風引き
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
あ、帽子! 待って待って〜。
ふう、ようやく捕まえた。今日の競技会、どうも風が巻いているわね。どれもこれも、追い風参考記録になっちゃうかも。
陸上に限らず、私たちはスポーツから日常生活まで、風向きに強い影響を受けているわ。それに応じて、風を読む術、利用する術を考えて、どうにかプラスに結び付けようと努力を重ねている。
風は目に見えないもの。科学の研究が進む前の時代だったなら、それは神様の御業にしか思えないものだったでしょう。そのためか、神秘の要素を持つものとして、取り上げられる話も存在するわ。
私自身も、昔に体験したことがあってね。良かったら聞いてみないかしら?
子供は風の子、元気な子。
そういわれて育った私にとって、風というのはありがたい味方であると共に、容易に打ち倒すことができないライバルという立ち位置だった。
特に逆風へ向かっていく時は、自分の前進を阻もうとしている、悪の手先と戦っているんだと、思い込んでいたくらい。
この仮想敵が根をあげるまで進み続けることが、当時の私にとって何よりの勲章だった。
大半の人には理解されない行いだったけど、私自身は大真面目。学校に通いながら、似たようなことをしている子がいないか、さりげなく探すことも多かった。
そして、冬休み前の12月。
下校途中で、びゅっと強い風が背中から吹いてきた。
試練が来た。嬉々として風と向き合う私は、あまり遠くない前方に、赤いランドセルを背負った、友達の姿を見かけたわ。
何度か一緒に帰ったことがあって、今、この風に逆らって歩く必要がある家路でないことは、すでに把握している。
――ほ〜ら、やっぱりいるじゃん。似たような考えを持つ仲間が。
私は同志を見つけた嬉しさに、頬がゆるんでしまう。けれどすぐ、彼女が実は私の上を行く、変な奴なのだと思い知らされたわ。
彼女はいきなり、口笛を吹き始めたの。メロディを奏でることより、音を出すことに力を入れているみたい。
更に彼女は前を向いたまま、背中とランドセルに挟まれたすき間へ右手をやり、あるものを取り出した。
ミニサイズのうちわ。顔だけをあおぐために使われるような、持ち運びしやすいタイプ。それも二本。
二刀流になった彼女は、口笛を吹きながら、向かい風をかき分けるように、うちわをあおぎながら歩き出す。
着ている衣服ははためき続け、ショートボブの髪の毛はほぼすべてが逆立っていた。
「宴会芸か、何か?」と私が思うくらいのおかしさ。これを正面から見たら、どう感じるか。
それは通行人が軒並み、彼女の半径1メートルくらいの間合いを取って、道を空けていくことからも、うすうす察せられる。
結局、風が止んでしまうまでの十数秒間、彼女は踊り続けていたわ。
彼女がうちわをしまい直し、額の汗を拭ったところで、私は声をかける。
なぜあんなことをしていたのかを尋ねると、彼女の提案で、近くにあった公園へ場所を移すことに。入り口近くの、くたびれたベンチに並んで腰を下ろした。
開口一番、彼女は私に「風って、どういう仕組みで吹いているか知っている?」と訊いてきた。
理系の知識がない当時の私は、気圧が関係しているということくらいしか知らない。私が首を横に振ると、彼女はおもむろに話を始める。
彼女が祖母から聞いた話だと、風は神様がもたらしてくれるものなのだという。この世界に吹いている風は、すべて神様の息吹、ため息、呼吸である、と。
神様も息をしなくちゃいけない。けれども、いつも音を立てて大きく吸ったり吐いたりをしているわけでもない。
私たちと同じように、ほとんど感じ取れないような小さい呼吸をする時だってある。それを凪とか、無風とか私たちは呼んでいるんだ。
だけど、たまに。神様たちも運動会をする時がある。その中でも「風引き」という種目は、私たちにものすごい影響を与えるとのこと。
「私たちがする綱引きで力比べをするように、神様たちは風引きで力比べをするんだ。この世界を舞台に、お互いが風を吹かせ合い、競い合っている。
時間制限はない。一方が吹き飛ばされてしまうまで、ずっと続けるんだ。その勝負はもう何百年、何千年と続いていてね、今は膠着状態なんだとか。
――負けたらどうなるかって? そりゃあ、綱引きの敗者と同じで、総崩れになっちゃうらしいよ。み〜んな、ばたんきゅー。
ああして強い風が吹く時は、バランスが崩れようとしている証拠。必死に逆らわなきゃいけないの。私たちもこの世界にいる、神様の一部なんだから。
でもね、綱だって引っ張り続ければちぎれるみたいに、世界も吹かれ続けたせいで、ちぎれかけみたいなの。だからバランスが崩れそうになったら、すぐに助けてあげないといけないのね。私はうちわと口笛で、それに加勢しているってとこ。
良かったら、世界を守るために手を貸してくれない?」
世界を守る。このワードに最も熱くなれる年代だった私は、二つ返事で了承した。
すると友達は、ランドセルを開ける。置き勉をしていて、余裕があるはずの中身には、あのミニうちわが十本ほど入っていた。そのうちの二本が、私に手渡される。
「逆風に向かうことがあったら、このうちわでどんどんあおいでね。台風の時なんかはさすがに危なくない範囲でいいけれど。
でも、ひとつだけ注意。風が止んだなら、すぐさまあおぐのをやめてね。
あくまでバランス調整が私たちの役割。余計に風を吹かせることは、かえってよくないことだから」
嬉々として受け取った私は、その日から風が吹くたびに精力的に活動を始めた。
風に逆らって、風を吹かせる。これまでは、耐え忍んで歩いていくだけだった行程に、能動的な動きが加わったことのマンネリ解消。それが大義と使命感に基づくものだから、やりがいが湧くというもの。
口笛が吹けない私は、その分、腕の動きで貢献する。逆風の中、うちわを飛ばされないようにあおぎ続けるというのは、なかなか腕力がいる仕事。
それでも私はぎゅっと両手で強くうちわを握り、「風引き」の均衡を守るために、戦いを続けていく。
ただね、頑張り過ぎて目をつけられちゃったみたいなんだ。
2月。天気予報では、そろそろ春一番が吹きそうだと話している。
すっかり「世界を守る」ことにはまっていた私は、これを相手側の大攻勢だと信じて疑わない。学校の行き帰りも、あの時の友達がやっていたように、背中とランドセルの間に、2本のうちわをはさむことは欠かさなかった。
その日は友達が休みだったこともあり、なおさら「私が頑張らないと」と気負っていたところもあったわね。
下校途中。あの日、友達から「風引き」の話を聞いた公園の近くで、私は公園の方角から吹いた強風に、思わず車道側へよろめいちゃったわ。でも瞬時に、「お仕事」モードに頭を切り替え。
ガードレールを背にうちわを抜くと、懸命にあおぎながら前進を開始。ひとあおぎ、ひとあおぎに、ありったけの力を込めていった。
気を抜いたら、吹き飛ばされてしまいそうな強さ。衣服が痛いほどにはためいているのも構わず、抵抗を続けていた私。
そしてようやく1メートルほど歩け、いよいよ全霊の力を腕に込めた時。
風が、栓をされたかのようにピタリと止まったわ。
「あっ」と思った時には、もう遅い。私の全力を込めた2本のうちわが、音を立てて風を巻き起こしたの。
固まってしまう私。その逆立っていた髪の毛が、はらりと自然に戻るや否や。
今度は公園側へ吸い込まれるような風が吹く。先ほど吹き寄せた風に倍するくらいの勢いで。
文字通り、私は飛んだ。数メートルの間を一度も足をつけず、今度は公園の柵へしたたかに背中を打ちつける。
痛みと一緒に咳き込んじゃったけど、まだ物足りないとばかりに、風は私をぐいぐい柵へ押し付けてくる。
背中が擦れて、音を立てている。ヘタをすれば、柵さえ乗り越えて吹き飛んでしまうかと思ったわ。
私は必死にしがみつきながら、風が吹いてくる方を見たけど、今でもあの光景は忘れられない。
景色がね、はがれかけの壁紙のように、こちらへ向かってところどころめくれているの。空も、地面も、建物の端かどうかもお構いなく。
すぐ近くの家の生け垣。私の背よりも高いそれが、はがれかけの空に隠されてしまう。一気に目の前から高さが失われていた。
めくれてしまった空間からのぞいたのは、一部の乱れもない白。風が吹くたびに、はがれはどんどん大きくなって巻き上がり、それと共に、景色の下に隠れていた白が露わになりながら、こちらへ殺到してくる。
――このままじゃ、世界から色も景色もはがれちゃう。
私は柵を背もたれにしながら、とっさに世界をはがしにくる風に対し、うちわをあおいだ。
私がバランスを崩したのが原因なら、その逆をやれば、と感じたの。力を込めながらも、今度は調子づいてやり過ぎないように、注意を払う。
うちわで対するには無謀な風速。実際、腕がちぎれるかとも思ったけど、おかまいなし。
風は弱まらないけれど、じょじょにめくれが元の位置へと戻っていく。白が見えなくなっていく。腕の力を調整しながら、私は世界回復の瞬間を見計らった。
そしてめくりが完全になくなったと思った時。
風と私の腕は、一緒に止まる。ぴったりのタイミングだった。
ふうう、とため息をつきかけて、一応、手で口をおさえる。これもまた、「余分な風」と思われてはたまらないから。
公園のベンチに腰を下ろす私。あの風にあおられたために、うちわは二本とも柄の部分にひびが入ってしまっている。
――もう、世界を救う仕事は終わりにしよう。
これ以上の重責は背負えない。
私は友達にその旨を告げ、壊れかけのうちわも、促されるままに返却した。
それからの私は、わざわざ風に向かっていくことなく、吹かれるままに生きて、今に至っているというわけよ。