01-02
「……すごい建物だったんだ、な」
己は背後にそびえ立っている、球形を模したような屋根を中心とした、塔や通路を「神の求める美を描く形に広げた」などと聞かされた……正直に言って良く分からない奇妙な構造をした巨大な寺院を眺めながら、そう小さく呟いていた。
尤も、己の位置から見えるのは横一文字に広がった壁と、幾つか並ぶ突き出た尖塔と、そして中心部らしき丸い屋根で、何がどう神の求める美とやらになるのか、さっぱり分からない。
(中を歩いている感じじゃ、ただ広いってだけだったんだが……ここまで広いのか)
さっきまであの中で毛のない爺さん……エリフシャルフト何とかって爺さんのクソ長い説明を半分以上聞き流した後、恐らく丸っこい中心部から通路を右へ左へ長々と歩いて、ようやく外へと出て来た訳ではあるが……
この手の建物というモノは、中からでは大きさが分からないのが定番で……確かにやたらと広い建物だという覚えはあるものの、これほど大きな建物だったのは予想外である。
「しかし、これからどうしたものか」
己は寺院の入り口……城壁に囲まれた住宅街へとたどり着いたところで、そう小さく零していた。
周囲を見渡したところで、少し寂れた様子のレンガ造りに漆喰を塗ったような家々が立ち並び、立ち並ぶ露店は萎びた野菜が置いてあるものの、活気に乏しい様子しか見られない。
そうして周囲を見渡したところで己がどこかへ向かおうとする指針になる筈もなく……いや、そもそもこの国に着いたばかりの己には、向かう先どころか今が何処かすらも分からないのが実情だった。
(何も束縛しないのを神から指示されている、か)
どうやらあの幾何学的存在は、この己を最大限に優遇するようにと伝えたらしく……あの巨大な寺院の最高司祭らしき爺さんは、己に対してそう約束してくれた。
個人的に己という人間は何かを率先して決めるのに向いておらず、と言うか、そもそも刀を振るえさえすればそれで良く……こうも自由にされると逆に何をして良いか困ってしまうタイプの、良くある「指示を待つタイプ」の人間である。
だからこそ、今もこうして……何処へ向かおうか決めかねたまま、意味もなく立ち尽くしている有様なのだが。
(こうして突っ立っていても意味はない、か)
意味もなく立ち尽くすことに飽きた己が、取りあえずまっすぐ煉瓦敷きの街道を歩いていくと……何となく周囲の様相がおかしいことに気付く。
「……もしかして、水がない、のか」
己がそう判断したのは簡単で……あちこちに水路らしき煉瓦で覆われた溝があるにもかかわらず、それら全ては枯れて水など見えやしないのだ。
その所為か周囲の街路樹らしきものは全て枯れ果てていて……気温から考えて冬でもないというのに物悲しい雰囲気がある。
「あんた、一週間前は70ズーヌだったでしょうっ!
何んで今日は200ズーヌまで上がってるのよっ!」
「うるせぇな、知ってるだろうが、この畜生っ!
西じゃ牙獣が家畜を襲うんだっ!
仕方ねぇだろうがっ!」
ふとそんな騒ぎに視線を向けてみれば、肉を売っているらしいテントと屋台の中間のようなボロい店の前で、店主だろう髭面のおっさんと買い物客らしき婆さんが大声で言い合っているのが目に入る。
(……西の、『牙の王』、か)
この国が今、未曽有の危機に晒されているその原因と言われている六王……その一人にして、万を超す牙獣を操ると言われる牙の王。
彼らが騒いでいるのはその牙の王の影響、らしい。
この国の西に広がる広大な牧草地……そこには遊牧民族が暮らしており、この帝都エリムグラウトの食肉を担っているのだが、その牧草地に牙の王の手勢が攻め込み彼らの生活を圧迫しているのだとか。
結果として帝都へと運び込まれる食肉の価格が跳ね上がったのが、彼らの喧嘩の原因だろう。
「ふざけてるのっ!
黍粉がさらに値上がりって、私たちに死ねっていうのっ?」
「馬鹿にしてやがるっ!
何なんだよ、この木材の価格はっ!」
肉屋の騒ぎが気になった己は、何となく気が向いて街の中を散策してみた訳だが……どうやらあの幾何学模様が言っていた「世界が滅びる予兆」とまでは言えぬとも、それなりに民衆の生活が苦しくなってきているようだった。
あちこちにそんな怒号が飛び交っているのが目に入る。
その上、治安もかなり悪くなっているのか路地裏の方には孤児や娼婦らしき女が立っていて……どうにも剣呑とした空気が感じられる有様となっている。
(……だが、気のせいか。
男が、少ない、ような)
そうして街中を観察しながら歩いていくと、あちこちから妙に注目されているような気がしてならない。
……勿論、異人種丸出しの自分に注目が集まるのは仕方ないのだが、それ以上に己が目立っているのは「周囲に男の姿が少ない所為」のような気がするのだ。
いや、男というよりは……若い男の姿、だろう。
荷物を担ぐ四十過ぎの片腕の男や、杖を突いたまま黍粉を売る白髪混じりのおっさん、ちゃんばらごっこをしている十歳くらいの子供はいても、二十代、三十代の男の姿を全く見かけないのが気になってくる。
「私は、『霧の王』と戦い腕を失いました」
「私は『炎の王』と戦い、足が二度と動かなくなりました」
「私は『猿の王』との戦いで目が見えなくなりました」
勿論、男の姿も多少はあるのだが……そういう連中は決まって街路の隅っこに座り込んでそんな立札を並べ、物乞いらしきことをしているのだ。
そちらへと視線を向けてみると、あの両腕がない男はろくにモノも食べられないらしく……がりがりに痩せ細っていつ倒れてもおかしくない。
足が動かないと立札に書かれた男は、足が腐り始めているのか、蠅らしき小さな羽虫に集られている。
目が見えないという男は、包帯で隠されてはいるものの、隙間から見える顔は皮膚がずたずたに抉られていて……アレは恐らく、眼球そのものがなくなっているんじゃないだろうか。
──酷い、有様だな。
そんな連中を脇目に眺めつつ通りを歩き続けると、今度は若い男の姿が少ない原因が気になり始める。
いや、正確に言い表すならば、「若い男ってのがあの手の物乞い以外に見当たらない」原因が気になり始めた、だろう。
勿論それは僅かな違和感でしかなかったものの、気になり始めると止まらなくなってくる。
結局、分からなければ聞いてみれば良いと気付いた己は、近くのパン……ではないものの、近いモノを売っている店屋の軒へと顔を突っ込んでみる。
「神の恵みを。
これは幾らだ?」
己はさっきエリフシャルフトの爺さんに習った「こちらの挨拶」を口にしながら、四十過ぎの店主へとそう問いかけてみた。
「よせよ、神官連中じゃあるまいし……
って、ああ、済まない、神官さんだったか」
返ってきたのはそんな苦笑で……どうやらあの爺さんから教わった「こちらの挨拶」は、セリカと呼ばれる神官連中が口にする、お堅い言葉だったらしい。
己は威厳たっぷりの割に世間知らずだったらしいあの爺さんに苦笑しながらも、店先に並べてあったパン擬きへと視線を移す。
「っと、こっちのは一つ10ズーヌ、こっちのは30ズーヌになる」
ズーヌ……神聖なる神の創りし金属である『銀』を表す言葉だという、こちらの「お金」の単位を口にしたその店の主人が指す先には、まさに「パン擬き」としか言いようのない炭水化物の塊があった。
小麦粉ではなく黍粉が主体なのだろう、少しばかり黄色がかった、特に膨らませてもないソレは、がっちがちに焼き固められていて、味よりも保存状態を大事にしているのが窺える。
(もしかすると、この国では黍粉が主食かもしれないな)
幾つかの不思議体験はあったものの、未だに此処が異世界だなんて思うことは出来ない己だったが、こうして店屋を覗くことで異国風情というか……この国の主食はどうやら日本とは違うらしい、というのは納得出来た。
とは言え、それがあの幾何学模様が言ったように「異世界」かどうかと言われると、まだ納得は出来ないってのが正直なところなのだが。
「それと、それを貰おうか。
あと、そっちで物乞いを見たのだが……」
己は適当に日持ちがしそうなパン擬きを頼みながら、そう訊ねてみる。
ズーヌという名の通貨は一か月ほど暮らせる額……1万ほどをあの爺さんに貰っているので、しばらくは生活に困らないだろう。
「はいよ。
あの連中は、兵役に就いた傷病兵のなれの果てさ。
俺も似たようなもので……ほら、このザマなんだが」
店主はパン擬きを直接手渡してきながら、そう語ってくれる。
ついでに見せてもらった脚は膝から先がなく、ただの棒切れにも見える義足をつけていて……腕に走った無数の傷を含め、彼自身も戦場に出向いた経験があり、そこで散々苦労したのが窺える。
「幸いにして俺は、こうしてヌグァを焼くくらいは出来たんで、物乞いにはならずに済んだって訳だ。
ま、兄ちゃんもまだ若いんだ。
戦場に駆り出されることもあるだろうが、死ぬんじゃないぜ?」
「ああ……そうだ、な」
どうやら、この黍粉を練って焼いたパン擬きの名前がヌグァというらしい。
美味しそうに聞こえない名前ではあるが……まぁ、異国の言葉なんてそんなものだと割り切った俺は、取りあえず買ったヌグァ二つを風呂敷で包み、懐へと入れる。
適当な旅の道具一式と言われ、押し付けられるがまま爺さんに貰った品の一つだが……早くも役に立ってくれたようだ。
(……しかし、やはり戦況は良くないのか)
寂れた様子の街や、満身創痍の物乞いの姿、加えて幾何学模様や爺さんの頼みを考えて、そうではないかと思ったのだが。
どうやら本格的にこの国は滅びに向かって突き進んでいるらしい。
己一人の刀で、それがどうにかなるとは思えないが……
(ま、良いか)
ただの身元不明の死体でしかない己は、どうせおまけの人生なのだから、思うがままに剣を振るい、好き勝手に死んでいけば良いだけである。
「しかし、そんなに戦が厳しいんじゃ、生活にも支障が出てるんじゃないか?」
だから、己がそう聞いたのは、ただの世間話のつもりだった。
……だけど。
「まぁ、何が困っているって、北の霊廟を屍の王に占拠されて水がないってことだよな。
水の都と呼ばれたこの帝都も、今やこのザマだ。
挙句、東の農地はその所為で水浸しに、更に悪いことに炎の王も東から攻め込んできていて……黍粉の値が跳ね上がっちまってる」
ため息混じりに店主が零したその言葉は……どうやら六王とやらの一人により、生活がもろに影響を受けているという実感のこもった代物だった。
(屍の王と、炎の王ね。
……まず、屍の方を目指してみるか?)
目的すらなかった己の行き先だが、まず最初に耳にした単語……北の霊廟とやらを目指してみるのも悪くない。
そう考えた己は、爺さんに見せてもらった地図を思い出してみる。
爺さんの説明は堅苦しい上に長くて説教くさく、ほとんど聞き流していたのだが……確か、帝都を流れる川沿いに北へ遡上していくと、北の霊廟とやらがあった筈だ。
そうして己がそろそろ店を出て、屍の王とやらと死合いに行こうと踵を返そうとした、その時だった。
「父さん。
これ、焼きあがりましたよっ!」
店の裏側から、黍の焼ける独特の匂いと共に、十代半ばほどの女の子がそう叫びながら顔を出す。
手に持った木組みのトレイの上には、幾つものヌグァが乗せられていて……どうやら己はタイミングがあまり良くなかったらしい。
「おお、いつも済まんな、ミジャフ。
早くお前の夫も探さなきゃならないのに、こんなことばかりさせて……」
「もう、まずは姉さんが先よ。
それに、まだお店……私が手伝わないと、やっていけないでしょう?」
ミジャフと呼ばれた、黒褐色の長い髪を後ろで結いそばかすが特徴的な少女は少し照れた笑みを浮かべながらそう訊ね返す。
その少女は、まぁ、何処にでもいるような、所謂「普通の女の子」という印象だが……どうやら家の仕事を積極的に手伝うような、今どきあまり見かけない性格の女の子らしい。
野暮ったい薄茶色の厚手の服は街で見かけた数人ほどと比べても、それほど裕福そうでない印象を受けたものの……働いている最中にはそんな服装でちょうどなのかもしれないと思い直す。
「……アイツは、なぁ。
外見は良いんだが、店の手伝いはサボるし、いつもふらふらと……」
「って、お客さんの前で話すことじゃないでしょ、もうっ。
私、奥でまだすること、あるからっ!」
ミジャフの姉はどうやら美人ではあるが素行に問題があるらしく……店主はそう愚痴を零し、ミジャフ自身はそんな父親に少しだけ声を荒げるとさっさと奥へと引っ込んでしまう。
何というか、滅びかけているという割には平和なその光景に己は毒気を抜かれ、肩を軽く竦めるしか出来なかった。
「ああ、済まんな。
うちは六人とも娘で、なぁ。
ようやく上の三人は嫁いだんだが……
最近は黍粉も上がって、結納金を食いつぶすばかりでなぁ」
「……あ、ああ」
偶然とはいえ、一家団欒の場面を見てしまった所為か、店主のおっさんは妙に馴れ馴れしく己に愚痴を零し始め……
結局、己がおっさんから解放されたのは、それから十数分も経った後のことだった。
2017/09/02 17:59投稿時
総合評価 270pt
評価者数:15人
ブックマーク登録:62件
文章評価
平均:4.9pt 合計:73pt
ストーリー評価
平均:4.9pt 合計:73pt