04-02
「……ぜぇっ、ぜぇっ、くそ、がっ!」
息を荒く吐き出しながら、疲労によって動かなくなってきた身体に己はそう大きく毒づくと、その怒りを原動力として身体に鞭を打ち、再び大地を蹴って走り出す。
聖都を走って出て既に一時間弱……己は聖なる大河の脇を流れる街道に沿って、延々と南へと向かっていた。
向かう先はただ一つ、森の入り口である。
聖都を走っている最中にヌグァ屋の親父や町の人が何やら叫んでいたような覚えもあるが、怒りに我を忘れていた己は脚を止める気にもならず、彼らに視線を向けることもなく全力で駆け抜けて来たのだった。
(……まぁ、あの親父は話が長いし、な)
ちなみに全力で走り抜けた所為か、己の身体を突き動かしている怒りは少し下火となっていて、そんなことを冷静に考える余裕がようやく生まれて来た訳だが。
尤も、その代償として……己の身体は体力の限界を思い出してしまったらしい。
息が上がり、足がもつれ、足が動かず、肺が焼けつき、身体中から汗が吹き出し始め……もうこれ以上一歩も歩けないと全身が訴え始めていた。
「……くそっ、限界かっ。
【再生】っ!」
そうして力尽きて倒れるのを待つだけになった己は、忌々しい思いを押し殺しながらも、その天賜の名を叫ぶ。
偉大なる創造神によって賜ったその超能力は、酷く苦くて嫌な薬を口にするような己の心境とは裏腹に、己の身体隅々……肺胞の一つ一つから毛細血管、筋繊維の一本に至るまで行き渡り、疲労を感じる全ての物質を洗い流してくれたようだった。
いや、精神的な倦怠感そのものは残っているのだが、肉体の方は一晩ぐっすり眠った後のような活力に満ちている、ちぐはぐな感覚というか。
代償として身体中に……文字通り肺胞の一つ一つから毛細血管、筋繊維の一本に至るまでもが電気が流し込まれたような苦痛が走ったが、それも所詮は頭からかぶった桶の水が身体を伝って流れ落ちる……僅かその程度の時間に過ぎない。
(……凄まじい、な。
コレが、天賜か)
神の奇跡だと断言できるほど凄まじいその能力を体感した己は、先ほどまで感じていた忌々しさも忘れ、ただ内心でそう感心することしか出来なかった。
無論、己の能力……あの時は【鉱物作成】だったが、それを見た神殿で暮らしている弟子一号が呆然としていたのを見る限り、神兵である己の天賜は他の神殿兵と比べても凄まじい効力を持っているのだろう。
(それでも……何か、気に入らない。
気に入らないが……今回ばかりは、受け入れるっ!)
要するにこの天賜というヤツは、疲労がポンと抜ける某薬みたいなものだ。
アレと違って後遺症はないのだろうが……己としては、どうもドーピングの一種という感覚が抜けず、気分的に受け入れ難い。
だが、今回は己自身の怒りか、それともあの植え付けられた狂気が未だに残っているのか……この燻り続けている怒りに突き動かされている所為で、その嫌悪感を堪えて飲み干すことが出来る。
そして、幾ら気に入らないとは言え、この超能力が便利なことに違いはないのだ。
(己だって普通に車には乗っていた。
それと、同じっ!)
戦いに使う訳じゃない……その言い訳で己は自分の中の忌避感を押し殺すと、息を大きく吸い込み、再び両足に力を込めて前へと走り出す。
さっき限界が来た感覚を考えると、己が速度を維持したまま走り続けられるのが凡そ二時間程度。
ならこうして活力を取り戻した己は、また二時間ほど走ることが出来……前回、牛車に揺られて二日ほどかかった森の入り口だが、特に何も問題なくこの速度で走り続けられるならば、恐らく日が落ちる前までにはたどり着くことだろう。
そんなことを考えながら走っていた所為、だろうか?
気付けば進行方向百メートルほど先に、馬車を取り囲むように武装した汚い身なりの連中……どう見ても盗賊らしき連中の姿があった。
(幾らなんでも……治安、悪すぎるだろう)
いや、流石にこれほど盗賊に出会う世紀末のような治安状況では社会が成り立つ訳もなく……己の周囲で局所的に盗賊が多いのではないだろうか?
それを考えると、こうして連日のように盗賊に遭うことこそが、先日馬車に乗っていたあの爺さんが言っていた、「己という存在が災いを招いているんじゃないか?」という疑いが真実味を増してくる。
とは言え、この場合は「己ではない存在が災いを招いている」という可能性も捨てきれないのだが。
「このっ、くそ共がっ!
儂の馬車には薪しか乗ってないぞっ!」
……そう。
己の眼前では、先日森の入り口へと共に旅をした爺さんが盛大に薪を持った馬車の上でそう喚いている。
あの街で仕入れた薪を聖都で売ろうと出発した爺さんと、聖都で復活して森の入り口へとまっすぐ走ってきた己とが街道の何処かで出会うのは、ある意味必然ではあるのだが。
「くそがっ!
貧乏人がそんなに荷物を積んでんじゃねぇっ、畜生っ!」
「顔を見られてしまった以上、儲けにはならんがぶっ殺すしかねぇっ!
その荷を使って、この爺を焼き払ってやれっ!」
尤も、馬車の周囲を取り囲んだ盗賊らしきボロボロの身なりの連中がそう怒鳴っているのを見る限り……どうやら盗賊に襲われる不運の原因は、己というよりも爺さんの不注意こそが原因という気がしないでもない。
相変わらず護衛の一人もつけず、山のような積み荷を乗せて不用心に街道を走っていたのだから、盗賊からしてみればカモがネギを背負って出て来たようなもの、なのだろう。
勿論、強盗と被害者のどちらが悪いなんて分かり切っているし……そもそも原因なんて何でも構わない。
(普段なら、喜ぶべきところなんだが……)
今の己は、試し斬りの機会よりも腹の奥で燃え続けているこの怒りを『猿の王』にぶつける方が優先順位が高かったのだ。
だからこそ、己は速度を緩めることなく愛刀「村柾」の柄に手をかけると……
「なんだ、てっ……」
勢いのままにその盗賊の首筋に刃を叩き付ける。
盗賊の首は見事皮一枚のみを残し、首の上から落ちることなくゆっくりとその頭を傾かせ……首を断たれた盗賊の身体は力を失い、周囲に血をまき散らしながらそのまま地面へと崩れ落ちる。
「……ぉ、ぺっ?」
その間にも己は返す刀で愛刀の切っ先をもう一人の盗賊へと突き付け……咽喉を抉ると同時に頸椎の神経まで断ち切っていた。
「おぉ、兄ちゃんっ?
あんた、今、一体どっちからっ?」
突如現れた己の姿に、爺さんが驚いた声を上げていた。
それもその筈で……森に消えた己を見送って、森の反対側にある聖都へと旅立った爺さんからしてみれば、聖都側から己が現れたのだから不思議体験以外の何物でもないのだろう。
生憎と、今の己は爺さんの疑問を解き明かしてやる余裕などなく……
「たった一人で、舐めっぎゃぁああああああっ?」
「くそ、親分を、腕がぁああああああああっ?」
そして、雑魚に時間を費やすことすらも惜しいと思う今の己は、お互いの技量を競い合わせる妙を楽しむ余裕もなければ、連中に情けをかける余裕すらもない。
何やら威勢の良い態度で己へと斧を向けようとした大男の腹腔を横一文字に切り裂くとほぼ同時に、隣にいた小男の鎌を持っていた両腕を断ち切ってその口上すらも遮る。
「う、うわぁあああああああ、化け物だぁあああああああっ!」
「勝てる訳がねぇぇえええ、逃げろぉおおおおおっ!」
臓物をまき散らして呻く盗賊のリーダーと、両腕から血を噴き出しながら悲鳴を上げる小男の姿は、残った三人くらいの盗賊の心をへし折るには十分だったらしい。
盗賊共……恐らく農民崩れだったのか、武器として使っていた長柄の鎌やフォークまでもを放り出し、背を向けて逃げていく。
己は追撃に移ろうかと一瞬だけ身構えるものの……今は猿の王へこの愛刀を叩き付ける方を優先したい。
そう結論付けた己は、すぐさま盗賊共の背から視線を移すと、そのまま愛刀を血振し、近くの死体で乱暴に刃の返り血をふき取る。
(……もう少ししっかり手入れしたいんだが)
愛刀「村柾」を鞘へと納刀しながら、ふと己はそんなことを考えていた。
思い返してみれば、この国へと来て以来実戦続きで……愛刀を研ぐどころか手入れすらもろくにしていない。
幸いにして天賜のお蔭か、それとも己が死ねば復活する神の恩恵の名残か……愛刀が錆びたことも欠けたのが直らなかったことを見たこともないのだが。
そんなことを一瞬だけ考えたものの……やはりすぐさま怒りの感情が己の奥底から湧き上がる。
その衝動に駆られるがままに、己は森の入り口へと向けて走り始めた。
「お、おいっ、兄ちゃん。
あんた、一体どうやって?」
「今はそれどころじゃないっ!
また、今度会ったときになっ!」
背後から聞こえてきた爺さんの声に、そんな適当な声を返しつつ。
己はそのままあの猿の襲撃を受け続けている街……森の入り口へと走り続けたのだった。




