表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣の道、屍山血河【旧題JD→SM】  作者: 馬頭鬼
JD:04「猿の王:後編」
50/130

04-04



「……さて、と」


 森の入り口(バウダ・シュンネイ)にて宿を借りた翌朝。

 (オレ)はそろそろ味に違和感を覚えなくなってきたヌグァを食い千切りながら、森の中へと足を踏み入れる。

 周囲は朝霧に包まれていて視界は今一つであり、ついでに言えば露に濡れた草木に裾が触れる度に感じる湿った感触が気になるものの……まぁ、己の剣技に何らかの支障を来すほどではない。

 事実、こうして森に踏み入れるまでの十分程度の間にも、猿の王によって狂気に陥ったと思しき猿擬きを二匹ほど愛刀「村柾」の錆としている。


(視界は問題ないな。

 ちと足元が滑るが……)


 己はそう内心で呟きながらも、黍粉で練り上げられたヌグァの残りを口に放り込み……愛刀の血錆を振って飛ばす。

 それを隙と見たのか、それとも血の臭いに誘われただけか……左の木陰から目を血走らせた猿擬きが手の石斧を振りかぶって襲い掛かって来た。


「……ったく、単調な」


 尤も……天賦の才に恵まれていない己とは言え、これだけ何度も何度も奇襲を受け続ければ、いい加減に慣れてくる。

 石斧の斬撃を半歩ズラして躱すと同時に、がら空きになった毛に覆われた首目掛け、愛刀を横一文字に振い……頸椎を半ばまで切り裂くその斬撃によって、猿擬きは首から下のコントロールを失い、その場に崩れ落ちて動かなくなる。


(さて、飯の続きっと)


 返り血の一滴も浴びなかった己は、愛刀の血振りを行うと懐から小柄程度の大きさの硬いヌグァをもう一つ取り出して、口へと放り込む。

 ……そう。

 最初の方はその痛みすら感じない狂気の所為で苦戦していたあの猿擬きも、慣れてしまった今はもはや文字通り「朝飯前」の作業に過ぎない。

 狂気の所為で行動は単調、フェイントや駆け引きもないどころか、大振りの全力攻撃しかしてこない。

 生物学的な差異もあり、最初はその野生の速度に悩んだものだが……今となってはもうただの的に成り下がっている。


「……ただ、コイツらも使われているだけ、か」


 首から下が動かなくなったというのに、歯を剥き出しにして威嚇してくる猿擬きを見下ろしながら、己はそう小さく呟き……唾を吐き捨てる。

 降りかかる火の粉を払っただけとは言え、そして偽善でしかないと分かっていつつも出来るだけ苦しまないような殺し方を心掛けたとは言え……それでも無理矢理使役されているだけの動物を殺したというのは、どうも後味の悪さが残る。


「待ってろよ、猿の王。

 今、コイツを叩き込んでやるからな」


 己は歯を食いしばってその後味の悪さを呑み込むと……愛刀を強く握りしめ、怒りを深く鎮めながらまっすぐに森の中へと踏み込んで行ったのだった。




 唐竹、袈裟斬り、逆さ袈裟、横薙ぎ……ヌグァを喰い終えた後、己は愛刀「村柾」をたったの四度振るうだけで、あの木に巻きつくように生えた赤茶けた蔦が見える場所までたどり着いていた。

 と言うのも、前回の己が下草を踏みしだき刈り払っていたお蔭で、道に迷うことも草刈りのために愛刀を振るう必要もなく……前回に比べると楽な道行だったのが大きい。

 加えて、狂気に憑りつかれた連中は兎も角、正気のままの猿擬きは己の姿を見るだけで両手を頭の後ろに組んで平伏し、敵にすらならなかったし。

 あの巨大なゴリラ擬き……森の主(エル・シュンネイ)に至っては姿すら見えなかった。


(あの猿擬き……絶対に、己を化け物だと思ってるだろうな)


 眼前で自ら心臓を貫いて死に……翌日には復活して現れたのだ。

 己がいた世界の、キリストの復活並の奇跡である。

 尤も、信仰という概念なんて持ちそうにない猿擬きからしてみれば、復活した己なんざ悪魔か化け物の類にしか見えないだろうが。

 正直、猿擬きの立体的な戦術と数を頼んだ波状攻撃はなかなか楽しく、良い鍛練になるとは思っているのだが……まぁ、戦う気がないヤツに殺し合いをふっかけるのは最悪最低の行為であるので自重するしかない。

 そして……今は、猿擬き相手に遊べるほど、己には余裕がない。


「さて……(オレ)の仇討ちだ。

 覚悟しろよ、猿の王」


 聞こえているかどうかは分からない。

 だが、己はそう呟くと……近くにあった赤茶けた蔦へと一刃を叩き込む。


「……っと」


 屍の王が率いる死者や炎の王の眷属のような、強靭で硬い手ごたえを予感していた己だったが……猿の王によるその毒の蔦は、文字通りただの蔦に過ぎなかった。

 切っ先三寸を叩き込む必要すらなく、愛刀「村柾」はあっさりとその毒の棘に護られた蔦を切り裂く。

 断ち切られた蔦の尖端側は一瞬で全ての水分を失ったかのように枯れ果てると、塩の塊となって崩れ散っていく。

 残された部分……恐らくは本体がある方の蔦は、血のような赤茶けた汁を飛び散らすものの、警戒をしていた己にそんなのがかかる訳もなく。


「……動く気配もない。

 毒があるだけの、ただの蔦か」


 とは言え、この国を滅びに導いているという六王は誰もかもが理不尽極まりない存在で……もしかしたら辺りに散らばった液体が気化し、それを吸い込むだけで狂気に陥ってしまう可能性もある。

 そう考えた己は、懐から少し前までヌグァを包んでいた風呂敷を取り出すと、それで口と鼻とを覆うこととした。

 効果なんて気休め程度かもしれないが……もしこの布きれ一枚でコンマ一秒でも狂気の毒に抵抗出来るのならば、その分猿の王に刃を叩き込める。

 である以上、己がやらない理由がない


「……さて。

 なら、こっちに本体がある、か」


 切り離した先が枯れてなくなった。

 つまり、枯れなかった側を辿っていけば猿の王と呼ばれる本体がある……そう考えるのが自然であり、これほど明確な目印も珍しい。

 己はいつもの予備動作のない斬撃ではなく、振りかぶることで愛刀の重量任せに断ち切るという、雑な斬撃で周囲の蔦を次から次へと切り払いながら、森の奥へと歩みを進めていく。


(まぁ、戦いにもなりそうにないからな)


 猿の王による攻撃手段は今のところ、狂気に陥らせる特殊な毒を持つ、棘のあるただの蔦でしかない。

 成長速度が凄まじいかもしれないが、切り離した尖端がすぐさま再生するような様子もなく……つまり、見つけるや否や手当たり次第にぶった切れば良いという話である。


「……人手が欲しいな」


 ボーラス=アダシュンネイに人足でも借りてくれれば良かったなと今更なぼやきを口にしつつ、己は見える蔦を次から次へと叩き斬っていく。

 正直な話、こういう作業の場合は日本刀よりも鉈や斧が相応しいのだが……もしくはブッシュ戦で使うことを想定したグルカナイフやマチェット辺りか。

 尤も、天賦の才に見放されている己は不器用で、得物を変えるだけで相当な時間の訓練を必要とする難儀な体質である。

 それは小柄を使う訓練の際に思い知らされていて……だからこそ、今のところは愛刀以外を使うつもりはない。


「しかし、抵抗らしい抵抗がない。

 ……何を考えてやがる?」


 ただ切り払うのも飽きてきたので、疲れるのを承知の上で予備動作を最小にした上で、唐竹横薙ぎ横薙ぎ袈裟斬りと切っ先のみを使って蔦を切断する……要するに間合いの訓練を兼ねた伐採作業を繰り返しているのだが。

 それすらも飽きてくるほど、猿の王の攻撃と思われる赤茶けた蔦は四方八方上下と夥しく辺り一面を埋め尽くしていて……その様子はまるで森を喰らい尽くしているかのようだった。


(……合戦跡。

 いや、まるで殺戮の現場だな、こりゃ)


 その蔦が下手に血の色に似ている所為か、周囲は大量虐殺があった後のような様相を見せていて、足の踏み場もないほど……文字通りその場で足を一歩踏み入れるだけで確実に毒に冒されてしまうほど、辺り一面には棘の生えた蔦が生い茂っていた。


(火をつければあっさりと終わりそうだが)


 尤もこの森は森の入り口(バウダ・シュンネイ)の人たちの生活の糧……木材を切り出すのに必要な場所であり、あの猿擬きたちが暮らす場所でもある。

 恐らく焼き払ってしまえば色々と面倒事が噴き出すこととなるだろう。

 それに……


「……良い鍛練だ。

 全て、片っ端から切り裂いてやる」


 己はそう笑うと、両手に唾を吐き……愛刀「村柾」を握り直すと目に見える蔦全てを切り裂くべく、己の剣圏に入り込んだ蔦へと愛刀を振り下し続けたのだった。



2018/09/29 20:30予約時


総合評価 1,129pt

評価者数:58人

ブックマーク登録:280件

文章評価

平均:4.9pt 合計:285pt


ストーリー評価

平均:4.9pt 合計:284pt

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ