05-19
それなりに深い眠りに落ちていた筈の己は、近くで動く人の気配を感じ取ったことによりあっさりと意識を取り戻す。
この国に来て延々と刀を振り続けてきたお蔭か、常在戦場の心意気……とまではいかないものの、夜討ち朝駆けに対応できる程度にはなってきたらしい。
また一歩……いや、半歩程度だろうが剣の頂きに近づいた感覚に、己は唇の端を釣り上げつつも近くの気配を辿る。
とは言え、この借りた家の中にいるのは己の他には、自称嫁となったカナリーという名の十歳そこそこの少女しかいないのだが。
「おはようございます、あなた。
起こしてしまいましたか?」
「いや、ちょうど目覚めたところだ」
当然のように気配の主はカナリーであり……動いている気配がしていたのは、どうやら朝食の用意をしようと起き出したから、らしい。
外はまだ薄暗かったものの、街の中には戦いの準備を始めた誰かが右往左往している気配があって……これくらいの恐らく夜明け前が、この国では誰もが起き出す時間帯なのだろう。
そうして己たち二人は朝食を取る……いや、摂ることとした。
何故「摂る」なのかと言うと、こんな状況である以上、ろくな食事など望むべくもなく……焼いて固めた煉瓦のようなヌグァと、薄いスープがあるだけだったから、である。
それでも黍粉は貴重な炭水化物であって、動くためのカロリーは非常に貴重であり……己とカナリーはお互いに口を開くこともなく、ゴリゴリとその硬いヌグァを齧りつつ、たまにスープに漬け込んだりしつつ、ただ栄養素を体内に取り込む作業を続ける。
そんな味気ない食事が終わり、己は愛刀「村柾」の目釘のチェックを始め、カナリーが片づけをしている時のことだった。
「しかし、ジョンさま。
私はいつ御子を授かるのでしょうか?」
「……は?」
突然、十歳程度の女の子からそんな爆弾発言をされた己が、手元を狂わせてしまい危うく愛刀で自分の指を斬りそうになったのは……仕方のないことだろう。
剣術を極めようとし、愛刀を身体の一部として操る身としては恥ずかしいことこの上ないミスではあるが。
「兄さんが言ってました。
夜中、男はへんぼーするからと……まさか光り輝かれるなんて。
あのしんぴ的な光景が、男女のいとなみというものなのですね?」
「……は?
いや、え、あ、そう、だな。
そろそろ……戦場へ向かわないと」
何か凄まじいことを言いだしたカナリーを余所に、己は愛刀を掴むととっとと家から飛び出し、牙の王との決戦へと赴いた。
……正直に言おう。
妻を自称するカナリーから詳しい事情を聞くことも躊躇われたし、子供が出来るあれこれを詳しく説明することなんて出来そうもないと早々に諦めた己は、少女の勘違いを正すことをせず……そもまま彼女を放置して戦場へと逃げ出すことにしたのだった。
「よぉ、昨夜は楽しめ……げふっ」
「餓鬼に変なことを教えるな、阿呆」
逃げ出した先にいた馬鹿兄……ガイレウが阿呆なことを口にしていたので、イラッとした己は取りあえず腹に一発入れることで口先から先に生まれたようなコイツを物理的に黙らせる。
まぁ、流石に全力でぶち込んだ訳でもないので、貧弱な身体のガイレウであっても胃液や朝飯を吐き出してのたうち回ることもなく、ただ呼吸困難で蹲る程度であって……要するにただの挨拶みたいなものだ。
「……しょうがない、だろう。
オレの立場として、だな」
「だから、その程度で済ませたんだよ、ったく」
ようやく起き上がりながらそう言い訳するガイレウに対し、己は溜息と共にそう吐き捨てる。
事実、為政者としてのコイツの判断は分かるのだ。
ただ、当事者が自分であるからこそ、苛立ちを押さえられずに一発殴らせて貰った……それだけの話である。
「で、準備は終わったのか?」
「……ああ。
城壁上に簡単なネズミ返しを取り付けた後で、弓兵を配置。
崩れた城壁はわざと大きく崩して……ここに敵を誘い込む」
ガイレウの作戦は、要するに隘路……狭い通路に続く広場を故意に造り出し、その広場を包囲殲滅することで局地的に数の差を逆転させる、基本的な戦術の一つだった。
何の捻りもないのは事実だが、基本的であるからこそ堅実とも言えるだろう。
そうして案内された場所は、南側城壁の端の方で……城壁が人一人が通れるほどに崩れた場所に数メートルほどの広場があり、そこを囲むように拒馬槍が敷き詰められている。
「ジョン。
お前が中に入り、囮となる。
義兄にあるまじき最悪の戦術だが……」
「これで良い。
いや、これが良い。
……何か足りないモノはあるか?」
そこに己が入り、どうやら神力を見せつけることで誘蛾灯の如く牙獣を誘えということらしいが……これはある意味では最高の、己が望む死地という舞台だった。
己を餌として使うことに気を病んでいるガイレウに対し、己は上機嫌でそう尋ねる始末である。
「……ああ。
人手、食糧、薬に包帯、縫合用の糸から武器まで何もかも足りないが……特に、矢が足りない。
このままでは、太陽が昇る頃には城壁上の連中がただの案山子に成り下がるだろう」
それは隘路戦術を取るからこその弊害なのだろう。
事実、城壁上からは弓兵が射ち続け、拒馬槍の背後には槍兵を用意して、投石機も全てこちら側に運んできており……徹底した遠距離戦で一方的に牙獣を狩る配置となっている。
(いや、他に手がないのか)
城壁側で延々と戦い続けて兵士の損耗が激しく、兵たちの殆どが練度が低い市民兵で構成されている以上、真っ当に戦っても被害が出るばかりであり……兵士のほぼ全てが遠距離戦以外は役に立たないのが実情なのだろう。
だからこそ、己が囮であり餌としてあの輪の中に入ることになる必要が生じるのだが。
「で、矢が足りないんだったな?」
「ああ。
お前が神兵と知っているからこその頼みだ。
神の奇跡をこんなことに使う訳にはいかないと言うのなら……」
何やらガイレウが妙なことを言っているようだが……信仰心なんて持ち合わせていない己としては「こんな便利な手品を今使わずにいつ使んだ」程度に考えている。
だからこそ、己は何も言わずに近くで弓矢の準備をしていた一兵士の矢筒から矢を一本だけ奪い取ると……そこに『複製』の天賜を作動させる。
手加減云々以前に、どのくらい神力を用いればどれだけ『複製』出来るかすら知らない己は、今度も適当に作動させたのだが……それが良くなかったのだろう。
どんな手品でもあり得ないほど、何もない空間から矢が次から次へと……文字通り雪崩の如く降り注いでくる始末である。
感覚的には昨日、玉蜀黍の粒を増やした時の倍くらいの神力を使っただろうか?
「お、おいおい。
もう良い。止めろ、おいっ!」
「……ああ、そうか?
だが、悪いな。
残念ながら……止め方が分からん」
そうして己がやり過ぎた所為で、辺り一面が矢だらけという馬鹿馬鹿しい有様になったところで、ガイレウは近くの非戦闘員たち……要するに女子供を動員し、矢をかき集めて城壁の上へと届けるように命令を下し始めた。
その時だった。
「敵襲っ!
敵が動き始めたぞっ!」
先ほどの神力に反応したのか、それとも単純に日が昇ったから動き出したのか……もしくは敵の準備という名の共食いが完了したのか。
城壁近くに立ってある望楼からそんな叫びが聞こえてくると共に、大きな鐘の音が城塞都市草原の盾中に響き始める。
「敵の数、凡そ三〇〇〇っ!
一斉に動き始めましたっ!」
「一直線にこちらに向かっていますっ!」
望楼の上や城壁の上から聞こえてくるそんな声を聞くまでもなく……全身にまとわりつくような嫌な気配で否が応でも分かってしまう。
……牙の王との決戦が、迫ってきたのだ。
2020/06/28 12:58投稿時
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