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「……ふぅ。こんなもんでいいかな」
長らく使っていなかった部屋のため、思ったよりも掃除に時間がかかったがそれでも綺麗にできたことに柚人は満足感を覚える。
そのことをメグに知らせに書斎へ行こうとすると、家のチャイムが鳴るのが聞こえてきた。
「なんだ? 宅配は今日来ないはずだけど……まさか!?」
時間を確かめると、ちょうど学校の終業式が終わり生徒が帰っている時間だ。それを確かめると、急いで階段を下りて玄関へと向かう。
するとそこには、玄関の扉を開こうとしているメグの姿が目に映った。
「ちょっと、待――」
待てと言い切ることはできなかった。メグが扉を開けてしまったからだ。そして、その向こうには柚人が想像していた人物の姿があった。
「ちょっと、柚人! ……って、この女の子誰!?」
そこにいたのは柚人の家のすぐ隣の家に住む幼馴染の如月紫苑だった。女性にしては高めの身長で、すぐ近くにいるメグと比べると一回りも二回りも大きい。髪型は活発な彼女にはよく似合うポニーテールで、化粧っ気が少ないながらも整った顔をしている。
制服を着ていないことから一度家に帰ってから柚人の家を訪ねてきたことが分かる。夏であることと、気心の知れた間柄である相手を訪ねるだけというためか、薄手な服装で、スタイルの良さが際立っている。
「頼むから、玄関先で騒がないでくれ……説明するから家に入って」
近所の人に聞かれて痴情のもつれでいがみ合ってると誤解されたらたまらないと、声をかける。その言葉に長い付き合いだけある紫苑は直ぐに意図を察して、静かに家の中へと入ろうとする。メグはその場にいると邪魔になると思ったらしく、向かって右側へと移動し道を譲る。
「ああ、メグ。移動するなら左側にしてやってくれ」
そのことに気付いた柚人は声をかけた。
「?」
なぜそんなことを言われたのか理解できないメグは不思議そうにしながらも、言われた通りに左側に移動した。それを確認した紫苑も、靴を脱ぎ「お邪魔します」と口に出して中へと入ってくる。
「目の色……」
メグは紫苑との距離が近づいたことによりあることに気付く。
「二人とも居間に来てくれ。理由を話すから」
そう言って先に、居間に向かうとその後ろをメグと紫苑がお互いを気にしながら付いてくる。居間にあるテーブルと挟みこむようにして椅子に座る。柚人が座った横にメグが座る。まるでそうするのが当たり前とばかりの行動に紫苑はムッとするが、その気持ちを自制して柚人の反対側にあたる椅子へと座った。
「それで、その女の子は誰なの? 人がせっかく、学校に来なかったのを心配してきてあげたのに」
「学校に行かなかったのは謝るよ。でも、それはこいつが悪いんだ」
はぐらかす気がないとその言葉から理解した紫苑は、噛みつくことなく静かに話を聞くことにした。
「どういうこと?」
そう聞かれた柚人は、今朝あったことを包み隠さずに紫苑に話す。メグも自分のことを話されることに不都合は無いらしく、静かに隣に座っていた。
「……本当のことなの?」
「嘘なんかつかないよ。つくならもっと真実味がある内容にするし」
「それもそうね……」
他人が聞けば間違いなく、嘘だと言われてしまうような内容だが長年の付き合いの賜物か紫苑はすんなりと信じた。
「私にも説明して」
メグは紫苑に説明したように、今度は自分に紫苑のことを教えてと乞う。
「説明も何もお前みたいな特殊なことは無いけどな。俺の幼馴染で如月紫苑って言うんだ」
「それだけ?」
柚人の簡単な説明にまだほかに話すことがあるよね、と問い詰める。
「いいよ、言って。もう見られちゃってるんだし」
自分のことではないため、勝手に言ってもいいか判断に迷う柚人の姿に紫苑はそう答えた。
「メグもさっき気付いたと思うけど、紫苑は虹彩異色症……俗にいうオッドアイってやつだ」
「右目は普通に黒目だけど、左は茶色ね」
「紫苑の場合は後天性のもで、昔俺が原因で、左目を怪我してから色が茶色になって、視力が悪くなっちまったんだ」
「まだそんな事言ってるの? 当時から言ってるでしょ、あれは柚人は関係ないって」
自分のせいだと言う柚人に、過去のことを思い出しながら紫苑は否定する。
「直接的には関係ないかもしれないけど、原因は俺だろ」
「……」
何度言っても一向に柚人の思い込みは治せないことに、紫苑は多少なりとも罪悪感を感じていた。事実として、紫苑の目に怪我をさせた人物は別にいるのだが、それを何度指摘しても柚人は考えを改めない。
普段は度付きのカラーコンタクトをしているため、日常生活には支障はないのだが、そう伝えたところで柚人は考えを改める気はないようだ。
今現在そのコンタクトをしていないのは、気の置けない相手である柚人を訪ねてきたためだった。あまり素の自分を隠すということが好きではないため、紫苑は家に居る時や両親や柚人の前など、必要のない時は外しているのだ。化粧っ気が少ないのもそれが理由だ。
「そう……わかった」
そんな暗くなり始めた雰囲気を破るかのように声を出したのはメグだった。
「つまり、責任を取って一生紫苑のそばにいるのね」
メグの突飛な発言に柚人は思わず反応が遅れるが、しっかり反論する。
「……それは流石に飛躍しすぎだろ」
だが、もう一人の当事者である紫苑は雰囲気を変えるためかその話題に悪ノリする。
「え?」
「いや、え? じゃねえって。流石にそこまでは責任取れないって」
「……」
わざとらしく黙って悲しそうに目を伏せる紫苑だが、気が動転していた柚人は本当に泣いてしまったように見え、思わず言ってしまう。
「ああもう! 見ればいいんだろ、一生面倒を……ってお前笑ってるだろ」
言葉の途中で紫苑の肩が震えているのが見え、それが泣いているのではなく笑っているためだと柚人は遅れて気付く。
「ごめんごめん。あまりに柚人が本気になってるものだからつい……」
そんな二人の様子に先ほどまでの暗くなっていた雰囲気も完全にどこかへと行ってしまっていた。
「それに、一生面倒を見るってことは結婚……あっ……」
そこまで言って自分が今何を口走ったかを理解し、今度は紫苑が恥ずかしくなる番となる。その恥ずかしさから、思わず柚人に向けていた視線をそらしたほどだ。
「……」
それは柚人も同じで紫苑の言葉に想像してしまったのか少し顔が赤くなっていた。
この甘ったるくなってしまった雰囲気を壊したのはまたしてもメグだ。
「私、二階に行ってた方がいい?」
「変な気を使わなくていい」
そう言いながら本当に立ち上がりそうだったメグの肩を掴んで強引に座らせる。メグも冗談で言ったらしく、すとんっと綺麗に椅子に収まった。
「もっ、もう! この話はお終いだから! 蒸し返そうとしたらぶん殴るからね」
照れ隠しにしては物騒な言葉だが、柚人としても繰り返したい話題ではないため紫苑の提案に乗る。
「二人は付き合ってるの?」
だが一人だけ話を続けようとする人物がいた。メグだ。
空気を読んでいてわざと言っているのか、それとも読んでいないのか。純粋に気になったから聞いただけの可能性もある。
「な、なんでそんなこと思ったんだよ」
顔をそらしていても分かる顔の赤さ。そんな紫苑に変わって柚人が受け答えする。
「だって二人、仲良さそう」
「幼馴染だって言っただろ。ただそれだけだよ。それ以上の関係なんかじゃねえ」
ここははっきりと否定してメグにあらぬ勘違いをさせない方がいいだろうと、柚人はメグの目を見つめながらそう答える。――そのせいで否定した時に、紫苑の肩が、ピクッと動いたのに気付かない。
だが、そのかいあってメグには分かってもらえたようで追及は続かなかった。
紫苑が何かを言おうとするが、それよりも先にメグが口を開いた。
「ごめん……」
謝罪の言葉を聞いてしまえば、何かを言おうとした紫苑も口を閉ざすしかなかった。
「気にすんな。それに謝るようなことでもないって」
寂しそうにしていたメグを気遣って柚人はそう言った。
「それで? この子どうするの」
先ほどした説明には今までに起こったことだけしか含まれず、これ以降のことは何も言っていなかった。それが、気になった紫苑は柚人に尋ねる。
「? どうもこうもここに住まわせるしかないだろ」
何をそんな当たり前のことを、と言わんばかりにあっけらかんと答える。が、それが不味かった。
「あんた、年頃の女の子を男一人しかいないこの家に住まわせるつもり!?」
紫苑は驚きと少しの嫉妬が混ざった声を出す。
「なんだよ、手なんか出さねえって」
「男女七歳にして同衾せずって言葉知らないの?」
悪びれた様子もない柚人に、紫苑は少し語気を強めてさらに言った。
「……じゃあ逆に聞くけどどうするんだよ。ホテルなんて長期間泊まれるほどの金はねえし、お前の家は空いてる部屋とかある訳じゃねえだろ」
これでも考えた結果だと説明する。
「確かに、そうだけど……」
尻すぼみがちにでた言葉はそれでも納得はいかないと言った様子だった。
「それだったら、いつでも好きな時に様子見に来いよ。お前確か鍵持ってただろ」
柚人が言う鍵とは勿論、今いるこの家の鍵のことだ。柚人の一人暮らしが心配だった両親が出張に行く寸前紫苑に、何かあったら助けてあげてと渡していたのだ。
「うん……わかった……。それで一応納得してあげるわよ。でも、何か変なことしたら本当に殴るからね!」
長い付き合いで気心知れた相手でも、これは別問題と紫苑は柚人を睨みながら言った。
「それは大丈夫よ。さっき誘ったらユズは断った」
「「な!?」」
いつの間にか柚人のことを勝手にユズと愛称付けていたメグは、先ほど柚人がわざと言わなかったことを何気なしに言ってしまう。
「ゆーうーとー?」
そのことを問い詰めるかのように、紫苑は立ち上がると柚人にじり寄っていく。
「違う、誤解だ! というか、メグが言っただろ。俺が誘った訳じゃねえし、受け入れた訳でもねえ!」
謎の圧迫感を感じた柚人は、慌ててそう言った。そのかいあってか紫苑も動きを止めた。溢れ出る圧迫感は変わっていなかったが。
「でも、そう言うことがあったんだよね。それでさっきはそれをあたしに隠してたよね?」
「そりゃあ普通は人に教えねえだろ、そんなこと」
「…………」
少しの間、柚人を睨みつけていた紫苑だったが自分が誤解したことに気付いたのか座っていた椅子へと戻っていく。
「二人が一緒に住むってことには何も言わないけど、柚人には一つだけ言っておくね」
紫苑が何を言う気なのか柚人は静かに耳を傾ける。
「女の子は繊細な生き物なんだから、ちゃんと気を使ってあげて。何かあったらあたしに話してくれれば相談に乗るから」
最初は何か追求されるのかと思った柚人だが、紫苑から出てきた言葉はメグを気遣った言葉だ。
「分った。何かあればまず、紫苑に話すよ……ってことで一つ相談いいか」
早速だが、柚人は一つ助けてくれと口に出す。
「なに?」
「お前の服をくれ」
「は?」
柚人の短い言葉に、見る見るうちに紫苑の顔が軽蔑の表情へと変わっていく。それを見て自分の失言に気付き、慌てて付け足す。
「すまん、言葉が足らなすぎた。メグの着る服を分けて欲しいんだ」
「なんだ、そう言うこと……思わず警察に通報しようかと思ったよ」
冗談だろうが、そう言いながら自身のスマートフォンを見せつけてくる紫苑に思わず冷や汗を流す。
「でも、ごめん。それは無理かな」
「なんでだよ」
断られると思わなかった柚人は思わずそう言った。
「あんたね……あたしと、メグちゃんを見比べて物を言いなさいよね」
そう紫苑に言われ、柚人は素直に言うことを聞き二人を交互に見る。そして二人の身長や体格が違うことに遅ればせながら気付く。だが、その視線を紫苑は勘違いしたのか腕で自分の胸元を隠す。
「ちょっと、どこ見てるの!」
「は? 俺はただ紫苑の方が大きいなって思って」
「ッッ」
柚人は背が紫苑の方が高いという意味で言ったのだが、紫苑には別の部位を指しての言葉に聞こえていた。紫苑の反応に最初は何を怒っているんだと思ったが、やがて勘違いしているということに気付く。
「お、おい。待て。俺は身長の話をしていたんだ。断じて胸の話はしていない!」
紫苑は腕を振りかぶって今にも殴りそうな状態だったが、その言葉を聞いて何とか踏みとどまった。
「……本当に?」
「ああ誰もお前の胸になんか興味な……い、いや、なんでもないっ」
再度確認する紫苑に余計な一言を言いかけたが、下ろしかけていた腕を再度構え始めたのを見て慌てて言い直す。
「ユズは、大きいほうがいい?」
そんな中話をややこしくする存在が柚人に話しかける。
「お前はとりあえず黙ってろ」
下手にメグに構うと今度こそ本当に紫苑に殴られかねないと感じた柚人は四の五の言わせないようにはっきりと断る。
「それで、なんだっけ……。あ、メグちゃんの服がないんだっけ?」
色々と間に挟まり、紫苑は本題を忘れかけるが何とか思い出す。
「そうだよ、女物の服なんてこの家にはないからな」
「さっきも言った通りだけどあたしのは貸せないよ、スタイルが違いすぎるからね」
「てことは最初に考えた通り、買いに行くしかねえか」
「いつ行くの?」
柚人がぽつりと言うと、紫苑は気になったのかそう問いかけた。
「そんなの早い方がいいだろ。明日にでも行ってくる」
「柚人に任せてたら変な服買いそう……あたしもついて行っていい?」
「俺の服選びのセンスが悪いと言いたいのか」
「事実でしょ。前一緒に買い物してた時に柚人が選んだ服忘れたの」
「記憶にございません」
下手に言い訳をしても、認めるまで追及されるだけだと思った柚人は覚えていないと言い張る。
「まあいいけど。そういうことだから明日は、あたしも行くから」
「わーったよ」
メグから視線を話せない以上、柚人も店内についていく必要がある。だが女性服売り場で、服を選ぶメグを一人で見守るのは居心地が悪いため、それを和らげるためにももう一人誰かいたほうがいいと考えたのだ。単純に、同性の方が服を買うときに良いアドバイスをくれそうだとも思ったのもあるが。
「それじゃあ明日の十時でいいか?」
待ち合わせ場所をお互いの玄関先として約束を取り付ける。
「りょーかい」
当人であるメグを抜いての話し合いだったが、メグ自身服を買ってもらえるのが嬉しいのかどこか表情がほころんでいるのを見ると問題なさそうだ。
「それじゃあ、今日は帰ることにするよ。二人っきりになったからって変なことしないようにね」
今日訪ねてきたのは学校に連絡もせずに休んだことを気にしたからだ。柚人が無事なことを確認している以上長居する理由は何もない。
「しねーよ」
そう柚人が言い返したのを聞くと紫苑は立ち上がり、玄関へと向かう。
「メグちゃんも何かあったら、あたしの家は隣だから。遠慮なく逃げてきてね」
信じていないのか、冗談なのか。柚人にはその判断がつかなく、頷くメグをただ眺めることしかできなかった。
「それじゃあね」
「おう、またな」
そう言い残し、紫苑は短なポニーテールを揺らしながら元気に自宅へと帰っていった。