05-07
「……ははっ、所詮は、獣の群れかっ!」
血と臓物の臭いが漂う城壁の上で、己は勝利を確信してそんな挑発の声を上げていた。
事実、今の戦況は完全に膠着状態に陥っていて……牙の王の攻勢を己が剣技をもって跳ね返し続けている、とも言える状況である。
己が城壁の上で挑発する度に、牙の王は自分の持てる最大の使役数である五十体ほどの牙獣を動員するものの、周囲の兵士たちが城壁の上で護りを固めている以上、その防衛陣を抜けて己のところへと辿り着ける獣の数は凡そその半分程度でしかない。
しかも、城壁の上が狭いお陰で己の元にたどり着く時には一匹一匹の感覚が空いてあるため、己としては一匹一匹を順番に屠っていくだけで敵の攻勢を凌げるのだ。
「そっちを掃除しろっ!
急げよっ!」
「矢を集めろっ!
東からも、北からもだっ!
早くしろっ!」
そんな己の周囲で、兵士たちは慌しく叫びながらもゴミ……牙獣の臓物やら死体やらをかき集めるなど、城壁の上の掃除に勤しんでいた。
使えそうな武器をかき集めたり、邪魔になりそうな死体を掃除したり、血痕を洗い流したりと……この戦いで最も殺害数が多いのは己だとしても、目立たないMVPは彼らが選ばれることだろう。
そうして集めた武具を砥ぎ直し、足場を整え、投石機を使って死体を敵陣に放り込む等、さり気なく役に立ってくれている。
尤も……
(敵からは目立ってないようだがな)
そうして兵士たちが死体を片づける中、己は近くの兵士から頂いた皮臭くて不味い水を飲むことで咽喉を潤しながら、眼下に群がる牙獣の集団へと視線を移す。
ソレを見る限り、牙の王を名乗るクソ野郎……実際はどんなヤツかまだ見てもないのだが、ソイツは酷く混乱しているようだった。
何しろ、己相手に兵力を小出しして……その度に一方的に狩られ続けているのだ。
一斉に牙獣たちを操ることは難しく、だからと言って群れを城壁にこれ以上近づけると一斉射の餌食になるばかりなので近寄ることも出来ず……そんな葛藤の狭間が、牙の王を「この戦力の逐次投入」という愚策へと駆り立てているのだろう。
先ほどから続く失態の所為で統率力が乱れているのか、それとも自らの限界を超えて頑張ろうとはしているのか、一度に二つの群れを動かそうとしてぶつかり合い……ぶつかった群れ同士が喧嘩を始めた挙句、共食いを始める始末である。
それどころか、城壁の向こう側へと投石機で投げ捨てた牙獣の死体を喰らい合う様子も窺える。
(……要するにこの群れは、一つの群れじゃないって訳だ)
眼下に広がる一万を超える絶望的な群れは、実のところ牙の王によって強制的に動かされた、多くの群れの集合体でしかなく。
しかも牙の王の意思一つで万を超える牙獣の全てを動かせる訳ではないため、ちょいと挑発するだけで崩せる……そんな脆い結束でしかない。
事実、牙の王が己への憎悪で目が眩んでしまった所為か、それとも己の持つ膨大な神力以外が見えなくなっているのか、支配下の牙獣たちは己に憎悪混じりの視線をぶつけるばかりとなっており。
……それ以外の牙獣たちも、兵士たちがこの南の城壁に集まっていることも、さっきまで餌としていた避難民たちが城壁の内側へと消えて行っていることにさえも気付くこともなく、延々と共食いを続けている始末である。
「……さて、と。
どうやら休ませて貰えそうだな」
城壁の上から覗く限りでは、牙獣共は牙の王の支配が緩んだのか、それとも群れ全体が極限の飢餓状態に陥ったのかは分からないが……同族同士の共食いが拡大し続けていて収拾がつかず、さっきからこちらへと突っ込んでくる様子がない。
その同族同士が喰らい合う光景は、もはや地獄絵図に近い有様だったが……己としては練習相手が減るという欠点を少しだけ残念には思うものの、生憎と城壁の上から連中の共食いを止める術など、己は持ち合わせていない。
どこぞの兎みたく、焚火に飛び込んで自分を餌として分け与えれば共食いを止めてくれるかもしれないが……そこまでして一度は己を食い殺した牙獣に情けをかけるつもりもない。
「……なぁ、飯、あるか?」
「は、はいっ。
下に、用意してありますっ!」
流石に半日近く愛刀を振るい続けて腹が減った己は、近くにいた少し慣れている感じの職業軍人っぽい兵士に声をかけ……ソイツは何故か上官から声をかけられたように直立不動になって、恐れの混じった声でそう告げる。
(……なんだかなぁ)
ソイツの様子に思うところはあったものの……咎めるほどのものでもないし、何よりも今は腹が減っている。
「何か動きがあれば教えてくれ」
「は、はいっ!
神殿兵様」
己は肩を軽く竦めるとそう言い残し、眼下を見下ろして牙獣たちがまだ共食いをしているのを確認すると……愛刀を手に城壁を降りたのだった。
「若いのっ、生きてたのかっ!」
兵士たちの食事場所として解放されている大通り近くの広場にて、雑用に駆り出されたおばさん連中から渡された、冷え固まった所為でくそ不味くなり果てている黍粉のパン……ヌグァと、肉もろくに入ってない塩っ気だけのスープをカロリーと塩分補給のために飲み食いしていた己に、突如としてそんな声がかけられる。
その声に振り返ってみると、フィリエプの爺さんとガイレウ、そしてデビデフの三人がこちらへと駆け寄ってくるところだった。
「……ああ、お前らも無事ようだな?」
「ああ、ジョン。
くそったれな神のお陰で、な」
「今になってようやく城壁内に入れたんだ。
……城壁を護る兵士が足りないって名目でな。
ま、避難民が半分ほどに減ったおかげで受け入れる余地が出来たのと、内部のゴタゴタでこの城塞都市の首がすげ替わったお蔭、ってのが正しいところだが」
ヌグァを喰らいながらの、適当な己の問いに眉を顰めながらも班長だったデビデフが吐き捨てるように答え、それに補足するようにガイレウが細かい分析を加えてくる。
その背後には兵士たちや遊牧民たちがぞろぞろと大通りを歩いていて……ガイレウが言ったとおり、戦況が硬直状態に入ったところで、城壁外にいた避難民たちを草原の盾の内部へと招き入れたのだろう。
その辺りの戦術的な話は置いておくとして……飯を喰い終わった己は愛刀を引き抜くと、近くの兵士から奪った布と砥石でそれを磨き始める。
(ちっ……加減して振ってたんだが。
やはり欠ける、か)
曲がったり凹んだりはしていないので刃筋を歪めはしなかったようだが、牙獣の持つ牙や骨を叩き斬った以上、今の己の技量では刀身へのダメージは仕方ない。
こういう刀身のダメージをなくすほど繊細な斬撃を常に放てるようになりたいものだが……我が剣は未だ道半ば、である。
「若いの、ここは飯を喰う……いやまぁ、いつ戦いが始まるか分からんからのぉ」
そんな己の様子にフィリエプの爺さんは小言を呟いて、すぐに呑みこんだ。
実際問題、礼儀や作法や行儀よりも生き残ることが大事であり、愛刀の切れ味は天賜を封じている己にとっては生命線である。
そして、周囲からしても己の愛刀が生命線だと分かっているのか、誰も咎めようとはしてこない。
まぁ、それを理解した上で、己は愛刀の手入れを始めたのだが……此処ならば井戸が近く、水も豊富にあるし。
「じゃが、それでも人として生きていく以上じゃな……」
「おい、爺さん。
俺たちは集まらなきゃならん。
行くぞ」
「あ、ああ。
しかし、若いの。
そう殺伐としてばかりじゃ……その内、行き詰るからの?」
そして、己に小言を続けようとした爺さんは、デビデフ班長とガイレウによって、大通りの向こう側へと連れて行かれた。
どうやら無理に規律を乱して出てきただけらしく……少し小走りになっているのが、先日までのんびり行軍してきた日々を思い出させ、己は軽く肩をすくめて笑みを浮かべる。
ちなみに一度吹き飛んだ己は徴兵からはもう解き放たれたらしく、彼らと合流しろなどとは誰からも命じられなかった。
それが剣技を見せつけたお蔭なのか、彼らの殿を務めたお蔭なのか、それともこの神官衣のお陰なのかは分からなかったが。
(さぁて。
……明日は、どうなることやら)
己は磨き終えた愛刀を眺めつつ、明日の戦闘に期待を寄せて先ほどよりも大きな笑みを浮かべる。
そんな己の笑みは、周囲の連中にとってあまり好ましくなかったらしく……がたがたがたと周囲の人たちが己から離れていく音が響き渡る。
尤も、己は誰かの理解を得たい訳でもなければ、積極的に誰かを助けようとすら思っていない。
ただ、剣の道を究めたい……それだけなのだから。
「さて、取りあえず仮眠でもするか。
……毛布くらいは欲しいところだが」
愛刀の手入れを終えた己は、そう呟いて立ち上がると……本日の宿を求め、近くの兵士に声をかけるべく、周囲を見渡したのだった。
2020/06/13 05:18投稿時
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