031 グールオーガ現象
地球統一政府の首都であるビッグ・ホンコンに異世界への転移門が開いてから八日が経過した。
ビッグ・ホンコンは干上がった南シナ海に建造された超大型人工都市で、旧ホンコンと旧マカオを統合した広さがある。
◆ ◆ ◆ ◆
転移門が開いてから八日目の昼間。
マルチェロ・エビー・バライオは今朝方に増援として到着した地球統一政府軍の若き一等兵である。年齢は六歳だが成長促進手術を受けており外見年齢は十八歳程度だ。
開拓村の中央には川が流れていた。
はるか遠くにある山の雪解け水にはじまり、山を下り、平野を流れ、開拓村を通って海へと流れ込む川だ。
川べりの土手までやって来たマルチェロは、川を眺めてボソリとつぶやく。
「もったいないですね。なんで誰も水道を止めないんですか? こんなにたくさん水が地面に落ちて無駄になってる。無駄削減委員会に関係者全員処刑されますよ。」
「バッカおめー。これは川っていうんだよ。」
年配の兵士が、マルチェロに物事を教える。
「カワ? カワってなんです?」
「カワはおめー……海につながってるんだよ。」
「ウミ? ウミってなんです?」
「むかーしあったんだよ。そういうのが。地球に。しょっぺえんだ。今は全部砂漠だけどな。」
「わからない。大人はいつも二言目にはウミというけど、僕らは誰もウミなんて見たことがない。記録映像の中だけだ。ウミがあるのは。」
「だからよ。この世界からウミをもらうんじゃないか? 運河を掘ってミズを転移門にくぐらせてよ。そうすれば地球の気温も下がってビッグ・ホンコンの外でも生きられるんじゃないか? 地球が蘇るんだ。異世界のミズで。地球のために役立つんだから異世界にとっても嬉しいだろう。」
「ウミというコップは転移門という蛇口ですぐに満ちるのですか?」
「何千年もかかるな……まさかこっちに住むとか? クサもキも生えてるしヤセイドウブツもあるからな。まるで大戦前の地球にいるみたいだ。お偉いさん次第だな。」
「わからない。大人のやることはいつも意味不明だ。僕たちはビッグ・ホンコンの壁から出たことすらなかった。ここはビッグ・ホンコンじゃないのか?」
「ちげえよ。監視カメラがほとんどないだろう。だからビッグ・ホンコンの外だよ。」
「わあ。監視カメラの外に出るなんて反逆罪だ。」
マルチェロは武器に手を伸ばした。年配の兵士を射殺するつもりだ。
「ここは特殊作戦地域だから特例なんだよ。ミーティングで習ったろ。だけどな、特殊作戦地域で活動する軍人を目撃したものは全員、国家機密法違反だ。土着人を見つけたら速やかに捕まえろよ。国家機密法だ。」
「イエッサー!」
マルチェロはうきうきしながら開拓村を歩いた。土着人を見たら逮捕。土着人を見たら逮捕。国家機密法。……マルチェロはビッグ・ホンコンの外を知らない。ミーティングのあと解散して自分のテントへ行く手順だったが、貴重な水を無駄にしている愚か者がいたので見物に来たのだ。なんなら処刑に参加してもよかった。
◆ ◆ ◆ ◆
六日目に増援として転移門をくぐった兵士の中に、チャラタン・キンゾル・ボンゾル二等兵がいた。開拓村で過ごして二日が経過している。
チャラタンは地球統一政府の前身である中央華国・アフリカ・パプワ連合会議トンファー州の出身であり、今は砂漠に飲まれた旧中央華国首都で生まれ育った生粋の中央華国・アフリカ・パプワ連合会議っ子だった。地球統一政府からはSランク市民の階級を与えられている。年齢は二十五歳。
「モシモッシ!チャラタン二等兵! ま~たメシ食ってないのか。規定時間に缶詰を消費しないと横流しの疑惑がかけられるゾイ?」
地球統一政府によって厳格に定められた昼食時間。
チャラタン二等兵に声をかけてきたのはスマイルが爽やかなアフリカ系移民、旧ブルキナファソからやって来たモシ人のユキオー・ランバカイネンだ。チャラタンとは階級が離れているが、徴兵される前からの付き合いで昨年来の親友である。
モシモッシ!とは流行りの挨拶だ。ハローとかチャオ!程度の意味で使う。由来は誰も知らない。
「ユキオー少尉モシモッシ! こりゃしまったな。どうかパイドー兵長には黙っててください。あの人最近イライラしてるんです。殴られて缶詰没収されてアイスバケツチャレンジのあとション●ンいれたコップ片手に現地の昆虫を食わされちまう。」
「おやま、パイドー兵長なんでそんなに荒れてんゾイ?」
「あの人ァトイレ革命の最盛期にあった五つ星トイレを占拠して育った革命的トイレ戦士ですからね。冷蔵庫とテレビとクーラーとシャンデリアの無いトイレでク●するのは耐えられない屈辱なんです。それで毎日憂さ晴らしで、部下や捕まえた現地人にクツの裏舐めさせてるですよ。」
「ヒュウ!ケツの裏は舐めさせないんゾイ?」
「いやいや。パイドー兵長のケツに触れていいのはウォシュレットだけです。」
「ちげえねえゾイ!」
どっと笑いが起こる。アーミージョークだ。
「にしてもチャラタン、まじで飯食わなくて大丈夫なのかゾイ?」
ユキオー少尉は口調は変だが真面目にチャラタンの身をあんじている。
「ああ、こっちにきてからすごく調子が良いんです。日光浴びて天然水を飲むだけで体内から浄化される気分です。」
「お前いつから観葉植物になったんだゾイ? そのうち根っこが生えてきて実がなるんじゃないかゾイ?」
「ハハ、だったらまずお前に食わせてやるよ!」
どっと笑いが……起こらない。ユキオーがマジな目つきでチャラタンを見つめた。友人だからと油断をして敬語を使わなかったからか?
「じゃあ味見させろ食わせろゾイ。」
ユキオー少尉があんぐりを口を開き、牙の生えた歯を露出させる。そのまま襲いかかってきた。
「ごめんねユキオー」
チャラタンがすばやくAK47を構えてユキオー少尉に向かってフルオート射撃する。狙いは胴体だ。あっという間に胴体が蜂の巣になり、ユキオーが吹っ飛ぶ。
倒れて動かくなるユキオーに対しチャラタンは油断せず灯油缶を蹴り飛ばして着火。燃え上がったユキオーが足首を起点にバネだけで飛び起き、両手を前に突き出して小刻みにジャンプ移動をしはじめた。
「ゾンビ……いや、キョンシー!」
「肉を!食わせろゾイ!チャラタァァン!!」
足の力だけでピョンピョン跳躍するユキオーの動きは鈍い。チャラタンはAK47フルオート射撃でユキオーの頭部を破壊した。グロ描写!ユキオーの動きが完全停止する。
「ユキオーほんとごめん。ザリガニバーを開いたらオーナーにしてやるって話しはチャラな。……やっぱり人肉缶詰食ってる連中はもうだめだな。尉官のユキオーならナチュラルフードが配給されてるから大丈夫と思ったけど、お前肉缶好きだったもんな。」
地球統一政府では生産の効率化のため六十歳を過ぎた人間はすべて食肉工場へ送られる。職員や作業員としてではなく、原材料としてだ。そして、缶詰として身分の低い市民の配給となるのである。
「うちは先祖代々ザリガニソムリエだったんで助かったぜ。」
チャラタンは人肉缶詰に抵抗があったため別の食料を食べて育った。軍隊に徴兵される前からだ。
配給された人肉缶詰は食べずに横流しし、自宅の水槽で養殖したバイオザリガニを食して生きてきたのである。
どんな汚れた水でも生き延び、ゴミのようなエサでも養殖することができる青緑色のバイオザリガニ。合法だった時代に大量に繁殖させた。一般市民の食糧生産の禁止以後も廃棄をせず、密かに育て続けた。
チャラタンは、すでに滅びたと思われた伝説の職業『ザリガニソムリエ』最後の生き残りだった。
もちろん異世界にも検疫をかいくぐってバイオザリガニを持ち込み、開拓村にあった小さな沼へ素知らぬ顔して放り込んで養殖していたのだ。なんという無法遺伝子汚染行為。悪魔の環境汚染! しかし本人に悪気は一切ない。むしろ良いことをしていると思いこんでいる!!
「おれ以外にマトモなやつは残っているかな? 二割は残っていると思いたいもんだが。」
一万人全員に人肉缶詰の配給があったわけではない。身分の高い連中はナチュラルな素材を使ったゴージャスな食事を取る権利がある。また、ベジタリアン申請をして肉を受け取っていない一部の菜食主義者や、転移門をくぐってから肉の匂いを嗅いだだけでゲ●吐くようになった菜食主義転向者も結構な数が居た。
「同族喰いは化物になる世界……なんてな。この世界は異常だし転移門はおっかねえし、マジ地球統一政府ふざけんなよ。」
チャラタンは弾倉を交換してバッグに詰め込み、ズタボロになった自分のテントを出て、身を隠しながら中央へ向かう。上官であるパイドー兵長の指示を仰ぐためだ。開拓村はすっかり要塞化されて壁で囲まれ、大量の軍事物資や建築資材が運び込まれて軍事野営地そのものだった。
そして、巨大なススキがあちこちに生えていた。人間の背丈より二倍は大きいススキだ。ここ数日で一気に生えてきた。ほおっておくと要塞の内部がススキでおおいつくされて茅場になってしまうため軍人たちが朝昼二回刈り取りをしているが、次から次へとはえてくる。そのため人が集まるところや通るところ以外は放置されていた。
巨大ススキのおかげで身を隠す場所は事欠かない。チャラタンは周囲を警戒しながら進んだ。
あちこちでキョンシーがつま先ではね、動く肉を探してさまよっている。チャラタンはときおり呼吸を止めてキョンシーの鼻を誤魔化した。キョンシーは人間の呼吸を感知して襲いかかってくるのだ。
開拓村のあちこちから人間がキョンシーに襲われる音が聞こえる。あれは多分、人肉缶詰を喰わなかった菜食主義者がキョンシーに襲われている音だ。
「くそっ、どうすりゃいいんだ。」
チャラタンは何をしていいのか全くわからなかった。徴兵されてからは上官の命令を遵守するよう洗脳されていた。そのため、こうした緊急時に何をしていいのかわからない。とりあえず上官を探し、襲ってくる敵は倒す。自分の命を守るという生き物の原則に従ってのみ動いていた。
隠れてキョンシーをやり過ごしていると、突然、壁を乗り越えて百メートルはありそうな大ムカデが要塞内に侵入してきた。見張りの兵士はキョンシーに食われて肉塊になっており、誰も警報を発しなかった。警報が鳴らないと洗脳されている兵士たちは何をしていいのかわからず棒立ちになる。
大ムカデが次々に兵士を、キョンシーを捕食していく。バキバキと牙で肉を砕いて装備や銃器ごと咀嚼していく。
「あっ……パイドー兵長っ!」
直接の上官が大ムカデに喰われて死んだ。最後まで尿の入ったカップ片手に部下か現地人をいびってたらしい。カップの液体がひっかかったキョンシーが叫んだので童貞確定である。南無三。チャラタンは神に祈った。
地球統一政府によって信仰の自由を禁止されているため神に祈る行為は信仰禁止法違反である。ここには監視カメラが少ないためチャランは助かった。
仲の良かったユキオーも上司のパイドーも失ったチャラタンはただ一人だった。故郷に帰ってトイレの洗面台で足を洗って砂まみれのベッドで寝たいと切に思った。しかし故郷はすでに砂に埋れてゴーストタウンと化した。人類が生存できる都市はビッグ・ホンコンを含めて片手で数えるほどしかない。
今いるここは勝手のわからぬ異世界である。
「そうだ、バイオザリガニの様子を見に行かなきゃ……」
軍隊としての命令がないため、日常おこなっていた日課を優先した。開拓村の小さな沼の様子を見に行く。
「ひっ!」
途中で、人間ほどの大きさのコオロギやカヤネズミと遭遇したが、コオロギはススキを食べるのに夢中でカヤネズミは雑草を集めて巣を作っていた。サイズ的に人間を食ってもおかしくないが、今は気分ではないらしい。
「あそこだ、あの沼……」
「ていっていっ! テイッ!」
バイオザリガニを投げ込んだ沼にたどり着くと、捕虜にした村人がいた。捕虜にして監禁していたはずだが、大ムカデの襲撃のどさくさで逃げ出したのか先に居た。そして沼の中で薪割りのような作業をしていた。その頭はカエルだ。蛙獣人の村人だ。
フロッグマンは、沼の中にいるバイオザリガニを棍棒で追いかけ回していた。声からして女……メスのフロッグマンらしい。
「何をしているんだ?」
チャラタンは怒りを押し殺して、フロッグマンの女に尋ねた。
「こいつらがっ! ウチに入り込んで、赤ちゃんや卵をみんな食べちまった! 害獣だっ! モンスターだよっ! ヒトを食べるモンスターだっ!」
チャラタンがバイオザリガニを投げ込むときに、沼の中に大きなオタマジャクシが泳いでいたり、大きなカエルの卵があったが、そうか。こいつの幼体か。チャラタンはAK47に銃剣を着剣して背後からフロッグマンの女を刺した。
「ぎゃあ!」
「余計なことしてんじゃねえよメスガエル! そこは食べて頂いてありがとうございましただろぉ!」
ザクザクと無防備なフロッグマンの背中を滅多刺しにする。
「俺のバイオザリガニに手を出すな! 死ね土着人! 悪! 悪は滅ぼす! 俺のバイオザリガニに触るな悪! 滅びろ悪!」
動かなくなったフロッグマンをさらに細切れにして、沼に投げ込む。わっとバイオザリガニが寄ってきてあっという間に骨にしてしまった。
「ふう……おお、おまえらでっかくなったなぁああ!」
狂気を帯びた喜びの声が漏れる。異世界に来た影響か、バイオザリガニは人間の子供ほどの大きさになっていた。そのままチャラタンはバイオザリガニの群れに取り囲まれる。明らかに数も増えている。それほどエサの質が良かったのか。
チャラタンを囲んだバイオザリガニは、触覚を震わせてなにか訴えかけてきた。
「なに? あのカエル女のようなうまいエサをもっと喰いたい? 進化したい? ……だと。わかる。わかるぞお前たちの声が!! わーかーるーぞーおおお!!」
チャラタンは膝を曲げ、胸をそらし、天に向かって咆哮した。今、自分はバイオザリガニたちと精神を共有したのだとわかる。喜びのあまり涙と鼻水とよだれを流し、他の穴からも色々漏れた。涙とともに人間性も流れて消えた。
「よしわかった。俺たちは旅に出よう。とびきりのエサを探してわくわくな世界を歩こう。行くぞおまえたち! うきうきな旅立ちだ!」
チャラタンは並んだバイオザリガニの列にダイブした。永遠の眠りにつくファラオのように両腕を交差して直立不動の姿勢でバイオザリガニの上に寝そべる。バイオザリガニたちはチャラタンを背中に乗せて前進して移動を開始した。
担架で運ぶ時と同じく、チャラタンの足を前にして移動している。芸が細かい。
沼の水門をハサミで破壊し、開拓村の中央を流れる川の中へバイオザリガニの群れが泳ぎだす。直立不動姿勢のチャラタンを背中に乗せて。広い世界へ泳ぎだした。
この世界では人間を捕食する野生動物をすべてモンスターと呼称する。
いま、新しいモンスターと化した青緑色の甲殻のバイオザリガニと、人間の形をしたバイオザリガニが旅立とうとしていた。
「今から俺は人にあらず……ザリガニソムリエにもあらず……天と地はここに。俺はここに。ゆえに俺は世界と一つなり。今ここに不滅の真理を悟り、戴天絶刀ザリガニ=セン・ニン! 昇仙!!」
この世界に新種のモンスターが一種類、増えた。
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王都から開拓村へと向かう飛空艇の貴賓室で、俺ことヒョーマとルビー、リュミドラ、エルジェブブの身内四人が集まっていた。
エルジェブブは開拓村へと放っていた大帝国の偵察兵たちから報告を受け取り、俺たちへ情報共有として読み上げた。
「グールオーガ現象?」
「ええ、開拓村では電波祭り以外にグールオーガ現象が確認されています。異世界の兵士がほとんど変化しました。」
「クジョウさんが言いよどんでいたやつか。」
この世界では、人間や獣人を含めた人類を食べる野生動物をモンスターと呼ぶ。
そして、同族喰い……人間が人間を食べづつけたり、オークがオークを食べ続けたりすると、もはや人間やオークではなくなり、モンスターに変化する。
これをグールオーガ現象という。
何も特別なことではなく、この世界の法則。常識。天罰だと認識されていた。
りんごが重力に引かれて落ちるのは当然。水は零度で凍るのは当然。それと同じように、人類同士の共食い。同族喰いはモンスターになる。
人を喰うからモンスター。
人を喰ったから天罰。
どちらが先かは定かではないが、結果としてモンスターが世界に生まれるだけだ。
同族喰いで変化したモンスターは、グール、オーガ、マローダー、キョンシーなど色々な呼ばれ方をするが、本質は同じだ。飢えを満たすためにひたすらに元同族を喰らい続ける。
また、気に入った相手を監禁して飢えさせて同族の肉を与えてどんどん『増える』。
恐ろしいモンスターとなるのだ。
誤字等ご指摘願います。




