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剣の道、屍山血河【旧題JD→SM】  作者: 馬頭鬼
JD:03「猿の王:前編」
46/130

03-16



「……ぜぇっ、ぜぇっ、ぜぇっ」


 片腕でも森の主(エル・シュンネイ)を切り裂ける技を手に入れた今となっては、(オレ)にとってその巨大なゴリラ擬きなど、所詮巨大な肉の塊に過ぎなかった。

 いや、正直に告白すると、足場が悪く逃げ場がなかった所為で三度ほどヤバかった場面があり……大きな怪我を負うことはなかったものの、苦戦の末に何とか討ち取ったというのが正しいのだが。


(……左肩の裂傷と、肋骨骨折、背中の打ち身ってところ、か)


 最初のヤツは拳を躱した時、一緒に跳んできた己の胴体ほどの木片が突き刺さったモノで、二つ目と三つ目のは尻尾……オスかメスかは分からないが、尻尾が生えている個体もいたらしく、完全に予測もしていなかったソレで直撃を喰らって吹っ飛ばされた結果、木の幹に背中からぶち当たって出来たモノである。

 あとは前の個体と同じく、狂気に冒され暴れ回るその質量の塊を躱しながら、動脈や腱を一本ずつ斬り刻んで弱らせ……今ようやく巨体が地に伏したところ、という訳だ。

 かかった時間は三十分ほどで……足場が悪かった所為で斬り込む機会が減り、余計な時間を要してしまったのが実情と言える。

 

「……次に出てくれば、もう苦戦もしないだろう、な」


 狂気に冒されている所為か、攻撃パターンは拳を振るうか足で蹴ってくるか、下の腕と尻尾をたまに使ってくる程度で……正直、達人の領域へと入った己からすればただの肉の的に過ぎない。

 凡その射程と挙動を学び取った己にとっては、あの巨体は既に脅威とすら思えず……実際、次にあのゴリラ擬きが出て来たとしても、もはやソレは戦いではなく、ただの作業となることだろう。


「……ぺっ」


 周囲に広がるむせ返るような獣臭と血臭に気分を悪くした己は、唾を吐いてその気分の悪さを誤魔化すと、その場を離れ、森の奥へと突き進み始める。

 不幸中の幸いと言うべきか、あの森の主(エル・シュンネイ)が暴れながら此処まで来たお蔭で、道が出来ていて歩くのに苦労はなさそうだった。

 そうして愛刀「村柾」を手に、周囲を警戒しながら歩くこと、数十歩ほど。

 むせ返るような血の匂いがようやく消えてきた頃に、周囲の草むらが揺れ始め……どうやら先ほどの猿擬きにまたしても囲まれたらしい。


「……っと、かかって来るか?」


 先ほどのリベンジなら幾らでも受け付けてやると、村柾を握り直し、周囲を睨み付ける。

 そんな己をどう思ったのか、数十匹ほどの猿擬き共は不意に次から次へと大地へと降り立ったかと思うと、全員が頭の上に手を組みながら土下座を始めやがった。

 よくよく見てみると、どの猿擬き共もそれぞれの前に変な木の実やらキノコやら鳥の死体やらを置いている。

 猿共の礼儀なんざ知る由もないが……それらはお詫びの品であり、彼らの姿勢が恐らく「降参の合図」ということくらいは何となく推測できる。


(……残念だ。

 殺し合えないのか)


 そんな猿擬きの様子に己は溜息を一つ吐くと、その猿共もお詫びの品も完全に無視して森の奥へとゆっくりと進んでいく。

 幸いにして、連中は己を森の奥へと進ませたくないという意図はないらしく、降参の姿勢のまま動く様子を見せなかった。


(……縄張りに入った余所者を狙った感じか)


 で、連中にとって絶対に敵わない筈の最上位者だある森の主(エル・シュンネイ)を討ち取った己は、逆らってはいけない最悪の存在であり、だからこそ貢物を捧げて全面降伏することにした……というのが彼らの行動原理だろうか。

 まぁ、コイツらの動機は兎も角、猿擬き共は平伏して全面降伏の仕草を見せているのだから、どうやらもう己の戦う意思はないらしい。

 その事実を悟った己は、返り血と泥や木くず、植物の汁に汚れた神官服で血まみれの愛刀を拭うと、刀身を鞘へと仕舞う。

 草木が邪魔な場合は愛刀を手にする必要があるが、普通に歩くだけの時に抜き身を持ち歩くほど己は酔狂でもない。

 無論いつでも抜けるように警戒を怠るつもりはないが……

 そうしてゴリラ擬きが暴れた跡を辿って十五分ほど歩いた頃、だろうか。


「おっと」


 疲労によるものか、先ほどの戦いのダメージによるものか、知らず知らずに注意力が落ちていたらしい。

 木の根に足を取られてバランスを崩した己は、近くの木に手を突いて転倒を免れたのだが……その幹に巻きついた棘の生えていた赤茶けた色の蔦に軽く右手を突き刺してしまう。


「……っ、棘、か。

 いつの間にか植生が、変わってきてるな」


 そうして手のひらの小さな痛みに周囲を見渡すと、知らず知らずの内に棘の生えた蔦が周囲の木々に広がっているのが見える。

 絞め殺しの蔦、と呼ぶのだったか……棘の生えた赤茶けた色の蔦が周囲の木々に巻きついていて、妙に幻想的な彩を放っている。

 尤も、周囲の植物を絡み殺すようなその蔦は、他の草木からは害悪以外の何物でもないのだろうが。


「流石は異国……凄い植物、だな」


 その不気味な植物に己はそんな呟きを零すと、そのまま蔦の生い茂る、森の主の暴れた跡の追跡を続けることにする。

 周囲の木々は幾つも薙ぎ払われていて、迷うこともないだろう。

 強いて言うならば、足元の蔦がたまに裾に絡まって鬱陶しいくらいか。

 そうして五分ほど、竜巻が荒れ狂った跡のような森の主(エル・シュンネイ)の痕跡を辿っていた頃のことだった。


「……ぁ?」


 不意に。

 周囲に生えている木が妙に目障りだと感じた己は、ほぼ無意識の内に愛刀「村柾」を鞘走らせ、その直径十五センチくらいの若木を両断する。


(己は、何を?)


 いつまで経っても終わりの見えない密林に……鬱蒼と生い茂る木々に苛立ちを感じているのだろうと、その時は思っただけだったのだが。

 次に、目についた小さな花……何のことはない小さな黄色い花が、妙に癇に障ると思ったその瞬間。

 己はその僅か直径五センチほどの小さな花をを踏み潰していた。

 しかも、踏み潰したその足を捩じり、姿形さえ残さない念の入れようだったのだ。


「……待て、待て待て待て」


 自分の行動に疑問を覚えた己は、そう自問自答する。

 その問いに自らが答えを出す時間もなく、眼前に立つ巨木に対して何故か憎悪を覚えた己は、愛刀をその巨大な木へと叩き付ける。

 技量も何もないただ怒りと膂力に任せたその一刀は、村柾の本来の切れ味を生かせる訳もなく……愛刀の刃はあっさりと大木の半ばまで食い込み、そのまま動かなくなる。


「くそがぁあああああああああっ!」

 

 斬れなかったその事実に苛立った己は、力任せで強引に愛刀を引き抜き……刀身が歪むのも刃が曲がるのも全く意に介していなかった。


(己は、何を、している?)


 脳の片隅にある冷静な部位が語りかける、そんな至極当然の疑問に……何故か己は答えすら出せなかった。

 森の奥を目指していた筈の己は、いつの間にか来た道を引き返し始め……ただ苛立ち紛れに草木を延々と斬り刻み続けながら、いつも鍛練のためと意識を向けている正中線を保つことも、常在戦場を体現すべく注意を払っている筈の周囲への警戒すらも怠り、ただ怒りに任せて大股で森の中をひたすらに歩く。


(これは、もしかして……)


 客観的に自分の姿を見ることなど叶う筈もないのだが……恐らく今の己は、昨日今日で二匹ほど狩った森の主(エル・シュンネイ)のような、数十匹ほど血祭りに上げた猿擬き共と同じような姿をしているのではないだろうか?


(すると、この森自体に何かの要因が……)


 あの刺さった棘か、それとも辺り一面に漂う空気か、菌糸の類か。

 判断材料がない以上、答えなんて出る訳もなく……その自問自答に引きずり込まれている内に、己の身体は先ほどの倒木へとたどり着く。 

 そこには、あの猿擬き共が並んでいて……己の姿を見た途端、蹲り平伏をし始める。

 ふとその卑屈さが癇に障った己は、平伏している猿共の……手前にいた餓鬼を抱いたままの母親らしき雌猿に向けて、愛刀を振り上げ……


(ふざけ、んなぁああああああああっ!)


 その姿を目の当たりにした己は、声にならない叫びを上げた。

 確かに己は狂人と呼ばれても仕方のない人間だ。

 たどり着けるどころかあるかどうかも分からない剣の頂きを目指し、歯向かう連中の命を次から次へと奪う、殺人鬼にも等しい所業を繰り返している無法者だ。

 まっとうな職にも就かず、ふらふらと修行の旅を続ける社会不適合者でもある。

 強いかどうかで人の価値を決める、原理的な差別主義者とも言えるだろう。

 ……だけど。


「武器を手にしていないっ!

 非力な女子供なんざっ、斬れるかぁあああああああっ!」


 それでも、己にある僅かな矜持が……それだけは許せない。

 許す訳にはいかない。

 己が強くなったのは、弱者を甚振るためではなく、強者に打ち勝つためだ。

 弱者を虐げて楽しめるのならば……そんな優越感が目的ならば、今の時代に剣の道を歩もうなんて馬鹿な決断を下す筈がない。

 そうして全身全霊で今にも愛刀を振り下そうとしている自らに抗った結果……己の身体は何とか刃を振り下す寸前で動きを止めていた。

 とは言え、止まったとは言え一時的なモノ。

 未だに己の中に殺意は膨れ上がり続けていて……己の身体が言うことを聞かなくなるのも時間の問題だろう。

 その事実に気付いた瞬間。

 己は、眼前に酷く悪質で残酷な、悪魔の天秤がぶら下がっているのを感じていた。

 一つは、矜持も何もかもを投げ捨て、この憎悪に任せて暴れ回るという選択肢。

 一つは、矜持のために今出来る唯一のことを……全てを投げ打ってでも自らが犯そうとしているこの蛮行を止めるという選択肢。

 前者に乗っているのは自分の命、後者に乗っているのは自分の矜持。

 その選択肢を前にした己は……


「畜、生がぁあああああああああああっ!」


 ありったけの怒りを込めて、肺腑の底から全力でその叫びを上げながら。

 右手で振り下そうとしている愛刀を逆手に持ち直すと同時に、今出せる渾身の力を込めると……その刃を自らの胸へと突き立てた。

 それと同時に、最後の理性を使い、身体を前へと投げ出す。


「……ぐ、がっ」


 力任せのその刃では、無理な体勢故か肋骨の合間で刃は止まっていたものの……そこに全体重を込めたのだから、その刃は肋骨を削りその奥にある臓腑へと突き刺さる。

 全身に血液を送る役割を持ったその臓器は、刃による破壊に耐えられずすぐさまその動きを止め……直後、己の身体から怒りは一瞬で霧散していた。

 幸いにして、刃が突き立った一瞬以外に脳髄から指先まで走った激痛以外は、痛みはあまり感じない。

 ただ全身に血液が送られなくなった所為か、指先一つに至るまで全く動かせない……ただ意識だけが生きている状態が数秒ほど続く。


(畜生。

 ……また、コレ、か)


 そのまま脳へ送られる血液も止まったらしく、頸動脈を絞められた時のように頭の血管が感じられる妙な時間が過ぎ……そうしてゆっくりと瞼が降りてきて何も見えなくなり。

 己……ジョン=ドゥはそうして四度目の死を迎えることとなったのだった。


2017/11/24 21:16投稿時


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