05-09
「……何やってんだ、爺さん」
「牙獣の死体から臓物を掻き出す作業」を行っていたフィリエプ爺さんを目の当たりにした己は、足を止めて思わずそう尋ねていた。
隣で同じ光景を見てしまったガイレウも、恐らく眼前の光景を目の当たりにしたことで己と同じように脳の処理能力が限界を超えてしまったらしく、固まったまま動かない。
どうやら、そのスプラッタ極まりない光景はこっちの国の連中としてもあり得ないモノだったらしく……周りにいる徴兵された連中も、遊牧民の連中さえもフィリエプ爺さんの暴挙とも言える行動に絶句し、誰一人として止めることも出来ないまま固まってしまっていたのだ。
「いや、儂らの飯が足りないからのぉ。
何とかコイツらが喰えればと……」
「おいおい無茶するなよ、フィリエプ爺さん。
ソイツら、人を食った生き物だぞ……」
……そう。
この牙獣と呼ばれる生き物を全員が忌避している理由の一つこそ、ガイレウが指摘したその一言が全てだった。
戦いのために人生を全て捧げた流石の己でも、強くなるためと言われても人肉を食べることは流石に無理だし……ついでに言うならば、人を食った生き物なんかを料理する気になんてなれやしない。
何しろ、下手に内臓の処理を失敗したら鍋の中らから指が出てきたりするのだから……少しばかり常人にはハードルが高い料理である。
と言うか、捌く側としてもそれは同じ筈なのだが……
「へっ、若いのぉ。
限界まで餓えたことがあれば、そんなことなど言ってられんわ」
それでもフィリエプ爺さんは堂々とそう言い放ち、牙獣を捌く手を休めようとはしない。
(まぁ……それも、真理かもな)
現在、彼ら新参の兵士たちや遊牧民たちはお荷物でしかなく……このまま籠城戦が続き食糧を切り詰めなければならない事態となった時、真っ先に餓えるのは彼らの方だろう。
その時、内部で粛清が進むのか、それとも人肉だろうと必死で食って飢えを凌ぐのか……幸いにして極限まで飢えたことのない己には分からない話だったが、少しでも「その時」が来るのを遠ざけようとするのは、少しでも知恵が回る人間ならば当たり前のことだった。
「……そうか。
精々美味く作ってくれ」
「その時はお主にも食わせてやるぞ、ジョンっ!
期待して待っていてくれっ!」
喰いたいとは思えないが反対もしない……そういうスタンスで玉虫色の返答をした己だったが、フィリエプの爺さんにはそれが激励に聞こえたらしく、凄まじく張りきった声でそう叫ばれてしまう。
そうなると、出来上がったモノを喰わざるを得ない訳で……
「勇気あるな、ジョン。
流石は、神兵という訳か」
「こんな時は、神のご加護をと唱えるんだったか?」
己の内心を察しているのだろう、ガイレウが苦笑気味に呟いた声に合わせ、己は神官らしくそう返すことしか出来なかった。
背後でフィリエプ爺さんの作業内容を見ず、出来上がったモノだけを喰えば良いのが唯一の救い、だろうか。
少なくとも掻っ捌いた腹の中身を見なくて済んだことについて、神が幸運をくれたと思いたいところである。
「さて、此処だ、ジョン」
そんなことを考えつつ、ガイレウに先導されて歩いた先にその建物はあった。
空堀と拒馬槍で囲われた大き目の石造り二階建てであり、兵士が十数名で護っているソレは……間違いなくこの城塞都市の司令部なのだろう。
比べるまでもなく周囲の建物よりも遥かに大きく、出入り口からはひっきりなしに馬車や伝令馬が行き来が続いていて、物資が足りないというのに未だに篝火が煌々と輝き、夜も遅くなっているのに人のざわめきが途切れることがない。
それらの状況証拠から、この場所こそが城塞都市草原の盾の都市機能を集約させた最重要拠点であり……更に言うならば彼ら司令部が未だ機能を失っておらず、今もなお働き続けていることが窺える。
(ただ、人手不足は否めないな)
自分だったらどう攻め込むかを考えて見渡した己は、小さくそう嘆息する。
見張り台にも人はいないし、二階に見える銃眼はスカスカ、巡回している兵士すらろくにいないというこの有様では、己一人が愛刀一本で眼前の司令部を落そうと考えた場合……己がこの司令部を皆殺しにするのはそう難しいことではないだろう。
尤も、この司令部に人をあまり置かず……つまり、己の身を護ることよりも城壁を堅持して市民を守ることを優先しているその態度は、彼らが保身ばかりの救いようのない馬鹿ではないことを意味していたが。
「さぁ、来てくれ、ジョン。
こっちだ」
「……顔パスかよ、お前」
そんな人が行き来する司令部へと、ガイレウは堂々と真正面から上がり込み……門番らしき兵士に何一つ咎められることなく通過する。
司令部の中も外部と同じように小走りで人が右往左往する大混乱の最中であり、現在のように戦いが小休止している時こそ、彼ら兵士以外の裏方の人たちが最も忙しい時であることを己に教えてくれていた。
事実、彼らの仕事は戦えるように準備することであり……己のように最前線で愛刀を振るう者とは役割が違う。
またしても伝令らしき人が書類を持って前方から走ってきたかと思うと、ガイレウに一礼した後、己の横を通り過ぎるのを目の当たりにする。
そのあからさまな態度を目の当たりにすれば、剣術以外ではそれほど察しの良くない己でも理解が出来る。
帝都から徴兵されてきただけの眼前の細身の男が、実はこの草原の盾ではそれなりの地位にあるらしいということが。
「ガイレウ、お前は……」
「さぁ、ジョン。
着いたぞ」
それを問い詰めようと口を開いた己に先んずるように、ガイレウは突如として振り返ると、護衛らしき兵士が二人護っている部屋へと入っていく。
仕方なく痩身の戦友に従って己が部屋の中に入ると……そこには丸いテーブルがあり、その周囲に七名ほどの人物が座っていた。
おばさん、爺さん、おっさん、おっさん、戦士、腕力馬鹿、そして少女。
それらのほぼ全員から敵意に満ちた視線を受けつつも、ざっと中の連中の戦力分布を見極めている己の前で、一番奥の席に座っていた十歳前後の少女が立ち上がったかと思うと……
「兄さんっ!」
そう、大声で叫んだのだった。
2020/06/15 21:04投稿時
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