。
でも、私は自分が思った事と別の行動をしてしまった。私も無言のまま、どうしてだか再び椅子に座ってしまった。




