03-11
「……てぇっ」
一面の青空とぐらぐらと歪む雲を視界の端に捉えながら、己は小さくそう吐き捨てる。
ゴリラ擬きの裏拳を咄嗟にガードした左腕は、指一本動かすだけで激痛が走っており……ほぼ確実に腕がへし折れていると分かる。
だが、全身に走る衝撃や痛みはそれほど大きなものではなく……上手く転がることでダメージを減らすことには成功したのだと思われる。
そう客観的に考えてしまうのは……激痛や不覚を取った怒りや身体が動かない危機感が薄いのは、吹っ飛ばされた所為で意識を一瞬持っていかれたのが原因なのだろう。
(早く、起きない、とっ)
そうして現状を思い出したその瞬間、己は慌てて立ち上がろうと身体に力を込める。
……だけど。
「……く、そっ」
立ち上がりは出来たものの、一撃を貰った衝撃はまだ己の中から抜け切ってないらしく……膝が笑い、身体中に力が入らず、視界が回る所為で正中線が保てない。
しかも相手の拳をガードをした左腕は下腕の半ば辺りからあり得ない方向にねじ曲がり、折れていると一目で分かる始末である。
(……激突の瞬間、背後に跳んでも、コレか)
今更ながらに非力で脆弱な人間でしかない己と、森の主という巨大な化け物との間に横たわる生物種としての差を思い知らされる。
技術もなく、鍛練もなく、普段使わない腕をただ振るっただけで……直前に跳んで衝撃を軽くするという技法を使って尚、日々鍛えてきた己の腕はあっさりとへし折れてしまったのだ。
その事実に己は歯噛みしつつも、右腕一本で愛刀「村柾」を握り、構える。
「くそがっ。
この腕で、どうやって……」
そうして構えながらも、己は動かない左腕に対し、ついそんな泣き言を零してしまう。
先ほどは両の腕を使い、渾身の力で斬り込んでなおこの巨大な生き物の筋肉は僅か数寸しか斬り込めなかったのだ。
先ほどから愛刀を保持するほどの力も入らないこのへし折れた左腕と、残された右腕一本だけで……どうやってこの化け物を討てば良いのだろう?
(畜生……油断、したっ)
下手に致命傷を喰らわせ、両腕を奪うところまで計画通りに進んだ所為か……それともあの猿擬きが二本の腕しか使わなかったことで、少し巨大な人間が相手だと勝手に脳内で思い込んでしまった所為か。
ほんの僅かコンマ数秒の気の緩みとは言え……失われたモノは多すぎた。
「くそっ、これからどうする……。
どうやって、勝つ?」
吹っ飛ばした相手が起き上がってくるのを不思議そうに眺めている、ゴリラ擬きを睨み付けながら、己はそう呟く。
だが、答えなんて出る訳がない。
たった腕一本では、傷一つさえもつけられるかどうか分からないのが現実なのだから。
「ええい、あの神官を死なせるなっ!
射れっ、射れぇええええええええっ!」
「くそっ、化け物がっ!
頼むから、死んでくれっ!」
突如、木塀の上からそんな叫び声が放たれたかと思うと……入口森の街へと詰める兵士たちは、ゴリラ擬きの化け物に向けて一斉に矢を放つ。
「ばっ、馬鹿野郎ぉおおおおおおおっ!」
己を助けようとするその「愚行」に、己の口からは思わずそんな叫びが零れ出ていた。
事実、己の斬撃すら数寸しか届かないこの森の主相手に矢など通用する筈もなく……矢は全て皮膚にすら突き刺さらず、ただ注意を引くだけで終わる。
「お、おいおい」
「一本も、刺さらないのか、よ……」
そして、その代償は大きかった。
狂っている筈のゴリラ擬きは、遠くから射かけた兵士たちを見るや否や、足元に落ちていたゴミ……要するに己が斬り殺した猿擬きの死体を掴み、直後に放り投げたのだ。
「うわぁああああああっ!
壁が、壁がっ、意味がねぇええええっ!」
「こんなんと、戦ってられるかよぉおおおおおおっ!」
「退避っ!
退避しろぉおおおおっ!」
森の主の放り投げた死体は、その速度と質量をもってあっさりと木で造られた塀を砕き、上の兵士たちを薙ぎ払う。
それでも、ゴリラ擬きの左手が砕けていたお蔭で、第二投が飛んでこなかったことは不幸中の幸いと言えるだろう。
そうして、身体を張った彼らの一斉射はあのゴリラ擬きには何の痛痒すらも与えることは叶わなかったものの……戦略的には必要にして十分過ぎるほどの意味があった。
「……よそ見、してんじゃ、ねぇぞ、くそっ」
……そう。
彼らが稼いでくれた数十秒のお蔭で、己が回復出来たのだ。
生憎と左腕は折れたままで、身体中の打撲傷が一歩踏み出す度に酷い苦痛をもたらすものの……それでも脳震盪はそれなりに抜け、歩く程度には回復してくれた。
そして、己が歩けるのであれば、たとえ剣で相手を傷つけることは叶わなくとも、敵の注意を引く程度のことは出来る。
「ぉおおおおおおおおおおおおっ!」
己は雄叫びを上げると、右腕一本でその巨大なゴリラ擬きへと突きを放つ。
渾身の力を込め、現状で最も痛打を加えられる筈のその一撃は……それでも切っ先一寸程度を皮膚にめり込ませる程度の効果しか与えられなかった。
基本的に、攻撃力が足りないのだろう。
直後、さっきまで戦っていた敵の存在を思い出したのか、森の主は己に向けて両の手を頭上から振り下す。
「っとととぉっ」
尤も、その頃には己はとっとと敵の射程圏外から逃れていて、そんな一撃を喰らう筈もなかったが。
(もう、勝ちは決まっているからな)
こうしている間にも、森の主と呼ばれているこの巨大な生き物は、右手首から鮮血を吹き出し続け、徐々に死へと近づいているのだ。
少々引け腰であっても、こうして攻撃を避け続けていれば勝利は確実で……
そう考えた、瞬間だった。
「馬鹿か、己はぁあああああああああああっ!」
直後、自身の怯懦を理解した己は、怒りのままにそう叫ぶと、愛刀を握ったままの右拳を自分の鼻面へと叩き付ける。
激痛に涙が浮かび、鼻血が流れる感触があったが自分への怒りの方がはるかに強く……己は音がするほどに歯を食いしばることで、愛刀で自分自身を斬り刻みたい欲求を堪えなければならなかった。
尤も、その間にもゴリラ擬きは己へ向けて手を振るっているのだが……立ち位置さえ気を付ければ、ただ振るわれるだけの拳など怖くもなんともない。
(勝てばいいならっ!
それで満足できるならて!
己は今っ!
戦場にいないっ!)
そんな内心の叫びに背を押されたように、己の身体は五メートルを超える巨体の、二つの手が舞う暴風圏へと一直線に突っ込んでいく。
左腕は折れ、右腕一本では相手の皮膚すらも貫けないというのに……それでも己はこの森の主と決着をつけずにはいられなかったのだ。
「己が死んで生き返ってもっ!
コイツは間違いなく死ぬっ!
つまりっ!
コイツと戦えるのはっ!
この一瞬が全てっ!」
そんな叫びと共に愛刀を、空を切ったゴリラ擬きの右手へ、左肘へ、右膝へ、左足甲へ、左脛へと叩き付ける。
しかし、どれも一寸ほど鱗と皮とを切り裂いただけで、痛打を与えるには至らない。
「ぅ、ぅぉおおおおおおおおっ!」
放っておけば死ぬ相手の懐へと跳び込み、一撃で自らを殺すだろう頭上からの拳を躱し、繰り出される蹴りから逃れ……
意味がないと知りつつ愛刀を叩き込み続ける己の姿は、もしかすると馬鹿以外の何者でもなかったのかもしれない。
……だけど。
「これがっ!
剣をっ、極めるというっ、ことだぁあああああああっ!」
身体の奥底から湧き上がってくる激情のまま、己は叫ぶ。
そうして叫びながらも、己は敵の動きが完全に読み取れる、いつもの「達人の領域」へと自らが至っていることに気付いていた。
だから、だろう。
「……甘いっ!」
またしても不意に繰り出された下の右腕の裏拳を、軽く上体を起こすだけで己は躱すと……風圧で揺れる前髪を意に介すこともなく、そのまま腕の付け根へと愛刀を突き立てる。
とは言え、幾ら反応速度と動体視力が増したとしても……己の腕力が増した訳ではないし、技量が増した訳でもない。
やはり己のその突きは皮一枚以上突き刺さることなく、己は敵の動きが完全に見えているというのに、相手にダメージを与える術がないという……完全な千日手の状況に陥ってしまったのだった。
2017/11/19 08:47投稿時
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