03-12
達人の領域と己が呼ぶ集中力異常領域へと到達した所為だろう。
森の主と呼ばれる巨大なゴリラ擬きが手を一度振るうその間に、己の愛刀はヤツの身体を七度は捉えるようになっていた。
だけど……それでも、己の刃ではこの化け物を討つことが叶わない。
皮膚を貫くことは出来ても、その直下にある筋肉を貫くことが出来ないからだ。
(せめてっ、両腕が使えればっ!)
横薙ぎに振るわれた巨大な左腕をかがんで躱しながら、己はそう内心で叫ぶ。
一瞬の気の緩みによってへし折られた左腕が身体を動かす度に送ってくる激痛や、全く使えない癖に付きまとうその腕の重量そのものが、己の苛立たしさを少しずつ募らせていく。
その鬱陶しさたるや……出血死の恐れさえないのであれば、この場で叩き斬ってやろうかと思うほどだ。
とは言え、無いものねだりや苛立ちを自分の身体へとぶつけたところで意味はない。
勿論、天賜を使えば勝利はすぐ得られる。
【剛力】を使って腕一本の力で骨ごと断ち切るのもありだし、【加熱】で焼き尽くせばそう苦労もない。
【再生】で腕を回復させても……これだけアドレナリンが回っている現状なら、痛みすら意識の外へと捨てることも可能である。
だけど、それは己にとっての敗北だ。
両腕両足を始めとするこの身体と愛刀一本……小柄や鏢程度の暗器を含め「所持出来る近接兵器」だけで戦う。
それこそが剣術家としての矜持であり、そのためならば命を張ることも惜しいとは思わない。
(しかし、このままでは……)
右手一本で放った渾身の斬撃は、タイミングと速度、そして体重の乗せ方まで今の己の全力と豪語出来るほどの一撃だったにもかかわらず……またしても巨大な化け物の、丸太のような腕の皮膚すらも貫くことすらも叶わない。
「くそっ!
片腕じゃ、やはり無理かっ!」
背後に仰け反って横薙ぎの腕から逃れながらも、己は苛立ち紛れにそう叫ぶ。
叫びながらも、認めざるを得ない。
……今の自分には、この化け物を倒す術がない、というこの事実を。
今の己の技量では、この化け物を屠るのは不可能、というこの現実を。
(せめて、腕がもう一本あればっ!)
眼前の化け物が振るう、下の腕を見切って躱しながら、己がそう内心で泣き言を呟いた……その時のことだった。
「そうかっ!」
己の脳内に、不意に天啓が走る。
この国の連中ならば、神が祝福をもたらしたとでも言うのだろうか。
「手が、足りないならっ!
力がっ、足りないっ、ならばっ!」
己はその天啓の導くまま、地を這うように愛刀「村柾」を振るい、巨大なゴリラ擬きの足首の裏……アキレス腱辺りへと叩き付ける。
己としては渾身の一撃だった訳だが、生憎とその程度の斬撃でこの巨体の鱗や皮膚を貫ける筈もなく、この巨大な化け物も判断力が逝かれてる割にはその辺りを学習しているらしく、己の一撃を避けようともしなかった。
だけど……
「……力を足せば良いだけかっ!」
直後、己はその愛刀目掛けて蹴りを放つ。
足の力は腕の約三倍。
己の蹴りによって押し出されたその斬撃は、両手で振るう三倍ほどの力強さによって、森の主のアキレス腱を切り裂き、骨にまで食い込む。
「……ちっ。
力を込め過ぎたっ!」
刃が骨にめり込み、刃先が曲がる感触に舌打ちをしながらも、己は自分に生まれた新たな発想が実用可能な技法に届くその予感に、胸の奥で歓喜が湧き上がるのを感じていた。
何しろ、代償を払ったとは言え……足りない力を足すという目論見そのものは大成功だったのだ。
冷静さを必死で維持して沸き立つ歓喜を押し殺しつつ、己は食い込んだ刃を右手一本の腕力だけで強引に引き剥がしゴリラ擬きの射程圏外へと逃れる。
「ぐぉおおお……ぉぐぉっ?」
そんな己に追撃を加えようとした森の主は、狂気の所為か動かない足を動かそうとして見事に地に伏すことなった。
そのまま伏したゴリラ擬きは、自分自身に何が起こっているのか分からないような、戸惑った叫びを上げる。
(そりゃそうだ)
幾ら攻撃衝動に引きずられていても、所詮生物の身体というのは物理的な構造を超えることは出来やしない。
たとえ人だろうと猿だろうと巨大モンスターだろうと、筋肉は腱によって骨にへばりつき、梃子の原理を応用して四肢を動かすという大原則に変わりはないのだ。
である以上、アキレス腱を断ち切ってしまえばその足……足首から先を動かすことが叶わないのは自明の理。
痛みを意識できない狂ったゴリラ擬きは、その動かない足を無理矢理動かそうとした結果、あっさりと地に伏すことになったのだ。
それでも攻撃衝動が収まらないのか、未だに暴れ続けてはいるものの……もう戦力として数える必要などないだろう。
もはやこの巨大な肉の塊は、真っ当に歩くことも出来ない……ただ手足を暴れさせるだけの暴力装置でしかなく。
その上、右腕の血管からは血を噴き出し続け、歩くことも出来なくなったコレは、もはや何も出来ないただの的でしかないのだから。
「……終わらせてやるよ」
だけど、己はその獣の前へと……その射程圏内へと姿を晒す。
……命を賭けた土壇場の中にこそ、己が極めるべき頂きがあると信じるが故に。
土壇場で思いついた、斬撃に蹴りを加えたこの思いつきを新たな技法の一つにまで昇華させるために。
「ぐぉおおおおおおおおおおっ!」
「ぅぉおおおおおおおおおおおおおおっ!」
攻撃衝動故か、それとも動かない足への苛立ちか、もしくは己への威嚇の叫びだろうか。
全身を震わすようなゴリラ擬きの叫びに、己も対抗するかのように叫びを上げる。
身体のサイズ的にボリュームで勝てる訳もなかったが……こういうのは気合である。
そんな肺腑の全てを吐き出すような叫びと共に、己は森の主の真正面へと飛び出し、振り払うように突きだ出された右手へとその刃を振るう。
……直後に愛刀へと蹴りを叩き込み、肘の皮膚ごと腱をも断ち切る。
蹴りを入れる分、斬撃そのものは遅くなるものの……動きがきっちりと見えている今の己ならば、十分に技として使いこなせるようだった。
「いけるっ!」
左手に続き、右腕も肘から先を封じた己は手応えと共にそんな叫びを零す。
実際、この刀法は左腕が使えない現状で、これほどの巨大な化け物を相手にするための、唯一無比の技法だろう。
尤も、今後使えるかというと疑問が残るのだが……
(まぁ、対人戦では使えないんだがな)
これほど隙だらけでこれほど大威力の技なんて、人間を相手にした「瞬き一つで命が落ち、切っ先一寸で命を奪い合う」戦いでは明らかに無用の長物だろう。
鶏を殺すのに牛刀を用いる必要はないのだから。
とは言え、己の目的は人だけを斬る剣ではない。
人も神も鬼も仏も、何であろうと剣で叩き斬る……そういう完璧な剣術だ。
である以上、今まで鍛えようとすら思えなかったこの手の技法も、人外の魑魅魍魎が跋扈し人が滅びかかっているというこの国で戦い抜くつもりならば、無用どころか必須となる。
「もう少し……実験に付き合って貰うっ!」
己はそう叫ぶと、暴れ回る森の主に向けて愛刀を振るう。
生憎と暴れ回る巨体を相手にするため、一気に眼球や頸動脈、気管を狙うことは叶わず、徐々に相手を斬り刻むような……腕の腱を削って行って動きを封じていく残酷な戦い方しか出来ないのだが。
とは言え、この戦いを鍛練と見做した今ならば、その条件はむしろ有利。
「畜生っ!
刃が痛むっ!」
愛刀を蹴りつけることで切っ先がゴリラ擬きの骨を抉る嫌な感触に、己はそう叫びながらも、相手に刃を叩き付けるのを止めることは出来ない。
五度、六度、七度と刃を叩き付け、徐々に徐々に相手の生命力と可動域を奪っていく凄惨な戦いは延々と続き……
「殺ったぞぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
結局、己が眼前の生物にトドメを刺し、そんな雄叫びを上げたのは凡そ七十六回の斬撃をそのゴリラ擬きに叩き込んだ後のことだった。
2017/11/20 07:11投稿時
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