04-29
「己は神兵ジョン=ドゥっ!
見ての通り、己は死なないっ!
ヤツらも己を狙うだろうっ!
だから、この場にいる全員、草原の盾へと走れぇっ!」
奇跡を見せつけた直後、己が腹の底から吼えたその名乗りと命令の効果は絶大だった。
その場にいた二百名近くの男たちは一斉に全員が土下座せんばかりの勢いで首を大きく垂れ……その直後、揃えたように全員が顔を上げると、先を競うように煉瓦敷きの街道を城塞都市草原の盾の方へと走って行ったのだから。
そうして三十秒も満たぬ内に誰も彼もがこの場を離れ、唯一この場に残ったのは同じ班の連中……ガイレウとフィリエプの爺さんと、班長であるデビデフの三人だけになっていた。
「ジョン。
情けないと思われても仕方ないが……ここは、頼んだ」
「大丈夫さ、班長。
生きろよ?」
失礼ながら真っ先に逃げるだろうと思っていたデビデフのその声に、己は右手で愛刀「村柾」を軽く鳴らしながら、そう答える。
その一言が免罪符になったのか、それとももう限界だったのか。
炎の王の眷属による毒の所為で内臓が腐ったままという男は、静かに一礼すると踵を返して城塞都市の方へと走っていく。
「ジョン……死ぬなよ?
この恩は、必ず返すからなっ!」
数日前までは病弱だったというガイレウは、その貧弱な身体には全く似合わっていない槍の石突を街道の煉瓦へと叩き付けて鳴らすと、涙を隠すことなくそう叫ぶ。
生憎と己は別に彼らのために囮を務める訳ではなく、ただ牙の王と戦いだけの狂った剣鬼に過ぎず、コイツが恩を感じる必要なんて欠片もないのだが……流石の己でも、この場でソレを口にしない程度には空気が読める。
「言ったろ、己は死なない。
上手く逃げ延びろよ?」
正直、泣かれても恩を返されても、己が最も欲しがっている『剣の技量』が手に入る訳でもないため……己は肩を竦めて適当にそう言葉を返してやる。
「若いの、また、顔を見せてくれよ?
約束は必ず……美味い飯を必ず食わせてやるからな」
「ああ。
……楽しみにしている」
フィリエプの爺さんは年の功というべきか、三人の中で己が最も断り辛い未来を……一度交わした約束を持ち出し、己が「死ねない」よう誘導をしてくる。
それを理解した己は、だけどこれから死地に向かう異常、その約束を守れると安易に口にする訳にもいかず……ただ軽く笑みを浮かべると、爺さんに向けて左手を軽く上げてみせる。
そんな己の内心を悟っていたのか、フィリエプの爺さんはそれ以上何も言わず、すぐさま背を向けると未練がましくこちらを何度も振り返っていたガイレウの肩を叩き、城塞都市草原の盾へと街道を走り去っていく。
「さて、と。
あとは、全員が逃げ出せるまであの野犬共の足止めをしなけりゃ、な」
全員が立ち去ったのを見届けた己は、愛刀「村柾」を肩に担ぎながら、そう呟き……直後、自分が口にした言葉の意味を理解した己は、歯が鳴るほどに歯噛みする。
(馬鹿か、己は。
……千程度の獣風情、全てを斬殺してみせずして、何が達人か)
剣の頂きを……誰にも負けない剣豪を、剣を極めた剣聖を目指そうとしているのに、たかが数が多いだけの獣風情に、戦う前から敗北を認めていた。
その事実に気付いた己は自分の頬を殴りつけ……口の中に広がる血の味を舐めとりながら、息を大きく吸い込み、吐き出す。
「だが、アイツらの骨は固い。
この村柾だけで、どこまでやれる?」
今までと違い、この戦いは……負けられない。
自分の命だけではなく、同じ釜の飯を喰った戦友たちの命がかかっている。
背を向けて城塞都市を目指す彼らに視線を向け……彼らの命という重荷を自覚してしまった以上、天賜という神より授かった奇跡に背を向け、ただ自分の矜持だけを貫く訳にはいかないだろう。
「……畜生が」
己は、自らの技量の無さに歯噛みする。
もしあの宮本武蔵ほどの強さが己にあれば、四方八方から襲い掛かってくる獣の牙を紙一重で躱しながら、両の手に持った刀で片っ端から斬り捨てることが出来ただろう。
だが、今の己にはそんな技量はない。
このボロボロになった愛刀一本と、二・三匹を同時に相手するのが精いっぱいの、脆弱なただの達人一年生のこの身だけしかない。
己は自らの矜持と無力さとの狭間で拳を握りしめ、歯噛みし、目を閉じる。
そんな苦悩を何分間続けていただろうか?
気付けば周囲からは牙獣の唸り声が響き……どうやら己は既に囲まれているらしい。
(……賭けには、勝ったか)
コイツらはやはり神力を……天賜の使い手を狙う性質があるらしく、視線を城塞都市へと逃げ出している戦友の後ろ姿へと向けてみても、必死に逃げ出した彼らには一匹の牙獣も向かっていない。
(後は……己がコイツらを狩るだけか)
己は目を閉じ、静かに息を吐き出すと覚悟を決める。
殺す覚悟でも殺される覚悟でもない。
ただただ生き抜くために、矜持を曲げる……その覚悟を。
(天賜……【鉱物作成】【金属操作】【繊維作成】複合)
とは言え、己は剣術家として生きている。
奇跡に頼っての勝利など死んでも御免だという矜持は変わらない。
しかしながら、自分の矜持を護ることに固執して勝手に死んでしまってば、同じ釜の飯を喰った戦友たちの命を無駄に散らすことに繋がる。
だからこその妥協。
……ここが剣術家としてで許せるギリギリのライン。
己はそれを意識しつつ、歯噛みしながらも自分が許せる限界ラインの新たな天賜の名を叫ぶ。
「天賜……【剣の結界】」
剣豪将軍として知られる足利義輝の最期……松永久秀の軍勢によって追い詰められた足利義輝は周囲の畳に予備の日本刀を幾本も刺し、敵兵の血と脂で刀が使えなくなる度に取り換えることで数十人の兵士を斬殺し続けたという。
その逸話を、奇跡によって体現する。
己の声と共に身体中から何かが抜けていくような感覚……その直後に虚空に生まれた愛刀「村柾」の複製品百二十本が重力に引かれ、次々と大地へと十センチほど突き刺さる。
これぞ、己の生み出した新たな天賜【剣の結界】。
剣術家である己が許せる、奇跡の限界ギリギリのライン。
歪み凹み毀れ血と脂にまみれて使えなくなった愛刀を鞘へと納めると、己は近くに突き刺さっている複製品を一本手に取ると、肩へと担ぐ。
重さ手触り重心位置から形に至るまで、愛刀「村柾」と寸分変わらぬ逸品で……まさにこの天賜とやらが己自身の持つ超能力などではなく、神によってもたらされた奇跡であると認めざるを得ない。
尤も……今はその事実を確認するだけで十分であって、他に気を向ける余裕などある筈もない。
何しろ己の周囲には千を超えるほどの牙獣が群れをなし、己という餌を貪り食うのをまだかまだかと待ち構えているのだから。
「……待っててくれたのかよ。
意外と親切なんだな、牙の王」
己は肩に担いだままの愛刀を軽く上下させながら、そう笑う。
下らなくつまらなかった従軍期間はもう終わり……此処からはお楽しみの時間なのだ。
唇が吊り上っていくのを止められない、鼓動は自然と早くなり、愛刀の柄を握りしめる手に少し力が入り過ぎているのを自分でも自覚する。
集中力が高まり、周囲の雑草一本一本の揺れる動きまでもを知覚できる。
周囲の牙獣の呼吸音や土を踏む音、雑草をかき分ける音一つ一つまでも聞き分けられる。
それら全ての感覚が……今自分が死地にいるという幸せを伝えてくる。
「さぁっ、獣共っ!
かかって来いやぁああああああて!」
だからこそ、己はそう吼える。
此処からが……己という狂った剣鬼が唯一生きていると感じられる時間なのだから。
2019/01/12 21:33投稿時
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