04-19
「……結局、かすり傷さえつけられなかったか」
翌日の朝。
己は目覚めるなりそう呟いて歯を食いしばる。
ただの夢だった、ということはないだろう。
何しろこの身に受けた刀傷の七十八の全て……特に最後に喰らった袈裟斬りに至っては、肩口の皮膚の内側から骨に届く辺りまで刃が貫いた感触が、未だ鮮明に残っているのだから。
(アレが、行ける伝説。
剣士が命懸けで決闘を繰り返していた時代で、最強を誇った存在)
考えてみれば、己なんぞが勝てる訳がない。
己はようやく命懸けの領域に足を踏み入れ、達人の領域に達しただけの……言ってしまえば達人一年生である。
そんな状態で、達人の中の達人に敵う筈がない。
尤も、「五十回は斬られても大丈夫」という創造神の言いつけを平然と破り、絶対に勝てない相手に七十八回も挑んだ己も己だとは思うが……
「もっと、強くならなきゃ、な」
だが、昨夜の夢のお蔭で……創造神によるご褒美のお蔭で課題は見えた。
限界に達したと思っていた身体速度・剣速・判断速度・動体視力、そして読みの速さ……それら基礎能力こそが、今の己に最も劣っているモノらしい。
(なら、ゆっくりしている場合じゃない)
そう決断した己は、安全な神殿に戻ってきたというのにたった一夜の休んだだけで、またしても死地へと……新たな戦いの場へと赴こうとしているのだ。
実際のところ、この神殿とやらは退屈極まりない場所で、遊ぶ場所もなければ戦う場所もない……と言うか、神殿兵たちが己を敬遠するばかりで稽古にすら付き合って貰えないため、神殿が非常に退屈な場所に成り下がっているのが事実なのだが。
(またあの夢を見られるなら、それはそれで楽しそうなんだが)
恐らくアレは、六王を倒したご褒美……そして神の力が強く顕現するこの神殿内だけでしか起こらない『奇跡』だったと思われる。
何処だろうと奇跡を起こしてこそ万能にして全能の神だろうと言いたいが……よくよく考えてみれば、どこでも日替わりであのレベルの達人と戦えるのであれば、己が六王相手に戦わなくなる可能性がある。
そんなことを考えつつも相変わらず質素な神殿の朝飯を口への放り込み、爺さんが用意してくれた神官の服ではなくレティアに選別として貰った旅人用の服を身に纏い……己は安全で平和なこの場所を後にして、次の六王と戦うべく死地へと旅立つのだった。
「では、特に次に戦う相手は決まっていない、と?」
「……ああ。
情けをかけられた以上、炎の王は最後にしようと思っているが」
旅立つ己をわざわざ神殿の入り口まで見送りに来てくれた、エリフシャルフトの爺さんが発したその問いに対し、特に気負うことなく己はそう答えを返す。
実際のところ、己にとって順番なんてどうでも良いのだ。
ただ死闘を……限界を超えて戦える場さえ提供してくれるのであれば。
「ならば、神兵よ、僭越ながら。
霧の王を……南西の湾岸部へと向かって頂けないでしょうか?」
「……霧の王、だと?」
その名は森の入り口でも耳にしたので記憶にある名だった。
湾口を霧で覆いつくし、海運を全て止めたという、六王の内の一体。
その所為であの街は食料品の流通が止まり、絶体絶命の危機に立たされたという。
(そう考えると、実はあの行商の爺さんって英雄なんだな)
情けなくもがめついという印象しかなかったが……道中で馬車に同乗させてもらった、あの食料品を運んでいた爺さんは、実のところ森の入り口の救世主でもあったらしい。
何しろ、食料がなければあの街は耐えられなかったし……そして、爺さんの運んだ大量の食糧がなければ、猿の王を倒した後の己が餓死したかもしれなかったのだから。
そういう意味では、霧の王という存在は街を虐殺したとか侵略してきたなど、極悪非道という印象はないものの……それでも間接的にこの神聖帝国を滅ぼそうとしている存在であることに違いはないだろう。
「……分かった。
次に向かう先は霧の王とやらにしてみよう」
結局、次に戦う相手が決まっていなかった己は、少し考えたもののそう決断を下す。
「済みません、神兵様。
貴方の自由意思に任せよと神の神託があったにもかかわらず、幾度もこのような……」
「そうしてあんたが口を挟み、己がそうすると決めたのも神の御意志だろうさ」
何やらエリフシャルフトの爺さんは己の自由意志に口を挟んだことを嘆いているものの……己はそんな適当なことを口にすることで爺さんの心労を取り除いてやった。
ま、この爺さんには一宿一飯の恩がある。
こんな適当な言葉で少しでも気が楽になってくれるのであれば、安いモノだろうし……実際、エリフシャルフトの爺さんは神殿の中心に向けて五体投地して祈りを捧げ始める始末だった。
次に床に寝そべる爺さんに何とも言えない視線を向けつつ、柱の陰から現れたのは鑑定眼を持つエーデリナレだった。
その手には何やら羊皮紙らしき皮の束を手にしている。
「今回の報酬は、一億二七七〇万ズーヌ。
流石にすぐに現金化することは難しかったので、証書という形になりますが……」
少女が何処となく恐ろしげな声色でそう口にするが……己としてはその金額が一体どれほどの資産なのか実感が湧かなかった。
取りあえず、一〇ズーヌあれば腹いっぱいのヌグァ……黍粉のパン擬きを腹に収められる訳だから、日本円に換算すると単純計算で百億円程度、だろうか。
(……正直、どうでも良いんだよなぁ)
日々の糧に困らないのなら、雨風を防げる場所さえあるのなら、仕事に追われて剣術から遠ざけられる心配さえないのなら……己としては金なんてどうでも構わない。
そして、神兵としての地位が約束され、戦いのみに生きて構わないというお墨付きを頂いている現在、金なんてモノは己には全く必要のないものだった。
だから、だろう。
「あ~、適当に持っておいてくれ。
使う機会もないだろうし、な」
己が、その証書を手に取ることもなく、そう適当に言い放ってしまったのは。
そして……まだ若い彼女は、そんな己の態度が心の底から気に入らなかったのだろう。
「ジョン=ドゥっ!
貴方は、どうしてっ、そういい加減にっ!」
「エーデリナレっ!」
突如として声を荒げた孫娘に対し、老人はそう声を荒げるものの……怒りに我を忘れているのか、鑑定眼を持つ少女の声は止まらない。
「昨晩、あれほど満ち溢れていた神力が今朝になって消え去っているのは、創造神に御力を返還した所為でしょう。
間違いなく貴方は酷く弱体化しているというのに……貴方はそれすらも意に介していないっ!」
神の目を持つというこの少女に、己の何が見えているかは分からないが……どうやら猿の王と戦った時と比べ、天賜の使用回数が減ったということ、だろうか。
確かにあの時は凄まじい力が身体の奥底から溢れかえり、無限にも思えるほどの奇跡を体現出来ていた。
……己としては毒による怒りの所為で、身体と精神の限界を突破したからだと思っていたが、どうやら創造神が力を貸してくれていた、らしい?
(だが、あの無機物がそんな手間かけるか?)
正直に言うと、己のことなど路傍の石……いや、アリの巣を突くのに都合の良い枝だった、程度の感慨しか持っていなかったあの絶対者が、わざわざそんな慈悲をかけるなんて思えないのだが。
いや、それでもご褒美をくれる辺り、意外と情け深いのかも……などと考えている己に向けて、少女は更に言葉を続ける。
「それ以上にっ、あのっ、レティアとかいう少女を娶ったことですっ!
貴方が強引に反対すれば、あんな小さな街の権力者など無視出来たでしょうっ!
あの女が欲しいなら、力ずくで奪えば、ただ好き勝手に犯せば良かったでしょうっ!
なのに、何故っ、貴方はっ!
何故っ、あんなに簡単にっ!」
それは少女の心からの、「己のことを理解出来ない」という叫びだった。
もしかしたら今回の件だけではなく、屍の王を前にして愛刀一本で挑んだ姿勢や、炎の王を真正面から剣のみで叩き潰そうとした、そういう己の行動原理についての不信や疑心が積もり積もった上での叫びなのかもしれない。
だが、まぁ……今回のことに関してなら、エーデリナレの言っていることも分からなくはない。
女が欲しいなら奪えば良くて、要らなければ拒絶すれば良い。
それだけの武力も権力も地位も得られる功績を、この国を滅ぼそうとしている六王を斃すという功績を残したというのに……なのに己の取った行動は何かを欲しがる訳でもなく、与えられたものを拒否する訳でもなく、「ただ流れに任せただけ」でしかないのだから。
(ま、結局……己としてはどっちだろうと良かっただけ、なんだけどな)
……そう。
己にとってはそんな些事など、どうでも良いのだ。
ただ死地にて愛刀を振るい、絶望の中で己の限界を極め、結果として剣の技量が上がってくれればそれで構わない。
富も名声も女も愛情も家族だろうと便利な生活だろうと故郷だろうと、何一つとして必要と思えない。
そういう剣に狂った馬鹿だからこそ……創造神に目を付けられ、こうしてこの世界に来て、剣を振るっているのだ。
結局……一度のみならず三度も命を落としたにもかかわらず己の馬鹿は治らなかったのだから、これは本当にもうどうしようもないのだろう。
「……分かってくれとは言わないさ」
だからこそ、己はそう答えることしか出来ない。
言葉にするどころか記憶を覗かれたというのに、この少女には己の生き方を分かって貰えないのだ。
つまり……今後どれだけ言葉を尽くしたところで分かって貰える訳がない。
そして、エーデリナレ自身もそれを分かっているのだろう。
「ええ、誰よりも貴方のことは分かっています。
だからこそ、誰もが誇りとする神殿衣を纏いもせず平民の服を着て歩く貴方のその生き方を……私は認められません。
剣のことしか考えない貴方は……絶対に、狂っている」
「ああ、知ってる。
親しくなった連中からは、いつもそう言われるんだ」
そんな少女の捨て台詞に、己は肩を竦めてそう呟くと神殿を背に歩き始めた。
背後ではエリフシャルフトの爺さんが孫娘に向けて何やら説教を始めたような気配があったものの……やはりそんな些事など、己にとってはどうでも構わない。
(さぁ、次はどんな化け物が相手だ?)
己はただ、胸にその期待だけを抱き、少しだけ早歩きになる自分を必死に抑えながら、煉瓦敷きのその道をまっすぐに歩き続けるのだった。
2019/01/03 00:22投稿時
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