04-28
(……どうする?
どうやって、コイツらを救う?)
そんな自問自答の中、己は緊張によって汗に濡れた手のひらを肩辺りに擦り付け、何とか緊張を追い払う。
同じ軍で共に歩んだ彼らは徴兵されただけの一般人……しかも老人や傷病兵が多く、ろくに戦えない連中で、凄まじい数の牙獣を見て震えることしか出来ない普通の人々である。
そんな彼らの、唯一戦える己が緊張や恐怖を伝える訳にはいかない。
(彼らと共に戦う……のは無理だ)
元々徴兵されただけの彼らの士気は最悪、数人が食い殺されただけで戦線は崩壊するだろう。
そもそも彼らを合わせても己たちは二百に届かない程度でしかなく……千を超えそうなあの牙獣たちが相手では、一人一殺が出来たところで話にならない。
第一にこんな開けた場所の、しかも相手の姿だけが隠される草原の中というシチュエーションがもうどうしようもない。
それほど戦略に詳しくない己であっても、一方的に奇襲を受け、一方的に嬲り殺される未来しか見えなかった。
「取りあえず、アイツら相手に平地での戦闘なんて無理だ。
かと言って、今から聖都へ逃げ出したところで……」
「この行軍速度じゃアイツらに追いつかれるだろうな」
考えをまとめるように己が呟いた言葉を引き継いで、何となく参謀役の立ち位置となっているガイレウがそう続ける。
聖都から此処まで行軍するのに三日ほどを要している。
そもそも、人間の歩く速度は時速4キロが良いところとされている一方、犬の走る速度は平均で時速30キロほどであり、あの牙獣も似たような速度が出せると思われる。
つまり……小学校の旅人算で計算するまでもなく、逃げ切れる訳がない。
「だけど、草原の盾なら安全だろうな。
牙獣じゃ、城壁を超えることは難しいだろうし」
「……やっぱそうなるか。
そうなる、よなぁ」
とは言え、前進すれば……城塞都市の中に逃げ込むことが出来たのなら、もう少しマシな条件で戦える。
都市の中に入ることは叶わなくとも、城壁を背に戦うだけで背後を気にしなくても構わなくなる上に、城壁の上から弓矢や投石などの援護射撃も期待できるだろう。
その上、あそこには凄まじい数の難民たちがいる。
彼らと合流することが出来さえすれば、数で圧倒的に負けている現状だけでも解決ですることが可能なのだ。
「だけど……今から逃げて、間に合うか?」
「多分、キツい。
運が良ければ、半数が助かるってところか」
己の問いにガイレウはそう答えるが……それはあくまでも運が良かった場合、だろう。
そして、半数が逃げ切れたとしても、それは足の遅い人たちや老人や傷病兵など、戦友を餌として牙獣に捧げることになる訳だ。
しかし……
(連中は何故、己たちの方へと向かっている?)
その疑問は未だに解消されない。
……そう。
己たちは二百名に満たない少人数の軍勢である一方、城塞都市草原の盾の周囲には難民が倍どころではないほど群れているのだ。
更に、連中が木柵を乗り越えた場所から言うと、己たちがいる場所は城塞都市よりもまだ遠い。
だと言うのに、連中はまっすぐにこちらへと向かっている。
(奴らの狙いはやはり、強力な神力、か)
先ほど、馬上の騎士が真っ先に狙われたのを見ても分かる通り、牙獣たちが狙うのは天賜という神の奇跡を体現する力の持ち主だろう。
そう考えると、城塞都市草原の盾にはもう天賜を使える人はろくにいないこととなり。
逆に、この場所には凄まじい天賜を使える神兵が一人存在している。
(つまり、連中の狙いは……己かっ!)
そう結論付けてしまえば、後は簡単だった。
相手の狙いさえ分かれば、自ずとやるべきことは決まってくる。
「ガイレウ、デビデフ、フィリエプの爺さん。
お前たち全員、街道をまっすぐ、草原の盾に向けて進め。
……後ろは、振り向くな」
だからこそ、己は静かに同じ班の仲間たちへと向け、そう告げる。
視線はまっすぐに南西の方角を……次々と土壁を越えている、千どころかもう数えるのも嫌になるほどの牙獣が向かってくる方角へと固定されたままに。
「連中の狙いは天賜の使い手だ。
上手く行けばお前たち全員が助かるだろう。
……半分以上賭けになるが、このまま此処で足を止めて戦ったところで、ただ全滅するのを待つだけだ」
そうして視線を合わせないままに、己は周囲の連中にそう告げる。
実際、この作戦が上手く行くという保証はない。
彼ら全員が食い殺されるのをただ己が一人安全な場所で何も出来ずに見届けるだけに終わる可能性だってあるのだ。
だけど……何故か己の中の確信が、この作戦は上手く行くと告げていた。
「待て、ジョン。
お前、その言い方は……」
「……で、お主はどうするのじゃ?」
ガイレウもフィリエプの爺さんも恐らくは分かっているのだろう。
今すぐに逃げないと……囮となってこの場に残るという己を見捨てて逃げないと、自分自身が助からないということに。
そんな絶望的な状況であっても、彼らは人として戦友を見捨てることを容認できず……聞かなくても良いその問いを口にしているのだ。
普通の人ならば自分だけが助かりたいと思うのは当然であり、大多数の人たちはもうこの場を離れたくて仕方ないという顔をしているというのに、同じ班だったこの二人の瞳には「自分たちも残って討ち死にも辞さない」という覚悟が見える。
(……畜生、良い奴等だ、コイツら)
ちなみに同じ班とは言え、炎の王の眷属にやられて内臓が腐っているというデビデフは戦いで傷つく痛さも戦死する怖さも知っているらしく、二人と同じ問いを口にすることも己と視線を合わせることもしなかったが。
それは兎も角、そんな二人の戦友の覚悟を見た己は、彼らを説得するために一つの策を……出来ることなら使いたくはなかった策を実行に移すことにする。
(……仕方ない、か。
ああ、くそ、痛いんだろうなぁ)
己は愛刀を鞘から抜くと、多少の刃毀れと歪みのあるソレを右手一本で持ち上げ……左手をまっすぐ正面に突き出すと……
「おまっ?」
「ジョンっ?」
……愛刀を左手へとまっすぐに振り下す。
激痛への覚悟を決めた所為か、意味もなく達人の領域という集中力異常が発揮され、自分の左手に刃が突き立ち、皮膚を貫き血管を切り裂き筋肉を抉り骨を断ち切るその感触までもが生々しく感じられた。
「ぐっ……ぐぅっ」
四肢が身体から断ち切られる激痛は、刃が通り過ぎて血管から血が噴き出したその直後から、ゆっくりと灼熱という形で広がっていく。
己は歯を食いしばり、噴き出る血の多さとその激痛とに気が遠くなり始める意識を何とか留めつつも、それでも表情だけは必死に冷静さを保ちつつ、内心で叫ぶ。
(……【再生】っ!)
慌てて唱えたその天賜の効果は凄まじかった。
さっき切断したばかりの傷口から骨が伸び、血管が生え、筋肉が盛り上がり皮膚がソレを覆い隠し……
「ぐ、く、ぐ……」
腕が断ち切られた直後の傷口を、焼け爛れた焼き鏝で嬲られるような激痛に、己はただただ必死に歯を食いしばり、悲鳴を上げないように耐え忍ぶ。
……前の実験で傷病人が泣き叫び暴れて失神したのは見ていたが、これほどヤバいものだとは思わなかった己である。
誰も見ていなければ、こうして傷が治るところを見せつける策でなければ、今すぐに泣き叫んだことだろうし……せめてもっとゆっくりと傷口を再生するべきだったと今更ながらに後悔していた。
それでも、何とか【再生】の天賜は実行され、己の左手は愛刀を振り下す前と遜色ないモノへと復活を遂げていた。
「何だ、それ。
お前、まさか……」
「……天賜」
一度は実験したことがあったものの、上手く行くかは半ば賭けに近かったが……どうやら己の能力を上手く見せつけられたようだった。
そうして完全再生した左腕をその場にいる全員に見せつけるように突き出しながら、己は腹の底から声を張り上げる。
「己は神兵ジョン=ドゥっ!
見ての通り、己は死なないっ!
ヤツらも己を狙うだろうっ!
だから、この場にいる全員、草原の盾へと走れぇっ!」
そんな己の叫び声は天賜という名の奇跡を目の当たりにして静まり返っていた周囲に、大きく響き渡ったのだった。
2019/01/12 08:07投稿時
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