04-11
「……ここ、は?」
「あ、お目覚めになられましたか、神殿兵様?
ここは砦の救護室になります」
死んで復活したかと思うほどの深い眠りから覚めた己の瞳に最初に入って来たものは、十歳ちょっとくらいの少女の顔だった。
目を覚ましたもののまだ半分以上寝ぼけていた己は、その少女の顔を記憶と照合してみるのだが……全く心当たりがない。
そもそも、この国に来てからその年頃で顔見知りの少女なんて鑑定眼を持つエーデリナレくらいであり、心当たりがないのが当然だということに気付いたのも「心当たりがないことに気付いた後」だったということで、己がどれだけ深く眠っていたかの証拠になるだろう。
「あんた、は?」
「私はレティア=アダシュンネイ。
父……ボーラスはご存知でしょう?」
己の問いに対し、レティアと名乗ったその少女はそう答えながらも、己の声がかすれていたことに気付いたのか、それとも準備していたのか……すぐさま水を差し出してくる。
木の器に並々と注がれた水を勧められるがままに口にしたその瞬間、己は自らの咽喉が……いや身体の全てがどれだけ水分を欲していたかを思い知らされた。
(……美味いっ、なんてものじゃない。
染み、渡るっ!)
たったの一杯の水で「生き返る」という言葉を実感したのはいつ以来だろう?
咽喉から胃へと流し込まれた水が、内臓を突き破るようにすり抜けて身体中へと染み渡る感覚……勿論ただの錯覚かもしれないが、まるで身体の細胞一つ一つが水分を奪い合っているのを実感するほど、たった一杯のこの水分を、身体全体が歓迎しているのが分かる。
それほどの、最高の、水だった。
稽古で身体中全ての水分を使い切ったような感覚に陥ったこともあって、その時と同じほど己は今、渇いているらしい。
それほどの最高の水に対し、ただ一つだけ残念なことを告げるなら……それほど渇いている今の己が、たったの器一杯の水で満たされる筈もなく……
「済まないが……」
そうして己が、一杯の器ではとても抑えきれない渇きに堪えかねてそう告げた……その直後のことだった。
「はい。どうぞ」
どうやらレティアという名の少女は、己がおかわりを要求するのを読んでいたらしく……己が次の器を求めて空の器を差し出すのとほぼ時を同じくして、別の水が満たされた器を差し出してくれていた。
その事実に少し感心をしつつ……己は二杯目の水を全て飲み干す。
ようやく咽喉の渇きも癒えて来たのか、生温い水を飲んだ後に咽喉の奥に広がる微かな樽の香りが少しだけ気になってくる。
渇き切っていた時に呑んだ一杯目はあれだけ美味しかったというのに……人間の身体というものは強欲なものだと自重しつつ、己は三杯目を頼むべく顔を上げる。
「はい、どうぞ」
「……ああ、悪いな」
己が何かを言うよりも早く渡されたその三杯目を口にした瞬間、己の咽喉の奥から鼻腔へと微かなレモンとオレンジを混ぜたかのような柑橘系の香りが広がっていく。
「……これ、は?」
「あの、レティアの……私の名前と同じ、果実です。
少しだけ混ぜると、飲みやすいですから」
どうやら水そのものが汲み置きの水であって、じっくりと味わって飲むと樽の臭いが染み付いていることを知っていたのだろう。
一杯目二杯目はただの水分を欲していたが、三杯目となると水の臭いや味が気になってくる頃だからと、この小さな女性は気を利かせてくれたようだった。
どこかの茶坊主の三献の茶ではないが、こういう気配りは疲れた身体には何よりもうれしいものである。
少女の名前と同じ果実というのが少しだけ驚かされたが……恐らくは林檎とか檸檬みたく、人の名前として用いられても不思議ではないような、この国では有名な果実なのだと思われる。
尤も、極限まで酷使した直後の身体はそんな驚きや気配りのような精神的充足よりも、もっと物理的な満足こそを欲しているようで……渇きの次は飢えだと、腹を鳴らして訴えてきやがった。
「えっと……その、父からの伝言です。
最高の食事を用意している、と」
「……ああ。
意外と律儀なんだな、あの隊長」
腹の音に返ってきたのは少女の……レティア=アダシュンネイのそんな言葉で、それを聞いた己は軽く肩を竦めて立ち上がることとする。
実際、猿の王へと旅立ったあの時の会話なんてただの軽口程度で……猿の王による度重なる襲撃を前に籠城を続け、随分と追い詰められている筈の、この森の入り口の実情を知る己としては、本気で食事をご馳走して貰うつもりはなかったのだが。
……まぁ、今は腹いっぱい食えるなら木の実だろうと塩漬けの肉だろうと有難い。
そうして己が両足を床に付け、身体を覆っていた毛布を跳ねのけた、その時だった。
「あ、あのっ!
あ、新しいお召し物っ、ここにっ置いてありますからっ!」
己の方を向いていた筈のレティアが、突如として素っ頓狂な声でそう叫ぶと真っ赤な顔をして走り去ってしまう。
そんな少女の態度に首を傾げる己だったが……視線を自分の身体へと落したところで、あっさりと彼女が逃げ去った理由を見つけることが出来た。
(……あ~、前の服はボロボロだったからな)
己は全裸ではないものの半裸とも言えない……要するに下着一枚っきりの恰好だったのだ。
こちらの性倫理がどういうものかは寡聞にして知らないが、少なくとも年端もいかない少女には、ちと刺激的過ぎる光景だったのかもしれない。
怪我をしてないと己が主張したところで、突然倒れられたらそりゃ怪我がないか調べるだろうし、形を留めてない血まみれの服など捨てられて当然だった。
個人的には【再生】の天賜を乱発した所為で皮下脂肪が削られて細めのボディビルダーみたいになり、持久力が欠片もなさそうなこんな身体を見せてしまったことに少しばかり恥じ入るものがあるが……
とは言え、相手はまだ子供……そこまで深く考えるほどのことでもないだろう。
「……これが、こっちの平民が着る服、か。
兵士が着てるヤツみたいだな」
品質は麻っぽい何かで、多少ごわごわしているものの上下で四肢を覆うズボンとシャツという形そのものは洋服と同じと言える。
手足ともに裾がダボついているのが気になるが……道着とそう大差なく、動くのに支障はないだろう。
色は薄紫で、森近くに生えている花辺りで染め上げたのか、己の感覚から言うと少し田舎っぽい感じではあるが。
前に袖を通した神官の服より若干安っぽいのは、やはりこの国では神官が一般兵士よりは身分が上であり、良い暮らしをしている所為か。
「ま、どうせすぐに返り血で汚れるか」
それに何よりさっきから空腹が極限値を振り切っていて、腹痛を遥かに通り越して眩暈まで始まる始末である。
己は衣服への注意をあっさりと逸らすと、使い果たしたカロリーを補給するため、空腹によって血糖値が下がった所為か力の入らない手足を何とか動かし、部屋の外へと身体を運ぶ。
「あ、あの、こちら、です」
「……ああ、頼む」
部屋の外にはまだ顔を赤くしたままのレティアが待っていて、恐らく彼女は己の介護兼食堂への案内役として父親であるボーラス=アダシュンネイが遣わしたのだろう。
一度は逃げ出しながらも、その役割を全うしようとする責任感は評価できるし、己としても半裸を見られた程度、そう意識するものではないと思うものの……こうして耳まで赤くして意識されると、幾ら小学生と中学生の間くらいのただの子供でしかないとは言え、何となく気まずいものがある。
己は歩きながらも、耳まで赤くしたままこちらをちらちらと振り返るレティアに気付かれない程度の溜息を吐いたのだった。
2018/11/19 21:40予約時
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